9月の清書をもとにした森リン大賞です。森リンの表現点の高い人は、自然に実例も個性的なものになるようです。
小学校中高学年の人は、みんなそれぞれ面白いダジャレを工夫しています。
9月の森リン大賞(小1の部56人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●かぞくのすきなもの | きよれ | 61 | 288 | 42 | 44 | 53 | 92 |
2位 | ●生まれかわった小学校 | あおの みき | 60 | 273 | 41 | 43 | 51 | 96 |
3位 | ●じどうかんにいったこと | あじさい | 60 | 469 | 43 | 43 | 50 | 89 |
4位 | ●ドラキュラのこと | きゆけ | 59 | 397 | 42 | 44 | 52 | 81 |
5位 | ●バイオリンコンクール | 清良 | 59 | 359 | 38 | 46 | 52 | 77 |
6位 | ●山のぼりのたんけん | なりと | 58 | 274 | 37 | 43 | 50 | 80 |
7位 | ●せんそう | ながた | 58 | 178 | 48 | 43 | 48 | 80 |
9月の森リン大賞(小2の部107人中)順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●仙台に行ったよ! | コッピー | 68 | 706 | 38 | 65 | 75 | 86 |
2位 | ●ヤドカリさん、いっぱいのっかれーー | とらたいがくん | 67 | 498 | 41 | 53 | 65 | 96 |
3位 | ●大好きなクラス | しゅうちゃん | 67 | 532 | 43 | 50 | 63 | 87 |
4位 | ●たんけんごっこ | 長谷川 千尋 | 67 | 819 | 46 | 51 | 62 | 92 |
5位 | ●たのしみにしてた二学期 | ポッキー | 66 | 447 | 42 | 47 | 61 | 89 |
6位 | ●とくいになりたいそろばん | レモン | 66 | 577 | 44 | 46 | 57 | 95 |
7位 | ●たび人はやさしい王子さま | ゆこぷん | 65 | 835 | 46 | 43 | 61 | 86 |
8位 | ●大雨 | かろけ | 65 | 428 | 43 | 50 | 60 | 81 |
9位 | ●『ろくろくび』の首でまっているおまつり | パンダ | 65 | 725 | 47 | 47 | 59 | 90 |
10位 | ●2はく3日のたのしいキャンプ | リリア | 64 | 640 | 38 | 50 | 65 | 74 |
9月の森リン大賞(小3の部149人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●二時間ずっと外の時・・・ | ぷっくりん | 73 | 786 | 44 | 57 | 87 | 83 |
2位 | ●DSよりボードゲーム | ふうこ | 73 | 794 | 48 | 59 | 68 | 93 |
3位 | ●とくいなこと | なみま | 72 | 662 | 42 | 56 | 75 | 87 |
4位 | ●ノーベルからソールマンへ | りすっぴ | 72 | 826 | 48 | 52 | 68 | 90 |
5位 | ●アイロンビーズを作ったぞ | りめい | 71 | 796 | 47 | 49 | 68 | 87 |
6位 | ●「アルフレッドのゆいごんじょう」を読んだ | レモネード | 71 | 919 | 43 | 53 | 67 | 89 |
7位 | ●おかしの家はやっぱりヤダ | きやま | 71 | 584 | 47 | 47 | 62 | 96 |
8位 | ●ぼくのトランペット | イナズマなおき | 70 | 615 | 41 | 51 | 74 | 87 |
9位 | ●ノーベルを読んで | アルセウス | 70 | 528 | 46 | 57 | 70 | 83 |
10位 | ●家でアイス作りしたいな | スティッチ | 70 | 539 | 42 | 50 | 65 | 90 |
9月の森リン大賞(小4の部141人中)
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●私の家族の好きな食べ物 | なっち | 78 | 751 | 41 | 64 | 92 | 87 |
2位 | ●くっくっくっ。 | まめっち | 77 | 802 | 48 | 59 | 79 | 95 |
3位 | ●しゅ味を楽しもう! | フックー | 76 | 1267 | 51 | 59 | 85 | 80 |
4位 | ●1人3役 | ゆかり | 76 | 653 | 44 | 83 | 79 | 90 |
5位 | ●美しい心の作り主 | メゾピアノ | 76 | 948 | 51 | 55 | 75 | 84 |
6位 | ●自分のオリジナル | さやか | 75 | 649 | 39 | 55 | 93 | 86 |
7位 | ●広島風おこのみやき | まあやん | 74 | 857 | 42 | 52 | 75 | 84 |
8位 | ●ふしぎな私の家族 | スヌーピー | 74 | 882 | 47 | 46 | 70 | 86 |
9位 | ●秋の虫 | クリスタル | 74 | 994 | 42 | 55 | 65 | 84 |
10位 | ●好物 | めがね | 73 | 600 | 41 | 62 | 81 | 77 |
★1位の作文は、冒頭に要約の部分が残っていたので、代表作品にしませんでした。次回は、清書の場合、要約は省略するか自分なりの説明として書いていきましょう。
9月の森リン大賞(小5の部143人中)
一番は面白い?
