モジズリ(ネジバナ)
陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにし われならなくに
国語と算数数学は、頭の使い方が少し違います。
国語は、問題文を読んで実感として感じられることが大事です。
長い物語文でも、読んでいるうちにその文章に感情移入ができるので、その後の設問にもすぐに答えることができます。
設問を先に読んでから、問題文を読むというのは、感情移入が苦手な人の場合です。
読書好きな子は、普通に問題文を読んで、それから選択問題を選びます。
しかし、算数数学はそうではありません。
例えば、
・分数の割り算はひっくり返して掛けるとか、
・比の問題で内項の積と外項の積は等しいとか、
・未知数の数だけ複数の等式があればその未知数は解けるとか、
・a2-b2=(a+b)(a-b)
とかいう因数分解の式などは、実感でとらえることはできません。
それらをもし実感で捉えることができるとしたら、その人は数学の天才です。
そういう人も、もちろんいます。
確か、昔、インドにいたと思います。
二次方程式の解の公式は便利な式です。
x=(-b±√b2-4ac)/2a
しかし、私は、昔の人がよくそういうことを考えついたと思います。
▽ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%81%AE%E8%A7%A3%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F
ところで、ほとんどの数学の得意な人は、算数数学の問題を、実感の学問ではなく操作の学問として解いています。
国語は、実感で考えていいのですが、算数数学は操作として解くと割り切っていくのです。
その算数数学のいちばんいい勉強法は、1冊の問題集を5回繰り返して、できない問題が1問もなくなるまで解くことに慣れるということです。
これは、数学で赤点を取った本多静六が一念発起して編み出した勉強法で、清六はその後すぐに、先生から数学の天才と呼ばれるよになりました。
一方、国語の勉強法は、問題の解き方を理詰めに解く方法を身につけることですが、それ以前に、ほとんどの人は、難しい文章を読むことに慣れていません。
だから、まず読書、特に説明文読書をすることが大事です。
算数数学の勉強法は、1冊の問題集を決めて、それが100%解けるようにすることです。
しかし、多くの人は、ある問題集が8割から9割できたらそれでやめて、次の問題集に移るような勉強をしています。
学校や学習塾などで渡される大量のプリントも、そういう8割から9割の勉強法を助長しています。
算数数学は、解けなかった問題が解けるようになることが大事で、解ける問題をいくら数多く解いても力はつきません。
このように考えると、勉強の方法は簡単です。
しかし、実際に、子供たちにとって勉強が簡単でなくなっているのは、学校や塾が、子供たちに差をつけるために、解きにくい問題を出しているからです。
その根源には、受験勉強が、受験生に差をつけるために行われているという事情があります。
実生活では、普通の問題が普通に解けることが大事で、間違えやすい問題を間違えずに解けることはほとんど必要ではありません。
やがて、将来はオンライン少人数教育が広がり、受験勉強自体がなくなります。
合格者の人数を絞って選別しなければならないのは、リアルな教室の机の数や先生の数に物理的な制約があるからです。
というのは、ちょっと先の話ですが(笑)、子供たちは、まともな国語の勉強と、まともな算数数学の勉強をしていってほしいと思います。