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記事 1052番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/24
日本の未来の見取り図(3)―フリーエージェント社会 as/1052.html
森川林 2010/10/23 05:43 


 日本の社会がこれから創造する内需の中身のひとつは修行(自己の向上)でした。もうひとつは、起業です。

 アメリカは今では自由なベンチャービジネスの社会だと思われていますが、1980年に入るまでは、律儀なオーガニゼーション・マン(組織的人間)の時代でした。

 会社は従業員の雇用を保証し、従業員は会社に忠誠を誓い、毎日定時に出社し、退屈な仕事をきちんとこなし、同じ会社に何十年も勤めることによって、次第に安定した豊かな生活を送れるようになる、という価値観の時代でした。

 日本はアメリカよりも10年遅れていると言われますが、2000年代、小泉政権時代の自由競争主義の導入前は、やはりオーガニゼーション・マンの時代でした。

 アメリカは、企業がそれまでの温情主義を捨てて、従業員のレイオフに踏み出した1980年代は、IT産業が花開いた時期であり、その後に続く金融工学革命の幕開けの時期でもありました。そのため、アメリカは大企業中心の社会からベンチャービジネスの可能性のある社会に進化しました。

 一方、日本は自由競争社会の道を開いたものの、新しい産業という受け皿がなかったために自由競争は、大多数の日本人にとって雇用の不安定化と生活の破壊を生み出しました。日本は、アメリカのようなITや金融という新しい産業がない中で自由競争に踏み出したため、その自由化は少数の富裕者と多数の貧困層のますます広がる格差を生み出すことになったのです。

 しかし、大企業中心の組織的人間の時代はもう戻ってきません。それは経済の性質が変わってしまったためです。

 つまり、先進国では大量の工業製品を需要する、豊かさを目指す社会が終わりを告げたために、その需要に対応していた大企業中心の組織的な大量生産の時代が終わったということです。

 現在、そういう豊かさを目指しているのは、中国、ブラジル、インドなどの成長途上国で、これらの途上国の人口が著しく多いために、経済の覇権が移りつつあるかのような印象を受けますがそれは錯覚です。

 これらの国では経済の拡大が進んでいるので、動いているマネーば巨額ですが、それはアメリカや日本で既に終わった過去の祭りがただ規模の大きくなった人口で繰り返されているだけです。そこには、新しい時代の指針となるような創造性はありません。

 これを象徴する一つが万博です。1970年の大阪万博の入場者は6400万人でした。2010年の上海万博の入場者は、7千万人から8千万人になると言われています。しかし、これは量で比較する性質のものではありません。万博の社会に対する影響力の質が既に違ってきているのです。

 一方で古い形の経済発展を始めようとする巨大な新興途上国、他方で古い経済発展が終わったものの新しい産業が見出せない老いた先進国、という二つの世界が併存しているのが現代の構図です。

 しかし、老いた先進国にも新しい産業の芽は育ちつつあります。それがフリーエージェントの社会です。(つづく)

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勉強よりも読書と対話 as/1051.html
森川林 2010/10/22 12:56 


 小学校低学年の子供のお母さんで、勉強の重点というものを勘違いしている人がかなりいます。

 その原因の一つは、学校です。

 まず学校で、訳のわからない宿題を出すところがかなりあります。例えば、小学校2年生までの子に、本を読んでの感想を書かせる宿題を出すなどという勉強です。

 子供をよく見ていれば、その勉強が苦痛かどうかはすぐわかります。子供が苦しんでやっている勉強なら、それは無理があるということです。そういう勉強は、やらないのがいちばんです。

 小学校2年生の感想文は、みんな親が手を加えています。そういう宿題は、最初から子供にやらせずに親が書いてあげればいいのです。子供の実情を知らない学校の先生に合わせる必要はありません。

