日曜日に、天野敦之(あまのあつし)さんの
「宇宙とつながる働き方 経済を回復させるたった一つの方法」を読みました。天野さんは、一橋大学を出て証券会社などに勤務したあと、現在公認会計士事務所を開いている人です。
この本に書かれていることは、これからは個人の利益追求ではなく、全体とのつながりを取り戻すことが大切だということでした。私はこの本を読んで、経営の最先端で仕事をしてい人からこういう提言がなされる時代になったのだと、世の中の流れの大きな変化のようなものを感じました。
ちょうど、同じ日に読んだ本が、佐藤優(さとうまさる)さんの
「日本国家の神髄」でした。これは、戦前に出ていた「国体の大義」を、佐藤さんの考えを盛り込みながら解説した本です。この本に書かれていることは、日本文化の伝統の最も根本にあるのは、欧米の孤立した個人主義とは正反対のものだということでした。
現代の経営書と戦前の思想書が、不思議にも共通した問題意識で書かれていたのです。(こういう発見があるのが
「パラレル読書」のいいところです。)
現在の日本社会のさまざまな制度を形作っているものは、ばらばらの個人の対立する利害を調整するという欧米文化を反映したものです。日本には、もともと社会全体をひとつの家族のように見なし、互いの思いやりと察し合いで社会を運営しているという伝統がありました。これからは、そういう日本のよさを再構築する時代なのだと思います。
さて、現在の教育も、欧米流の孤立した個人という考えに立脚したものとして運営されています。その表れが、競争に勝つための勉強、点数を上げるための勉強、報酬を得るための勉強という考え方です。この考え方に基づいて子供たちに意欲を持たせようとするのが古い勉強法です。
新しい勉強法は、次のような考え方に基づいています。競争に勝つためではなく社会に貢献するための勉強、点数を上げるためではなく自己を向上させるための勉強、報酬を得るためではなく創造を楽しむための勉強です。
そして、この新しい勉強法が最も求められているのが作文の勉強なのだと思います。
パラレル思考を育てるもうひとつの方法は、言葉の森で使っている構成図です。
人間が何かを考えるとき、考えながら書くという過程が必要になります。
古代ギリシアでは、まだ「書く」という文化が発達していなかったため、対話というものが主な思考の方法でした。今でも、この対話の方法は有効で、ディスカッションによって考えが深まるというのは、多くの人が経験しているところです。
しかし、日本語は、ディスカッションよりも書くことによる思考の方が向いている言葉のようです。
日本語は、漢字かな混じり文という世界でも珍しい文字の使い方をする言語で、文章がビジュアルに読めるという長所を持っています。
アルファベットだけの英語や漢字だけの中国語では、すべての文字が同じように見えて文章全体が平板に目に入ります。そこで、文章を読むときは、かなり逐語的に読まなければ内容が理解できません。
ところが、日本語は、漢字とひらがなとカタカナの混じった文章なので、漢字の方は重い意味のある言葉として立体的に持ち上がるような感じで目に入ります。ひらがなの方は軽いつなぎ言葉として平面的に広がるように目に入ります。カタカナは、漢字とはややニュアンスの異なる現代的な言葉で、やはり立体的に持ち上がる感じで目に入ります。
英語や中国語の文章が一次元の平面で読まれるのに対して、日本語の漢字かな混じり文は、最初から二次元の立体構造をもって読まれるのです。このため、日本語で書かれた文章は、他の言語で書かれた文章よりも理解しやすいという特徴を持っています。日本が、世界で最も海外からの翻訳した文章が豊富な国であるのは、この理由によるものだと思います。
さて、この漢字かな混じり文の持つ立体構造を更に生かすのが、散らし書きというスタイルです。
何かを考えるためにノートとペンを使うとき、シリアルに一列に文字を書いていくのが普通ですが、それではせっかくの日本語がシリアル思考的な使い方になってしまいます。シリアル思考というのは、後に続く文が常に前の文からの制約を受けながら展開していく形です。
もっとも人に読んでもらう文章は、シリアルに一列で書くのがルールです。シリアルであっても、普通は35文字ぐらいで折り返して、段落をつけながら書いていくので、それほど読みにくい感じは受けません。
しかし、考えるときは、わざわざこのようにシリアルに一列で書く必要はありません。それよりも、思いついたことを次々と散らし書き風に広げていき、それぞれの短文を書いた順に矢印でつないでいくと、発想が自由に広がります。これが構成図の考えです。
短文の散らし書きを矢印でつないでいくだけなので、思考に次々と新しい飛躍が生まれます。相互に関係のないことも並行して書いていくことができるので、相互に関係のない本を並行して読む読書のように、通常のシリアル思考から離れた立体的な思考ができるようになります。
しかも、日本語はもともと立体的なので、特にマインドマップのように絵をかいたり、線を太くしたり、カラーで書いたりする必要はありません。1冊のノートと1本のペンだけで、どんどん考えを広げていくことができるます。
このように、IQを高めるパラレル思考の練習に、読書と作文を使うことができるのです。