マツバギク
外国人が日本語を覚えるときに、いちばんネックになるのが漢字だと思われています。
確かに、常用漢字2000字は、普通の大人の日本人であれば楽に読めますが、日本語を知らない人にとっては、それが大きなハードルになってしまうように思えます。
しかし、ここで大事なことは、日本語を教える教育の方法です。
教えることを先に考える人は、まずネックになっている漢字や個々の単語や文法を教えようとします。
これが、間違いなのです。
野口悠紀雄さんは、学習の基本として、まず全体を学ぶということを述べています。
これが、教育の基本です。
例えば、文章の読解が苦手な生徒がいたとします。
分析主義、と敢えて言いますが、分析主義的な教育をする人は、文章を個々の段落に分け、それぞれの段落の内容を理解させようとします。
それぞれの段落の中で意味のわからない言葉があれば、その言葉の意味を辞書を引いて理解させようとします。
そして、言葉の意味がわかり、段落の意味がわかり、文章全体の内容がわかるようになると考えるのです。
これは、最も遠回りな方法です。
この方法では、文章全体を理解する前に、ほとんどの生徒は文章を読むことが嫌になってしまいます。
そして、読解力は身につきません。
本当の教育法は、その文章を丸ごと何度も繰り返し読むことなのです。
国語読解クラスの勉強の基本は、問題集の問題文を繰り返し読む学習法です。
それで、本当の読解力がつくのです。
漢字を覚えさせたり、個々の言葉の意味を覚えさせたりするのは、分析主義的な教育法です。
それは、教える側の発想であって、学ぶ側の発想ではありません。
日本語を学ぼうとする子は、まず日本語の全体を学びたいと思っています。
そのための方法は、ふりがな付きの日本語の文章を読むことです。
その文章が、面白い内容であれば、子供はどんどん読み進めます。
そして、自然に日本語をマスターするのです。
毎日小学生新聞5月23日号の記事に、「外国ルーツの子に漢字を」という記事が載っていました。
この試みをしているNPO法人の人たちの志は尊いと思います。
しかし、教育の基本は、分析主義的な方法ではなく、まず全体から入るという方法であるべきだと思ったので、敢えてこの記事を書きました。