ぴょんぴょん
「うぅん、、、。あと2センチで一番、、、。」
私には、あと2センチで一番になれるものがある。それは、身長だ。自分でも高くてよかったとひそかに思っている。そのために毎日努力しているのだが、その内容があまりにおかしいので、自分でも少々きまり悪くなってしまう。例えば、「コーヒー、紅茶を飲まない」。これは、カフェインという物質がせに悪いえいきょうを与える。ということを母から聞いたからだ。それを聞いてからは父のコップからコーヒーをちょびっと飲むのもやめた。次に、「早寝早起き」。せがのびる成長ホルモンが出るのは十時からだと言われて、読書を早めに切り上げてねるようにしている。「ココアを飲まない」。は、最近、ココアにもカフェインがふくまれていると知って、やめることにした。さらには、ノンカフェインコーヒーまで、良くねむれないという理由でやめてしまった。でも、そんなめちゃくちゃな方法でもせはのびたらしく、身体測定で図ったら、2学期と比べて4センチもせがのびた。私のクラスで一番せの高い子は、女子の中でも飛びぬけて高く、クラスで2番にせが高いはずの私とも5センチの差があったのだが、2学期には2センチにちぢまった。このぶんだと冬にはぬかせるかもしれない。私は心の中で、
「やったぁっ。」
と、ガッツポーズした。
だが、多分どんなにがんばっても、クラスの先生には勝てない。先生はせがとても高くて、185センチもある。とてもせが高い上に、鼻も大きいのでまるでキリンのようだ。ジャンプすれば教室の天井にもとどくし、教室のドアから入ってくるときも、あと6センチものびたらドアにつかえてしまうという感じだ。私がどんなにがんばっても先生だけはぬかせないだろう。私は、先生のせの高さのひみつを聞き出そうと思って、
「先生、いったいどうしたらそんなにせが高くなるんですか。」
と聞いてみたが、
「さぁねぇ、、。わからないなあ。」
と先生はごまかし笑いをしてはっきり教えてくれなかった。そこで、思いついたのだが、私が先生のことをこんな風に思っている何て、先生は全く知らないだろう。なぜなら、私は、学校とは人格がちがってしまうからだ。そうするつもりはないのに、なぜか、学校では自分が出しにくいなぁ、、。と思うと、もう一人の自分がひっこんでしまうからだ。今は、二重人格なんてなかなか面白いと思っている。それに、二重人格もクラスで、いや学年で一番だと思う。
そして、私は、母にも、面白い一番になったことはないか聞いてみた。すると、母は子どもの頃、植物や野鳥の名前をよく知っていて、それが一番だったそうだ。特に野鳥のことが大好きで、日本野鳥の会に入りたかったらしい。そのために手帳まで取り寄せたと聞いて、私は、
「わざわざ手帳まで取り寄せるなんて、野鳥が、そりゃ、チョー好きだったんだ。すごいなぁ、、。(そり野鳥好きだったんだ。)」
と感心してしまった。母の学校には「緑のカード」というものがあって、植物や生き物のことを記録するカードだったそうなのだが、そのカードの枚数も、母は一番だったらしい。本当に野鳥や植物が大好きだったのだろう。
私は、それぞれの特別な一番は、その人の個性を表すとても大事なしょうこだということが分かった。これから私は、もっと面白い、個性的な一番を作ってみたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●しつけよりも心が大事 | ミント | 80 | 905 | 57 | 65 | 71 | 89 |
2位 | ●一番は面白い? | ぴょんぴょん | 79 | 1379 | 52 | 58 | 83 | 86 |
3位 | ●あいさつは心の言葉 | まーりん | 79 | 1087 | 48 | 69 | 80 | 92 |
4位 | ●人のあいさつ | かこちゃん | 79 | 1171 | 41 | 63 | 76 | 83 |
5位 | ●あいさつ習慣のちがい | ひんこ | 79 | 1031 | 58 | 51 | 68 | 79 |
6位 | ●気分は一位 | ききほ | 78 | 1223 | 39 | 62 | 112 | 83 |
7位 | ●一番とるのはむずかしい | さたく | 78 | 808 | 41 | 66 | 89 | 83 |
8位 | ●日本とヨーロッパの犬の躾 | なぞのたびびと | 78 | 1078 | 47 | 60 | 87 | 81 |