 感想文を書かせる時間があったら、その時間を楽しい読書や親子の対話の時間にあてた方がずっといいのです。形に残るものだけが勉強ではありません。

 もうひとつの原因は、親の多くが、低学年の勉強があとあとまで影響すると思っていることです。

 小学校3、4年生までは、親がついて勉強させれば必ず成績は上がります。しかし、その成績にはあまり意味がありません。小学校中学年までは、そんなに熱心に成績を上げても仕方ないのです。それよりも、読書や対話で考える力をつけていくことです。

 学校の勉強も、小学校5年生ごろからは考える勉強が中心になります。本当に実力の差が出てくるのは、このころからです。考える勉強が中心になると、それまで勉強で成績を上げてきた子供よりも、読書や対話で考える力をつけてきた子の方が成績が上がってきます。

 頭をよくしておけば、英語なども中学生に入ってから十分間に合います。同様に、数学についても小学生のころまでは普通でも、中学生になってからがんばればすぐに成績は上がります。大事なことは、成績をよくしておくことではなく、頭をよくしておくことです。

 低学年から勉強をさせすぎるいちばんの問題は、子供に勉強だらだらやる習慣をつけさせてしまうことです。

 小さいころから成績をよくして自信をつけさせておいたほうがいいと考えるのは、親に自信がないからです。つまり、親が自分で勉強して力をつけた経験がないから、早めに自信をつけさせたいと考えるのです。

 今は、ひとりっ子の家庭が多いので、親はどうしても自分の子供と学校の成績しか見られません。しかし、本当の実力はその成績の中にあるのではなく、子供の考える力の中にあります。

 考える力が、最もはっきり出てくるのは作文です。作文がうまいかどうかということではなく、楽しんで書ける子であれば、教科の今の成績がどうであれ、心配はいりません。

 しかし、作文の課題によって、「難しい」とか、「わからない」とか、「やりたくない」とか、「長く書けない」などと言う子は、今の学校の成績がどうであれやはり実力不足です。

 しかし、心配はいりません。そういう実力不足の子が大多数だからです。

 そういう子供たちが、毎日の暗唱や問題集読書などで少しずつ長く自分らしい文章を書けるようになってきます。これが作文の勉強です。

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子育て(117) 

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未来の学校の夢(その1)―寺子屋の復活 as/1050.html
森川林 2010/10/21 17:02 


 未来の学校の夢を今見ました。夢の中で、自分が中学生だったころに戻っていました。しかし、世の中だけは未来の社会になっていたようです。


 なつかしい友達のK君がいました。K君に、「なんだか過去から来てしまったみたい」と話すと、K君は、なぜかすぐに納得してくれました。

 学校の授業は、早めに終わりました。午後2時か3時ごろです。みんな、思い思いに家に帰ろうとしています。

「あれ、部活なんかないの」

と聞くと、K君は、

「もちろん、そんなのはないよ」

と言いました。

「学校の先生だって早く帰りたいし、スポーツをすることを強制されたり、試合やコンクールに向けて競争をさせられたりするのは嫌だから、部活は趣味のものを除いてほとんどなくなったんだ」

「ふーん」

 では、塾や習い事やスポーツクラブなどが早めに始まるのかと聞くと、そういうものもほとんどないそうです。

 昔の子供たちの生活は、学校の部活、塾の勉強、スポーツクラブの練習、家庭のゲームなどが中心でしたが、今の子供たちの活動は、近所の子供どうしの遊びや勉強や読書や仕事などが中心になっているということです。

 不思議に思いながら、K君についていくと、一軒の家に入っていきました。そこは、一種の寺子屋のようになっています。

 近所のいろいろな年齢の子が、思い思いに集まっています。小さい子は、おにごっこなどをしています。中に、そういう小さい子供たちのリーダーになっているような少し大きい子が入っています。

