あらゆる事物は、現象的には単なる物でしかありませんが、それが生物の意識によって認識されるとき、比喩の足を持ちます。その比喩の足の多様さが生物の賢さです。
狼王ロボは、鉄の匂いを、自身の何度かの経験から「罠」の可能性として連想する比喩の足を持っていました。だから、普通の狼が、同じように鉄の匂いを認識しながら罠につかまってしまうところを、ロボは何度もその罠を避けることができました。
人間の場合も、数の計算に慣れてくると、たとえば、5という数字を、単にリンゴが5個というような意味の5ではなく、2+3としての5、1+4としての6、10/2としての5のように、さまざまな比喩の連想の中でとらえることができます。これが、数を認識する力です。
図形の問題も同様で、問題を解いているうちに、次第に有効な補助線の連想ができるようになります。図形の問題が苦手なうちは、図形は単にその図形でしかありませんが、連想の足が増えてくると、ひとつの図形がいろいろな構造の中で読み取れるようになります。
音の認識も似ています。ほとんどの人にとって、音は単にその音でしかありませんが、音の絶対的な認識ができる人にとっては、音はすべての音の中のある絶対的な位置を持った音としてとらえることができます。
同様なことは、たぶん、犬にとっての嗅覚や、イルカにとっての超音波の感覚についても言えるのでしょう。その意味で、犬は匂いに関しては人間よりも賢く、イルカは超音波については人間より賢い、と言うこともできます。
しかし、事物の認識の適用範囲が最も広いのは言語です。世界には、匂いや超音波では説明できない現象がたくさんあります。例えば、夕焼けの赤い色は、犬にとってはある種の匂いを伴っているかもしれませんが、あまり有効な認識ではないでしょう。しかし、人間は、その夕焼けの赤さを見て、「明日は晴れらしい」という判断を下すことができます。
言語とは別の切り口からの有効な認識には、数字や図形による認識もあります。これが、数学をはじめとする自然科学がひとつの学問分野になっている理由です。しかし、ほとんどの人の日常生活と、ほとんどの学問分野の基礎において、最も広い適用範囲を持っているのが言語による認識の力です。
この言語による認識力の本質は、世界のさまざまな現象に対応する言葉の豊富さであるとともに、その個々の言葉の持つ比喩の足の豊富さでもあるのです。
では、この言葉の豊富さと、比喩の足の豊富さは、どのようにして育つのでしょうか。(つづく)
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人間の学力には、言葉を読み取る力のほかに、数を読み取る力、図形を読み取る力などもあります。
言語を読み取る力は、その言葉を単独にその言葉自体の意味としてとらえるようなレベルから、全体との関連や構造の中で多層的にとらえるレベルまで様々な段階があります。そして、この言葉の意味を構造的にとらえる読解力が、学力の基盤になっています。
読解力のある人も、あまりない人も、与えられた言葉を同じように受け取りますが、読解力のない人がその言葉を単純にその言葉だけの意味としてとらえるのに対して、読解力のある人は、その言葉を多様な構造の中でとらえています。
例えば、「桃太郎」の昔話をよく聞かされている子供は、「桃」という言葉を、おじいさんやおばあさんや犬やサルやキジとの薄い関連の中でとらえています。この関連のことを、その言葉が持つ「比喩の足」と呼びます。
「桃太郎」の話を知らない子供にとっては、「桃」は単なる甘くやわらかい果実でしかありませんが、その昔話に親しんでいる子供にとっては、「桃」は、おじいさんやおばあさんという概念とも結びつく、もっと多様な比喩の足を持った言葉なのです。
ある言葉についてその言葉が持つ意味の関連性をたくさん持っていることが、その人の読解力の基礎となります。文章を読み取るときに、その文章を構成している言葉がどれだけ多くの比喩の足を持って読まれているかということが、文章の読み方の構造化の度合いを決めます。
もちろん、この比喩の足には、実際の体験も含まれます。桃を食べたことのある子の方が、桃をまだ食べていない子供よりも、「桃太郎」の話に出てくる桃に親近感を感じるのは当然です。この体験が言葉の意味の核心になります。
しかし、実際の経験には質的な限界があります。桃は、一度食べたら、二度食べても三度食べても、経験の質はそれほど変化しません。ところが、言葉が他の言葉と持つ関連性は、ほとんど限界がありません。
「桃」という言葉は、古事記でイザナギノミコトが追ってくる鬼に対して投げた桃でもあるし、「すももも、ももも、もものうち」という言葉遊びの桃でもあるし、「李下に冠を正さず」の桃でもあるし、徳川家康が健康のためにあえて食べなかったという季節はずれの桃でもあるという、多様な比喩の足を持つことができるのです。(つづく)
