ログイン ログアウト 登録
 Onlineスクール言葉の森/公式ホームページ
 
記事 1015番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/4/11
言葉の森のビジョン(その4) as/1015.html
森川林 2010/09/09 09:02 



 言葉の森のビジョンの図解説明の最終回です。やっと(笑)。




 これからの教育、特に子供時代の教育は、どのような形で行われるのでしょうか。

 これまでの学校の一斉授業形式の教育は、現在既に行き詰まっています。それは、消費生活の多様化に伴って家庭環境が多様化し、ある子供はゲーム漬け、ある子供はテレビ漬け、逆にある子供は豊かな読書や対話の環境と、子供たちを取り巻く家庭環境の格差が拡大してきたためです。

 学校の一斉授業は、均質の子供たちを教えることを前提にしていたため、同学年でも出発点に大きな相違のある子供たちの教育に対応することができなくなっていったのです。

 しかし、一斉授業の人数を少なくするという方向は、ある程度の効果はあるものの事態の本質的な解決にはつながりません。少人数化の到達点はマンツーマンの個別教育ですが、1人の子供を教えるために1人の大人が必要になるという状態を小中学校の基礎教育の分野で行うというのは、やはり不自然です。

 ここで参考になるのは、江戸時代に行われていた寺子屋の教育法です。寺子屋では、先生1人が小1から小6のころまでの年齢の異なる生徒十数人を毎日早朝から昼過ぎごろまで休みなく教えていました。しかし、そのころの寺子屋の絵を見ると、教える先生はいかにも暇そうに本などを読んでいます。一方子供たちは思い思いに遊んだりふざけたりしています。

 そのように雑然として学ぶ生徒と、特に何を教えるでもないような余裕のある先生という光景にもかかわらず、江戸時代の寺子屋教育は日本の子供たちの教育に大きな成果を上げていました。それは、寺子屋教育の基本が、教える教育ではなく学ぶ教育だったらからです。

 未来の社会の基礎教育も、このように子供たちの自学自習を基調としたものになるでしょう。そして、勉強の喜びは、競争に勝つ喜びではなく、自分の勉強の成果を発表する喜びに変わっていきます。

 また、教育が子供たちの人生に結びつくという点から、教育は学校の中に閉ざされたものではなく、地域と家庭にもっと深く結びついたものになるでしょう。更に、教える役割は先生が一手に引き受けるものではなく、年長の生徒が年少の生徒を教えるなど、生徒どうしの交流や協力を生かしたものになるでしょう。




 このような未来の教育の費用はどのようになっているのでしょうか。基礎教育は、すべての子供の教育を保証するという立場から、限りなく無償に近いものになっていきます。

 しかし、すべての教育がより低価格になるかというとそうではありません。教育が修行社会のダイナミズムの中核になるためには、ある意味で限りなく高価格になっていく必要もあるのです。

 さて、ここで、話は変わって、価格というものについてのこれまでのいくつかの考え方を見てみます。

 第一は、「よりよい品をより安く」というダイエー型の価格の考えです。この考えは、豊かな消費生活を万人が享受できるようにするという哲学に根ざしたものでした。

 第二は、これとは反対に、「適正価格で適性利潤を」という松下電器型の価格の考えです。松下幸之助の考えは、技術の発達のためには適度な価格と適度な利潤が必要だという哲学に基づいたものでした。

 第三は、「付加価値をつけてより高く」というバブル時代の考えです。日本でも、不要なおまけやサービスをつけて価格を高めることが企業の戦略のように考えられていた時期がありました。

 第四は、「価格破壊でひとり勝ち」という考えです。低価格を可能にする低コストは、多くの場合何らかの形で人件費の低下と結びついています。低価格は、消費者にとっては恩恵ですが、低コストを生み出すために不要になった労働力を、より高コストで活用する場を社会が作り出していかないかぎり、恩恵とともに失業という摩擦も伴っています。

 明治政府は、急速な近代化の波で多くの職業が不要になる際に、さまざまな工夫で失業対策を行いました。例えば、大井川に橋がかかるようになった結果不要になった川渡しの新しい職業として、近隣の山々の茶畑開墾を押し進めました。

