勉強の成績に関係があるのは勉強そのもののように見えますが、実はそうではありません。
勉強そのものは、最後の仕上げのようなもので、その勉強の土台に頭のよさというものがあるのです。
それは決して生まれつきのものではなく、頭をよくする習慣を作っていけば誰も同じようによくなります。
それは一言で言えば、理解する力をつけることと、覚える力をつけることです。
理解する力は、ある程度の難しさを持った文章を読むことによって育ちます。
わかりやすい練習方法が長文の音読で、併せて問題集読書を続ければ理解力は更に深まります。
東北大学の川島教授の調査によれば、読書をしている子は短時間の勉強で成績が上がるのに対し、読書をしていない子は長時間の勉強をしなければ同じようには成績が上がらないという結果が出ています。
人間が物事を理解するときは、それが理科の分野や算数の分野であっても、結局は言葉によって理解しています。
だから、言葉を理解する力を高めれば、国語だけに限らず勉強全体の成績がよくなるような理解力がつくのです。
理解力をつけるためには文章を読むことが大事ですが、その文章も軽い読み物ではなく、難しい説明的な文章を読んでいく必要があります。
だから、読書も大事ですが、それと並行して長文音読や問題集読書を続けていくとよいのです。
理解する力が深まると短期間で成績が上がるというのは、次のような例を考えてもわかります。
小学校低学年のころに算数の難しい問題の理解に何時間もかける子が、小学校高学年になるとそれを同じような問題をもっと短時間のうちに理解できるようになります。
年齢による理解力の差はどこから出てきているかというと、読む力がつくことによって理解が早くなったということなのです。
ですから、同じ学年の生徒でも、難しい算数の問題を早く理解できる人となかなか理解できない人がいたとしたら、それは読む力の差なのです。
頭をよくするためのもうひとつの力は覚えておく力です。
勉強の体系は学年が上がるほど複雑に広がっていきますから、ある箇所の知識が他の箇所の理解に影響するということは高学年になるほど多くなってきます。
算数の難問と言われるものも、その問題自体が難しいのではなく、ある解法と別の解法を組み合わせて解かなければならないから難しいという仕組みになっています。
すると、いったん理解した一つの解法を覚えておくことが、複数の解法を利用する勉強では必要になってきます。
覚える力がある人は、複雑な問題になればなるほどその覚えた力を生かすことができるようになります。
本多静六は、東京山林学校(現在の東大農学部)に進学したとき、それまで家の仕事ばかりをしていたため数学がほとんどわからず落第の点数を取ってしまいました。
しかし、それから一念発起して、数学の問題集を解法ごと暗記する練習をしたのです。
すると、その後の数学の成績はほとんど満点を取れるようになり、数学の先生から、おまえは数学の天才だから授業は聞かなくてよいとまで言われるようになりました。
静六は、貧しかった家の手伝いで米をつくような退屈な仕事をさせられているときに、することがないので、ずっと暗唱を続けていたというのです。
山林学校に受かったのも、暗唱力をいかした作文の点数がきわめてよかったためで、暗唱の力による作文力と理解力と記憶力で、その後の勉強をカバーしていったのです。
言葉の森では、この暗唱力の大切さを早くから考えていたので、暗唱の学習がしやすいように当初から音読用の長文と暗唱用の短文を作っていました。
今は、それを発展させて、暗唱長文をもとにした暗唱検定を行っています。
この暗唱検定に合格する力と、頭のよさは比例していると思います。
頭のよさは生まれつきのものではなく努力によって作られるものですから、小学校低中学年の生徒は、単なる勉強の時間は削ってでも、この暗唱の勉強を行っていくとよいと思います。