小学校1年生の国語の勉強は、まだ初歩的なものでだれでも楽しくできると思っています。ところが、このだれでもできる国語の勉強で、小学校1年生に既に大きな差がついています。それは作文を書いてみるとわかります。
小学校の低学年では作文をじょうずに書く必要はまだないのですが、作文を書くと、その子の国語力がその作文に表れてきます。
低学年のころは、漢字も読解もやさしいので、国語力の差は出てきません。だれでも同じようにできるので、だれでも国語の力があると思ってしまいます。しかし、実は表面に出ない大きな実力の差があるのです。
なぜかというと、子供たちの家庭での日本語環境の差があるからです。毎日本を読んでいる子と、毎日テレビしか見ない子とでは、日本語の語彙力に大きな差があります。ところが、低学年の国語の勉強はやさしいので、どの子も同じようにできてしまいます。
しかし、やがて学年が3年、4年と上がり、読む文章の質が変わってきます。すると、もともと国語の得意だった子は、国語の勉強が楽しくなりますが、あまり国語の実力がなかった子は、次第に国語が苦手になってきます。
学年が5年生以上になると、国語力の差は決定的になってきます。しかし、このころに国語の勉強を始めようと思っても手後れです。というのは、国語の勉強は成果が出るまでに時間がかかるので、いったん苦手意識を持った子は、その苦手意識を得意意識にまで変えるのはかなり難しくなるからです。
これが、算数数学や英語など、ほかの勉強と違うところです。算数数学や英語の勉強も、力をつけるために時間がかかるのは似ていますが、やり方さえよければ、中学生になってからでも2、3ヶ月の集中学習で苦手を得意にすることもできます。しかし、国語の勉強は、そういうわけにはいきません。
ときどき、短期間で国語の成績を上げるという宣伝をする塾がありますが、実は少しだけ国語の成績を上げることは簡単です。読解のテストのコツを教えると、だれでもすぐに成績が上がります。しかし、その上昇は、本人の実力のあるところまでです。実力そのものを引き上げるというのは、決して短期間にはできないのです。
国語の読解力については、それでも実力を徐々に上げていく方法があります。時間はかかりますが、毎日難しい文章を繰り返し読む練習をすることで、読解の実力は少しずつついていきます。しかし、作文力を上げるのはもっと大変です。作文の苦手な子が作文が得意になるのは、読解力をつけるよりも更に難しいのです。
最近、通信指導の教室や学習塾などで、低中学年から作文を教えるところが増えてきました。教材はビジュアルで一見楽しく勉強できそうです。しかし、悪口を言うわけではありませんが(笑)、果たしてこれで国語力や作文力がつくのかというと疑問です。
確かに、作文を提出すれば、赤ペンの添削がついてくるでしょう。しかし、赤ペンでただ褒めるだけの添削では上手にはなりません。また、赤ペンでただ間違いを直すだけの添削でも次第にやる気がなくします。また、このようにただ書かせて赤ペンで直すだけの指導では、子供が作文を提出するという意欲を持てなくなります。
すると、結局、楽しそうな感じがして始めてはみたものの、やはり続かなかったということになり、しばらくやっていた期間は何のプラスにもならなかったということになります。
国語、作文の勉強は、方針を決めて取り組む必要があります。言葉の森の作文の勉強は、小学校1年生から高校3年生まで一貫した教材で行っています。そして、実際に、小学校低学年から大学受験まで言葉の森で勉強を続けられてよかったという子がかなりいます。国語、作文のようにあとまで響くものほど、最初にしっかりした方針で勉強をしていく必要があるのです。
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作文がなかなか長く書けない子がいます。字数は実力に比例している面がありますから、長く書けない子は大体作文が苦手です。
ただし、低学年のころ長く書きすぎる子の中には、正しい表記で書いていないという子もいます。また、高学年で長く書けない子の中には、物事をよく考えていて、文章のセンスがいいために長く書けないという子もいます。
そういう例外はあるものの、作文の字数と作文の実力の間には、かなり高い相関があります。
長く書けない子に対して、言葉の森の作文テストの週などに(3ヶ月に1回ある)、目標の字数まで何が何でも書くようにがんばらせると、そのあと急に長く書くことが楽になるということがよくあります。