 もちろん、遊びは自由に参加できるようで、数人の子が集まって、庭に放し飼いになっているヤギやウサギにえさをやっている光景も見えます。何をするのも自由なようです。

 部屋の中に入ると、数人で集まって勉強しているグループがありました。教える先生などは、特にいないようです。

 勉強していてわからないところがあると、一緒のテーブルにいる友達に聞いたり、よそのテーブルで勉強している高学年の子に聞いたりします。

 ネットは自由に使えるらしく、中には息抜きのゲームをしている子もいますが、たいていの子は友達どうしで遊ぶ方が楽しいようです。

 大人も、いるにはいます。しかし、子供たちに何かを指示することは、ほとんどないようです。この寺子屋の主人らしい人は、のんびり本を読んだり、小さい子と遊んだりしています。

 寺子屋は、いろいろな年齢の子供たちで運営されているので、大人は特に普段は何もしなくていいのです。

 高校生のグループになると、自分たちで計画して世の中の仕事体験に行くようです。いろいろな仕事を経験するなかで、自分が何に向いているかだんだんわかってくるので、それを大学進学の参考にするようです。だから、寺子屋の中には高校生はあまりいません。

 大学生も、ほとんどいません。専門の学問は特定の大学でやるので、その大学のある都会に出て行くのです。

 しかし、時には寺子屋に遊びに来る大学生もいます。みんな近所で昔からの幼なじみらしく、ニックネームで親しげに呼び合っています。

 こういう寺子屋は、ほかにも近所にいくつかあるようですが、どの寺子屋に行くかは子供たちの自由で、中には時々行く場所を変える子もいます。しかし大部分は、自分にとって最も居心地のいいところにずっといるようです。

 夕方になると、みんな思い思いに家に帰り出しました。兄弟の少ない子は、よその家に泊まり合いをすることも多いようです。(つづく)

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教育論文化論(255) 

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脳の働きから見た暗唱の仕組み as/1049.html
森川林 2010/10/20 11:50 


 言葉の森では、子供たちの毎日の自習として暗唱の指導を行っています。

 この暗唱がなぜできるか、そしてどういう効果があるかということについて、脳の働きから考えてみたいと思います。

 まず左脳は、言語脳で言語の処理を中心に行っています。左脳は、右脳よりも強力ですが、その分活動が粗いので、主にβ波を出しているのではないかと思います。(「脳と音読」(川島隆太・安達忠夫)P176によると、音読などの言語的活動を行うと脳が活性化するそうです。しかし、これは、左脳がβ波が出しているとは言い切れないかもしれません。なお、脳が活性化するということと、音読をすると頭がよくなるということは、関係がないことのように思います。2010/1022追加)

 左脳は、デジタル的な処理をしているので、短期記憶に制約されています。だから、言語処理をするときは、逐語的に少しずつ処理しては忘れていきます。

 例えば、物語を読むとき、数語又は十数語の文字列から次々とイメージを作り、前の文字列はどんどん忘れながら読んでいきます。だから、最後にストーリー全体はわかっているものの、個々の文字列は記憶に残っていないのです。

 次に、右脳です。右脳はイメージ脳で、イメージや音楽の処理を行っています。

 右脳の処理はアナログ的なので、短期記憶に制約されません。例えば、景色を眺めているとき、その景色の中にある無数の要素がひとまとまりに頭の中に入ってきます。

 「青い空。雲がぽっかり浮かんでいる。遠くで鳥の声が聞こえる。静かに風が吹いている。もう秋だ。キンモクセイの花の香りがする」というような大量のイメージが一瞬にして右脳のイメージとして処理されます。

 しかし、右脳の処理は静かなので、α波やΘ波を中心とした脳波になっているのだと思います。(「脳と音読」によると、空で覚えた文章を音読しているときは脳が活性化せずにリラックスするそうです。しかし、これは、右脳がα波やΘ波を出しているとは言い切れないかもしれません。2010/10/22追加)。音楽を聴いていると心がリラックスするのはこのためです。ただし、歌謡曲のように歌詞という言語のあるものは左脳が働くので、クラシックのような曲だけのものの方が脳のリラックスにはいいようです。

