数学や英語は、勉強をしなければ成績の上がらない教科です。聖徳太子や空海がタイムマシンで現代に急に現れて、中学の数学や英語のテストを受けたとしたらまず0点です。勉強をすればできるが、勉強をしなければできないというのが普通の教科の特徴です。
しかし、国語はそうではありません。全然勉強をしない人でも、国語ではある程度の点数を取ることができます。
ここで、多くの人は、だから国語はそっちに置いておいて、まず英語や数学などの差のつく勉強に取り組もうと思うのです。しかし、英語や数学における0点と100点の差よりも大きいのが、国語における80点と100点の差です。国語力の差は小さいように見えても、ほとんど埋まらない差なのです。
そのような国語力をつけるためには、どうしたらいいのでしょうか。
まず、国語を勉強だと考えずに、生活だと考えることが必要です。
国語力のある子の生活の特徴は、読書と対話があることです。
読書のある生活をするために第一に大事なことは、読書を妨げる要因となるテレビやゲームの時間をコントロールすることです。これは簡単なように見えますが、実はかなり難しいことです。なぜかというと、子供の生活時間をコントロールするためには、かならず親の生活習慣の改善が必要になるからです。
生活習慣の改善は、子供の学年の自乗に比例して難しくなります。だから大事なことは、小学校低学年のうちに、テレビとゲームについてのルールを決めておくことです。テレビを見させない、ゲームをやらせないというのはコントロールではなく単なる禁止です。禁止したものは、学年が上がると逆にコントロールできなくなります。
テレビやゲームが生まれたときからあるという状態は、人類が経験してまだ日の浅いものなので、コントロールする文化がまだ成立していません。だから、個々の家庭で工夫して行く必要があるのです。
対話のある生活をするために大事なことは、親が対話好きになることです。対話といっても子供が小中学生のうちは、親子の対話というよりも、親どうしの対話が中心になります。そのときの話題が、子供の関心のあるものであればなおいいと思います。
理想的な対話の習慣は次のようなものです。
まず、子供が千字程度の文章(以下、長文と呼ぶ)を音読したり暗唱したりします。夕食などで家族がそろったら、子供が家族みんなの前で音読や暗唱をします。そのときは周囲の温かい目が必要ですから、お父さんは必ず「おお、難しい文章をよく読んでいるね」などと言わなければなりません。間違っても、「もっとこういうふうに読んだらいい」などという勉強的なアドバイスはしないことです。
子供が長文を読んだあと、その長文の内容が自然に話題になって食事が盛り上がります。その際、お父さんとお母さんが、自分はこう思うとか、昔はこうだったということを自分の言葉で話します。ときどき子供が話に参加しますが、基本になるのは親どうしの対話です。つまり、親が話を楽しんでいるのを子供が聞いているという形の対話なのです。
家庭によっては、親どうしの対話が難しいという環境もあると思います。その場合は、親がひとりで子供にいろいろな話を聞かせてあげるという形になります。小学校の低中学年のころは、子供は喜んで親の話を聞きます。この時期に対話の習慣を作っておけば、子供が高学年になっても同じように対話のある習慣を維持していくことができます。
食事のときの対話をするための一つの前提条件は、食事中はテレビを消しておくということです。これも、子供が小学校低中学年のうちは簡単にできますが、学年が上がるほどいったんできた生活習慣を変えることは難しくなります。
では、そういう読書や対話の習慣がないままに成長してしまった子供の国語力をつけるためにはどうしたらいいのでしょうか。
実は、国語力をつけるためのより即効的な勉強法もあります。それは、国語力として要求される国語の問題に出てくるような文章を徹底して読みなれることです。もう一つは、国語の記述式の問題の解答として要求される文章を丸ごと暗唱してしまうことです。
しかし、このような勉強法は、あくまでもその場しのぎのものです。これで国語の成績が上がって合格できたとしても、その国語力は内容の伴っていないものなのであとが続きません。やはり、読書と対話によって中身のある国語力をつけていくことがいちばん大事なのです。
国語力は、国語の成績としても表れますが、もっとはっきりとした形で作文力として表れます。作文を見ると、その子の実力がわかるというのはそのためです。
では、作文力をつけるためにはどうしたらいいのでしょうか。指導の仕方以前に何よりも大事なことは、まず作文を書く機会を確保することです。学校では、先生の負担が大きいために作文の指導まではなかなか手が回りません。これも、家庭の中で書く機会を増やしておくというのがいちばんいい方法です。