「ピーター流外国語習得術」(岩波ジュニア新書)を読みました。この本には、日本の中学生や高校生が、これから外国語を勉強するにあたっての意義や勉強の方法がわかりやすく書かれています。その意味で、中高生にはおすすめの本です。
ちなみに、著者のピーター・フランクルさんは、「1953年ハンガリー生まれ。1971年国際数学オリンピックで金メダル。1988年から日本在住。国際数学オリンピック日本チームのコーチ。数学者。大道芸が得意。日本語を含め11ヶ国語を習得している。」という人です。
詳しい内容は、本書を読んでいたことにして、考えさせられる内容がいくつかあったので紹介させていただきます。
ピーターさんは、日本人の使う日本語について、人によって大きな差があると述べています。同じ日本人の中でも、豊富な語彙を持って話す人もいれば、いつも、「あれ」「これ」「それ」「だって」という言葉で話している人もいるということです。
11ヶ国語を学んだピーターさんは、日本語の特徴として語彙が豊富だということを述べています。細かいニュアンスや差異を表す言葉があるという点で、日本語は世界一難しい言語だとも言えるようです。
しかし、現在では、テレビでの対話の影響からか、反応のよい条件反射的な言葉をすぐに返すことが求められる風潮があります。また、メールの普及も、スピードのある返信という傾向を後押ししています。内容よりも、反応の速さを優先する社会になっているようです。
同じことは、読書にも言えます。子供たちに人気のある本の中にも、限られた語彙と会話だけで話を展開させているものがかなりあります。中身はテンポがよくて面白いのですが、事実の経過だけが面白おかしく書かれているような本です。
子供たちの本選びは、内容が面白いかどうかということ以上に、使われている語彙の豊かさをもっとを評価する必要があります。もし、森リンの点数で評価するとすれば、語彙の豊かな日本語を使った小説は上位になるはずです。いつか、代表的な本について統計をとってみたいと思います。
さて、現在、世界の言語の人口は、中国語約10億、英語約6億で、そのあとヒンディー語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語、マレー語、フランス語と続いて、日本語は1億2千万の人が使っています。
日本語のブログやツイッターの情報発信数は、世界の言語の比率から比べるとかなり高くなっていますが、そこには、日本が先進国でインターネットが広く普及しているという事情もあります。
文化は、その国の言語と不可分のものです。日本の文化を守り発展させていくということは、いまの日本語の豊かさを生かして、日本語を世界の人が使える言語になるように発展させていくことだと思いました。
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日本語のすばらしさの一旦です。
小説も、
「小説なんか役に立たない」
と言われますけど、
実はそこが語彙を増やす入り口でもあるんですよね。
本当に頭がよくなりたいのであれば、効率ばかり求めてはいけません。
小説は、語彙と感動する心を育てていると思います。どきどきとか、わくわくとかいう感じです。
説明文も、小説文も、どちらも大事なのでしょうね。
日本語の「豊富」な語彙は、言い換えると「多くて手間」とも言えます。
私は日本の発展には、日本語の整備がもっとも重要であると考えています。
漢字や語彙の氾濫とも言える日本語の状況は、整備する必要がありますね。
ちしきさん、ありがとうございます。
日本語の整備というのは、当用漢字が制定された背景と共通する面があると思います。(今の常用漢字ですが)
一時はそれで知識がもっと普及しやすくなると思われたのですが、実際には、学力の低下が起こったようです。
だから、これからは、日本語の教育と、日本語の活用が大事になるのではないかと思います。
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未来を切り開く新しい産業は、修行(自己の向上)と起業です。
その修行と起業の社会に最も近い位置にいるのが日本です。
そして、生活の中で自己の向上を目指す人が多くなるほど、その社会における起業のチャンスが増えていきます。また、起業して自分らしく働く人が増えるほど、生活の目標が自己の向上になっていきます。
このように考えると、今の子供たちの目指す勉強の道筋がわかってきます。
第一は、あらゆる教科を幅広く学ぶことです。文系だから理数はやらないとか、理系だから文学はやらないなどというのは、工業時代の歯車の一部として働く人間になるための発想です。自ら起業する人は、幅広い教養を身につけておく必要があります。
第二は、自分の好きなことは何かということをいつも意識して探していくことです。
第三は、常に独立の志を持ち続けることです。それは今の会社を辞めるという選択肢だけではなく、会社に勤めながら空いた時間を自分らしい仕事を持つことにあてるということも含みます。
フリーエージェントになるための社会的条件は整っています。
情報時代には、新しい仕事を始めるのに巨額な資金や設備は必要ありません。
昔は仕事を始めるためにオフィスや事務員が必要でしたが、今は自宅のパソコン1台で間に合います。情報化によってそれだけ管理が楽になったのです。
