先日、92歳で亡くなられた西澤潤一さんの本を読みました。
「背筋を伸ばせ日本人―『信念』と『創造力』の復活」という本で、教育の問題についてもかなりスペースがさかれていました。 西澤さんは、現在の日本の社会の問題を、大きく教育の問題として捉えていたようです。
私がこれまで関心を持って読んでいた著書のほとんどが、やはり日本の教育の問題を提起しています。
そこに共通するものは、ひとつが煩瑣な知識の詰め込み勉強の弊害、もうひとつが勉強以外の人間教育の不足です。
人間教育とは、例えば勇気とか思いやりとか向上心とかいったものに対する教育です。
つまり、今の教育では、成績として表れる勉強ばかりが優先され、成績に関係しない部分が忘れ去られているというのです。
成績に関係しないものは、例えば、勇気です。
いくら成績がよくても、戦う必要があったときにが戦う力がなければ、その成績は価値あるものにはなりません。
特に男の子は、いじめられたらやり返す力が必要です。
それが社会人として生きるために必要なことだからです。
またいくら成績がよくても、弱い者に対する思いやりがなければ、やはりその成績は価値あるものにはなりません。
思いやりは人間として当然のことで、社会はその思いやりで回っているからです。
またいくら成績がよくても、成績に表れる以外のことに対する向上心がなければなりません。
テストが終わったら、又は志望校に合格したら、あとは遊び呆けるというような姿勢ではなく、テストが終わったら、又は合格したら、本当に自分でやりたかったことに取り組むというような子でなければならないのです。
私はこれまでいろいろな子供たちを教えてきて、成績だけの一面的な教育というものの弊害をいくつも見ています。
成績が悪くてもそれが問題になることはほとんどありませんが、成績だけがよくて他の人間力が不足している場合、つまり成績がよすぎる場合は、かえって大きな問題になってしまうことがあるのです。
今の子供たちの父母や祖父母の世代は、いい学校に入ることが、いい社会生活を送る前提になっていた世代ですから、いい学校に入ることだけが目的のようになっています。
しかし本当の目的は、いい社会生活を送ることで、学校生活はそのひとつの通り道にすぎません。
理屈ではこういうことがわかっているはずなのに、実際に子供がテストの結果を持ってくると、それに目を奪われて成績だけを考えてしまう親が多いのです。
それが例えば、成績さえよければ勇気などはなくてもどうにかなるとか、成績さえよければ思いやりなどなくてもなんとかなるとか、成績さえよければ成績以外のことに対する向上心などは特に必要ないとかいう考え方になるのです。
ところが、社会人になって仕事をするときに最も大事になるものは、勇気や思いやりや向上心の方であって、決して学校生活で獲得した成績ではありません。
成績はその子の全体の向上心のひとつですから、本人に向上心があれば、成績は必要になったときすぐに上げることができます。
成績がなかなか上がらないというのは、成績が上がらないのではなく、その子の向上心が不足しているからか、向上心が成績以外方に向いているからかだけなのです。
だから、言葉の森は、現在、成績も含めた向上心、勇気や思いやりという文化力、そして創造力というものを総合的に育てる教育を目指しています。
それが、作文を中心として子供たちの発表と交流と自学自習位を生かす、森林プロジェクトの寺子屋オンライン教育です。
森林プロジェクトで、日本のこれからの教育についていろいろなことを話し合い、日本によりよい教育を作っていきたいと思います。