この、「何が何でも長く書くようにがんばらせる」という方法は実は簡単で、近くで先生や親がつきっきりになって手助けをしてあげればいいのです。
長く書けない子は、説明風に書いてまとめてしまうことが多いので、そのときの会話などをできるだけ思い出すようにさせます。また、話が終わって一段落してしまいそうなときは、途中で昔の似た話を思い出して話題を転換します。話題の転換には、本人の話だけでなく、お父さんやお母さんの似た話も入れられます。ほかに、「どうしてかというと」「もし……だったら」「これから私は……」などという言葉をつなぎにして書かせることもできます。
このように無理やりの方法であっても、いったん長く書かせると、次回からはその長さまでは書けるという自信がつきます。しかし、この方法の欠点は、親や先生がつきっきりで応援しないとできないということです。また、いったん長く書くと決めて親や先生が手助けをしたにもかかわらず目標の字数まで書けないで終わりにしてしまうと、かえって子供は自信をなくします。無理に長く書かせる方法は、応援する大人にもそれなりの覚悟が必要になるので、それほど気楽にはできないのです。
ここで考えたのは、書き写し法です。
言葉の森の暗唱長文は、小1から高3までどの学年も1000字程度で、1ヶ月の練習で1000字をまるまる暗唱することができます。この暗唱長文を利用して、自分の作文の字数不足の分を、書き写しするという方法です。
例えば、小学校3年生の目標字数が600字なのに、300字までしか書けなかったというときは、残りの300字を暗唱長文の書き写しにします。暗唱長文は、既に頭の中に入っているので、いちいち文章を見ないでも書くことができます。特に、小学校低学年の子は、目と手と頭がまだ連動していないので、文章を目で見ながら書き写すということがなかなかできません。暗唱した長文であれば、楽に書き写しができます。
言葉の森の学年ごとの作文の字数の目標は、小学校の学年の100倍から200倍の字数です。小1なら100-200字、小2なら200-400字、そして、小6以上は中も高も、600-1200字です。毎回の作文で、常に目標の字数までは書くということが徹底できれば、作文の力は確実についていきます。
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小学校から中学に上がると、勉強の仕方がかなり違ってきます。小学校までも、テストはありましたがそれほど大きな意味は持っていませんでした。中学生になると、テストと成績が大きな意味を持ってきます。そして、その成績をよくするのは本人の責任だと見なされます。
だから、中学生になって、これまでと同じようにただ漠然と授業を受けているだけだったり、与えられた通信教材をこなしているだけだったりすると、やがて、勉強をしているはずなのに成績が上がらないという結果が出てきます。
多くの生徒や保護者は、成績が上がらないと、塾に通えば何とかなるのではないかと考えますが、塾の授業も、学校の授業と本質的には変わりません。勉強というのは、自分の責任で、自分なりに工夫した方法でなければ力がつかないのです。
そこで、これから中学生になるみなさんにおすすめするのは、3月の春休みまでに、中学生の勉強法に関する本をまとめて読み、勉強の方針を立てておくことです。生徒本人が読む前に、お父さんやお母さんも読んでおくといいと思います。中学生の勉強法に関する予備知識が両親にないと、学校や塾のペースに流されてしまうからです。子供の勉強にいちばん責任を負っているのは家庭だということを自覚しておく必要があります。
中学生の勉強法に関する本は、書店には2、3冊しかないと思うので、インターネットの書店を利用するといいと思います。どんな分野でも、新しく何かを始めるときには、10冊をひとつの基準にして読みます。10冊読むと、その分野の全体像が確実につかめるようになります。
勉強法の作戦を立てなかったために成績が伸び悩み、塾や家庭教師に頼るようになることを考えれば、最初の10冊の本代などは安い投資です。きれいに読めば、古本として引き取ってもらうこともできます。
私が昔読んで参考になった「中学生の自宅学習法」という本は、今ではもう絶版ですが、もともと1,500円ぐらいだったものが、中古として2,500円で売られています。高校生向けの国語の参考書として定評のあった「国語1・2」という本は、当時1,000円ぐらいだったと思いますが、今では中古で15,000円です。; ̄ロ ̄)!!
