言葉の森の毎日の自習には、暗唱のほかに、読書や問題集読書があります。これらは、いずれも本人が希望して取り組むことにしていますから、時間的に忙しくてできないという場合は、自習をしなくてもかまいません。毎週しっかり作文を書くというだけでもいいのです。
実際、受験の1年前になると、子供たちには読書をする時間的余裕がなかなかとれなくなります。しかし、本当に本の好きな子は、そういうときでも空き時間を見つけては本を読みます。読書の量は大幅に少なくなりますが、読書をすることが自分の精神生活にとって欠かせないものになっているのです。こういう子は、受験のあとも確実に伸びる子です。ですから、読書については、本人の希望にかかわらずできるだけ続けるように言っています。
問題集読書というのは、言葉の森で独自に行っている文章の読み方です。小学校高学年になると、その学年にふさわしい本がなかなか手に入らなくなります。それでも、物語文の本はそれなりに書店などにありますが、高学年の生徒が読んで知的な面白さを感じるような説明文の本が書店にはまずありません。中学生や高校生になると、岩波ジュニア新書のようなシリーズで説明的な文章に触れる機会も増えてきますが、それでも小学校高学年、中高生が読める説明文の本はかなり不足しています。
ところが、入試問題集の文章には、この面白い説明文がかなりあります。出典となっている文章は、もともと大人向けに書かれたものが多いので、子供が普段の生活で本として読むような機会はまずありません。しかし、その本の中で、子供にも理解できる部分が問題文になっているので、問題文の文章自体がひとつのエッセイのようなものとして読めるのです。
また、入試問題ですから、バランスを考えて、説明文と物語文が同じぐらいの割合で載っています。問題集で物語の一部を読むことは、本を一冊を読み終えたときに感じる読後感がないという点で読書の代用にはなりません。だから、読書は読書で独自に行っていく必要があります。しかし、問題集で読む物語の一部は、いわばその物語のクライマックスになっていることが多いので、感情の動きなどをかなり深く感じ取ることができるのです。
この問題集読書で大事なことは、やはり繰り返し読むことです。全国の入試問題ですから、全体のページ数はかなりあります。それを1年間かけて毎日4-6ページずつ読んでいくという読み方ですから、毎日気長に読んでいけば、年間を通して1冊の問題集を3、4回繰り返して読むことができます。この繰り返しの回数が、読む力をつけるには重要なのです。
言葉の森では、ただ読むだけではあとに残らないので、読んだ文章をもとに四行詩を書くようにしています。深く読んでいる子は、やはりいい四行詩を書いてきます。しかし、大事なのは、まず文章を読むことです。書くことは、その結果ですから、時間がないときは、読むだけでも十分です。この問題集読書を続けていると、文章を読む力が必ずついてきます。(つづく)
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今、日本では、2、3歳で、言葉が出ない、表情が少ない、反応があまりないという子が増えているそうです。そういう子供たちが成長して学校に行くようになると、さまざまな形の学習障害を引き起こす可能性が高いと言われています。
その原因ははっきりしていませんが、0-2歳でテレビ・ビデオの音声が長時間流れている環境にあることと大きな関係があるのではないかと疑われています。
しかし、これらの子供たちも、2歳のころまでに、テレビを消して、親が語りかける時間を増やすと、多くの子が普通の正常な成長に戻るそうです。ところが、年齢が3歳になると治る可能性は五分五分になり、4歳以上になると治る可能性は低くなると言われています。
乳幼児期は、人間の成長の土台を形成する時期です。この時期に、不自然な人工的環境に置かれることがいかに大きな問題になるかということがよくわかります。乳幼児がいる家庭では、テレビやビデオはヘッドホンで聞くというような配慮が必要です(本当はテレビなど家庭に置かないのがいちばんいいと思いますが)。また、CDなどの音声教材も、幼児期に利用することは避けた方が無難です。幼児期からの英語教育なども、かなり不自然な環境を子供に強いることになります。
いちばんいいのは、人間の親と自然の音を中心とした日本語の環境で過ごすことです。
ところで、この2歳で言葉が出ない、表情が少ない、反応がないという子を元に戻すときの親の対応のポイントは、子供に話しかけて子供を笑わせることなのだそうです。お母さんの話しかけることによって子供が笑うようになると、子供は劇的に改善するそうです。
これは、乳幼児期に限らず、子育て全体に言えることのように思います。小学生の子供との家庭での対話も、親が子供をときどき笑わせるような形で進めていくと、子供の知力は発達します。勉強も同じです。笑いのある勉強が、子供の学力を高めていくのです。