 記憶術の仕組みは、アナログのイメージはいくらでも記憶に残るので、そのアナログのイメージに、覚えにくいデジタルの記憶を結びつけるというものです。

 さて、暗唱は、言語をデジタル的に覚えるものなので、一度で覚えられるのは短期記憶の容量となる7文節ぐらいまでに限られています。だから、30-50文字なら一度で覚えられますが、これが100字ぐらいになると短期記憶の容量を超えてしまいます。50字と100字は、単に量が違うだけでなく質が違うのです。

 しかし、この100字の文章も十数回繰り返すと、丸ごと暗唱できるようになります。同様に、300字や900字も手順を踏んで回数を重ねれば、子供でも大人でも誰でも例外なくすらすらと暗唱できるようになります。できないのは単に繰り返すという根性がないだけです(笑)。

 では、この300字又は900字の暗唱ができるようになったとき、脳の働きはどうなっているのでしょうか。

 900字の文章をすらすらとよどみなく暗唱しているとき、人間はこの文章を左脳で言語的に処理しているのではありません。右脳でひとまとまりのイメージか音楽として処理しています。だから、長い文章でも思い出そうとする気持ちなしに、自然にすらすらと言葉が口をついて出てくるようになるのです。

 これを繰り返していると、やがて必要に応じてすぐに言語の右脳処理が行われるようになるのだと思います。

 「古代への情熱」を著したシュリーマンは、もともと記憶が苦手だったようですが、大声で暗唱の練習をしているうちに、何ページにもわたる文章でも数回読めば覚えられるようになったそうです。

 本多静六は、若いときドイツに留学しましたが、経済的事情のために途中で留学を中断することになり、特別の卒業試験を受けることになりました。そこで、最も難しいと言われる教授の経済学の教科書を丸ごと暗唱しようとしましたが、最初は数行も覚えられません。何度も絶望感を抱きながら繰り返しているうちに、1週間ほどたつと急にすらすらと何ページも暗唱できるようになったそsうです。

 しかし、これは記憶力がよくなったというよりも、言語の処理の機構が変わったということだと思います。

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森川林 20101022  
 「左脳がβ波を、右脳がα波やΘ波を出す」という部分は厳密な話ではないので、補足を追加しました。
====
(「脳と音読」(川島隆太・安達忠夫)P176によると、音読などの言語的活動を行うと脳が活性化するそうです。しかし、これは、左脳がβ波が出しているとは言い切れないかもしれません。なお、脳が活性化するということと、音読をすると頭がよくなるということは、関係がないことのように思います。2010/1022追加)
(「脳と音読」によると、空で覚えた文章を音読しているときは脳が活性化せずにリラックスするそうです。しかし、これは、右脳がα波やΘ波を出しているとは言い切れないかもしれません。2010/10/22追加)

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9月の森リン大賞(小1-小5) as/1048.html
森川林 2010/10/19 14:42 



 9月の清書をもとにした森リン大賞です。森リンの表現点の高い人は、自然に実例も個性的なものになるようです。
 小学校中高学年の人は、みんなそれぞれ面白いダジャレを工夫しています。



9月の森リン大賞(小1の部56人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1かぞくのすきなものきよれ6128842445392
2生まれかわった小学校あおの みき6027341435196
3じどうかんにいったことあじさい6046943435089
4ドラキュラのこときゆけ5939742445281
5バイオリンコンクール清良5935938465277
6山のぼりのたんけんなりと5827437435080
7せんそうながた5817848434880

9月の森リン大賞(小2の部107人中)
順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1仙台に行ったよ!コッピー6870638657586
2ヤドカリさん、いっぱいのっかれーーとらたいがくん6749841536596
3大好きなクラスしゅうちゃん6753243506387
4たんけんごっこ長谷川 千尋6781946516292
5たのしみにしてた二学期ポッキー6644742476189
6とくいになりたいそろばんレモン6657744465795
7たび人はやさしい王子さまゆこぷん6583546436186
8大雨かろけ6542843506081
9『ろくろくび』の首でまっているおまつりパンダ6572547475990
102はく3日のたのしいキャンプリリア6464038506574



