公立中高一貫校の入試でも、高校の入試でも、作文や小論文の試験を課すところが増えています。
しかし、その作文試験は、評価の基準があいまいで、どこまで厳密に評価されているのかわかりにくいという面があります。
学校によっては、複数の課題を出してそれを受験生に選択させて文章書かせるところもあります。予備知識の有無によって点数に有利不利の差が出ないようにするという点から考えると、合理的な選択方式のように見えますが、異なる課題の文章力をどのようにして統一的な基準で評価するのかという問題が残ります。
作文の出来は、着眼点や発想によってかなり左右されます。しかし、発想は、そのときの偶然の思いつきで決まる要素もかなりあります。
これは、例えば、徒競走で、「スタート地点からどの方向に走ってもいいから、いちばん速かった人が1位」というような競争をすることと似ています。文章は自由に書くことができる点で創造的ですが、しかし、文章力の試験は自由に書かせたのではかえって平等な評価はしにくくなります。
そこで、私は、作文試験に、構成作文の方法を取り入れるといいのではないかと思っています。
それは、あらかじめ、書き方の方向を指定して、その枠内で自由に書いていくという方法です。
例えば、次のように、各段落の構成を指示して、その中に生徒が自分なりの実例や表現を入れながら書くという形です。
作文の課題が、「自然の中で生きる私たち」などという題名だったとします。
====
■第一段落(150-200字)
現在、自然は、……。(現在の状況を書く)
例えば、……。(具体例を書く)
私たちは、……べきである。(自分の意見を書く)
■第二段落(150-200字)
そのための方法は二つある。(展開の仕方を決める)
第一の方法は、……。(方法を書く)
例えば、私の体験で……。(体験実例を書く)
まるで……。(比喩を使って説明する)
■第三段落(150-200字)
第二の方法は、……。(もう一つの方法を書く)
例えば、過去の歴史を見ても、……。(歴史的な実例を書く)
■第四段落(150-200字)
確かに、……。(反対意見に対する理解も書く)
しかし、……。(冒頭の意見に戻る)
例えば、……。(意見に合った具体例を書く)
自然とは、……ではなく、……である。(自分なりの切れ味のよい表現を書く)
====
このように構成をあらかじめ指示して書けば、生徒も書きやすくるし、採点する側も読みやすくなります。
また、枠が決まっているので、その中身を見れば、書き手の実力が一目でわかります。
発想だけに左右されないので、その生徒の実力が正しく評価できます
また、構成的に文章を考えるという姿勢が身につきます。
しかし、ここで問題になるのは、枠の中に、表面的にただ言葉をあてはめるような書き方をする生徒も出てくるということです。そうすると、実力の高い生徒の場合は、その実力の差がわかりにくくなってきます。
そこで、文章の内容の充実度を、作文の自動採点ソフトの森リンで測定するようにします。
しかし、森リンは、テキスト化された原稿でないと採点できないので、作文の1次試験はまず手書きで書くようにし、1次試験に合格した人に対して、2次試験では、その作文を自分でテキスト化して入力するようにします。
将来は、もっと簡単にひらがなで文章を書き直してもらい、それをOCRで読み取り、IMEで漢字変換をするというようなテキスト化も可能になるかもしれません。
森リンは、大体の文章が正常な漢字かなまじり文で書かれていれば、多少の誤変換があっても、全体の採点にはほとんど影響しません。
将来の作文試験は、このように、大体の評価は構成作文で行い、上位の作文の評価は森リンで行うという形になっていくと思います。
こういう形で作文の試験がしやすくなれば、学校教育の中でも、もっと文章の表現力を指導をする機会が増えてくると思います。
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中学生の生徒から、長文を読んでの意見文の書き方についての質問がありました。
一つは、要約の仕方がよくわからないというもので、もう一つは実例に何を書いていいのかわからないというものでした。
要約の仕方は簡単です。
1、長文を読みながら、よくわかったところ、面白いところに線を引く
