時どき、「親が言っても言うことを聞かないので、先生の方から言ってください」というようなことを頼まれることがあります。
いちばん多いのは、「本を読むように言ってください」ということです。しかし、親が言うこと聞かせられないのに、他人が簡単に言うことを聞かせることはできません。
親はその子と一緒に十数年も暮らしているのに対して、先生は毎週電話で十分話をするだけです。しかも、まだ先生と子供が接触して何週間もたっていないということも多いのです。
親は、いざとなれば子供をぶっとばすこともできます。もちろんそういうことはほとんど必要ないと思いますが(笑)。しかし、もしそういうことがあっても、一晩たてば仲よくなるのが親子です。
他人は、そうではありません。例えば、教室で子供をひどく叱ったときは、そのあといくらフォローしても、1週間後にまたその子の顔を見るまでは落ち着きません。あのとき叱らないで、もっとうまくやる方法があったのではないかと、折に触れて思い出すからです。
叱るというのは、そういうストレスのたまることなのです。
子供を叱れない親は、そういう苦労を避けているだけではないかと思います。子供が言うこと聞かないのは、単に親が本気になっていないからです。
では、なぜそういう親子関係になってしまったのかと考えると、言うことを聞かせられない親に一つの共通する傾向があるように思います。
それは、子供が小さいときに、細かいことを注意したり管理したりしすぎたのではないかということです。
子供が小学校2年生のころまでは、誰でも親の言うことをよく聞くので、親もつい細かく注意しすぎることがあります。
しかし、細かい注意ですから、中には子供が守れないことも出てきます。
子供が小学校5年生ころになって自覚ができてくると、親が言ったことでも、「できない」と自己主張することがあります。
そのときに、その注意がもともと細かい些細なことであった場合は、親はそれ以上無理させることができなくなります。そうすると、あとはなしくずし的に、親の言うことを聞かなくなっていくのです。
つまり小学校低学年のころに言うことを聞かせすぎると、小学校高学年になって言うことをきかなくなるというパターンです。小さいときに気楽に叱りすぎたので、叱ることに重みがなくなってしまったのです。
例えば、成績が悪かったので叱るなどというのは、最もよくない叱り方です。
成績が悪かったときは、子供は既に心の中では暗い気持ちでいます。そういうときこそ、親が、「大丈夫、大丈夫。こんなの気にしない。テストの成績なんて、あなたの中身に全然関係ないんだから」と明るく励ましてあげることが大切です。
こういう対応をしているお母さんの言うことなら、子供はしっかり言うことを聞くようになるのです。(つづく)
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良い事書きましたね。僕はインドネシアで日本語を勉強しているので、作文を読むと勉強になることです。
e-mail:fiyad.30@gmail.com
> fitriyadiさん
コメントありがとうございます。
インドネシアは、今、火山の噴火などで大変そうですが、自然の豊かないいところと聞いています。
いつか遊びに行きたいと思っています。
日本語の勉強、ぜひがんばってください。
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受験で作文・小論文の課題に取り組む人のために、試験前の準備を「言葉の森新便」から転載します。
作文の試験で、いちばん頼りになるのが、自分がこれまでに書いた作文の蓄積です。
作文をたくさん書いていると、その中に必ず、自分でも驚くほどいい表現や実例や意見が入った文章を書くことがあります。そういう文章を蓄積しておくことが作文の試験対策です。
これまで作文を書いていなかったが、これから試験があるという人は、とりあえず10種類のテーマを決めて作文を書いていきましょう。テーマを変えて10本の作文を書いていると、試験の本番でもその中のいくつかの実例や表現で生かせるのが出てきます。
====言葉の森新聞の記事より====
(1)これまでの作文をファイルしておきましょう。
(2)上手に書けていると思ったところに赤ペンで線を引いておきましょう。
(3)線を引いたところを何度も繰り返し読んで、覚えましょう。