9月の森リン大賞(小3の部149人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1二時間ずっと外の時・・・ぷっくりん7378644578783
2DSよりボードゲームふうこ7379448596893
3とくいなことなみま7266242567587
4ノーベルからソールマンへりすっぴ7282648526890
5アイロンビーズを作ったぞりめい7179647496887
6「アルフレッドのゆいごんじょう」を読んだレモネード7191943536789
7おかしの家はやっぱりヤダきやま7158447476296
8ぼくのトランペットイナズマなおき7061541517487
9ノーベルを読んでアルセウス7052846577083
10家でアイス作りしたいなスティッチ7053942506590



9月の森リン大賞(小4の部141人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1私の家族の好きな食べ物なっち7875141649287
2くっくっくっ。まめっち7780248597995
3しゅ味を楽しもう!フックー76126751598580
41人3役ゆかり7665344837990
5美しい心の作り主メゾピアノ7694851557584
6自分のオリジナルさやか7564939559386
7広島風おこのみやきまあやん7485742527584
8ふしぎな私の家族スヌーピー7488247467086
9秋の虫クリスタル7499442556584
10好物めがね7360041628177


★1位の作文は、冒頭に要約の部分が残っていたので、代表作品にしませんでした。次回は、清書の場合、要約は省略するか自分なりの説明として書いていきましょう。

9月の森リン大賞(小5の部143人中)

一番は面白い?
ぴょんぴょん

「うぅん、、、。あと2センチで一番、、、。」
私には、あと2センチで一番になれるものがある。それは、身長だ。自分でも高くてよかったとひそかに思っている。そのために毎日努力しているのだが、その内容があまりにおかしいので、自分でも少々きまり悪くなってしまう。例えば、「コーヒー、紅茶を飲まない」。これは、カフェインという物質がせに悪いえいきょうを与える。ということを母から聞いたからだ。それを聞いてからは父のコップからコーヒーをちょびっと飲むのもやめた。次に、「早寝早起き」。せがのびる成長ホルモンが出るのは十時からだと言われて、読書を早めに切り上げてねるようにしている。「ココアを飲まない」。は、最近、ココアにもカフェインがふくまれていると知って、やめることにした。さらには、ノンカフェインコーヒーまで、良くねむれないという理由でやめてしまった。でも、そんなめちゃくちゃな方法でもせはのびたらしく、身体測定で図ったら、2学期と比べて4センチもせがのびた。私のクラスで一番せの高い子は、女子の中でも飛びぬけて高く、クラスで2番にせが高いはずの私とも5センチの差があったのだが、2学期には2センチにちぢまった。このぶんだと冬にはぬかせるかもしれない。私は心の中で、
「やったぁっ。」
と、ガッツポーズした。

 だが、多分どんなにがんばっても、クラスの先生には勝てない。先生はせがとても高くて、185センチもある。とてもせが高い上に、鼻も大きいのでまるでキリンのようだ。ジャンプすれば教室の天井にもとどくし、教室のドアから入ってくるときも、あと6センチものびたらドアにつかえてしまうという感じだ。私がどんなにがんばっても先生だけはぬかせないだろう。私は、先生のせの高さのひみつを聞き出そうと思って、
「先生、いったいどうしたらそんなにせが高くなるんですか。」
と聞いてみたが、
「さぁねぇ、、。わからないなあ。」
と先生はごまかし笑いをしてはっきり教えてくれなかった。そこで、思いついたのだが、私が先生のことをこんな風に思っている何て、先生は全く知らないだろう。なぜなら、私は、学校とは人格がちがってしまうからだ。そうするつもりはないのに、なぜか、学校では自分が出しにくいなぁ、、。と思うと、もう一人の自分がひっこんでしまうからだ。今は、二重人格なんてなかなか面白いと思っている。それに、二重人格もクラスで、いや学年で一番だと思う。