2、その線を引いたところを中心に何度か繰り返し読む
3、そうすると、文章の全体像が頭に入るので、大事なところを三つ選ぶ
4、その三つの文をつなげてまとめれば150字程度の要約になる
という方法です
よく、「最後の方に大事なことが書いてあるから、最後の結論を中心にまとめる」という要約の仕方をする人がいますが、それは、要点をまとめたことにはなりますが、要約とは少し違います。
意見文の実例は、次のように考えます。
まず、長文を読んで直接に実例を考えようとは思わないことです。そうすると、実例の範囲が狭くなってしまうので、かえって書けなくなるからです。
多くの長文は、もともと説明文になっています。今回、質問があった長文の場合は、「ミミズが生態系の中で重要な役割を果たしている」という文章でした。その説明文から直接実例や似た例を探そうと思うと、実例はやはりミミズの話になってしまいます。そういう直接的な探し方ではなく、まずこの説明文を意見文化していことです。
説明文のままでは、感想は書けないので、この説明文を意見文に変換して考えます。つまり、「○○である」という文書を、筆者の背後の考えにまでさかのぼって、「だから、○○べきだ」というような形にて変換して考えるのです。この場合は、「ミミズの役割を見直すべきだ」などとなるでしょう。
「○○べきだ」というような意見が見つかれば、それに対する自分の意見も、賛成又は反対という形で自然に見つかります。
ところで、筆者の意見が見つかったら、それを、「ミミズの役割を見直すべきだ」という狭い意見のまま考えるのではなく、より大きく一般化して考えることが大事です。例えば、「一見、小さくて役に立たないように見えるものにも重要な役割がある」というような形に広げて考えていくのです。
次に、この一般化した意見を展開するための構成を考えます。
文章の展開の仕方には、「理由を書く」「方法を書く」「原因を書く」「対策を書く」「単に実例を書く」など、さまざまな書き方があります。
もし、理由を書くのであれば、「なぜなら、直接には役に立っているように見えないものでも、実は生態系の中で重要な役割を果たしていることがあるからだ」などというように書いていきます。
この理由を考えたあとに、その理由の裏づけとなる実例を考えます。
例えば、「山に生えている木も、二酸化炭素を吸収して酸素を出したり、山が崩れないようにつなぎとめたり、小動物の棲みかを提供したり、さまざまな役割を果たしている」というような例です。
長文の実例に対して、直接同じような実例を考えるのではなく、長文の意見を一般化したものに対して実例を考えるというようにすると、幅広く実例を考えることができます。
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おもしろいです
ありがとう。ヽ(`◇´)/
よく分かった
すごいです♪ ありがとうございます!
はーい。
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言葉の豊富さと、比喩の足の豊富さは、どのようにして育つのでしょうか。
言葉自体は、主に、その言葉を経験することによって身につきます。例えば、ヘレン・ケラーが水を触って「水」という言葉を経験したような学び方です。
しかし、経験と直接には結びつかない抽象的な言葉や、言葉の持つ比喩の足は、主にその言葉が含まれる文章によって身につきます。例えば、「水清ければ魚棲まず」「水は方円の器に従う」「君子の交わりは水の如し」などというときの水は、水そのものの経験よりも主に文章の中で与えられた意味によって把握される水です。
ある言葉から連想する比喩の足は、その言葉を単に実生活で経験するだけではなく、その言葉を文章の中で経験することによって身につきます。ところが、その文章の中での経験の仕方は、単に一回読んだり聞いたりして理解するだけでは十分ではなく、同じ言葉を同じ状況で同じように繰り返し読んだり聞いたりする中で育っていきます。
したがって、幼児期の学習の中心は、親が面白い昔話などを同じように何度も繰り返し楽しく語り聞かせてあげるようなことになります。この同じ文章の語り聞かせや読み聞かせによって、子供の言葉感覚が育っていきます。この時期の言葉の感覚を絶対語感と言ってもいいと思います。