9位 | ●Vゴールとありの助け合い | がいあ | 78 | 1029 | 41 | 58 | 85 | 86 |
10位 | ●一番になったこと | ムスカ | 78 | 776 | 44 | 71 | 85 | 84 |
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言葉の森は、作文教室です。その目的は、個性・知性・感性を育てることです。
保護者の多くもこの考え方に賛同してくださるので、勉強する子供たちはどちらかと言えば、作文が得意で好きだからという子が多いようです。
しかし、もちろんその一方で、国語や作文が苦手だからとか、受験で作文や小論文があるから受講するという子もいます。そういう子供たちも、受験に合格したから終了というのではなく、その後も続ける子が意外と多いのです。それはやはり、作文の勉強の中で、成績向上や受験合格を超えた子供の成長を感じるからだと思います。
つまり、勉強の途中経過としての目標は、成績や受験ですが、もっと先に勉強の本当の目的としての成長や向上があるということです。
この子供の成長や向上を考える場合、勉強の中でめざすものは、子供たちが大人になったときの社会の状態と無縁ではありません。
江戸時代の末期には、オランダ語を学んだ人と、英語を学んだ人と、漢籍を学んだ人と、剣術や馬術を学んだ人がいました。それぞれ熱心に学んだはずですが、学んだものによってその後の人生が大きく左右されました。
時代が変化しないときの学び方と、時代が変化するときの学び方は、百八十度を違います。そして、今は時代が激変しているときです。
昔は、勉強していい学校に入れば、いい会社に入り、一生安泰だという時代がありました。そのイメージが今でも漠然と残っているので、ほとんどの親子が大学合格までしか目標にしていません。そして、その大学合格になるべく近い高校、中学、時には小学校への合格が勉強の目標になっています。
その目標は、決して間違いではありません。しかし、本当の目的はその先にあるのです。合格の先にさらに目標があるという考え方と、合格が当面の目標でその先は合格してから考えればいいという考え方とでは、合格までは似ていても将来百八十度違う方向に進む可能性があります。
だから、言葉の森は、子供たちの成績を上げたり受験に合格させたりする以上に、将来の社会がどうなるかということと、そこで子供たちがどのように生きるかということを、つまり、現在と未来の政治・経済・社会をひとつの重要な前提として考える必要があると思っています。
つまり、作文の勉強をするためには、他の教科も含めた勉強の全体像を把握している必要がありますが、さらに、現在の社会と未来の社会の全体像を把握しておく必要があると考えているのです。
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言葉の森では、褒める指導ということをよく言います。
しかし、私は、実際にはよく子供を叱ります。すぐにできることをいつまでもしない子には、特に厳しく叱ります。例えば、「○○君、こっちにおいで」と呼んでも返事をしないでほかのことしていたり、「ちょっと待って」と言いながらずっとほかのことしているような場合です。
こういう子は、家庭でも、親が何度言っても言うことを聞かず、そのうちに親がどなって初めて言うことを聞くか、何度か言っているうちに親が面倒になりそのまま忘れてしまうか、どちらかのパターンで生活しているのだと思います。
私の場合は、一度優しく口で言って、わからなければ即ゲンコツです(笑)。そういう対応を何度かすると、みんな一度で言うことを聞くようになります。これは、かわいそうなことではなく、年中小言を言って注意することの方が、子供にとってはずっとかわいそうなことなのです。
そして、こういう厳しい叱り方をしても、子供たちはみんなよくなつきます。それは、厳しい叱り方であっても、それが短く、最後には笑いを入れて、そのあとは愛情を持って接しているからです。
褒めるのは簡単なことですが、叱るのはなかなか難しいことです。そして、しっかり叱ることができるから、褒めることもより効果的になるのです。
そういう意味で、叱ることは大事なことなのですが、では、なぜ褒めることを強調するかというと、それは子供のためというより、むしろ親のためなのです。