 企業は、自社の利益のために低価格・低コストを追求します。しかし、それに対して個人が自助努力でリストラされないように工夫するというだけでは、社会の仕組みとしてはあまりにも不安定です。政治の役割は、規制を緩和するとともに、その規制のない自由競争の結果生まれる摩擦を、より高い次元で新しい発展に結びつけて個人を救済することです。

 さて、以上のように考えると、望ましい価格の考え方がわかってきます。それは、一つには、古い経済を代表する分野に対してはできるだけ低価格で、しかし、低価格による摩擦の少ないように社会全体で工夫していくということです。もう一つは逆に、新しい経済を代表する分野に関してはできるだけ高価格で、人も物も金もふくらませて更に発展させていくことです。




 現在の教育には、三つの面があります。

 第一は、基礎教育の面で、これは、江戸時代の寺子屋のように、能率のよい低価格と低コストと高い効果を目指していく分野です。

 第二は、これからもしばらく続く受験競争の面で、これは、高い効果を優先する結果、中価格と低コストで成り立つ分野です。

 第三は、これから生まれる向上と創造の教育という面で、これは、新しい発展の可能性を拡大していくために、人と物と金を集める高価格と低コストを目指す分野です。つまり、未来の産業は高価格の魅力のあるものになることによって、社会全体の利益を新たに生み出していくのです。

 共通しているのは低コストですが、その低コストを低い人件費で成り立たせるのではなく人件費はむしろ高めに設定するとともに、基礎教育については低価格・低利潤で、受験教育については中価格・中利潤で、向上と創造の教育については高価格・高利潤で対応するというのが今後の教育の価格の考え方になっていくと思います。




 言葉の森の目指す将来のビジョンはどういうものでしょうか。(やっとタイトルとつながった(^^ゞ)

 それには四つの面があります。それを山の姿になぞらえて説明してみます。

 第一は、山の頂上にあたるところで、ある特定の分野におけるダントツに優れたオンリーワンの教育です。

 第二は、山の中腹を取り巻く雲にあたるところで、その教育を言葉の森だけが直接担うのではなく、一般の多くの指導者を養成することによって行うという仕組みです。

 第三は、山の裾野(すその)にあたるところで、頂上のダントツの教育を支えるために全教科のバランスのとれた学力を育てる教育です。

 第四は、山の麓(ふもと)の湖にあたるところで、教育を、地域と家庭における生徒と保護者と先生の相互の交流を通して行うという仕組みです。


 今、言葉の森は、生徒を教える教室から、先生を育てる教室へと大きく変化しようとしています。その場合の先生とは、大きな組織に守られた専門職としての先生ではなく、地域で生活する子供たちと同じ場面で生活する(しかし、自ずから権威と親しみのある)共同生活者としての先生です。

 そして、その先生もまた、保護者から教育の分野だけを専門に引き受ける、閉ざされた専門家ではなく、父母や地域の人々とともに子供の教育に協同して取り組む一種の羅針盤としての役割を果たすような意味での先生なのです。


 言葉の森は、この秋からいくつかの地域で通学教室を展開します。それは、通学教室というスタイルが、これからの日本の子供たちの教育にとってより必要になると考えたからです。

 その考えの根底にあるのは、日本の社会を守り発展させるために、今何が必要かという歴史と社会の認識です。(これまで書いてきた話です)

 マネーを価値観の中心とした社会は、これから次第に自己向上の価値観を中心にした新しい社会に変わっていくでしょう。その変化を加速させるために、言葉の森もこれからがんばっていきたいと思います。

 (長い文章を読んでいただきありがとうございました。)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
言葉の森の特徴(83) 

記事 1014番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/4/11
9月9日(木)8時52分ごろ作文のファクスを送ってくださった方 as/1014.html
森川林 2010/09/09 08:56 
 9月9日(木)8時52分ごろ作文のファクスを言葉の森あてに送ってくださった方、3枚送られてきましたが3枚とも白紙です。^^;
 再度お送りくださるようお願いします。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
生徒父母連絡(78) 

記事 1013番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/4/11
言葉の森のビジョン(その3) as/1013.html
森川林 2010/09/08 09:34 