(4)これまでに書いた作文の中で、自分らしい体験実例が書かれているところを二つ選び、その実例をいつでも書けるようにしておきましょう。
(5)試験の始まる直前まで、作文のファイルを読みましょう。
(6)課題が出されたら、頭の中にあるこれまでのいい実例、いい表現であてはまりそうなものを思い出して、問題用紙の横などにメモしましょう。
(7)全体の構成は、第一段落「説明と意見」、第二段落「理由・方法・実例」、第三段落「理由2・方法2・実例2」、第四段落「第一段落と同じ意見」という形を基本にしましょう。それぞれの段落の長さは150字ぐらいが目安です。
(8)構成メモを考えたら、字数配分で8割ぐらいまでのところは、できるだけ速く書き、最後の2割はじっくり書くようにしましょう。
(9)結びの第四段落には、できるだけ「確かに……」という言葉で反対意見に対する理解を入れましょう。
(10)書き出しと結びの意見は必ず対応させましょう。
(11)課題文の中にあるキーワードは、できるだけ結びの5行の中に入れましょう。
(12)習った漢字は全部使いましょう。書こうとする漢字に自信がないときは、別の表現の仕方を考えましょう。
(13)できるだけ指定の字数ぎりぎりまで書きましょう。
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この記事は、「
実力をつけるためのわかりやすい自習」の続きです。
これからの教育に求められる方向の第一は、受験や競争に勝つことを中心にした教育から、本当の実力をつけるための教育を目指すということでした。
第二は、外部に委託する教育ではなく、家庭や地域を中心とした自分で学ぶ教育を目指すということでした。
今回は、この第二の、他人任せの教育から自分で学ぶ教育へという話です。
他人任せの教育の弊害を感じるのは、小学校高学年や中学生になってから家庭学習の習慣がなくなる子をよく見ているからです。
例えば、それは読書に現れます。それまで夕方必ず読書の時間を確保していた子が、塾に通い出すようになってから、塾に行く曜日は読書をしなくなります。塾によっては、夕方から夜の9時や10時頃まで勉強させるところがあるからです。
読書というのは、毎日の習慣なので、週に何回か家で本を読まない日があると、時間のあるときでも本を読もうという気が起こらなくなります。ほぼ毎日読むか、ほぼ毎日読まないかという差が大きくなりやすいのが読書です。
読書がそのような感じですから、塾に通い出すと、毎日の音読や暗唱なども当然できなくなります。毎日の短時間の自習が続けられるとすれば、それは朝ご飯前の時間を確保している場合などに限られてきます。
昔の四谷大塚の学習方法は、勉強は家でするもので塾はテストによって今後の勉強のデータを提供するものだという考え方でした。ところが、その後すべてお任せする形の塾が登場しました。そして、やがて競争上どの塾もそういう形で生徒を教えるようになっていきました。
お金を払えば塾ですべて面倒を見てくれるので、この道を選択すると親も子供も自分で勉強の仕方を工夫するということが次第にできなくなってきます。その結果、中学受験で塾に頼ると、高校入試でも大学入試でも塾や予備校に頼るようになります。
もちろん、偏差値のデータなどは家庭では手に入らないものですから、塾や予備校を利用するのはいいのです。しかし、勉強の中身まですべて任せしまえば、自分の力で工夫して何かを切り開くということができなくなります。
塾に任せるという形の学習が、かえって自分で工夫する家庭での学習という生活パターンを崩す原因になっています。とは言っても、小中学生は、まだ自分で計画を立てて勉強することができない時期です。
いちばんいいのは、塾がそれぞれの子供に対して家庭学習のメニューを作り、塾のテストでその進捗状況チェックするという役割を果たすことです。もちろん、それは学校でやれれば、もっといいと思います。今は、塾も学校も勉強を教えすぎるのです。
塾や学校が無駄の多い一斉授業をやめて、テストによるチェックと、個々の生徒に対する勉強メニューの提示という役割を果たせば、勉強の基本は家庭での自主的な学習になり、もっと短時間で能率のよいしかも自主性を育てる学習ができるようになると思います。
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本日(11月11日)午前10時ごろから10時半ごろまでデータベースが停止しましたが、その後復旧しました。