今の母親の多くは、頭がよくて話もよくできるので、他人の欠点がすぐ目につき、その欠点を指摘したがるところがあります。もちろん、同じように賢い母親で、もっと謙虚で他人の欠点を見ても温かく包み込み、どうしても言った方がいいときだけひとこと注意をするというような人もいますが。
問題は、欠点によく気が付きすぐにひとこと言いたくなる親の方で、それが子供の方に向けられると、子供はいつも親の目をうかがうようになります。「これ、どうしたらいいの」とすぐ聞く子は、これまで自分の判断で何かをすると、その結果を親に注意されながら育ってきた子です。
例えば、子供が自分から思いついて、ひとりで玉子焼きを作ったとします。子供の行動ですから、うまくできたという面と、必ずうまくできていない面とがあります。例えば、あと片付けをしていない、うまく焼けていない、たくさん作りすぎたなどです。そのときに、うまくできた面だけを褒められる心の広い親ならいいのですが、多くの親は先にうまくできていない面に目が向いてしまい、その注意をしてしまうのです。
もうひとつ例を挙げると、子供が成績表をもらってきたときです。成績ですから、よくできた面と同時によくできていない面があります。よくできた面だけを褒めて、そのついでによくできていなかった面を励ましてあげればいいのですが、多くの親は、最初によくできていない面に目が向いてしまい、そこで注意を始めてしまいます。
こういうことが積み重なった結果、多くの子供が自主的に行動することに自信を持てなくなっているのです。
親は、理屈の上では、子供にのびのびと育ってほしいと思っているはずですが、気になることをつい注意してしまうということで、やっていることは、のびのびとは反対のことをしていることが多いのです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
まず第一に、よいことはささいなことであってもすぐ褒めることです。そして、褒めることに飽きないということです。
第二に、親と子供の関わりがいちばん多い勉強について、子供が小学校低学年のときは特に、子供にあまり教え込まないことです。つきっきりで勉強のアドバイスをするというようなことは、極力しないようにします。
子供が勉強しているとき、親は近くで自分の仕事をしているか、ただ横にすわってニコニコしながら見守っているだけです。そして、子供に何かを聞かれたときには、簡単にこたえるようにしますが、決して教えすぎないようにします。
そして、子供がやった結果に対してたくさん褒めてあげて、どうしても直したいことがあるときだけ、1、2ヶ所にとどめて指摘するようにします。
第三に、子供の欠点についてどうしても注意したいことがあるときは、一晩寝て翌日になってから注意することです。寝ている間に潜在意識が働いて、よりよい注意の仕方が思いつきます。
以上のことすべてに共通するのは、子供の立場になって考えてあげることです。
子供を褒めることが大事だという話をすると、多くの親が、「実はそれが難しい」と言います。私が、「子供は作文の勉強で、親は褒める勉強です」と言うと、多くの親は納得してくれます。
何を見てもいつもニコニコしていて、肝心なときだけひとこと注意をする。そういう親になるための褒める勉強だとも言えるのです。
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日本の未来は外需から内需への転換にあると多くの識者が述べています。しかし、肝心のその内需の中身はまだはっきりしていません。それは、その内需がこれから創造されるものだからです
新しい内需の条件は、日本人の感性と合っていること、心からワクワクするものであること、そして未来を志向していることになると思います。
そういう条件から考えると、介護、医療、農業、環境などは、真の内需とは言えません。また、海外旅行など豪華な消費生活を楽しく満喫するというのも、日本の未来の内需にはならないようです。
日本の社会が今後創造する内需は、二つの方向で考えることができると思います。
一つは、自己の向上のための修行という内需です。ただし、自己の向上といっても、単にもう一度大学に入って勉強しなおすという程度のものではありません。新しい自分に生まれ変わるというような劇的な向上という意味です。だから、学習というよりも修行というような言葉がふさわしいのです。
