頭のよさが関係ある勉強というと、算数数学を挙げる人が多いと思いますが、算数数学は練習の仕方で成績がよくなるので、後天的な努力型の勉強です。もちろん努力には時間がかかりますが、やれば誰でもできるようになります。
では、もっと頭のよさに関係がある勉強は何かというと、それは国語力なのです。その国語力の中でも、小学生の場合は作文力が、中学生の場合は語彙力や読解力が、頭のよさに関係が深いというイギリスの心理学者の調査結果が出ています。
国語は、特に勉強をしなくても誰でもある程度はできるので、それほど差のつく勉強だとは思えないと思います。確かに、日常の話題のような易しい語彙だけで済ませられる国語の問題は、できる子もできない子もほとんど差がつきません。
作文でも同じです。身近な生活作文を書く範囲では、国語の得意な子も苦手な子も、同じようにそれなりの文章を書けるのです。
差がつくのは、抽象的な語彙が出てくる読解や作文の課題になったときです。そのときに、本当の学力のある子とない子の差が出てきます。そして、その差は、学年が上がるにつれてますます広がっていくのです。
頭のよさが関係ある勉強というと、算数数学を挙げる人が多いと思いますが、算数数学は練習の仕方で成績がよくなるので、後天的な努力型の勉強です。もちろん努力には時間がかかりますが、やれば誰でもできるようになります。
では、もっと頭のよさに関係がある勉強は何かというと、それは国語力なのです。その国語力の中でも、小学生の場合は作文力が、中学生の場合は語彙力や読解力が、頭のよさに関係が深いというイギリスの心理学者の調査結果が出ています。
国語は、特に勉強をしなくても誰でもある程度はできるので、それほど差のつく勉強だとは思えないと思います。確かに、日常の話題のような易しい語彙だけで済ませられる国語の問題は、できる子もできない子もほとんど差がつきません。
作文でも同じです。身近な生活作文を書く範囲では、国語の得意な子も苦手な子も、同じようにそれなりの文章を書けるのです。
差がつくのは、抽象的な語彙が出てくる読解や作文の課題になったときです。そのときに、本当の学力のある子とない子の差が出てきます。そして、その差は、学年が上がるにつれてますます広がっていくのです。
コメント拝見しました。
文章読解の障害(読書障害)というのは、たまに聞きます。意外とそのこと悩んでいる方も多いのではないかと思います。
こちらでは、読書障害用のプログラムはありませんが、次のようなケースがよくあるようです。
それは、
・子供のときは読書障害で、先生にも親にも理解されず、自分でもわからず悩んだ。
・しかし、大人になるにつれて、自然に治っていた。
というケースです。
人間には、人によってさまざまな長所や短所があります。
その対応の仕方は、二つあると思います。
(1)苦手なことでも繰り返しているうちに慣れる。
(2)苦手なことは前面に出さず得意なことを前面に出すように工夫して生きていく。
「慣れる」ということについては、自分の気に入った説明文の音読暗唱がいいと思います。
内容を理解するということを考えず、何しろ繰り返し音読して暗唱できるようにするということです。
暗唱の仕方は、下記のページを参考にしてください。
http://www.mori7.net/mori/mori/annsyou.html" target="_blank">
http://www.mori7.net/mori/mori/annsyou.html
毎日10分を目安に続けていけば、l1か月で1000字の暗唱ができます。
それを1000字で終わらせずに、本で言うなら10ページから30ページを全部暗唱することを目標にやっていくといいと思います。(30ページの暗唱だと30分かかるので、毎日の練習はその一部を10分ぐらいかけてやっていくようにするといいです。)
これが、読書障害の治し方というのではありません。
しかし、慣れるということで言えば、同じものを繰り返し音読するのがいちばんいいので、できればやってみるといいと思います。
返信遅れて申し訳ございません。
また、いくつか質問があります。
ここで言っている読書障害とは各年齢層の平均と比較して内容理解力の欠如が見られる事例のことでしょうか?
自分は国語に関する障害は情緒障害で、感覚的な内容をつかみとれません。もちろん、感覚で現代文は読めないという事実を(理解はしていなくても)とりあえず知っています。
最小レベルの国語力で文章を考え始めるという極限を考える時、ある程度の言語感覚能力が必要ということはないのでしょうか?