この間に、要望受付のページなどからデータを送っていただいた方は、事務局に届いていないおそれがありますが、再度送信お願いいたします。
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データベースが停止しているため、受講案内の送信など、一部のページが開けないようになっています。(11月11日午前10時ごろから)
復旧し次第、またお知らせします。
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問題集読書は、入試問題集の問題文だけを毎日数ページずつ読書がわりに読むものです。読む力のある子には、こういう文章を読むのは楽しいものです。しかも、問題を解く必要はないので気楽に読めます。
しかし、よくできる子であっても、小学校5年生ごろでは年齢的にまだ少し難しい面があるようです。難しさのなかにも面白さを感じることのできる学年は、平均すると小学校6年生以上になるようです。
問題集読書の読み方で大事なことの一つは、線を引きながら読むことです。線を引く箇所は、自分なりによくわかったところ、面白いと思ったところです。決してその文章の大事なところに線を引くというのではありません。勉強として読むのではなく、自分の興味の赴くままに読むということです。
問題集ででもう一つ大事なことは、その線を引いたところを中心に四行詩を書くことです。四行詩は、4行で書く詩です。ですから、長くてもせいぜい100字、短ければ20字程度の詩です。
四行詩は、読んだ文章の一部の引用でも構いませんし、自分の感想を書くかたちでも構いません。
四行詩の外見上の条件は四行で書かれていることですが、内容上の条件は、光る表現があること、自分なりの創造や発見があることです。これは、条件というよりも、四行詩を書くときの心構えのようなものです。
小学校6年生や中学生、高校生の子供が書いた四行詩を読んでみると、どの子の詩にも必ず何ヶ所かは、光る表現やその子なりの創造や発見があります。だから、この四行詩はその子にとって、宝物となる可能性があります。
しかし、そのためには、やはりしっかりしたノートに手書きで書く形にしたいと思います。作文用紙にバラバラに書いて先生に提出する形だと、せっかくの四行詩が散逸してしまう可能性があります。
そこで、現在考えているのは次のような方法です。
まず、四行詩はノートに手書きで書きます。そして、その週に書いた四行詩を携帯のカメラで撮ってウェブの自分の記録用のページにアップロードします。そうすれば、担当の先生もその手書きの四行詩を見ることができます。(もちろん、わざわざそういうことはせず、自分で四行詩を書いているだけでもかまいませんが)
更に、四行詩の投稿ページを作り、よくできたものはパソコンから書き込めるようにしておきます。ちょうど、今ある「
ダジャレの広場」のような投稿ページです。
アナログ的な手書きのよい面を残しつつ、デジタルの世界での共有を図るということを、手書きのノートと携帯のカメラというツールを使って実現していきたいと思っています。(おわり)
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読書は、自分の好きなものを読むのがいちばんと書きました。それは、毎日読むことが大事だからです。読み続けているうちに、必ず自分なりの読書の仕方が身についてきます。
その意味で、漫画も悪いものではありません。読書が好きな子は、例外なく漫画も好きです。逆に、読書の嫌いな子は、漫画も読まないことが多いものです。
しかし、同時に、読書の本当の意味は難しい本を読むことにあります。難しい本を読むことを、ここでは難読と呼びます。(「難読」の辞書的な意味とは少し違いますが)
やさしい本を十冊読むよりも、難しい本を一冊読む方が価値のあることが多いものです。
だから、バランスよく言えば、自分の好きな本を多読でバリバリ読み、その中でも、特に気に入った本は復読で何度も繰り返して読み、その一方で、難しくて歯が立たないような本も難読でコツコツ読む、というのが読書の理想の姿だと思います。
そして、この中でいちばん欠けがちなのが難読です。なぜなら、読んでいてもわからないことが多いのでつまらないからです。