 言葉の森のビジョンの図解説明の第3回です。




 さて、これまでの経済の特徴の一つである工業の発達によって豊かになった社会を工業社会と呼ぶと、工業社会の教育は次のような形で進められてきました。これが、現在まで行われていた教育です。

 個人は、豊かな消費生活を実現するだけの収入を得るために企業に勤めます。その企業で求める人材は、工業生産の優れた歯車として使える広範な基礎学力を持ち、企業の特定の専門分野で高度に能力を発揮できるような人材です。

 広範な基礎学力と優れた専門能力は、企業が求める人間像であるとともに、個人が自ら求める人間像でもありました。

 そのため、教育のスタイルは、ある目標をめざして全員が同じ方向で努力するものになり、その目標を達成するためにテストによる競争と勝敗が教育の中に自然に組み込まれるようになりました。

 同じ方向とは言っても、小中学校では比較的幅広い教科にわたって、高校大学ではある程度専門化された教科の枠の中で行われるという違いはありました。しかし、基本的な仕組みは、共通する目標に向かって一本道を進むという点で同じものでした。




 では、新しい時代の社会の仕組みはどうなるのでしょうか。

 自己の向上を欲望の焦点にした社会は、次のようなサイクルで成り立ちます。

 まず、個人はよりよい自分を求めて生きていきます。そのために、自分を向上させる何かを習おうとします。

 何かを習うことによって自分が次第に向上するとともに、やがて自分自身もほかの人に何かを教えることができるようなレベルにまで向上していきます。それは、向上をつきつめていくと創造が生まれてくるからです。

 その習い方を修行と呼び、習う場所を道場と呼ぶとすると、その道場での修行が権威を持つようになるにつれて、更に多くの優れた人がそこに参加するようになります。

 その修行者の増加によって生まれるものは、その修行自体の質の向上と修行の方法における技術革新です。その技術革新の結果、ますます多くの人がより高いレベルの修行に、より短期間で到達するようになります。

 工業社会では、技術革新によって生まれるものは主として省力化で、それは人間の労働力を不要とする方向で発展しました。それは、ある面では労働時間の短縮というプラスの面を生み出しましたが、他方では就業機会の減少や失業というマイナスの面も生み出しました。

 修行社会では、技術革新によって生まれるものは修行自体の発展で、それは人間の修行を効率化する方向で発展していきます。それは、修行の到達レベルの上昇と、修行の多様化を生み出します。工業社会では、技術の進歩につれて人間の労働が不要になるのに対して、修行社会では、技術の進歩につれて人間の修行内容がより豊かになっていくのです。

 このような時代は、人類の過去の歴史でも何度かありました。

 古代ギリシアでは、自由民と男性だけに限られてはいたものの、哲学や芸術やスポーツや政治の分野で市民が自由に自己を向上させることが社会のダイナミズムの中心になっていました。

 江戸時代の日本では、武士階級から町人階級まで広がる形で、武道、茶道、歌道などさまざまな分野の芸術や技能や武術や学問が多様に発展していました。

 しかし、江戸時代は、その修行文化を更に押し進め完成させる前に、近代ヨーロッパの科学技術文化に遭遇し、列強の植民地化の脅威に対抗するために、自らの文化を工業社会の文化に変容させざるを得なかったのです。

 簡単に書くつもりが、どんどん長くなっていく。(^^ゞ




 さて、新たに生まれようとしている修行社会の教育はどのようなものになるでしょうか。

 一つは、全面的な基礎教育です。工業社会の教育は、英数国理社美技音体と一応バランスのとれた多くの教科によって成り立っていますが、工業社会の人材を生み出すためにある限られた範囲で競争する必要があるため、点数の差のつきやすい英語、数学、国語などの主要教科が勉強の中心になります。

 しかし、修行社会の教科は、個人が将来どの方面に自分を開花させるにせよ、その可能性を広げるためにできるだけ多様な教科を身につけておく必要があることから、本質的に全面的な教科を学ぶという性格を持っています。

