日本の社会がこれから創造する内需の中身のひとつは修行(自己の向上)でした。もうひとつは、起業です。
アメリカは今では自由なベンチャービジネスの社会だと思われていますが、1980年に入るまでは、律儀なオーガニゼーション・マン(組織的人間)の時代でした。
会社は従業員の雇用を保証し、従業員は会社に忠誠を誓い、毎日定時に出社し、退屈な仕事をきちんとこなし、同じ会社に何十年も勤めることによって、次第に安定した豊かな生活を送れるようになる、という価値観の時代でした。
日本はアメリカよりも10年遅れていると言われますが、2000年代、小泉政権時代の自由競争主義の導入前は、やはりオーガニゼーション・マンの時代でした。
アメリカは、企業がそれまでの温情主義を捨てて、従業員のレイオフに踏み出した1980年代は、IT産業が花開いた時期であり、その後に続く金融工学革命の幕開けの時期でもありました。そのため、アメリカは大企業中心の社会からベンチャービジネスの可能性のある社会に進化しました。
一方、日本は自由競争社会の道を開いたものの、新しい産業という受け皿がなかったために自由競争は、大多数の日本人にとって雇用の不安定化と生活の破壊を生み出しました。日本は、アメリカのようなITや金融という新しい産業がない中で自由競争に踏み出したため、その自由化は少数の富裕者と多数の貧困層のますます広がる格差を生み出すことになったのです。
しかし、大企業中心の組織的人間の時代はもう戻ってきません。それは経済の性質が変わってしまったためです。
つまり、先進国では大量の工業製品を需要する、豊かさを目指す社会が終わりを告げたために、その需要に対応していた大企業中心の組織的な大量生産の時代が終わったということです。
現在、そういう豊かさを目指しているのは、中国、ブラジル、インドなどの成長途上国で、これらの途上国の人口が著しく多いために、経済の覇権が移りつつあるかのような印象を受けますがそれは錯覚です。
これらの国では経済の拡大が進んでいるので、動いているマネーば巨額ですが、それはアメリカや日本で既に終わった過去の祭りがただ規模の大きくなった人口で繰り返されているだけです。そこには、新しい時代の指針となるような創造性はありません。
これを象徴する一つが万博です。1970年の大阪万博の入場者は6400万人でした。2010年の上海万博の入場者は、7千万人から8千万人になると言われています。しかし、これは量で比較する性質のものではありません。万博の社会に対する影響力の質が既に違ってきているのです。
一方で古い形の経済発展を始めようとする巨大な新興途上国、他方で古い経済発展が終わったものの新しい産業が見出せない老いた先進国、という二つの世界が併存しているのが現代の構図です。
しかし、老いた先進国にも新しい産業の芽は育ちつつあります。それがフリーエージェントの社会です。(つづく)
小学校低学年の子供のお母さんで、勉強の重点というものを勘違いしている人がかなりいます。
その原因の一つは、学校です。
まず学校で、訳のわからない宿題を出すところがかなりあります。例えば、小学校2年生までの子に、本を読んでの感想を書かせる宿題を出すなどという勉強です。
子供をよく見ていれば、その勉強が苦痛かどうかはすぐわかります。子供が苦しんでやっている勉強なら、それは無理があるということです。そういう勉強は、やらないのがいちばんです。
小学校2年生の感想文は、みんな親が手を加えています。そういう宿題は、最初から子供にやらせずに親が書いてあげればいいのです。子供の実情を知らない学校の先生に合わせる必要はありません。
感想文を書かせる時間があったら、その時間を楽しい読書や親子の対話の時間にあてた方がずっといいのです。形に残るものだけが勉強ではありません。
もうひとつの原因は、親の多くが、低学年の勉強があとあとまで影響すると思っていることです。
小学校3、4年生までは、親がついて勉強させれば必ず成績は上がります。しかし、その成績にはあまり意味がありません。小学校中学年までは、そんなに熱心に成績を上げても仕方ないのです。それよりも、読書や対話で考える力をつけていくことです。
学校の勉強も、小学校5年生ごろからは考える勉強が中心になります。本当に実力の差が出てくるのは、このころからです。考える勉強が中心になると、それまで勉強で成績を上げてきた子供よりも、読書や対話で考える力をつけてきた子の方が成績が上がってきます。
頭をよくしておけば、英語なども中学生に入ってから十分間に合います。同様に、数学についても小学生のころまでは普通でも、中学生になってからがんばればすぐに成績は上がります。大事なことは、成績をよくしておくことではなく、頭をよくしておくことです。
低学年から勉強をさせすぎるいちばんの問題は、子供に勉強だらだらやる習慣をつけさせてしまうことです。
小さいころから成績をよくして自信をつけさせておいたほうがいいと考えるのは、親に自信がないからです。つまり、親が自分で勉強して力をつけた経験がないから、早めに自信をつけさせたいと考えるのです。
今は、ひとりっ子の家庭が多いので、親はどうしても自分の子供と学校の成績しか見られません。しかし、本当の実力はその成績の中にあるのではなく、子供の考える力の中にあります。
考える力が、最もはっきり出てくるのは作文です。作文がうまいかどうかということではなく、楽しんで書ける子であれば、教科の今の成績がどうであれ、心配はいりません。
しかし、作文の課題によって、「難しい」とか、「わからない」とか、「やりたくない」とか、「長く書けない」などと言う子は、今の学校の成績がどうであれやはり実力不足です。
しかし、心配はいりません。そういう実力不足の子が大多数だからです。
そういう子供たちが、毎日の暗唱や問題集読書などで少しずつ長く自分らしい文章を書けるようになってきます。これが作文の勉強です。