しかし、ここで大事なことは、幼児に対する語り聞かせや読み聞かせを、テレビやCDなどの機械的なもので行わないということです。幼児がその機械を自分でつけたり消したりできるのでない限り、機械による朗読には問題があります。
親が子供に語り聞かせをする場合、子供がその話に飽きてくれば、その飽きた感覚が親にも伝わり、親も自然に語り聞かせに飽きてきます。人間には、感情に同調できる感覚があるからです。
ところが、機械は、子供がどう思おうとかまわずに機械的に朗読を続けます。そのために、子供は、言葉を身につけると同時に、言葉というものを無感情に受け入れるという感覚も身につけてしまいます。人間の絶対感覚を身につける幼児期は、できるだけ人間的に接することが大事なのです。
幼児期の言語学習が語り聞かせや読み聞かせだとすると、小学校低学年のころは、読み聞かせや読書になります。子供が興味を持てるもので、その子にとって新しい語彙がある程度含まれていて、文章ができるだけ構造的になっている本を繰り返し黙読したり暗唱したりするということが言語力をつける方法となります。
小学校高学年から中学生、高校生にかけては、抽象度の高い言葉自体を増やす必要があります。これは問題集読書の復読によって身につけることができます。
いずれの場合も大事なことは、同じ言葉を同じ文章の中で繰り返し読んだり聞いたりするということです。(おわり)
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あらゆる事物は、現象的には単なる物でしかありませんが、それが生物の意識によって認識されるとき、比喩の足を持ちます。その比喩の足の多様さが生物の賢さです。
狼王ロボは、鉄の匂いを、自身の何度かの経験から「罠」の可能性として連想する比喩の足を持っていました。だから、普通の狼が、同じように鉄の匂いを認識しながら罠につかまってしまうところを、ロボは何度もその罠を避けることができました。
人間の場合も、数の計算に慣れてくると、たとえば、5という数字を、単にリンゴが5個というような意味の5ではなく、2+3としての5、1+4としての6、10/2としての5のように、さまざまな比喩の連想の中でとらえることができます。これが、数を認識する力です。
図形の問題も同様で、問題を解いているうちに、次第に有効な補助線の連想ができるようになります。図形の問題が苦手なうちは、図形は単にその図形でしかありませんが、連想の足が増えてくると、ひとつの図形がいろいろな構造の中で読み取れるようになります。
音の認識も似ています。ほとんどの人にとって、音は単にその音でしかありませんが、音の絶対的な認識ができる人にとっては、音はすべての音の中のある絶対的な位置を持った音としてとらえることができます。
同様なことは、たぶん、犬にとっての嗅覚や、イルカにとっての超音波の感覚についても言えるのでしょう。その意味で、犬は匂いに関しては人間よりも賢く、イルカは超音波については人間より賢い、と言うこともできます。
しかし、事物の認識の適用範囲が最も広いのは言語です。世界には、匂いや超音波では説明できない現象がたくさんあります。例えば、夕焼けの赤い色は、犬にとってはある種の匂いを伴っているかもしれませんが、あまり有効な認識ではないでしょう。しかし、人間は、その夕焼けの赤さを見て、「明日は晴れらしい」という判断を下すことができます。
言語とは別の切り口からの有効な認識には、数字や図形による認識もあります。これが、数学をはじめとする自然科学がひとつの学問分野になっている理由です。しかし、ほとんどの人の日常生活と、ほとんどの学問分野の基礎において、最も広い適用範囲を持っているのが言語による認識の力です。
この言語による認識力の本質は、世界のさまざまな現象に対応する言葉の豊富さであるとともに、その個々の言葉の持つ比喩の足の豊富さでもあるのです。
では、この言葉の豊富さと、比喩の足の豊富さは、どのようにして育つのでしょうか。(つづく)
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人間の学力には、言葉を読み取る力のほかに、数を読み取る力、図形を読み取る力などもあります。