 そして、私は、母にも、面白い一番になったことはないか聞いてみた。すると、母は子どもの頃、植物や野鳥の名前をよく知っていて、それが一番だったそうだ。特に野鳥のことが大好きで、日本野鳥の会に入りたかったらしい。そのために手帳まで取り寄せたと聞いて、私は、
「わざわざ手帳まで取り寄せるなんて、野鳥が、そりゃ、チョー好きだったんだ。すごいなぁ、、。(そり野鳥好きだったんだ。)」
と感心してしまった。母の学校には「緑のカード」というものがあって、植物や生き物のことを記録するカードだったそうなのだが、そのカードの枚数も、母は一番だったらしい。本当に野鳥や植物が大好きだったのだろう。

 私は、それぞれの特別な一番は、その人の個性を表すとても大事なしょうこだということが分かった。これから私は、もっと面白い、個性的な一番を作ってみたい。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1しつけよりも心が大事ミント8090557657189
2一番は面白い?ぴょんぴょん79137952588386
3あいさつは心の言葉まーりん79108748698092
4人のあいさつかこちゃん79117141637683
5あいさつ習慣のちがいひんこ79103158516879
6気分は一位ききほ781223396211283
7一番とるのはむずかしいさたく7880841668983
8日本とヨーロッパの犬の躾なぞのたびびと78107847608781
9Vゴールとありの助け合いがいあ78102941588586
10一番になったことムスカ7877644718584


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記事 1047番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/24
教育と政治・経済・社会 as/1047.html
森川林 2010/10/18 12:04 



 言葉の森は、作文教室です。その目的は、個性・知性・感性を育てることです。

 保護者の多くもこの考え方に賛同してくださるので、勉強する子供たちはどちらかと言えば、作文が得意で好きだからという子が多いようです。

 しかし、もちろんその一方で、国語や作文が苦手だからとか、受験で作文や小論文があるから受講するという子もいます。そういう子供たちも、受験に合格したから終了というのではなく、その後も続ける子が意外と多いのです。それはやはり、作文の勉強の中で、成績向上や受験合格を超えた子供の成長を感じるからだと思います。

 つまり、勉強の途中経過としての目標は、成績や受験ですが、もっと先に勉強の本当の目的としての成長や向上があるということです。

 この子供の成長や向上を考える場合、勉強の中でめざすものは、子供たちが大人になったときの社会の状態と無縁ではありません。

 江戸時代の末期には、オランダ語を学んだ人と、英語を学んだ人と、漢籍を学んだ人と、剣術や馬術を学んだ人がいました。それぞれ熱心に学んだはずですが、学んだものによってその後の人生が大きく左右されました。

 時代が変化しないときの学び方と、時代が変化するときの学び方は、百八十度を違います。そして、今は時代が激変しているときです。

 昔は、勉強していい学校に入れば、いい会社に入り、一生安泰だという時代がありました。そのイメージが今でも漠然と残っているので、ほとんどの親子が大学合格までしか目標にしていません。そして、その大学合格になるべく近い高校、中学、時には小学校への合格が勉強の目標になっています。

 その目標は、決して間違いではありません。しかし、本当の目的はその先にあるのです。合格の先にさらに目標があるという考え方と、合格が当面の目標でその先は合格してから考えればいいという考え方とでは、合格までは似ていても将来百八十度違う方向に進む可能性があります。

 だから、言葉の森は、子供たちの成績を上げたり受験に合格させたりする以上に、将来の社会がどうなるかということと、そこで子供たちがどのように生きるかということを、つまり、現在と未来の政治・経済・社会をひとつの重要な前提として考える必要があると思っています。

 つまり、作文の勉強をするためには、他の教科も含めた勉強の全体像を把握している必要がありますが、さらに、現在の社会と未来の社会の全体像を把握しておく必要があると考えているのです。

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政治経済社会(63) 教育論文化論(255) 

記事 1046番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/24
褒めるのは子供のためではなく親のため as/1046.html
森川林 2010/10/17 12:43 


 言葉の森では、褒める指導ということをよく言います。

 しかし、私は、実際にはよく子供を叱ります。すぐにできることをいつまでもしない子には、特に厳しく叱ります。例えば、「○○君、こっちにおいで」と呼んでも返事をしないでほかのことしていたり、「ちょっと待って」と言いながらずっとほかのことしているような場合です。