 もう一つは、個性を生かしたオンリーワンを目指す教育です。工業社会では、個性を生かすということは、往々にして趣味の分野で生産活動から離れた形で一種の逃避に近い活動として行われことがありました。修行社会での個性とは、そのような根のない個性ではなく、その個性がそのまま社会での仕事に結びつくような個性です。

 したがって、学校教育も、学校の中での教育として完結したものではなく、常に、個人が社会で個性的に活躍するために何が必要かという観点から行われるようになります。それは教える教育ではなく、アドバイスする教育であり、生徒の側も、教わる勉強ではなく自ら学ぶ勉強として学習に取り組むようになります。

 未来の教育では、一斉授業とテストによる評価というものは、基礎教育の初期には行われるものの、その後の教育の大部分は、自学自習と人生設計の相談という形で行われるようになるでしょう。




 現在の教育には、まだ工業社会の影響が色濃く残っており、ある決められた範囲の教育内容を競争を通して学ぶということが主流になっています。

 その反対に、自己の向上のために学ぶという未来の社会の教育は、まだ小さな流れにしかなっていません。




 しかし、今後、急速に競争教育の前提そのものがなくなっていき、それとは逆に、自己の向上のための教育が大きな流れになっていくでしょう。


 早めにまとめる予定だったのに、なんだか、まだ続く(笑)。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
言葉の森の特徴(83) 
コメント11~20件
コメントは24時間以内に表示
……前のコメント
長文の暗唱のた たろー
この世で一番参考になる 9/30
記事 616番
「桃太郎」を例 匿名
役に立った 8/15
記事 1314番
日本人の対話と 森川林
ヨーロッパの対話は、正反合という弁証法の考え方を前提にしてい 8/6
記事 1226番
日本人の対話と よろしく
日本人は上に都合がよい対話と言う名のいいくるめ、現状維持、そ 8/5
記事 1226番
夢のない子供た 森川林
「宇宙戦艦ヤマトの真実」(豊田有恒)を読んだ。これは面白い。 7/17
記事 5099番
日本人の対話と 森川林
 ディベートは、役に立つと思います。  ただ、相手への共感 7/13
記事 1226番
日本人の対話と RIO
ディベートは方法論なので、それを学ぶ価値はあります。確かに、 7/11
記事 1226番
英語力よりも日 森川林
AIテクノロジーの時代には、英語も、中国語も、つまり外国語の 6/28
記事 5112番
創造発表クラス 森川林
単に、資料を調べて発表するだけの探究学習であれば、AIでもで 6/27
記事 5111番
総合学力クラス 森川林
子供は、暇そうにしているのがいちばんです。 年がら年中がん 6/22
記事 5107番
……次のコメント

掲示板の記事1~10件
バースデイ ゆめ
 今日、私は16歳になりました。  誕生日のことなんて 4/10
ゆめ日記
Re: トラン 森川林
 と書いた直後、「関税実施は90日間延期」ということで、大幅 4/10
森川林日記
トランプ関税そ 森川林
トランプ改善のその後。 貿易は収縮する。 アメリカ国 4/10
森川林日記
Re: 3月の 森川林
 よく考えたね。  でも、利己的と自己中心的は、意味が違う 3/25
国語読解掲示板
AIで宿題なん 森川林
AIで宿題なんて簡単にできるようになっている。 解決策は、 3/24
森川林日記
3月の小6の確 あかそよ
大問1-2 利己的と自己中心的はほとんど同じ意味だと思いま 3/23
国語読解掲示板
2025年3月 森川林
●小学校低学年の作文は、書いたあとの添削よりも、書く 3/22
森の掲示板
オープン森リン 森川林
オープン森リンのフォームをホームページに設置したら、早速、ア 3/21
森川林日記
SBペイメント 森川林
スクエアはもっと簡単にできたのに、SBペイメントは仕様書だけ 3/19
森川林日記
この1週間、ほ 森川林
 この1週間、ほとんど何も仕事をしなかった。  思索と森リ 3/12
森川林日記

RSS
RSSフィード

QRコード


小・中・高生の作文
小・中・高生の作文

主な記事リンク
主な記事リンク

通学できる作文教室
森林プロジェクトの
作文教室


リンク集
できた君の算数クラブ
代表プロフィール
Zoomサインイン






小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習