今の自分の人生よりも質的に異なるほどの勇気と知性と愛と美に満ちた、生き生きとした人生を送る人間になるための修行が新しい内需の内容です。
具体的な人物のイメージでいえば、その修行によって自分が例えば中村天風のような人間になるというような目標の内需です。
もちろん目標とする人物は人によって異なりますから、自分が一番なりたい人物を思い浮かべればいいのです。例えば、聖徳太子のような人間、仏陀のような人間、イエス・キリストのような人間になるなど、何でもかまいません。
これをオーバーな想像だと思う人もいるかもしれませんが、もともとはみんな同じ人間であれば、それは本来、誰にとっても可能な目標なのです。
人間にとって一番ワクワクするのは、自分がよりよい人間になることです。多くの人は、もしそういう理想の人物になれるとしたら、全財産を投げ出しても惜しくはないと思うでしょう。だからこそ、この自己向上のための修行は、海外旅行の魅力などよりもはるかに強力な内需になるのです。
理想の人物の人生を毎日の生活のイメージでえがくと次のようになると思います。
まず、朝起きたときから、幸福感に満たされていて、日常生活で接するものが何もかも面白く、あらゆる物事の美しい面ばかりが見えるので、生きていることがうれしくてたまりません。
また、優れた知性によって、見聞きしたことを直ちに理解でき、考えることも、話すことも、書くことも、おのずから正しく美しいものになり、作文、絵画、音楽、工作などの表現は、どれも高い芸術性に溢れています。
いざ何かを実行とするときには、果敢な実行力があり、どんな困難にも負けない勇気があり、誰の前でもどんなところでも堂々と行動することができます。
そして、一日たっぷり仕事をしたり遊んだりしていたあとには、朝起きたときと同じように幸福な気持ちで、充実した満足感の中で眠りにつくことができます。
こういう人生を送る人間になることが、これからの内需の一つの内容になると思います。
人類は、農業革命から産業革命へと生産力を拡大させてきました。物の生産力の延長に、人の生産力があります。産業革命では、物の技術革新が行われましたが、これからの社会に現れるのは、人の技術革新です。
しかしもちろん、まだ、こういう商品やサービスを供給する主体はほとんどありません。それは、日本人全体が、まだ自分たちの本当の内需を自覚していないために需要が顕在化していないからです。ひとりひとりが、自分自身の向上こそが自分の本当に求めているものだと気づき、その方向に向かって行動することが、その行動に見合った供給を少しずつ準備していくのです。
しかし、自己の向上という内需は、まだ車輪の片側でしかありません。自己の向上は、もう一つの内需と組み合わさることによって初めて大きな効果を発揮します。そのもう一つの内需とは、起業です。
(つづく)
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小学校3年生の子のお母さんから相談がありました。その子は、毎週、比較的上手に書けている子です。お母さんも。優しく協力的です。
しかし、そんな子がある日、意外と書くことを負担に感じていることがわかりました。
こういうときは、どうしたらいいのでしょうか。
原因は、二つ考えられます
第一は、2年生から3年生に上がり、課題が自由課題から題名課題になって急に書きにくくなったからです。
しかし、題名課題が書きにくいからといって、自由課題に戻すのはよくありません。題名課題のまま書くことをよく準備して、短くてもいいから書くという対応をしていきます
そして、対策としては、構成図を書くときにお母さんが子供と話をしながら一緒に構成図を埋めていきます。
大人が構成図をどんどん書くのであれば、早ければ5分、長くても10分で全部埋められます。そして、子供に、「これで書いてごらん」と言うと大抵の子はすらすら書き出します。
第二の原因は、作文はもともと負担の大きい勉強中だからです。しかも、学校で作文の勉強をしている子んどはほとんどいません。そこで、子供はどうして自分だけがこういう苦しい勉強しなければならないのかと思ってしまうのです。
この対策は、お母さんだけではなく、お父さんに登場してもらうことです。お父さんが、子供の作文を見て褒めてあげ、言葉の森で勉強することの意義を話してあげるのです。