言語を読み取る力は、その言葉を単独にその言葉自体の意味としてとらえるようなレベルから、全体との関連や構造の中で多層的にとらえるレベルまで様々な段階があります。そして、この言葉の意味を構造的にとらえる読解力が、学力の基盤になっています。
読解力のある人も、あまりない人も、与えられた言葉を同じように受け取りますが、読解力のない人がその言葉を単純にその言葉だけの意味としてとらえるのに対して、読解力のある人は、その言葉を多様な構造の中でとらえています。
例えば、「桃太郎」の昔話をよく聞かされている子供は、「桃」という言葉を、おじいさんやおばあさんや犬やサルやキジとの薄い関連の中でとらえています。この関連のことを、その言葉が持つ「比喩の足」と呼びます。
「桃太郎」の話を知らない子供にとっては、「桃」は単なる甘くやわらかい果実でしかありませんが、その昔話に親しんでいる子供にとっては、「桃」は、おじいさんやおばあさんという概念とも結びつく、もっと多様な比喩の足を持った言葉なのです。
ある言葉についてその言葉が持つ意味の関連性をたくさん持っていることが、その人の読解力の基礎となります。文章を読み取るときに、その文章を構成している言葉がどれだけ多くの比喩の足を持って読まれているかということが、文章の読み方の構造化の度合いを決めます。
もちろん、この比喩の足には、実際の体験も含まれます。桃を食べたことのある子の方が、桃をまだ食べていない子供よりも、「桃太郎」の話に出てくる桃に親近感を感じるのは当然です。この体験が言葉の意味の核心になります。
しかし、実際の経験には質的な限界があります。桃は、一度食べたら、二度食べても三度食べても、経験の質はそれほど変化しません。ところが、言葉が他の言葉と持つ関連性は、ほとんど限界がありません。
「桃」という言葉は、古事記でイザナギノミコトが追ってくる鬼に対して投げた桃でもあるし、「すももも、ももも、もものうち」という言葉遊びの桃でもあるし、「李下に冠を正さず」の桃でもあるし、徳川家康が健康のためにあえて食べなかったという季節はずれの桃でもあるという、多様な比喩の足を持つことができるのです。(つづく)
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読解力をを考える前に、まず理解力の本質を考える上必要があります。
なぜ理解力が大事かというと、それが学力の基礎になっている最も重要な知力だからです
学力は、学校の成績として現れますが、実はこの成績は本当の知力とは多少異なっています。なぜかというと、ペーパーテストで測れるような成績は、ある程度の訓練によって著しく上昇する面があるからです。
ときどき、何週間で偏差値が上がったというような宣伝を見ますが、そのような単期間で上がる偏差値は、もともと意味がないものです。そこで測定されているものは、成績であって知力ではありません。
知力のある人は、たとえ普段の成績が普通でも、試験前に単期間集中して勉強すると、見る見るうちに成績が上がるという特徴があります。高校3年生で急に成績が上がる子がいるのはこのためです。
小中学生のころは、成績に目を奪われるのではなく、この知力を育てていくことが大切です。
知力には、理解力、創造力、表現力などがありますが、中でも重要なのは理解力です。
この理解力の本質は、物事を構造の中で見る力です。
理解力のない人は、物事を単独に現象として感じとります。理解力のある人は、物事をその外部との関連や構造の中でとらえます。
わかりやすい例で言うと、例えばヤカンというものを見た場合に、小さい子供はそのヤカンををその大きさや質感としてとらえますが、大人はそのヤカンを、直接感じ取れる属性以外に、熱くなる可能性を持ったものとしてもとらえます。そこで、大人は子供に対して、「ヤカンはさわると熱い」ということを事前に説明することができます。大人の方が、小さい子供よりも、ヤカンを世界との関連や構造の中で見ることができるということです。
老人の知恵とは、こういう知力のことです。老人は、学校の勉強はあまりしなかった場合でも、長い人生経験の中で様々な物事を関連の中で見る知恵を身につけています。したがって、学力があるが人生経験の乏しい若者よりも、より的確な物事の理解をすることがあるのです。
この理解力の構造が、言語に適用されたものが読解力です。(つづく)
