最近は、学習塾でも作文のコースを設けるようになりました。
それは、公立中高一貫校の入試で作文が課されるようになったからです。
作文というものは、短期間であれば誰でも教えられるものです。
特に小学生の作文指導というのは、ただ書かせて添削をすればいいだけですから、ある程度の文章力のある人なら誰でもそれなりに指導ができます。
しかし、その作文指導を長期間続けることが難しいのです。
小学生の子であっても、5、6年生になると、大人並みに深く考えて書く子が出てきます。
そういう子や、更に学年が上の中学生、高校生に中身のある指導を何年間も続けるということはまずできません。
それは、指導の方法の中心が赤ペン添削だからです。
添削指導とは、間違えているところや表現のおかしいところを直す指導です。
よく書ける子になると、直すところがほとんどない作文を書いてきます。
そこに無理やり赤ペンを入れると、どうでもよいニュアンスの違いを指摘するようなことになってくるのです。
ですから、当然ある時期から作文力は伸びなくなります。
言葉の森の作文指導は、受験に合格させるために始めたものではありません。
子供たちの、個性、知性、感性を育てるために始めた作文指導を、その指導の延長で受験にも対応できるようにしただけです。
しかし、受験対応の歴史は、どの塾や予備校よりも長いはずですから、合格作文を書かせるためにテクニックも豊富にあります。
ただ、テクニックはすぐに身につくものですから、ふだんは実力をつけるための作文、つまり個性的な題材、表現、主題のある作文を目標に指導をしているのです。
学習塾などで誰でも教えられる作文指導の内容は、最初は直すことが中心ですが、直すところがなくなると、次は上手に書けた子の作文をみんなに見せるような指導になってくると思います。
同じ指導をして、上手に書ける子と上手に書けない子がいるのですから、上手に書けた子の作文を見せれば、ほかの子も上手に書けるようになるだろうという発想です。
これは、学習塾だけでなく、学校でもよく行われている方法です。
現在、作文力をつけるというようなタイトルで出されている参考書なども、ほとんどすべてがこの「上手な子の作文を見せる」という形で編集されています。
これで、読む人の多くが同じように作文が上手に書けるようになればいいのですが、いくら上手な作文を見せられても、同じように上手に書けるようにはまず決してななりません。
間違いを直す指導や上手な作文を見せる指導に共通するのは赤ペン添削という方法で、その方法のもとになるのは事後指導という考え方です。
事後指導だから、何の準備もなく作文を教えることができますが、そのかわり、上手に書ける子にはそれ以上の指導ができず、上手に書けない子には、上手な作文を見せることしかできなくなるのです。
こういう指導でも受験の役に立つのは、一応書く機会が増えるので、書くことに慣れるからというだけです。
そして、ほかの勉強と同じように、受験のためにいやいや作文を書かされたが、もう受験が終わったから作文を書かなくて済むというような結果になっていくことが多いのです。
言葉の森の作文は、受験のためにやっているのではありませんが、どの塾よりも充実した受験対応の作文指導ができます。
よく、高校3年生の子が、「昔、小学生のとき言葉の森で作文を教えてもらっていたのですが、今度大学の小論文の試験があるので、○○先生にまた見てもらえますか」と、電話をしてくることがあります。
予備校などにも小論文講座があるはずですが、そういう講座ではなく、言葉の森の作文指導を受けないと安心できないというのです。
同じ作文指導や小論文指導という名前であっても、その指導の厚みが、学習塾や予備校や他の通信教育とは全く違うからです。
だから、学習塾との両立で迷われている方は、塾の作文コースで間に合わせるよりも、言葉の森の作文を続けていった方がもちろんいいのですが、受験の1年間は、誰でもかなり多忙になります。
その多忙の時期に、いくつかの習い事を辞めざるをえないということは当然出てきます。
受験の真っ最中にも言葉の森を続けて御三家と言われるようなところに合格する子もいますが、学習塾の体制によっては、両立ができなくなることもあります。
その場合は、もちろんいったん言葉の森を辞めていいのです。そして、受験が終わったらまた再開すればいいのです。
学習塾や予備校や通信教育の作文指導と、言葉の森の作文指導はもともと目的が違うのですから、柔軟に考えて、言葉の森の勉強を高3の続けられるところまで続けていくといいと思います。
中学入試で塾で作文指導を受け、高校入試でまた別の塾で作文指導を受け、大学入試で別の予備校で小論文指導を受けという形で細切れの作文小論文指導を受けるよりも、小学生から高校生まで言葉の森で作文小論文の勉強をしていく方がずっと多くのものが身につくからです。