読書力はあらゆる学力の基礎
読書をしたことのない子は、今の日本ではひとりもいないと言ってもいいでしょう。どの子も小さいころ、お母さんから絵本を読んでもらったり、自分で本を読んだりした経験があります。
そのため、読書というものはだれでもできるもので、それが子供たちの学力の差になっているとは考えにくいものです。しかし、小学校の低学年の時期から既に、読書力については予想以上に大きな差が生まれています。結果が表面に出やすい漢字の書き取りや計算の練習は、成績が悪ければすぐに力を入れることができます。しかし、読書力については、大きな差があってもそれが自覚されないまま見過ごされてしまう場合がほとんどです。
ところが、この読書力の差は、学年が上がるにつれて、子供たちの学力の大きな差として表われてきます。読む力のある子は、国語だけでなく、理科でも社会でも、文章を読むだけで内容を吸収していきます。
しかも、この読む力は、文章を読むことだけにとどまりません。
読書力は、物事の相互の関連を、理由、原因、方法、心の動きなどの立体的な構造として読み取る力にもつながっています。
読書力は、あらゆる学力の基礎となっていると言っても言い過ぎではありません。
本を読まない中学生・高校生・大学生
幼児期から小学校低中学年にかけて豊かな読書週間を持っていた子でも、
中学受験の時期になると、それまでの読書の習慣が途切れてしまうケースがかなりあります。
小学校高学年から中学生にかけては、読書の質が変わる時期にあたるので、小学校高学年で読書から遠ざかると、中学生でどういう本を読んでいったらいいかがわからずに、そのまま読書離れが続いてしまう傾向があります。すると、高校生・大学生となるにしたがって、更に読書離れが定着していきます。
読書力が伸びないから読書の楽しさがわからない、読書が楽しく思えないから読書をしないという循環が、大学生以降もずっと続いてしまうのです。
読書を阻害する環境
「私が子供のころは、自然に本を読んだのに」と嘆かれるお母さんがよくいます。子供のころ自然に読書好きになったお母さんほど、読書とは強制されてするものではなくだれでも自然に読むようになるものだ、という考えを持っています。
しかし、今の子供たちをめぐる環境は、昔とは全く違います。最も大きな違いは、読書以外の魅力的な時間つぶしがたっぷりあるということです。
テレビゲーム、ビデオ、インターネット、携帯電話などは、お母さんやお父さんが子供のころにはなかったものです。
これらの環境に抗して読書生活を続けることは、子供の力だけではできません。親や学校や社会が協力して、子供の読書環境を確保してあげなければならないのです。ところが、そういう体制はまだほとんどできていません。
そこで、少なくとも家庭で子供たちの読書環境を作っていくことが必要になります。
小学校低学年から読書を生活習慣に位置づける
小学校低学年の時期は、書店にも図書館にも読む本がたくさんあります。また、テレビゲームやインターネットなどの環境も、親の力でコントロールすることができます。
この時期は、読書を毎日の生活習慣に位置づけるということを優先して取り組んでいきましょう。そのためには、読書の時間を毎日必ず確保することが必要になります。
習慣というものは、日々欠かさずに続けていくことで定着します。何かの習い事があって遅くなる日は読書をしないというようなことがあると、習慣づけは難しくなります。
読書習慣は、どの勉強や習い事よりも優先させるつもりで取り組む必要があります。そのためには、読書時間を夕方だけでなく、朝食前に確保するのも一つの方法です。
小学校中学年は多読によって速度力を身につける
小学校中学年の時期は、読書のジャンルが広がり、読書量も増える時期です。この時期に読む本は、書店や図書館でも充実しています。ときどき、「どういう本を読ませたらいいでしょうか」という質問を受けますが、小学校低中学年の時期の読書選びは、困ることはありません。書店に行けば、フォア文庫、青い鳥文庫、岩波少年文庫など、出版社がこれまでに人気のあった本を再編集して出版しているシリーズが多数あります。この中で、子供が興味を持ちそうな本をどんどん読ませてあげればいいのです。