ちなみに、私がこれまで読んだ中でいちばん難しい本だと思ったのがヘーゲルの「精神現象学」です。何しろ、全ページ、どの文章を読んでも意味がつかめません(笑)。日本語に訳している人も、ドイツ語を日本語に置き換えているだけですから、たぶん内容を理解しているわけではなかったと思います。
それでも、こういう本を読み終えると、必ず自分の中に残るものがあります。それが自分の考え方の核になります。
この考え方の核というものは、やさしい本をいくら読んでも身につきません。
それは、ちょうど人間の経験についても、やさしい経験をいくら積んでも一人前にならないが、死ぬか生きるかという瀬戸際の経験をすると、ひと回り成長するようなことと似ていると思います。
さて、そんなにオーバー話ではなく(笑)、子供も小学校5、6年生から中学生ごろ年齢が上がると、難しいものや困難なものに挑戦したいという気持ちが自然に生まれてくるようです。
楽しくやさしく楽にできるものを喜ぶのは、小学校4年生ごろまでです。小学校5年生ごろからは徐々に、難しくて苦労するものや挑戦するものに喜びが移っていきます。
そのころの時期にちょうどふさわしい読書として、言葉の森では問題集読書をすすめています。(つづく)
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言葉の森では、生徒の希望によるオプションで暗唱の自習に取り組んでいます。オプション制にしているのは、家庭での勉強状況に個人差があるからです。
暗唱には、しやすい年齢と、しにくい年齢とがあるようです。
小学校1年生から3年生にかけては、暗唱がすぐできます。この時期が、ちょうど6歳から8歳の日本語脳の形成臨界期とほぼ一致しているところに何らかの理由がありそうです。
小学校6年生あたりから次第に暗唱がしにくくなり、中学生になるとどの子もかなり暗唱に苦労するようになります。
しかし、小学校5、6年生や中学生でもしっかり暗唱ができる子もいるので、学年が上がると暗唱がしにくくなるというのは単に毎日の家庭学習の時間が取れなくなるためかもしれません。
小学校高学年の生徒や中学生以上の生徒が暗唱の学習を続けるためには、早朝の時間10分間を活用する必要があるように思います。
さて、生徒が1週間で300字の文章を暗唱すると、担当の先生が毎週の電話の時間に暗唱チェックをします。300字のチェックで1分ぐらいしかからないので、これはあまり問題がありません。
しかし、1週目、2週目、3週目と300字の暗唱が続いて、4週目にそれまでの文章を全部つなげて900字の暗唱をチェックするときが大変です。
毎日10分の暗唱練習をちゃんとやっている子であれば2、3分で一気に暗唱できますが、ちゃんとやっていない子は途中で止まったり考えたりしてしまいます。すると、担当の先生が暗唱を聞いている時間が長くなってしまうこともあり、その後の指導の時間が短くなってしまいます。
そこで現在、この900字の暗唱については、暗唱力検定のような形で、毎週の授業とは別にチェックする機会を設けることを検討しています。
暗唱力検定は、1ヶ月の間のある期間と時間帯に限って、電話で受け付けるようにする予定です。その時間帯に生徒から事務局に電話が来たら、事務局がその場でチェックをしてもいいですし、また全国の講師で手の空いている人がふりかえ授業のような形でチェックすることもできます。
暗唱力検定のチェックは、時間が3分以内、ミスが3ヶ所以内などと決めておけばスムーズにできます。暗唱力検定に合格した人には、賞状を渡します。
これまでの経験で、半年間ぐらい暗唱の学習をしていると頭の仕組みがよくなるようなので、暗唱力検定に6回合格することを一つの目標としてもらいます。
電話によるチェックなので、ごまかすことができるという問題を心配する人もいるかもしれません。このことについては、保護者にも電話の場所に一緒にいてもらうという方法も取れなくはありませんが、基本的には生徒に対する信頼に任せたいと思います。
この暗唱力検定が軌道に乗れば、毎週の300字のチェックも必ずしも担当の先生がする必要がなくなります。読書の記録と同じように、本人に今の練習状況を確認すればそれで済むようになると思います。
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