未来の社会では、レジに人がいない店もよくあるので、自分で商品のバーコードを読み込んで、表示された金額を払ってくることも多いようです。
「少なめに払っていくなんて人はいないの」
と、僕が聞くと、
「だって、もし自分がお店をやっていて、少なめに払われたら嫌でしょう」
と、K君は当然のように答えました。「もし、自分が相手だったら」という考え方をみんなが自然にしているようです。
警察というのも、とっくの昔になくなっているということでした。悪いことをする人がほとんどいないし、いても、みんなで事情を聞いて対処するので、警察の仕事というのがなくなったそうです。
法律も、常識でわかるくらいのものに簡素化されて、しかも年々減っているようです。
「法律や警察がないなんて、不思議な社会だね」
と、僕が言うと、
「だって、家族の中だってもともとそんなのないじゃない。家族が広がったのが社会だと思えば、不思議なことなんてないさ」
と、K君は言いました。
「こういうのは、世界中で実現しているの」
と、僕が聞くと、これも不思議なことに、こんなふうになっているのは日本だけのようです。
世界のほとんどの国は、まだ警察もあるし法律も複雑で、しかも争いがなかなか絶えません。だから、治安のいい日本の社会を見学しに、毎年世界中の国から視察団がいくつも来るようです。
しかし、なぜ日本だけが、このように正直な人が多く、しかも、他人に対する思いやりのある人が多いのかまだよくわからないようでした。(しかし、その後の研究によると、左脳で感情や自然の音を処理する日本語脳にその秘密があるようだということでした)
家の中に入って、K君としばらくおしゃべりをしているうちに、K君のお父さんやお母さんが帰ってきました。
みんなが集まると、夕方はテレビなどを見ずに、もっぱらみんなでおしゃべりです。
子供が小中学生のころは、父親も母親も残業や転勤がなく、いつも早く帰ることができるそうです。社会のルールでそう決まっているということでした。
子供も、夕方、塾や習い事に通ういうことはありません。そういうのは昼間のうちに行けるからです。
学校は、勉強を教えてもらいに行くところではなく自分で勉強をしに行くところなので、自分で自由に行く日を決めることができます。
特別なことを勉強したり習いたいからという理由で塾や習い事に行く人は、学校の中にそういう場所があるので、そこに行きます。
しかし、子供が自由に何をしてもいいとなると、全体の勉強のバランスがくずれてしまうこともあるので、ときどき勉強全体のコーチのような人が、子供や両親と相談して、数ヶ月のおおまかな勉強のメニューを提案します。子供は、そのメニューを参考にしながら、自分の好きなことを中心に自由に勉強や習い事の予定を組んでいます。
だから、学校は行きたいときに行けばいいのですが、ほとんどの子供は、毎日決まった時間に学校に通います。友達といる方が楽しいし、毎日同じペースで生活した方が楽だからです。
ところで、未来の社会の不思議なところは、子供が学校で勉強しているのと同じように、お父さんやお母さんなどの大人も、みんな熱心に勉強や習い事をしていることです。
実は、これが未来の日本の社会の豊かさを生み出しているひとつの大きな理由なのでした。(つづく)
僕は、その日、K君の家に泊まることになりました。
家に帰る途中の道を歩いていると、街路樹に何か実がなっているようです。
K君はジャンプしてその実を取ると、一つ僕にくれました。
街路樹には、どこも実のなる木が植えられていて、誰でも自由に取って食べていいようです。僕はもらったカキの実にガブリとかぶりつきました。
「おなかが空いているときに便利だね」
と、僕が言うと、K君は、
「もう一本隣の道には、ナシがなっているんだ。だから、日によって通る道を変えるんだ」
と言いました。僕は、今度はナシの道を通ろうと思いました。
K君の家に行く途中に、大きな公園があります。その公園を横切ろうとすると、1匹のヤギがついてきました。
「えー! こんなのいるの」
「うん、いろいろな動物が放し飼いになっているんだ」
見ると、公園にはニワトリやアヒルやウサギもいます。
K君は突然近くの草むらに入ると、しばらくして両手に卵を持ってきました。
「この草むらには、よくウズラやニワトリが卵を産むんだよ」
「そんなの、取っていいの」
「まあね」
K君はにっこり笑いました。この卵は、夕飯のおかずになるようです。
公園には、シートを広げて食事をしている家族もいました。
「何だかお花見みたいだね」
と、僕は言いました。
どこの家でも、ときどきそういう外食をすることがあるようです。未来の世界では、外食というのは、ファミリーレストランに行くことではなく、戸外で食べることになっているようでした。
そうこうしているうちに、家に着きました。
ドアの前で、「ただいま」と言いましたが、返事がありません。まだほかの家族は帰っていないようです。
K君は、ドアの横にある大きな木を指さしました。
「この木の枝をつたって窓から入ることもできるけど、今はあまりやらないんだ」
確かに、大きな枝が二階の窓まで延びています。僕は、ちょっとやってみたい気がしました。
K君は、すっとドアを開けると、「さあ、入れよ」と言いました。
「あれ、ドアは開いていたの」
「うん、カギはないんだ」
未来の家は、どこもカギをかける習慣がないようです。
「泥棒なんていないの」
と聞くと、K君は少し考えてから言いました。
「うーん。でも、自分だって人のうちに入って泥棒したいと思わないでしょう」
「確かにそうだけど、お金に困っている人がいたら、泥棒もするんじゃないかなあ」
「それは、困っている人がいるからだよ。困っていたら、そう言えばみんなが助けてくれるから、泥棒するほど困る人はいないんだ」
僕は、なるほどと納得しました。(つづく)