論理的に理解する力というのは、答えを見つける力です。答えのある世界で正しい答えを見つける方法が論理的な読解力です。
以前、言葉の森で、センター試験で満点を取るための講座を開いていました。しかし、満点を取ること自体は何の意味もありません。それは、既にある答えが見つかったということに過ぎないからです。
文章を理解する力があることは学力の基本です。しかし、それはゴールではありません。
文章を読んでその内容を理解するというのは、到達点ではなく、そこが出発点にならなければならないのです。
言葉の森は、昔、速読のページを作りました(今でもありますが)。
しかし、言葉の森が速読をそれほど重視しているわけではないのは、速読のあとに来る「考えること」の方が大事だと思うからです。
情報処理能力というと、大量の文章を読んで理解し、それを整理して自分なりにまとめる力というように考えられていたことがあります。
しかし、それは、キュレーションと呼ばれるような処理と同じで、別の言葉で言えばコピペの能力をさらに進化させたものです。
こういう情報処理能力は、もう人間のやる仕事ではなくAIがやってくれる仕事になっているのです。
人間がすべきなのは、大量にある情報を整理することではなく、既にある情報の中から新しいものを創造することです。
この創造の根本にあるの、よりよく生きようとする意志です。
人間とAIの違いはまさにここにあります。
よりよく生きたいと思うからこそ現状の追認に満足せず、現状を克服すべき問題としてとらえ、未来にまだない理想を建てるということができるのです。
この創造に必要な材料は、確かに読書などによって与えられます。
しかし、その材料を生かすエネルギーは、読書ではなく経験や実行の中から生まれます。
そして、そこから生まれた創造が、他の人間との対話の中で発展していくのです。
文章力の自動採点は機械でできますが、その文章の内容に価値があるかどうかを判断するのは同じようによりよく生きる意志を持った人間だけです。
だからこれからの文章の評価は、形式的な評価はAIが行うとしても、内容的な評価は同じレベルにある人間の評価によるほかはないのです。
この創造的読解力を育てるためには、文章をただ理解するために読むのではなく、対話をするために読むという読み方をする必要があります。
これが、論理的読解力のあとに来るものです。
言葉の森の作文指導の中で読解力が育つのは、課題の文章を読み取り、そこに自分らしい創造を付け加えて書く勉強をしているからです。