国語の力をつけるポイントは、国語の入試問題に出てくるようなレベルの文章を繰り返し読んでいくことです。
どの参考書や問題集よりも優れている教材は、実際の最近の入試問題です。
繰り返し読むということが大切ですから、設問を解く必要はありません。空欄は飛ばして読んでいきます。解説などももちろん読みません。ただひたすら問題文を読書がわりに読んでいきます。もちろん黙読です。
難しい語彙の文章を読んでいると、脳が疲労するせいかすぐに眠くなります。そういう場合は、無理をせずに時々休みながら読み続けるようにしてください。
「せっかくだから問題も解こう」というのは、単なる無駄な寄り道になるだけです。問題を解いたり解説を読んだりして力がつくのは、問題にパターン性がある数学などの問題のときだけです。
繰り返しの回数は4回以上です。4冊の問題集を1回だけ読むよりも、1冊の問題集を4回読むほうがずっと効果があります。なぜ4回以上かというと、それはこれまでの経験からです。英語の単語を覚えるような勉強でも、3回目まではうろ覚え状態ですが、4回目から急速に記憶に定着し、5回目でほぼ完全に定着します。暇な人は実験してみてください。
おすすめの問題集を紹介します。
小学校高学年用……中学入学試験問題集(国語編) みくに出版
中学生用……全国版高校入試問題と解答国語 旺文社
高校生用……全国大学入試問題正解国語(国公立大編) 旺文社
いずれも「図書の広場」にリンクがあります。
https://www.mori7.com/tosyo/
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森リンで高得点を取るためには、話題を広げることが大切です。
論文というと、自分の考えを述べるだけのように感じる人がいるかもしれませんが、意見だけの文章は逆に説得力がなくなります。意見の裏づけになる具体例を書くことが、面白くかつわかりやすい小論文を書くコツです。
具体例には、自分の体験によるものと、自分の知識によるものとがあります。小論文では、このどちらもが大切です。幅広い実例を書くためには、普段からいろいろなことに挑戦するとともに、読書によって教養を広げておく必要があります。
なぜ読書が大切かというと、単なる断片的な知識では、小論文を書くときにはその知識が生かせないからです。生きた知識は、文脈を伴った知識です。用語集を暗記して語彙を増やしても、小論文にその語彙を生かすことはできません。読書を通して得た語彙は、一見関係の薄いように見えるテーマにも活用していくことができるのです。
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私は「森リン」という仕組みに多少動じておりました。
何故なら、文章というものはあくまで読み手によるもので、
傑作か、悪文か、読み手によってずいぶんと分かれるものだからです。つまり作文というのは極めてアバウトなものであり、これだから良い、悪いというきまりまありません。つまり
これといった判断基準はなく、読み手にそのすべてがまかされて
いるというわけです。では、例えば太宰治、芥川龍之介などの
名のある文学者達の文章がなぜ「良し」とされるのか、
先生も疑問に思うことでしょう。生意気かもしれませんが、私もそう思います。その答えは、いかに世間一般の「大半」の「大部分」の人々の心を捕らえるか、ということだと私は結論付けました。つまり、読み手の大半が「面白い」と思える文章こそが真の良き文章だということです。私は太宰治のファンですが、先生は違います。けれども、彼の文章を「好き」と言っている人が大部分を占めているからこそ、彼は日本文学史に名を残すような文豪となったのだと私は確信しております。
もう少し深く検証すると、つまり、文章というものは人間が書き、人間が読んで何かを思い、笑ったり、胸打たれたり、怒ったりすることで初めて成り立つ、そういう、絶妙なバランスを持つものです。けれども、読み手が人間である限りその「良し悪し」の判断がある程度つけられるのではないか、と私は思います。だから、私はその判断を「森リン」という機械にまかせるのはどうかと思うのです。例えば、森リンの判断基準に「字数に対する漢語の割合」というものがありますが、夏目漱石の文章に、平仮名だけのものもありますし、太宰治にカタカナだけの文章もあります。人間が読んで良し悪しを決める「文章」を、果たして機械が採点して良いのか、と疑問に思っております。私以外にもたぶん同じ事を思っている人がいることでしょう。そこのところ、どうなんでしょうか。
先生、生徒である私が、真剣に問うているのです。
誤魔化さないで、ちゃんと答えてください。
先生は私が真剣に質問しているのに、それに対して