本というものは、最初は難しくてつまらなそうに見えても、読み進むにつれて読む力がついていき、最後には面白くなってくるという場合がほとんどです。特に、小学校中学年のころまでは、本の内容に対する好みの個人差はほとんどありません。「子供が興味を持って読んでくれるような本を」と考えるよりも、
何しろたくさんの本を読ませて読む力をつけるというのが、この時期の課題です。
小学校高学年からは難読に挑戦
小学校高学年は、中学受験とぶつかるために、読書習慣が途切れやすい時期です。この時期は、これまでと同じように多読を続けていくことは時間的にもできません。また、読書力は、当面の受験のための国語力とは部分的にしか結びつきません。中学受験の国語力として要求される能力は、普通の読書力ではなく、難しい文章を読む力(難読力)だからです。
高学年の読書は、限られた時間の中で、量よりも質を考えて読む力をつけるということになります。読書をする時間が取れない場合は、入試用の国語の問題集を読書代わりに読むというようなことも必要になります。
受験に追われている時期も、わずかずつでも読書の習慣を継続していくというのが、この時期の課題になります。細々とでも読書習慣を維持していくことによって、中学生以降の読書生活の継続が可能になるのです。
中学生は親と同じ本を
中学生になると、親が勉強のアドバイスをすることが難しくなります。そのため、読書についても自然に本人まかせになってしまいがちです。しかし、この時期に読書をしない習慣がつくと、そのあと読書習慣を復活させることはできません。
しかし、中学生のころに、子供たちが読むのにふさわしい本は、書店にはほとんどありません。売れないから書店に並ばない、書店にないから読まないという悪循環が、日本の中学生・高校生の読書環境となっています。
また、中学生になると、学校も読書指導をしなくなります。部活動や定期テストに追われ、書店に行ってもどういう本を選んでいいのかわからず、先生も読書のアドバイスをしないとなれば、中学生の読書離れは当然の結果と言ってもいいでしょう。
そこで大切になるのは、やはり家庭の教育力です。お父さんやお母さんが中学生のころに読んで感動したような本の多くは、既に絶版になっています。似たような本を説明文のジャンルから選ぶとすれば、現代では、「岩波ジュニア新書」「ちくま少年図書館シリーズ」などになるでしょう。
これらの中学生・高校生向けの説明文の本とともに、お父さんやお母さんが現在読んで感動した本をすすめるというのが、中学生の読書選びの方向になります。
このような方向づけがないと、中学生の読書は、たとえ読書好きの子であっても、小学校の延長で小説を読むレベルからなかなか抜け出せません。小説を読むこと自体はマイナスではありませんが、それが読書生活のすべてになってしまい、説明文意見文の本を読まないとなると、読書力は成長しません。
高校生・大学生は古典を
高校生・大学生に必要な読書は、ひとことで言えば古典です。日本の文学に限らず、世界中の古今の名著と呼ばれるものを読んでおくのが、この時期の課題です。高校生時代の歴史や倫理や政治経済の授業で書名だけ聞いたような本を、書名の暗記だけに終わらせずに実際に読んでいくことが、その後の人生のバックボーンとなります。
また、大学入試の小論文の勉強の際に読むようにすすめられた参考図書などは、良書を選ぶ上で参考になります。
現代の日本では、どの分野にも、わかりやすく書かれた入門書や概論書が用意されています。しかし、
わかりやすい入門書を何冊も読むよりも、その分野の原典となる本を一冊読むほうが、得るものは比較にならないほど大きいのです。ところが、こういう読書一般のアドバイスをしてくれる人は、高校生や大学生の周りにはほとんどいません。自分自身で自覚して読書を進めていくことが、高校生や大学生にとっては必要になります。
読書と作文を結びつけた感想文の勉強
言葉の森の作文指導は、読む練習と書く練習が密接に結びついています。
読む力をつけることによって書く力が伸び、書く力をつけることによって更に深く読むことができるというのが、言葉の森の教材の特徴です。
私たちは、受験に合格するためだけの読書指導や作文指導ではなく、子供たちの将来の人生に役立つような読書・作文指導をしていきたいと思っています。そのためにも、より多くの人が、読書や作文を、子供たちの勉強の重要な一部として認識してくれるように願っています。