このように、家族ぐるみで作文の勉強バックアップすることによって、子供は、この負担のある勉強にも楽しく取り組む力をつけていくのです
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取り急ぎご連絡いたします 今日16:00~のレッスンは欠席します。
小野先生によろしくお伝えください。
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作文の勉強を考える場合、勉強一般のことも考えておく必要があります。
勉強の目的は、成績を良くすることではなく、頭をよくすることです。
では、頭のよさは、どのような方法で評価されるのでしょうか。
まず最初に考えられるのは志望校の合否です。志望した学校に合格したかどうかは、確かに、その学校の過去問と相性がよかったかどうか、推薦ではなく実力で合格したかどうかなどの要素もありますが、今の社会では、トータルな学力を評価する一つの尺度になっています。
しかし、入試というのは数年に一度しかありません。もっと手軽なものとしては、PISAなどの学力テストによる評価もあります。
知能検査による頭のよさの評価というものもありますが、これは、子供が主に小さいころに使われるものであることと、本来の検査の目的が頭のよさを評価するものではないことから、一般的な尺度とは言えません。
推薦入試などでよく参考にされる、その子の過去のリーダーとしての実績などは、偶然に左右される要素がかなりあります。
同じく、推薦入試では、英語の試験が課される場合がありますが、英語は、ほとんどの学生が授業で勉強しているという点から見ると、その子の勉強全体の学力にほぼ比例しています。しかし、これは、海外からの帰国子女など勉強の前提に差がある場合も多いので、一概に学力全体の評価になるとは言い切れません。
数学の成績は、遺伝とは最も関係が薄いと言われています。数学の成績は、練習の量や解き方コツに関連しているので、頭のよさとは関係がありません。
国語の成績は、本当ならば頭のよさときわめて高い相関があるはずですが、今の国語の成績はそうではありません。
なぜかというと、現在の日本の国語は、文学の要素が多すぎるからです。文学の好きな子は、国語の文学分野が自然に得意になります。そして、なぜ文学が好きになるかというと、そこには多少遺伝の要素もありますが、それよりも、子供のころ熱中するような文学に出合ったということがかなり決定的な理由になるようです。
しかし、文学が好きな子は、数学が逆に苦手になるという傾向があります。文学的な発想と数学的な発想は、その方法がかなり違うからです。
では、頭のよさに最も関連があるのは何かというと、それは作文だと思います。思考力とは、そのほとんどが日本語力ですから、作文に使える語彙の豊富な子は、考えることも理解することも得意です。
しかし、作文の点数は、個人が主観的に評価するだけでは、評価する人による差もかなり出てきます。
そこで、森リンによる点数と、人間による内容の評価の点数が組み合わされれば、そのときの作文の評価が最もあてになる子供の頭のよさ(学力)になると思います。
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野口悠紀雄さんの「
世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか」「
日本を破滅から救うための経済学 再活性化に向けて、いまなすべきこと」を読みました。これらは、日本の現状に対する危機感と、日本の未来に対する責任感が伝わってくる本です。
以前、言葉の森のホームページで、「中国から離れ、日本の文化創造に目を向けよう」という記事を書きましたが(9月25日)、野口さんの著書にも、その記事と同じ問題意識があることがわかりました。
現在、日本の企業の中には、アメリカの需要に代わって中国などの新興国家が新しい需要を創出するという考えで、中国での市場開拓に関心を向けているところがあります。しかし、目先の中国市場に経営資源を投入することは、長い目で見ると日本経済の崩壊につながります。
日本は、日本よりも遅れた中国で生まれる古い内需の供給者になるのではなく、日本で新しく生まれる高度な内需の自己供給者になるのでなければなりません。その新しい内需を作ることが、今の日本に求められているのです。
