幼稚園から小学校1、2年生のころの子供は、親の言うことをよく聞きます。しかも、この時期は模倣の時代なので、与えられたことは何でもどんどん吸収します。
しかし、だからといって、いろいろな勉強や習い事をやらせすぎると、時間ばかりとられて結局何も身につかないことになってしまいます。
子供による向き不向きはありますが、共通して一つだけ大事なものを挙げるとすれば、それは国語力をつけることです。
では、国語力はどのようにして身につけるのでしょうか。
小さいころの国語力は、聞く力、読む力、書く力の順番でつけていきます。なぜ、この順番になるかというと、聞く、読む、書くの順で勉強的になるからです。また、聞く、読む、書くよりも勉強的なのが問題を解くことです。
勉強的なものは、どうしても量が不足します。聞くこと、つまりおしゃべりであれば、時間がたつのも忘れて熱中することができます。読むことも同様です。寝る時間になっても、読むのをやめられないというのはだれでもあります。書くことに関しては、我を忘れて書くというのは学年がもっと上がったときの話で、小さいころは書くことに熱中することはあまりありません。問題を解くことは、更に熱中できません。
子供たちは、起きている時間のほとんどを国語的に生きています。つまり、日本語によって感じたり考えたりしながら生きています。その膨大な国語的な生活時間の中で、たかだか15分や30分ドリルをやったからといって、国語力が向上するわけではありません。
国語力のある子は、問題集を解くような勉強などしていません。日常生活における国語的なやりとりが充実しているから自然に国語力がついているのです。
では、国語的な生活を充実させるためには、どうしたらいいのでしょうか。
よく言われるのは読み聞かせです。読み聞かせをたっぷりされて育った子は、国語力も思考力も向上します。
しかし、読み聞かせのいちばんの問題は、親の負担が大きいことです。親も日々の生活でくたびれているので、毎晩子供のために、自分にとって興味のない本を10分も20分も読んであげるというのは難しいことも多いのです。
そこで、おすすめするのが、読み聞かせではなく、お母さんの作った千夜一夜物語を聞かせてあげることです。人間は、創造的なことをしているときにはくたびれませんから、本を読んで聞かせてあげることよりも、お母さんがアドリブで作った物語を聞かせてあげる方がずっと長く話ができます。全部アドリブでやるほどの材料がないという場合は、種本を読んでおいて、それを思い出して話をすることもできます。日本にはたくさんの昔話がありますから、材料には事欠きません。昔話以外に、歴史上の人物の伝記やエピソードなども面白い材料になります。
しかし、読み聞かせは、夜寝ながらすることが多いので、あまり長くはできません。読み聞かせよりも大事なのが、日常の会話です。
日常の会話は、親も楽しみながら話すことができます。大事なことは、
1、ちょっと難しめの言葉も入れて、
2、短い文ではなく、長い文で、
3、単文よりも、複文や重文で、
4、楽しく、面白く、
話をすることです。
会話というと、大人はすぐに自分の知識を披露するような一方的な話をしがちです。子供に、「ねえ、豆まきって知っている? あれはね……」というような自分の知っている知識を伝えるような会話になってしまうと、話が弾みません。結論を出すことが目的なのではなく、会話を楽しむことが目的なのですから、その場で考えながら創造的に話をする必要があります。
創造的な話と同じように面白いのが、親の体験に基づく失敗談や自慢話です。こういう話でしたら、親も話していて楽しいし、子供も聞いていて楽しくなります。
この楽しい会話の中で、少し難しめの言葉も入れて、短い文よりも長い文で、単文よりも複文や重文を入れて話すようにすれば、それが問題集を解くよりもずっと効果のある国語の勉強になっているのです。