真面目に答えてくれたことは一度もありませんね。
いつも、「あなたは考えが浅いから、私の言っていることなど
到底理解できない」と言って誤魔化して逃げますが、
あなたは先生なんですから少なくとも生徒が真剣に
質問しているのにそれに対して答えない、お茶を濁す、
それはいけないと思います。
第一、「作文の良し悪し」という、この教室の存在意義とも言える本質的、根本的問題について真っ向から議論をしかけているのに、先生はいつも私を浅はかだと決め、「戦意喪失」と言って
逃げます。私が仕掛けた疑問に、真っ向から立ち向かいません。これは生徒であるすべての人にとって最も重要なものですので、説明をする必要があると私は思います。
どうか、ご返信、おねがいします。
だって、わかなちゃんて、喋っているとくたびれるんだもん。(笑)
さて、森リンは、機械による評価のための評価ではなく、人間による指導のための評価を出しているんだよ。ここを勘違いしないことが大事。
それから、文章の評価にはいろいろな要素がある。語彙が豊富だとか、漢字が多いとか、読みやすい文であるなどいうことは、その一つの要素に過ぎない。どれか一つの要素を取り出して論じれば、必ず評価は歪んでくる。
評価の意味について、くわしくは、ここに。
http://www.mori7.info/moririn/in_mori_tetu.php
「評価の意味」を拝見させていただきました。
これはよほどに哲学書を熟読しているな、
と感心させられる文章でした。
しかし、反面、哲学的に難しくして誤魔化しているだけのようでまったく初心者に説明するような意思がないように思われました。文を意味不明にして、「これが哲学」とか適当なことを言い、本質的に重要な(私が先ほど質問したこと)答えになっていないのです。これこそまさしく「誤魔化し」というものでは
じゃあ聞きます。
「さて、世界に存在するものの最も根本的な概念は、存在物です。存在物は主語で、存在は述語です。存在物は存在するという行為を伴うことによって初めて存在します。存在するという行為は、存在しないことつまり無を否定することによって成り立ちます。言い換えれば、存在物は存在と無の矛盾した統一として存在すると言ってもいいでしょう。
存在と無の統一は、四つの面を持っています。第一に存在物は外部の無に抗することによって存在します。第二に存在物は内部の無を不断に否定することによって存在します。第三に存在物は過去の無から絶えず離れ去ることによって存在します。第四に存在物は未来の無に向かうことによって存在します」
これは何なのか、
具 体 的 に 説 明 し て 下 さ い。
お茶を濁す、とはこの事を言うのです。
、「機械と人間が共生するためには、機械が人間の不得意なことをカバーし、人間が機械の不得意なことをカバーする必要があります。すべてを機械中心に行おうとしたり、すべてを人間中心に行うとしたりすれば、そこに機械と人間の摩擦が生じます。」
そうです。その通りなんです。しかし、こう言いつつも
何故、森リンという機械に任せるのか、矛盾だと思います。
先生は全国からたくさんの作文の先生方を雇っておられるようですが、何故そうした有能な方々を利用せず、最終的に機械に任せてしまうのか理解できませんね。
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作文の書き方のコツの一つは、格好よく書くことです。普段、電子メールなどでやりとりしている文章をそのまま使っていては、いい文章は書けません。ある意味で、よそ行きの文章を書く力が、上手な小論文を書く力につながります。
格好よく書くためには、自分の知っている範囲でできるだけ難しい言葉を使うことです。しかし、そういう言葉を使うためには、その言葉が書かれているような本を読まなければなりません。書く力をつける第一歩は、まず読むことなのです。
森リンの採点では、難しい言葉の評価は、重量語彙の点数という形で表されます。
もちろん、既に難しい言葉を使っているという人は、それ以上難しく書く必要はありません。それよりも逆に、難しい内容をできるだけ平易に書く力が求められるようになってきます。森リンの採点で、過重量のマイナス点になっている人は、もっと易しい言い回しに変えて書くことが必要になります。
森リンの重量語彙の点数を見ると、自分がもっと難しく書くべきか、もっと易しく書くべきかということがわかってきます。
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「父母の広場」の記事より