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言葉の森の作文の勉強が、書く力だけでなく読む力をつけるというのは、暗唱という読む勉強があるということ以外にもさまざまな理由があります。
例えば、感想文の課題が小学校3年生からあるというのもそうです。
一般に、感想文がしっかりした内容で書けるのは、小学校5年生になってからです。5年生になると、物事を構成的に考える力がついてくるとともに、感想も単なる個人的な感想から、より大きくとらえた感想が書けるようになります。だから、感想文の指導は、小学校高学年になってから始めた方がいいのです。
しかし、現実に、学校では小学校低学年から感想文の宿題を出すところがあります。夏休みの感想文にも、低学年の部があります。
こういう状況で、子供たちが感想文の書き方に困らないように、言葉の森でも、小学校3年生から感想文の書き方の形を教えています。その感想文を書く際のもとになる文章は、1000字程度の長文です。この長文を読んで感想文を書くためには、長文を読んで自分なりに似た話を見つけることが重要になります。
文章を読んで自分なりの似た話を見つけるというのが、文章の深い読み方につながります。
ところで、子供は、似た話というのをなかなか見つけることができません。それは、ひとつには、似た話を見つけるという発想力を問うような勉強を普段していないからです。また、もうひとつには、子供自身が人生の経験が少ないので、似た話を自分の体験からなかなか見つけられないという事情もあります。
ここで、登場するのが、お父さんやお母さんの似た例です。
言葉の森では、子供たちの作文の題材を立体的にするために、自分の体験だけでなく、親に取材した話も書くように勧めています。感想文の場合は、特にこれが重要で、長文の似た例を親が話してあげると、感想文の内容がぐっと豊かになります。
このように、似た例を通して文章を読む力がつくとともに、両親と対話をすることによって考える力がついてきます。子供の思考力は、大人との対話によってつくのです。
思考力のある子は、作文を書いたときに、感想の部分を自分なりに詳しく書く傾向があります。逆に、思考力の乏しい子は、作文を書いたときの感想が、「楽しかった」「面白かった」のような単純なものになる傾向があります。
作文を書く前の取材でお父さんやお母さんと対話をすることによってこの思考力をついてくるのです。(つづく)
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言葉の森の作文の勉強は、読む力と書く力を結びつけた形で行っています。
そのひとつは、例えば、暗唱の自習です。この自習はオプション(無料)ですから、時間的に忙しい受験生などはしなくてももちろんかまいません。しかし、この自習にかかる時間は毎日10分程度ですから、できるだけ多くの人が行うように勧めています。
暗唱といっても、ただ覚えさせるというやり方ではなく、手順をおって毎日やることを決めているので、そのとおりにやればだれでも例外なく長文の暗唱ができるようになります。
文章を読む力書く力をつける上で最も大切なことは、同じ文章を繰り返し読むことです。現在、学校などでも音読の宿題を出すところが増えましたが、これらの音読の弱点は、繰り返し読む回数が不足していることです。ただ次々に新しい文章を声を出して読むだけでは、読む力はつきません。大事なのは、声を出して読むことではなく、繰り返し読むことなのです。
この暗唱の練習をすることによって、読む力をつける以外の別の効果もあります。そのひとつは、親子の対話のきっかけが生まれることです。小学校1、2年生のころは、特に暗唱力が伸びる時期なので、子供は長い文章もすらすら暗唱します。その暗唱の長文をお父さんやお母さんが聞いて、その内容に合わせた話をしてあげるのです。
親子の対話というと、普通は、学校のこと、友達のこと、勉強のことという身近なことしかありません。しかし、
長文の暗唱をもとに話をすると、普段なかなかできないような知的な話題を親子で共有することができるようになります。このちょっと知的な話を日常的に行うことができるというのが、子供の考える力を大きく伸ばします。
暗唱によって得られる成果のもうひとつは、子供の意欲を育てる教育を行うことができるということです。子供が成長していく中でいちばん大事なのは、物事に意欲的に取り組む力です。しかし、子供たちの中には、何でも自然にがんばる子と、何でもすぐにあきらめてしまう子の差があります。この差がどこから生まれてくるかというと、子供時代に、意欲を育てる生活習慣があったかどうかによるのです。
意欲は、賞や罰によっては育ちません。