しかし、その新しい内需は、現在一般に考えられているような介護、医療、農業ではありません。
アメリカは、新しい内需として、IT、金融という他国が追随できない高度な需要を創造しました。日本がこれから創造する内需も、他国が追随できない新しい魅力あるものでなければなりません。
戦後すぐの日本では、腹いっぱい食べられることが魅力の対象でした。高度成長期には、テレビや自動車が魅力の対象になりました。高度成長のころ若者だった人が、家に初めてテレビが来たときや、初めて自動車を持ったときの喜びがどのくらい大きかったかは、今では想像できないくらいのものでした。
そして、1980年代にはコンピュータが、90年代にはインターネットが魅力の対象となりました。このころは、ITの可能性が持つ魅力にだれもが燃えていたのです。
しかし、今では、ケータイも、mixiも、ブログも、ツイッターも、単なるコモディティとしての商品やサービスになってしまい、熱い魅力の対象にはなっていません。
中国をはじめとする新興国で今生まれている大きな需要は、かつて日本人がテレビや自動車に燃えていたころの需要です。すでに過去の歴史となった、先の見通しのわかった需要なのです。
その過去の需要に、これからの日本の産業が対応して、日本の社会が発展するというようなことは、もうありません。日本は、中国やアメリカがまだ見出していない、新しい魅力的な需要を自らの力で開発する必要があります。
考えただけで胸がわくわくするような需要。そのためには食べる時間も寝る時間も惜しくなるような需要、寝ても覚めてもそのことばかり考えているような需要が、これからの日本人が創造していく需要なのです。
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国語と算数の勉強の仕方には、大きな違いがあります。
算数は、わからなくなったら、わかるところまで戻り、わかるまでやるという勉強の仕方です。算数の難問というのは、いくつかの要素が組み合わされている問題で、易しい問題は、その組み合わせの数が少ない問題です。ですから、難しい問題にぶつかったときも、個々の要素に分解して、それぞれの要素を理解して積み上げればわかるという仕組みになっています。
算数は、教科書に書かれていることをマスターすることが勉強の目標です。受験勉強も、その延長にあります。
ところが、国語はそうではありません。小学校5年生で国語の成績が下がったら、小学校4年生の教科書まで戻ればいいというのではありません。その学年の教科書を全部マスターしたからといって、成績が上がるわけではありません。
国語の勉強は、できる子はできるし、できない子はできません。そのできるできないを分けるのは、ひとことで言えば読書の差です。読書の質と量が優れている子は、国語の勉強を特にしなくても成績はいいのです。ただし、国語でも漢字の書き取りだけは、勉強しなければできるようにはなりません。しかし、国語力の本質は、漢字力ではなく読解力です。
算数と国語の違いを、列車の旅の比喩で言うと、次のような感じになります。算数は、あるところまで来て、今いる場所がどこかわからなくなったら、前の駅に戻ればわかります。国語は、あるとこまで来て、今いる場所がどこかわからなくなったら、前の駅に戻るのではなく、周りの景色をよく見なければなりません。たとえ、前の駅に戻ったとしても、やはりそこで周りの景色をしっかりと見なければなりません。周りの景色を見るということは、日本語の日常生活を豊かにすることです。
逆に、算数の力をつけるために、日常の算数的な生活を豊かにするということは見当違いな努力になります。算数は、経験の中で身につける面ももちろんありますが、それ以上に勉強の中で身につけるものだからです。
ときどき、保護者の方から、「うちの子は作文が苦手なので、実際の学年よりもずっと下の学年から始めたい」という要望を聞くことがあります。下の学年に戻って勉強することは簡単ですが、しかし、それが上の学年に進む準備にはなりません。勉強するのは、下でも上でもかまいませんから、何しろ今その学年で読む力をつけることが重要なのです。これが、暗唱や読書の自習の意義です。そして、国語の問題に取り組むよりも、この読む勉強が、いちばん確実な国語の勉強法になるのです。
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