小学2、3年生の子のお母さんで、自分の子の作文をうまくさせようとして、よその上手な子のことを褒める人がいます。
これは、その子にとって何のプラスにもならないばかりか、作文そのものを嫌いにさせる原因になります。
いちばんの原因と言ってもいいと思います。
立場を変えてみればすぐにわかります。
妻が夫に、「隣のうちのご主人、格好いいわねえ」などと言って、夫が自分もがんばろうと思うことはまずありません。
逆に、夫が妻に、「あそこのうちの奥さん、いつもきれいだねえ」などと言って、妻が私もきれいになろうと思うことはまずありません。
ほかの人を褒めることは、何の意欲にも結びつかないばかりか、かえって反発の要因になるだけなのです。
そういう、自分に照らし合わせて想像力を働かせればすぐにわかることを、自分の子供に対しては忘れてしまう人が多いのです。
学校の先生でも同じです。
作文の指導と称して、上手な子の作文をプリントしてみんない配るようなことをする先生がいます。
それは、その子を褒めるという意味だけではいいのですが、それがほかの子の作文を上達させるようなことはまずありません。
そういう指導法で作文が上手になるのなら、日本中の子供がすぐに作文が上手になっているはずです。
作文は、ほかの人の上手な作文を見せられて上達するものではありません。
その子の作文のいいところを、その子のためだけに褒めるのでなければ、指導とは言えないのです。
学校で作文指導に熱心な先生に教えられると、そのクラスでは作文嫌いになる子が増えるという調査結果があります。
その熱心さの中身が、上手な子の作文を褒めるようなことになっているからです。
子供の作文を見たら、ほかの子と比較するのではなく、その作文のいいところだけを見て褒めてあげることです。
言葉の森の項目指導はそのためにあるのです。
「たとえを入れて書こう」という項目で、たとえができていたら、そのたとえの中身よりもまず本人が意識的に努力して書いたことを褒めるのです。
こういう地道な褒め方をせずに、おおまかに作文の全体を見て、うまいとか下手とか言うのは、子供の教育にとって何のプラスにもなりません。
子供の作文を上達させるかどうかの役割の半分は、お母さんの接し方にあります。
いつも、自分の子の作文のいいところだけを見て、たくさん褒めてあげてください。