自分が他の健常者と比較して思う事は、
まず、言語感覚という(すくなくとも我々障害者には)「公理」であるツールを用いて、しかも使用方法を理解した上で、それらを初めの小学校の低いレベルに適用して、国語の世界に入り、そこから読解力向上の為の努力を始める事ができると考えています。
それは我々にとっては「公理」という存在である「言語感覚」を用いて、そこから切り抜けていけるのであり、自分たちは小学年のレベルからストップしたままという考えがあります。
国語の本質は内容理解力であることは様々な文献から知り、ここではより深い考察がありました。
しかし、その内容理解云々は感覚的な情報処理の延長線上にあるのではないかと思っています。
一方で、スラスラ暗唱が初めの一歩という記述があり、それこそ内容を頭に入れやすくするための手段でそこに、言語の感覚的理解のためのプログラムが埋め込まれていると考えるべきでしょうか?そして、そのような事を繰り返した結果、読書障害が改善されたという事でしょうか?ここで、(脳科学的なものなのかどうか分からないが、多分そうであると思う)情報の認識という観点から考えるとすると、
数理情報も文章情報も同じ「情報」という事物ではありますが、本質が全く違う事は今はだれでも知っています。さらに、文章的情報にも、感覚的成分と論証的成分が含まれているのも確かな事だと思います。
ただ、(1)この文章的情報の認識に関しては、感覚成分が情報認識の基礎であるということはないのでしょうか?つまり、先ほどの小学年レベルの話。
また、(2)情報の論理性(特に、普通の評論文)とは感覚的事実によって保証されるのではないのでしょうか?
(2)に関しては(内容理解ができるできない云々ではなく)純粋に文章内容に関してですが、特に哲学的文章については情緒的な感覚的な理解、文化的な感覚的な理解に基づく文章、つまり、ただ論理を追うという事ではなく、感覚認知能力による感覚的成分の処理も論理情報の処理の一環であり、論理と感覚は切っても切れない存在なのではないでしょうか?そして、このような状況下で私たちは(今の議論の上では)感覚的情報の理解力がないために困っているということではないのでしょうか?
だからと言って、数理情報に基づく専門書の理解にも論文の作成・添削(教授には添削能力も要るらしい。私にこのことをやるのが、博士課程修了後の10年後に可能か分かりませんが。)には関係ないとは思っていませんし、後に述べるように数理情報作成の際も結局、文構成の点から問題が生じてしまいます。
さらに、文章構成力には文章に関する作業全てに関係する感覚的構成要素の一部も入っていないとも思わないので、論文作成には感覚的情報の掌握力も必要不可欠であり、その掌握方法を知りたいです。
(内容がかなり抽象的になってしまい申し訳ないですが、)勿論、このような事を机上の思考のみで議論しても、頭に入れるための作業という「認識過程」は「実行」により評価されるものなので、現時点で議論の結末を求めるのは無駄なのかのしれません。
ただ、その「言語感覚」という観点からの説明は(自分の見た文献の中では)なく、自分のような人間にとっての真に適切な方法は一体何か?と途方に暮れ、何一つ実行せずに挫折する可能性もあります。もちろん、同じ文を何度も繰り返し読むという事については、気概の問題かもしれません。実際、以下のサイトには成績向上事例があります。
ただ、彼らが障害者であるかはわかりませんし、(ただそのような気(系けい?)は少なからずあるでしょう)これが遠回りの方法かもしれないです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=282760
ほかにも、何回も読めば分かるという記述ばかりが見られ、「だから、お前らは結局わかるやつだったんだよ」とウンザリするときもあります。
ただ、このサイトではこの事に加えより詳しい考察(自分がここの指導理念を正しく理解できている自信はありませんが)とそれを元にした正しい添削をしてくださるという特典があり、最終的にここに頼る事に致しました。そして、「言語感覚」とは何かということも聞きたいです。
勿論、ここで結局「(おおざっぱに言って)読むことでしか読解力が得られない」という結論がでても、(家計の都合によっては)ここのお世話になるかもしれません。
すこし、話が変わりますが、ここのプログラムは大学生が4年間もできますか?
また、アパートとなると近隣に大学生のやるべき事でない事が伝わるので、指導に関しては恐縮ですが電話応対ではなく、メール通知でお願いできますでしょうか?
今は親のPCを使用していますが、入学後に自分用のPCを購入するつもりですので、
そこでやりたいと考えてます。
以上が質問と意見表明になりますが、今自分は部活誌(化学部)で大学物理の教科書の高校生用の翻訳でコラムとして載せようと、(こんな国語力、文章構成力の自分が)文書を書いています(先述の数理的情報作成)。これは自分から立候補したものですが、理論内容でなく文章構成、接続詞など言語使用に関して色々と指摘され、頑張って訂正しているところです。
そのことについても、ここの投稿に関しても相手に伝わる文章が書けているか自信はありませんし、自分はこういう流れで書きたかったのに細かい部分の訂正に関する言語的制約のため構成がうまくいかなかったため、必要な文章を盛り込めていない、また、重複した質問を返答してしまう可能性もありますが、そこはなるべく改善するよう努力を致しますので、そのときはまたご回答をお願い致します。