 こういう子は、家庭でも、親が何度言っても言うことを聞かず、そのうちに親がどなって初めて言うことを聞くか、何度か言っているうちに親が面倒になりそのまま忘れてしまうか、どちらかのパターンで生活しているのだと思います。

 私の場合は、一度優しく口で言って、わからなければ即ゲンコツです(笑)。そういう対応を何度かすると、みんな一度で言うことを聞くようになります。これは、かわいそうなことではなく、年中小言を言って注意することの方が、子供にとってはずっとかわいそうなことなのです。

 そして、こういう厳しい叱り方をしても、子供たちはみんなよくなつきます。それは、厳しい叱り方であっても、それが短く、最後には笑いを入れて、そのあとは愛情を持って接しているからです。

 褒めるのは簡単なことですが、叱るのはなかなか難しいことです。そして、しっかり叱ることができるから、褒めることもより効果的になるのです。

 そういう意味で、叱ることは大事なことなのですが、では、なぜ褒めることを強調するかというと、それは子供のためというより、むしろ親のためなのです。


 今の母親の多くは、頭がよくて話もよくできるので、他人の欠点がすぐ目につき、その欠点を指摘したがるところがあります。もちろん、同じように賢い母親で、もっと謙虚で他人の欠点を見ても温かく包み込み、どうしても言った方がいいときだけひとこと注意をするというような人もいますが。

 問題は、欠点によく気が付きすぐにひとこと言いたくなる親の方で、それが子供の方に向けられると、子供はいつも親の目をうかがうようになります。「これ、どうしたらいいの」とすぐ聞く子は、これまで自分の判断で何かをすると、その結果を親に注意されながら育ってきた子です。

 例えば、子供が自分から思いついて、ひとりで玉子焼きを作ったとします。子供の行動ですから、うまくできたという面と、必ずうまくできていない面とがあります。例えば、あと片付けをしていない、うまく焼けていない、たくさん作りすぎたなどです。そのときに、うまくできた面だけを褒められる心の広い親ならいいのですが、多くの親は先にうまくできていない面に目が向いてしまい、その注意をしてしまうのです。

 もうひとつ例を挙げると、子供が成績表をもらってきたときです。成績ですから、よくできた面と同時によくできていない面があります。よくできた面だけを褒めて、そのついでによくできていなかった面を励ましてあげればいいのですが、多くの親は、最初によくできていない面に目が向いてしまい、そこで注意を始めてしまいます。

 こういうことが積み重なった結果、多くの子供が自主的に行動することに自信を持てなくなっているのです。

 親は、理屈の上では、子供にのびのびと育ってほしいと思っているはずですが、気になることをつい注意してしまうということで、やっていることは、のびのびとは反対のことをしていることが多いのです。

 では、どうしたらいいのでしょうか。

 まず第一に、よいことはささいなことであってもすぐ褒めることです。そして、褒めることに飽きないということです。

 第二に、親と子供の関わりがいちばん多い勉強について、子供が小学校低学年のときは特に、子供にあまり教え込まないことです。つきっきりで勉強のアドバイスをするというようなことは、極力しないようにします。

 子供が勉強しているとき、親は近くで自分の仕事をしているか、ただ横にすわってニコニコしながら見守っているだけです。そして、子供に何かを聞かれたときには、簡単にこたえるようにしますが、決して教えすぎないようにします。

 そして、子供がやった結果に対してたくさん褒めてあげて、どうしても直したいことがあるときだけ、1、2ヶ所にとどめて指摘するようにします。

 第三に、子供の欠点についてどうしても注意したいことがあるときは、一晩寝て翌日になってから注意することです。寝ている間に潜在意識が働いて、よりよい注意の仕方が思いつきます。

 以上のことすべてに共通するのは、子供の立場になって考えてあげることです。

 子供を褒めることが大事だという話をすると、多くの親が、「実はそれが難しい」と言います。私が、「子供は作文の勉強で、親は褒める勉強です」と言うと、多くの親は納得してくれます。