ちょっと面倒なことを毎日欠かさずにやるという生活習慣があると、その習慣が意欲を育てます。
昔の日本人は、今よりも勤勉な人が多かったと思います。それは、家庭の中で、毎日行う手伝いの習慣があったからです。寒い日も、眠い日も、毎日同じように玄関の掃除をしなければならないなどという生活をしていれば、自然に意欲の力は育ちます。
しかし、現代では、そのように毎日のちょっとした苦労の機会はほとんどなくなってしまいました。多くの子供は、快適で気ままな生活を楽しんでいます。しかし、気の向いたときにはやるが、面倒だったらしなくてもよいという生活を送っていると、物事に意欲的に取り組む力が衰退していきます。
この意欲を育てる生活習慣作りに、毎日10分の暗唱の練習を生かすことができるのです。(つづく)
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子供たちの教育でいちばん大事なことは、その子が将来自分の力で勉強を進めていけるように、しっかりとした土台を作っておくことです。それは、子供たちの頭をよくしておくことと言ってもいいと思います。
小学校低中学年のうちは、子供の勉強の成績は、親がさせればすぐによくなるように見えます。実際に、そのころに勉強をさせれば、だれでも成績は上がります。
しかし、そこで成績を上げることにばかり目を奪われるのではなく、将来役立つ頭のよさを作っておくことが大事です。成績と頭のよさは違うのかと言えば、実はそうなのです。特に、低中学年の成績と、その子が中学生、高校生になったときの成績は、かなり違います。
中学生や高校生になると、勉強の量が増えるので、自分の力で勉強できる子はどんどん成績を上げますが、そうでない子は、いくら塾に長時間通っても成績はよくなりません。しかし、かといって、そういう子が塾に通わずに自分で勉強できるかといえば、それもできません。要するに、中学生になるころに、自分で勉強できるぐらいに頭をよくしておけば、あとは高校生になっても、大学生になっても、全部自分の力でやっていけるのです。
では、小学校低中学年のうちに頭をよくするためには、どういう勉強が必要なのでしょうか。
それは、聞くこと、読むこと、対話をすることで、それらの時間を増やしていくことです。もちろん、経験をすることも大事ですが、経験は、だれでもそれほど大差はありません。大きな差があるのは、日本語を読んだり、聞いたり、考えたりする時間なのです。
言葉の森の作文の勉強の特徴は、ここにあります。言葉の森の勉強の中心は作文ですから、もちろん書くことに最も力を入れています。書く力は、現在の日本の子供たちの教育に最も欠けているものだからです。そして、これからの社会では、書く力はますます重要になってくるからです。
しかし、その書く力の土台となっているものは、実は読む力です。作文を教えている教室は、ほかにもいろいろありますが、読む力と組み合わせて書く力を考えているところはあまりありません。
では、言葉の森では、どのようにして、書く力と読む力の勉強を結びつけているのでしょうか。(つづく)
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知のパラダイムとは、何でしょうか。それは考え方の枠組みです。
デカルトによって考え出された、物事を分けて考えるというヨーロッパ文化の枠組みは、その後、ニュートンの力学、ルソーの社会契約論、そして、産業革命の技術などを生み出しました。
ある枠組みを持った文化は、他の弱い枠組みしか持たない文化よりも、強力な影響力を持っています。ヨーロッパが、アジアやアフリカや南アメリカを植民地にできたのは、ヨーロッパ人が優れていたからではなく、ヨーロッパに新しい文化の枠組みが生まれ、それが産業力と軍事力に結びつくことができたからです。
枠組みが力を生み出すということを身近な例でいうと、次のようなことになります。
経営者の2世として仕事をする新入社員は、普通の新入社員に比べて仕事に対する吸収力が違うと言われています。仕事に取り組むうえで何か問題点があっても、それを単なる不平不満としてとらえるのではなく、自分の将来に生かすという観点でとらえることができるからです。能力よりも、枠組みの違いが大きな差を生み出すのです。
同様に、大学で学ぶ学生の場合も、その大学で学んだ知識を自分の国の発展に役立てようと考える途上国の学生と、単にその大学で学んだことを就職に生かそうと考える先進国の学生とでは、学問に対する吸収力が違ってきます。これも、能力ではなく、勉強に対する考え方の違いが大きな差となっている例です。
また、本を読むときでも、自分で買って読む本と、図書館から借りて読む本とでは、読書から得るものの深さが違ってきます。これも、本を読むときの自分の考え方の枠組みが異なっているからです。
