言葉の森に、小学校低学年から来る子には、とてもいい子が多いです。
成績も優秀で、親の言うこともよく聞き、ていねいではきはきしていて、模範的な小学生であることが多いのです。
ところが、そういう子供たちの何割かは、大きくなると悪い子になるのです(笑)。
悪い子というと大げさですが、親の言うことを聞かなくなるとか、学年が上がるとやる気がなくなるとか、そういう意味の悪い子です。
なぜそうなるかと言うと、子供時代のいい子というのは、親の期待に沿う意味のいい子だったので、子供は我慢していい子を演じていたということなのです。
子供時代の悪い子というのは、親が何かを言っても、自分の意に沿わなければ「いやだ」というようなことを言う子です。
親が「こっちに行こう」と言っても、「いやだ。あっちに行きたい」と言うような子です。
その悪い子は、ある意味で自主性があるから悪い子になっていると言えるのです。
一方、子供時代もいい子でありながら、大きくなってもそのままもっといい子になる子もいます。
それは、親の関わり方の差のようです。
子供を、親の言うとおりに育てるのではなく、子供の自主性を尊重しながら親子の関わりを深めているというところにそのコツがあります。
この典型的な例として思い浮かべるのは、いつも同じことを書くようですが、さかなクンの子供時代です。
幼児のころ、さかなクンは、公園で暗くなるまでひたすら泥団子作りを続けました。それをお母さんはずっと見守っていたのです。
このように、自主性を尊重しながら関わりを持つということが子育ての極意です。
自主性を奪うような関わり方ではなく、また放任に近い自主性の尊重でもなく、温かく見守りながらその子のやりたいことを伸ばすとい微妙なハンドルさばきが必要なのです。
その意味で、子育てには、子供それぞれに異なっている面があります。
だから、大事なことは、子供のことをよく見、よく聞き、よく触れ合い、そしてすべてを子供の立場で考えることです。
子供に対する深い関わり方が親のエゴを実現することにならないように、視点をいつも子供の立場に置いておくといいのです。
子供がみんなに評価されるようなことは、親にとってうれしいことですが、コンクールに入選するとか、何かの賞をもらうとかいうことは、子供の成長にとって意味があるわけではありません。
親の自慢にとって意味があるだけです(笑)。
本当のいい子というのは、親にとってのいい子なのではなく、その子供の成長にとっていい子であるということなのです。
話は少し変わりますが、今度の保護者懇談会は、この子育てのコツについて、みんなで話し合うような場にしたいと思っています。
これまでのように、保護者の質問に先生が答えるという形式ではなく、保護者どうしが少人数のグループで子育ての経験を交流するというようなセッションです。
こういうワールドカフェ的な保護者懇談会の企画を考えています。