ガクアジサイ
子供たちの勉強の様子を見ていると、スポーツの好きな子は、あまり読書をしない傾向があるように思いました。
もちろん、例外はたくさんあります。
スポーツも読書もという人は多いです。
しかし、そのとき思ったのは、肉体労働が続くと、本を読みたくなくなるという自分の体験でした。
学生時代、アルバイトで、マンションの4階まで重い荷物をいくつも運ぶという仕事を何日もしていたとき、仕事が終わって下宿に戻っても、本を読む気が起きませんでした。
時間はたっぷりあるのに、読書をしようという気にならないのです。
「重力と恩寵」を書いたシモーヌ・ヴェイユも、工場労働の経験のあとに、確かそのようなことを書いていました。
激しい肉体労働は、人間から、読むことや考える時間を奪うのです。
もちろん、スポーツは、いいものだと思います。
努力や向上心や目標など、人間の成長に役立つ面を持っています。
しかし、今人気のスポーツは、競争で勝つことを目的にしているので、かえって人間の成長にとって歪んだ面を持っています。
スポーツは、楽しくやればいいのであって、競争に勝つためにやるものではありません。
そのスポーツに少し似ているのが受験勉強です。
小学生時代に、よく本を読んでいていい作文を書いていた子が、受験勉強をしている間に本を読む時間がなくなり、その後、受験に合格したあとも本を読む習慣がなくなったということがありました。
読書は、生活習慣のようなものですから、読まない日が何日か続くと、その習慣が途絶えることがあるのです。
そして、本を読まないということは、考える時間がなくなるということです。
次のような記事がありました。
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週5フルタイムで働き、疲れ、本を読みたくてもSNSやYouTubeをぼーっと眺めてしまう、そんな生活おかしくないか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81348?page=3
(この記事は、面白いのですが、ログインを強制されるので読まなくていいです。私はここに登録したことがありますが、そのメールとパスワードが認証されませんでした(笑)。)
正直、本を読む時間はあったのです。
電車に乗っている時間や、夜寝る前の自由時間、私はSNSやYouTubeをぼうっと眺めていました。あるいは友達と飲み会で喋ったり、休日の朝に寝だめしたりする時間を、読書に充てたらいいのです。
だけど、それができなかった。本を開いても、目が自然と閉じてしまう。なんとなく手がスマホのSNSアプリを開いてしまう。夜はいつまでもYouTubeを眺めてしまう。
あんなに、本を読むことが好きだったのに。
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仕事に追われる人、勉強に追われる人、ほかの何かに追われる人は、本を読む時間がなくなります。
そして、その空白な時間を、YouTubeを見たり、SNSでやりとりをしたりするようになるのです。
YouTubeは、役に立つ情報も多いので、いいメディアだと思います。
しかし、昔のテレビに似ています。
テレビは、特に見たいものがないときでも、漠然とつける家庭が多かったのです。
では、どうしたらいいかというと、具体的には2つの方法があります。
第一は、タイマーをセットして、
「ちょっとYouTubeでも見て息抜きをしたいから、10分だけ見てみよう」
という時間制限をすることです。
もちろん、面白い番組であれば、もう一度10分のタイマーをセットし直せばいいのです。
大事なのは、タイマーをセットすることによって、本来の自分を取り戻すきっかけがつかめるということです。
第二は、読書は、
付箋読書で読むことです。
説明文の難しい本は、読むきっかけがつかめないと、読みかけで終わってしまいます。
しかし、読んだところまでに付箋をつけておくと、すぐに読み続けることができます。
そして、ある程度読んだあとに、また付箋をつけておけばいいのです。
人間は、身体を持っているので、手に触れる世界(タンジブルな世界)で生きています。
例えば、時間というものは、本来はあるかないかわからないものですが、人類はその時間を触れることのできる時間とするために時計を発明しました。
現在は、情報のメディアが次々に押し寄せてくるので、そのままでいると、情報に流されてしまいます。
情報に流されないためのひとつの方法が読書で、もうひとつの方法が文章を書くことで、第三の方法が発明や発見という自分なりの創造です。