以上の三つの例は、単に、目的があるから意欲がわくということなのではありません。目的があるからではなく、ある物事が、大きな枠組みの中で他の物事に媒介されているから、その物事に対する確信が強固になるということです。
同様のことは、宗教や社会主義などの思想についても言えます。単にある知識を持っているというのではなく、全体の枠組みの中に位置づけられた知識を持っているために、その知識に対する確信が強固になり、その結果、その考え方が、他の考え方よりも大きな影響力を持てるようになるということなのです。(つづく)
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これは、本のタイトルです。「子どもの将来は『寝室』で決まる」(篠田有子著 光文社新書)。5000件以上のデータに基づいた学術的な本ですが、内容はわかりやすく書かれています。これから子供を育てる人には必読の書になると思います。
乳幼児期の親子のスキンシップが子供の知力を育てると言われていますが、この本を読むと、それが想像以上にはっきり現れていることがわかります。
くわしくは、本書を読んでいただくことにして、ごく簡単に説明すると、親と子の寝方が子供の成長に大きく影響します。それは、子供時代に限らず大きくなってからも、人間の情緒や知力に影響を及ぼすようです。
図式的に紹介すると、次のようになります。以下は、6ヶ月から3歳ころまでの親子の寝方です。
┏━┳━┳━┓
┃父┃母┃子┃母中心型……◎すくすく成長
┗━┻━┻━┛
┏━┳━┳━┓
┃父┃子┃母┃子中心型……○わがままになることも
┗━┻━┻━┛
┏━┓┏━┳━┓
┃父┃┃母┃子┃父別室型……△自立心未熟に
┗━┛┗━┻━┛
┏━┓┏━┳━┓
┃子┃┃父┃母┃子別室型……△情緒不安定に
┗━┛┗━┻━┛
なお、6ヶ月ごろまでは、子供はベビーベッドに分離して寝かせる形が多いのですが、生後2-3歳になってもベビーベッドに寝かせたままだと、これは「子分離型」といって、「子別室型」よりも更に情緒が不安定になるようです。
乳幼児期には、母子の密着と、父の少し離れたところからのサポートというのが理想的な親子関係だと言えそうです。
しかし、大事なのは、型という外見ではありません。その型に表れるような内的な心の関係が実は最も重要なのです。
ですから、たとえ、父親が不在であっても、母親が父親を心から信頼しているという関係があれば、子供はすくすく成長するのだと思います。
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240マスの原稿用紙
送っていただきありがとうございました。
はい。どうも学年を間違えていたようで申し訳ありませんでした。
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かつてヨーロッパ人の植民地支配が世界中に広がったころ、植民地を推進する理論は、人種的な考え方で合理化されていました。つまり、優れた白人種が劣った有色人種を支配することは、社会の進歩につながるのだという考え方です。
しかし、江戸時代末期、日本にそのヨーロッパ列強の支配が押し寄せてきたとき、日本はすぐにそのヨーロッパ文明に適応しました。そして、数十年もたたないうちに、ヨーロッパに匹敵する科学技術を持つにいたりました。この結果、ヨーロッパ文明の他の文明に対する優位性は、人種的・遺伝的な優劣ではなく、別の要素であるということがわかったのです。
現代の社会を見てみると、一方で、経済的に次第に台頭しつつアジアや南アメリカ、他方で、衰退し没落しつつある欧米諸国という大きな構図が見えてきます。このような状況を見てみると、ますます文明の優劣の差は人種的・遺伝的なものではなく、単なる教育の差、つまり教育によって培われる何かにあるのだということがわかってきます。その何かとは、知のパラダイムです。
現代の世界を支配している欧米の知のパラダイムは、世界とのつながりから離れた個人の利益を中心に物の見方を組み立てるという考え方に基づいています。これが、デカルト・ニュートンの分析主義的な科学観と結びついていました。
一方、日本には、欧米の知のパラダイムとは対極にある、人間の性善説を元にした家族主義的な発想があります。
また、科学の分野では既に、従来の分析主義の考え方では不十分にしか説明できない新しい科学としての量子論や複雑系の科学が生まれています。
しかし、この新しい科学に対応する知のパラダイムはまだできていません。
新しい知のパラダイムが構築されると、それは、かつてのヨーロッパがそうであったようにきわめて強力な文明を生み出すだろうと考えられます。
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