https://www.mori7.com/nohara/hubo/index.php 貝原益軒が考え出した勉強法に、百字の文章を百回ずつ読むというものがあります。益軒は、そのようにして論語や孟子を百字ずつ読むことを勧めました。
昔の勉強法は、同じものを何遍も繰り返して血肉にするというスタイルのものが中心でした。剣道の素振りなども同じ発想だと思います。同じ動作を何度も繰り返していると、無意識のうちにもその動作ができるようになるというのが繰り返しの効用です。
ところが、戦後の教育は、理屈で理解することが優先されたために、反復で身につける学習は敬遠されてきました。そのため、今の親の世代は、長文音読のような勉強を子供のころにしていません。そこで、子供が、「こんな同じのを繰り返しているのは嫌だ」と言うと、それもそうだと思ってしまうのです。
しかし、ふだんの勉強が知的理解中心になっているからこそ、言葉の森の長文音読は、単純な反復学習として位置づけて続ける価値があると思います。
私のうちの子供も、同じものを読んでいるとすぐに飽きて、ふざけて読んだり抑揚をつけて読んだりしていました。そういう読み方でもかまいません。何しろ同じものを続けて読んでいると、その文章のリズムや言い回しが自然に身についてきます。それが作文の勉強のいちばんの土台になります。
1〜2週間で全部読み終わったら、また最初から繰り返し読み、3ヶ月の間に、何十回も読むようにしていってください。[:うし:]
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200字の作文を書くコツは、3つあります。
(1)1文の平均が40〜50字と考えて、200字は、4〜5文で書くという見通しを立てます。頭の中で4〜5文の文章を組み立ててから書くとスムーズに書けます。(書き出してから考えるという形にしないことが大事です)[:初心者:]
(2)自分の考えを述べるだけでなく、できるだけ反対の意見と対比しながら書くようにします。例えば、「私は、BではなくAだと思う」とか、「確かにBという考えもあるが、私はAだ」という書き方です。(これは、かなり重要なポイントです)[:!:]
(3)あとは慣れです。家庭で、お母さんが適当な題名を出して、それを200字ぴったりに書く練習をします。その際、消しゴムは使わずに一気に書くということを心がけるといいと思います。これは、ほかの受験でも同様で、小論文の試験のときは、「消しゴムは使わない」「途中で考えない」「途中で読み返さない」という心構えでやっていくことが大切です。[:家:]
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長文速読の磯
https://www.mori7.com/iso/ 長文の問題貝
https://www.mori7.com/kai/ あいかわらずのネーミングですが……。(^^ゞ
港南台の教室で、生徒全員に授業開始前に長文の速読を問題をさせる予定です。
結構、時間がかかりましたが、その原因のほとんどは、文字コードです。
これまで、jisと、shift_jisと、euc-jpは、使っていましたが、今回新たにutf-8を使わないとフラッシュができないことがわかり、それで
一苦労。更に、同じutf-8の仲間にutf-8nというのがあり、それを使わないと処理できない部分があり、これもまた一苦労。
でも、これでフラッシュの作り方が大体わかったので、これからあちこちでにぎやかなページを作る予定です。[:チューリップ:]
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長文音読は、読解力にも表現力にも効果があります。
言葉の森がそういうことを最初に言っていたころは、世間では音読ということにあまり関心を持っていませんでした。
その後、音読のすすめのような本が出て、学校や家庭でも音読をするところが増えてきました。
しかし、音読というのは、有名な文章をただ声に出して読むだけと考えている人も多いようです。「ジュゲムジュゲムゴコーノスリキレ」などという文章を暗唱して音読するのは、確かに楽しいものですが、そこには何のために音読をするのかという意義が欠けています。ですから、これらの音読は、飽きればしなくなるという一時の流行現象のようなものです。
音読が文章力に与える効果は、学年が上がるほど高くなりますが、逆に学年が上がるほど、音読を嫌がる生徒が増えてきます。
言葉の森では、音読を高学年になっても継続できるように、現在、音読CDを検討中です。また、課題の岩で、音読の自習チェックができるようにしていく予定です。[:きつね:]
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