ナデシコ
昔、中学生、高校生の書いた作文をいくつも見比べてみたことがあります。
よく見ると、どうしても、ある作文の方が上手に見えます。
しかし、どこが違うのか、書いてある内容や表現や主題を見ても、そこに大きな差があるようには見えません。
しかし、何度見ても、ある作文の方が上手に見えるのです。
そこで、それらの作文の語彙を全部抽出して調べてみました。
すると、語彙の多様性に微妙な違いがあることがわかったのです。
語彙の多様性以外に、語彙の種類も関係がありましたが、最も大きな違いは多様性でした。
上手な作文は、ある内容を表すのに、同じ語彙を使わずに多様な語彙を使って表現しているのです。
しかし、人間が目で見てもその違いはわかりません。
漠然と、ある作文の方が上手に見えると感じるだけなのです。
その差は、機械で集計して初めてわかるような差だったのです。
その差が集計の差として出るためには、作文の字数は1200字以上必要だということもわかりました。
600字や800字の作文では、誤差の方が大きくなるので、必ずしも上手な作文の方が点数が高くなるとは言えません。
しかし、1200字になると、語彙の多様性と人間が見て上手だと感じる感覚は一致してくるのでした。
では、作文の勉強法として、どうしたら語彙が多様な作文を書けるのでしょうか。
その方法のひとつは読書で、もうひとつは対話なのです。
作文力は、言わば氷山の水面上に出ている部分で、その水面下には読書力というより大きな土台があります。
だから、作文力は、書いたあとの添削によって上達するのではなく、その土台となる読む力をつけることによって根本的に上達するものなのです。
ところで、小学4年生までの作文は、主に事実中心の生活作文です。
だから、物語文の本を読んでいる子は、生活作文を上手に書けます。
しかし、小学5年生からは説明文、中学1年生からは意見文になります。
この時期に、説明文、意見文の本を読んでいないと、作文に必要な語彙が出てきません。
今の学校では、中学生や高校生で作文の指導がされることはほとんどないので、高校生でも生活作文のような文章を書いている人は意外と多いのです。
作文力のもうひとつの土台は、対話です。
小学生でも、親子の対話が多い子は、自然に長い感想を書きます。
対話の少ない子は、「とてもたのしかったです。」というような条件反射的な感想でまとめてしまうことが多いのです。
この親子の対話は、子供の話を引き出すことではありません。
親がいろいろな話をしてあげることです。
その親の話も、単なる知識の伝達のような話ではなく、子供が面白がり、しかも考えることのできるような深みのある話であることが理想です。
だから、親も読書によって日々新しい話題を仕入れておく必要があるのです。
語彙力は、語彙の勉強でつくものではありません。
語彙力のドリルや辞典や図鑑などは、気休めです。
知識として語彙を覚えても、使える語彙にはなりません。
読書や対話という生きた経験を通して身につけた語彙が、使える語彙になるのです。
作文は、上達に時間のかかる勉強です。
数学や英語は、本気になって取り組めば、数か月で著しく上達させることができます。
苦手な子が普通になり、普通の子が得意になることまでできるのです。
しかし、作文で、苦手な子が普通になり、普通な子が得意になるのは、数年間という遥かに長い時間がかかります。
だから、作文指導で大切なことは、子供が書いたものを褒め続けて、何しろ勉強を持続させることです。
作文の欠点を直して上達させようとすると、2、3回は効果があるように見えますが、それだけです。
そして、直して上達させようとした子は、結局、作文の勉強を早々とやめてしまうのです。
子供の作文を親が指導するのが難しいのは、そういう事情があるからです。