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読解力をを考える前に、まず理解力の本質を考える上必要があります。
なぜ理解力が大事かというと、それが学力の基礎になっている最も重要な知力だからです
学力は、学校の成績として現れますが、実はこの成績は本当の知力とは多少異なっています。なぜかというと、ペーパーテストで測れるような成績は、ある程度の訓練によって著しく上昇する面があるからです。
ときどき、何週間で偏差値が上がったというような宣伝を見ますが、そのような単期間で上がる偏差値は、もともと意味がないものです。そこで測定されているものは、成績であって知力ではありません。
知力のある人は、たとえ普段の成績が普通でも、試験前に単期間集中して勉強すると、見る見るうちに成績が上がるという特徴があります。高校3年生で急に成績が上がる子がいるのはこのためです。
小中学生のころは、成績に目を奪われるのではなく、この知力を育てていくことが大切です。
知力には、理解力、創造力、表現力などがありますが、中でも重要なのは理解力です。
この理解力の本質は、物事を構造の中で見る力です。
理解力のない人は、物事を単独に現象として感じとります。理解力のある人は、物事をその外部との関連や構造の中でとらえます。
わかりやすい例で言うと、例えばヤカンというものを見た場合に、小さい子供はそのヤカンををその大きさや質感としてとらえますが、大人はそのヤカンを、直接感じ取れる属性以外に、熱くなる可能性を持ったものとしてもとらえます。そこで、大人は子供に対して、「ヤカンはさわると熱い」ということを事前に説明することができます。大人の方が、小さい子供よりも、ヤカンを世界との関連や構造の中で見ることができるということです。
老人の知恵とは、こういう知力のことです。老人は、学校の勉強はあまりしなかった場合でも、長い人生経験の中で様々な物事を関連の中で見る知恵を身につけています。したがって、学力があるが人生経験の乏しい若者よりも、より的確な物事の理解をすることがあるのです。
この理解力の構造が、言語に適用されたものが読解力です。(つづく)
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言葉の森新聞に掲載した、過去の記事の再掲です。
小学校6年生の中高一貫校などの入試作文で、30分800字などの試験課題が課せられる場合があります。高校生の大学入試小論文では90分1000字などが普通ですから、30分800字というのは異常な速さです。このような時間と字数でまともに書ける子はほとんどいません。その結果、大きな差がつくので点数をつけやすくなるということです。
しかし、これまで言葉の森から入試に臨んだ子供たちは、ほとんどが30分で800字ぐらいの作文を書いてきました。入試では、気合いが入るので練習のときよりも速く書けるからです。
もちろん、練習のときに速く書く方法もあります。
しかし、速く書く練習をするのは、試験の前の1-2ヶ月にしておく方がいいと思います。それまでは、時間を計りながら書きますが、速さよりも内容を優先していきます。なぜかというと、内容がよければ、その内容を試験の材料として生かせるからです。
普段の練習は、実戦のための予行演習ではなく、材料作る準備のための練習と考えておいてください。普段の作文の練習でよい材料とよい表現を蓄積しておくと、それを試験で生かすことができます。試験で速く書くためには、普段の作品で時間を速くするよりも、充実した内容を書くことに力を入れておくことです。
試験の1ー2ヶ月で速く書く練習をするときのコツは次のようになります。まず第1は、問題を読んだあと、作文用紙の余白に3、4ヶ所の箇条書きでメモをしておくということです。第2は、作文を書いている間は、消しゴムで消さない、書いたところを読み返さない、書くことを考えない、という三つのことを守ることです。第3に、書くことを考えずに書くためには、作文を書いていて書くことに詰まったときに、最初のメモを見ます。メモを見てすぐに書き続けるというやり方をしていけば、途中で考える時間を減らすことができます。第4に、作文の4分の3ぐらいまでの長さはほぼノンストップで書いていきます。途中で話が多少脱線したりずれたりしていても構いません。第5に、作文の結びの4分の1ぐらいに来たときに、初めて全体を読み返してまとめる体制に入ります。まとめる場面では、書き出しの意見とできるだけ対応するように考えるのが大事です。
このように、ノンストップで速く書く練習は、1、2ヶ月でできます。毎週1回作文を書いている人は、同じテーマで同じ内容の文章を書く練習をする形で、毎日作文を書いていきます。1ヶ月毎日30分で800字を書く練習をしていると、速く書く感覚がつかめると思います。
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