私たちは、社会の中で生きています。
その社会生活の根底にあるのが、共感力です。
見ず知らずの人であっても不幸な人がいれば可愛そうだと思い、幸福な人がいれば自分も幸せを感じる、そういう感受性を持つことが共感力を持つということです。
この共感力があるからこそ、人間は、社会に貢献することを自然に目指すようになるのです。
教育の世界でも、共感力を育てることが教育のひとつの大きな目的になります。
共感力を育てる土台となるものは、一人ひとりの対話です。
私の教えているクラスでは、作文クラスでも、基礎学力クラスでも、総合学力クラスでも、国語読解クラスでも、算数数学クラスでも、創造発表クラスでも、プログラミングクラスでも、どのクラスも、授業の前に、全員が読書紹介をしています。
この読書紹介だけで10分から15分の時間をとりますが、これは必要な時間と考えています。
それは、ひとつには子供たちが毎日の読書を続けるためのきっかけになるからです。
また、もうひとつには、ほかの人の読んでいる本を見て、自分の読書の幅が広がるからです。
そして、更にもうひとつには、読書の紹介を通して、紹介する子供の人柄が伝わってくるからです。
相手の人柄を感じることが、コミュニケーションの土台になります。
また、私の教えているクラスでは、授業のあとに、一人一言の時間をとっています。
その一人一言の時間のあとに、互いに、ほかの人の一言に対する質問や感想を言ってもらています。
読書紹介と一人一言の間の授業の時間は、個別指導の時間です。
個別指導の時間の間に、ほかの生徒はそれぞれ決められた学習をしています。
学習の基本は毎日の家庭学習ですから、授業の時間はその家庭学習を確認する時間です。
だから、授業では、対話と交流の時間を多くとれるのです。
みんなの前で自由に話すことで、どの子も人前で発表する力がつきます。
私が、これまでいろいろな子を教えてきてよく感じるのは、海外から参加している子は、どの子もほぼ例外なくみんなの前で話すのが上手だということです。
アメリカでは、小学校低学年のころから、クラスの前で、自分が家から持ってきたものを紹介する授業があるようです。
日本では、そういう授業はまずありません。
あるとしても、30人から40人のクラスでは、ひとりの子が話す機会は限られてしまいます。
言葉の森のオンラインクラスでは、毎週、全員に一人一言の時間があるので、どの子も人前で話すことが上手になってきます。
そして、そのそれぞれの一言に関して質問や感想を言うことで、自然にほかの人の一言を注意して聴く姿勢が育ちます。
また、もっと大事なことは、質問や感想を言おうとすることによって、相手に対する共感の気持ちが生まれることです。
一人一言と質問感想の時間は、はたから見ると、楽しいお喋りの時間のように見えるかもしれません。
しかし、みんなの前で話をするので、子供たちはかなり頭を使ってこの時間を過ごしています。
こういうかたちで対話を交わした子供たちは、やがて同じ教室で学んだ学友のような関係になっていきます。
言葉の森が、オンラインクラスを本格的に始めたのは、2020年のコロナ禍のときからですから、まだそれほど年数はたっていません。
(オンラインクラス自体は、10年以上前から始めていました。)
しかし、これからのオンラインクラスでは、小1のころから基礎学力クラスや作文クラスで一緒に勉強を始めた子供たちが、中学生になり、高校生になっても、時どき同じクラスで勉強するようになることも出てきます。
その子供たちが、大学生になり、社会人になったときに、同窓会ができるでしょう。
その同窓会は、単に昔を懐かしむ会ではなく、近況を語り合い、知的な刺激を与え合う会になると思います。
そういうときのために、卒業した子供たちが集まれるオンラインの場として、それぞれの「先生の部屋」という掲示板を作っています。
しかし、これはまだ時期が早すぎたので、使っている人はまずいません(笑)。
ただ、そのうち、「先生の部屋」で、卒業生や在校生が語り合う機会が生まれてくると思います。
こういう対話のあるコミュニケーションを通して共感力を育てることが、未来の教育のひとつの大きな目的になります。
翻って、現在の教育を見ると、共感の教育ではなく、競争の教育が行われているように思います。
子供たちは、孤立させられ、互いに相手をライバルと見なして、自分がよりよい席につけるように勉強することを強いられているように思うのです。
しかし、大事なことは、競争をさせないことではなく、共感を育てることです。
子供たちは、競争も好きです。
しかし、その競争は、もっと大きな共感を土台にした競争にする必要があります。
教育の場では、共感が主で、競争は従なのです。
(つづく)