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言葉の森新聞に掲載した、過去の記事の再掲です。
小学校6年生の中高一貫校などの入試作文で、30分800字などの試験課題が課せられる場合があります。高校生の大学入試小論文では90分1000字などが普通ですから、30分800字というのは異常な速さです。このような時間と字数でまともに書ける子はほとんどいません。その結果、大きな差がつくので点数をつけやすくなるということです。
しかし、これまで言葉の森から入試に臨んだ子供たちは、ほとんどが30分で800字ぐらいの作文を書いてきました。入試では、気合いが入るので練習のときよりも速く書けるからです。
もちろん、練習のときに速く書く方法もあります。
しかし、速く書く練習をするのは、試験の前の1-2ヶ月にしておく方がいいと思います。それまでは、時間を計りながら書きますが、速さよりも内容を優先していきます。なぜかというと、内容がよければ、その内容を試験の材料として生かせるからです。
普段の練習は、実戦のための予行演習ではなく、材料作る準備のための練習と考えておいてください。普段の作文の練習でよい材料とよい表現を蓄積しておくと、それを試験で生かすことができます。試験で速く書くためには、普段の作品で時間を速くするよりも、充実した内容を書くことに力を入れておくことです。
試験の1ー2ヶ月で速く書く練習をするときのコツは次のようになります。まず第1は、問題を読んだあと、作文用紙の余白に3、4ヶ所の箇条書きでメモをしておくということです。第2は、作文を書いている間は、消しゴムで消さない、書いたところを読み返さない、書くことを考えない、という三つのことを守ることです。第3に、書くことを考えずに書くためには、作文を書いていて書くことに詰まったときに、最初のメモを見ます。メモを見てすぐに書き続けるというやり方をしていけば、途中で考える時間を減らすことができます。第4に、作文の4分の3ぐらいまでの長さはほぼノンストップで書いていきます。途中で話が多少脱線したりずれたりしていても構いません。第5に、作文の結びの4分の1ぐらいに来たときに、初めて全体を読み返してまとめる体制に入ります。まとめる場面では、書き出しの意見とできるだけ対応するように考えるのが大事です。
このように、ノンストップで速く書く練習は、1、2ヶ月でできます。毎週1回作文を書いている人は、同じテーマで同じ内容の文章を書く練習をする形で、毎日作文を書いていきます。1ヶ月毎日30分で800字を書く練習をしていると、速く書く感覚がつかめると思います。
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森リンは、既に文章力十分にある高校生や大学生にも、小中学生と同じように使えます。
その方法は、こういう形です。
生活作文や身辺雑記的なことでは、高校生や大学生になると、作文の上手な子の文章力にはほとんど差がなくなります。ところが、知識の得意分野は人によってそれぞれ違います。
政治経済のジャンルでいい文章を書ける人が、心理学や哲学の分野でいい文章が書けるとは必ずしも言えません。また、もちろんその逆もそうです。
森リンの点数によってその差がはっきり表れれば、自分が、ある分野では専門的なことが言えても他の分野ではありきたりのことしか言えないということがわかってきます。
そこで、その自分の苦手な分野を、自分なりに学んで強化するという流れに勉強が進んでいきます。これが、高校生や大学生の文章練習の方法です。
以上のことからわかるように、森リンは、小学校低中学年向けのソフトではなく、小学校高学年以上、中高生や大学生向けのソフトです。
そして、文章の本当の価値は、そこに創造性があるかどうかということによって決まってきます。
この世の中にまだない美や思想や知識を作り出すのが、文章の役割です。
そのようなレベルに達すると、文章を書くことは、他人の評価を超えて、書くこと自体がひとつの喜びとなってきます。
しかし、そのために、小中高の教育において、もっと文章をたくさん書く機会を作る必要があり、そのために森リンのようなソフトを活用する必要があると思います。(おわり)
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