 何を見てもいつもニコニコしていて、肝心なときだけひとこと注意をする。そういう親になるための褒める勉強だとも言えるのです。

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子育て(117) 

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日本の未来の見取り図(2)―修行という内需 as/1045.html
森川林 2010/10/16 11:54 



 日本の未来は外需から内需への転換にあると多くの識者が述べています。しかし、肝心のその内需の中身はまだはっきりしていません。それは、その内需がこれから創造されるものだからです

 新しい内需の条件は、日本人の感性と合っていること、心からワクワクするものであること、そして未来を志向していることになると思います。

 そういう条件から考えると、介護、医療、農業、環境などは、真の内需とは言えません。また、海外旅行など豪華な消費生活を楽しく満喫するというのも、日本の未来の内需にはならないようです。

 日本の社会が今後創造する内需は、二つの方向で考えることができると思います。

 一つは、自己の向上のための修行という内需です。ただし、自己の向上といっても、単にもう一度大学に入って勉強しなおすという程度のものではありません。新しい自分に生まれ変わるというような劇的な向上という意味です。だから、学習というよりも修行というような言葉がふさわしいのです。

 今の自分の人生よりも質的に異なるほどの勇気と知性と愛と美に満ちた、生き生きとした人生を送る人間になるための修行が新しい内需の内容です。

 具体的な人物のイメージでいえば、その修行によって自分が例えば中村天風のような人間になるというような目標の内需です。

 もちろん目標とする人物は人によって異なりますから、自分が一番なりたい人物を思い浮かべればいいのです。例えば、聖徳太子のような人間、仏陀のような人間、イエス・キリストのような人間になるなど、何でもかまいません。

 これをオーバーな想像だと思う人もいるかもしれませんが、もともとはみんな同じ人間であれば、それは本来、誰にとっても可能な目標なのです。

 人間にとって一番ワクワクするのは、自分がよりよい人間になることです。多くの人は、もしそういう理想の人物になれるとしたら、全財産を投げ出しても惜しくはないと思うでしょう。だからこそ、この自己向上のための修行は、海外旅行の魅力などよりもはるかに強力な内需になるのです。

 理想の人物の人生を毎日の生活のイメージでえがくと次のようになると思います。

 まず、朝起きたときから、幸福感に満たされていて、日常生活で接するものが何もかも面白く、あらゆる物事の美しい面ばかりが見えるので、生きていることがうれしくてたまりません。

 また、優れた知性によって、見聞きしたことを直ちに理解でき、考えることも、話すことも、書くことも、おのずから正しく美しいものになり、作文、絵画、音楽、工作などの表現は、どれも高い芸術性に溢れています。

 いざ何かを実行とするときには、果敢な実行力があり、どんな困難にも負けない勇気があり、誰の前でもどんなところでも堂々と行動することができます。

 そして、一日たっぷり仕事をしたり遊んだりしていたあとには、朝起きたときと同じように幸福な気持ちで、充実した満足感の中で眠りにつくことができます。

 こういう人生を送る人間になることが、これからの内需の一つの内容になると思います。

 人類は、農業革命から産業革命へと生産力を拡大させてきました。物の生産力の延長に、人の生産力があります。産業革命では、物の技術革新が行われましたが、これからの社会に現れるのは、人の技術革新です。

 しかしもちろん、まだ、こういう商品やサービスを供給する主体はほとんどありません。それは、日本人全体が、まだ自分たちの本当の内需を自覚していないために需要が顕在化していないからです。ひとりひとりが、自分自身の向上こそが自分の本当に求めているものだと気づき、その方向に向かって行動することが、その行動に見合った供給を少しずつ準備していくのです。


 しかし、自己の向上という内需は、まだ車輪の片側でしかありません。自己の向上は、もう一つの内需と組み合わさることによって初めて大きな効果を発揮します。そのもう一つの内需とは、起業です。

(つづく)

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