また、宣伝や販売についても、昔は多額の宣伝費やよい立地条件が起業の条件のひとつでしたが、
今はインターネットが1本つながっていれば、大企業と比べて遜色(そんしょく)のない宣伝や販売ができます。
昔は、会社に就職するまでが人生の勝負どころで、いったん大きい会社に入れば、あとは与えられた役割を果たすだけで次第に給料は上がり、役職も付き、そこに一生勤めることができ、退職後の年金も保証されるという社会でした。
そして、社会全体が発展し企業も発展していたので、そういう組織的人間として勤めることが自分自身のチャレンジにもなり、自己の向上にもなっていました。また、企業も社員を教育し成長させることに力を配ってきました。
しかし、今の企業はそうではなくなりつつあります。経済発展のなだらかになった社会では、ルーティンワークをいかに効率よくこなすかに仕事の重点が移っていきます。
それを企業の側から見れば、成長の止まった分野で利益を確保するために、いかにコストを削減するかということに目が向いていくということです。つまり、これからの組織的人間は終身雇用どころか、常にリストラの圧力にさらされながら生きていかなければなりません。
しかし、それは決して悲観的なことではありません。
現代は、工業製品の大量消費の社会が終わり、これまで社会の発展を担ってきた工業時代の企業が、情報産業も含めて、次々と電気・ガス・水道事業のように公共のインフラになっていく時代です。
その結果、余剰になった人的資源は、今後は物作りではなく、人作りに向かうのです。その人作りが、新たな人作りという需要を生み出し、そのようにして、物ではなく人によって支えられる文化が花開く時代が来ます。
言わば、
今は、地球人全員が芸術家になるような時代の前夜にいるのです。まだこの前夜は長く続くかもしれませんが、そのあと新しい夜明けが来ることに多くの人が気づき始めています。
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日本の未来について、とかく否定的な評論の多い中、森川林先生の前向きなメッセージを読んで、うれしくなり、やる気が出てきました。
> がんばろうさん
ありがとうございます。
個人でも社会でも、よい面を伸ばすのが大切だと思います。
日本のよい面を伸ばしていけば、今あるように見える悪い面はすぐに消えていきます。
その点で、日本は、思い出せるよい面がたくさんあるのが強みです。まだ、思い出していないだけ(笑)。
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フリーエージェントとして生きる自営業者が、同じ分野で企業人として生きる他の8割から9割の就業者と共存し、しかも企業に勤める人よりも平均して高い収入を保っているというのが今のアメリカ社会のひとつの断面です。
なお、「フリーエージェント社会の到来」(ダニエル・ピンク)によると、建設業なども含むすべての自営業者で見た場合、全米で3300万人約4人に1人がフリーエージェントとして働いているそうです。
今はまだ社会全体が大量消費社会の名残を残しているので、高収入の自営業は法律、税務、会計、医療など一部の専門分野に限られています。
しかし、人々の志向が豊かな消費生活から、豊かな自己向上へと向かうにつれて、自己の向上に伴うさまざまな商品やサービスを提供する専門分野が今後要求されるようになります。
このフリーエージェント社会の萌芽は、日本の江戸時代の多様な文化の中に見ることができます。
江戸時代には、花の好きな人は、いろいろな掛け合わせのアサガオやツツジを育て、その専門的な知識や技術をひとつの職業として成立させていました。
鳥の好きな人は、さまざまな声で鳴くウズラを育て、その育て方の知識や技能をやはりひとつの職業として成立させました。
そのほかに、ヒバリをかごの中で一定の高さを保ったまま飛ばせさえずらせる知識や技術、サルを訓練して猿回しをさせる知識や技術、ウソという鳥におみくじを持ってこさせ開かせるような知識や技術、特殊な色合いを持つ布を織る技術、落語など話の内容と話し方で人を楽しませる技術、歌舞伎、短歌、俳句、小説などの技術、また、剣術をはじめとするさまざまな武術の技能などと、各人の好みと適性に合った専門的な知識や技術が多様に花開いたのが江戸時代だったのです。
ちょうど今のカルチャーセンターのようなものが社会全体に広がり、しかもそれぞれの頂点には人並みはずれて優れた専門的知識や技術を持つ人々がいるという、文字どおり文化の花開く社会が生まれていたのです。
しかし、江戸時代は、大量の武士階級という非生産的な人口を抱えていたためと、社会の安定を維持するために経済の発展に歯止めをかけていたという事情から、それらの文化が十分に広がったとは言えませんでした。
ところが、それが今日の日本でこれから花開く情勢ができてきたのです。
未来の社会を先導するのは、軍事、金融、ITなどの産業を中核としたアメリカではありません。
また、古い工業時代を今から再開しようとする中国、ブラジル、インドでもありません。
成熟した工業時代の終焉のあと、創造的な文化を大衆的に作り出すことのできる日本なのです。
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