そして、この勉強法の本を読んだあと、家庭でどういう勉強をしていくかを決めます。学校の授業を聞いて、学校で出された宿題だけやっていくというのでは力はつきません。学校の宿題とは別に、自分なりに家庭での勉強の計画を立てておくことです。
おおまかに言うと、国語については、読書と問題集読書で難しい文章を読む時間を毎日必ず確保することです。英語については、教科書を何度も音読し丸ごと暗唱できるようにしておくことです。数学については、少し難しい市販の問題集を1冊用意し(学校でそういう問題集が出ればそれでもかまいませんが、学校の問題集は易しすぎることが多いので)その問題集を百パーセントできるようになるまで繰り返し解くことです。
いずれも、冊子となっているものの方がよいのは、その1冊を繰り返し使うことができるからです。学校や塾や通信の教材で、1枚のプリントで渡されたり薄い冊子で渡されたりするものは、保管しにくいので、結局一度解いておしまいという形になりやすく有効な活用ができません。
中学の国語の試験では、文法の問題がかなり出ます。文法の勉強は、練習量が伴わないことが多いので、国語のよくできる子でも成績が悪くなることがあります。試験の前に、文法の問題集を繰り返し解いておく必要があります。しかし、国語の文法の問題は、高校入試にも大学入試にも出ないので、成績が悪くても気にすることはありません。
中学生になってから勉強のよくできる子は、例外なく家庭での学習をきちんと行っています。くれぐれも、漠然と学校の授業を聞いて宿題をこなすだけという勉強スタイルにならないように、春休み中に勉強の基本方針を立てておきましょう。
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高校入試の作文試験に合格したO君が体験記を書いてくれたので紹介します。
これから作文試験を受ける人は、次の点を参考にしてください。まず第一は、過去問をもとにして自分で書いた作文を繰り返し読んでおくことです。第二は、受ける学校に関連した本を読んでおくことです。(大学入試なら受験する学部に関連した本、高校入試や中学入試なら学問や人生に関する本)
これから少子化が進むと、受験の形態も次第に、時間をかけてじっくり評価する小論文や面接が中心になってきます。普段から本を読んだり文章を書いたりする習慣を持つことが大切です。
合格体験記 中3 渓翡翠 (名前はペンネームです)
第一志望の高校に合格した。
しかも、難しい前期選抜でだ。
他人に自慢できるような内申点があったわけでもないのに、なぜだろうか? やっぱり、作文がよかったのだろうか!?
私が受けた試験の内容は、午前中に作文試験、午後に面接試験だった。
この、高校に行って最初に始まった作文試験。普通の人なら、かなり緊張してしまって、なかなかいい文章を書くのは難しいと思う。しかし私は、事前に作文試験の過去問題をゲットし、練習していて、言葉の森の先生に添削して貰ってかなり自信をつけ、しかもその作文を持っていって、それを読みながらシミュレーションしていたので、まったくといって良いほど緊張しなかった。試験官の、「はじめ」という声を聞いて、「アー始まっちゃったな、よしがんばろうっと」という具合である。
しかし。一生が決まるといっても過言ではない高校入試は、甘くはなかった。作文用紙を見て私は愕然とした。
なぜか。驚いた点は簡単に言って2つあった。
1つめ。時数制限があり、800字しか書けなかった。800字くらいだと、逆に喜ぶ人もいるかもしれない。「やった!! 僕作文苦手だけど、800字くらいなら何とかなるかも!!」というふうにである。しかし、私は違った。普段から言葉の森で1200次以上の作文を書き、その時数に慣れっこになってしまっていた私は、かなり困った。過去問で練習した時も、「まぁ、時数制限なんてないだろうから、書けるだけ書きまくってやる」と考えて、1200字くらいの文しか書いていなかった。そのせいで、考えや書きたいことを短くまとめるのが大変だった。実際、書きたいことが、かなり書けなかった。それでも、言葉の森で使う要約の技術なんかを駆使して、何とか800字に収めることが出来た。
2つめ。作文のテーマが、過去のものと大きく違っていた。私の受けた学校は商船の学校で、作文試験のテーマも「船員として広がる私の夢」だとか、「君にとっての船」といった、「自分の夢や考え」を強調しやすいものだったのだ。だが、私が受けた作文試験のテーマは「船・自動車・鉄道・飛行機・世界・環境、これらの言葉を使ってあなたの意見を書きなさい」。正直、どんなことを書けばいいか分からなかった。自分の考え、というよりもいろんなデータを重視する試験内容だからだ。でも、よいことがあった。言葉の森の先生に、「出来るだけたくさん、船の話や本を読め」といわれて、そのとおりにしていたので、読んだ本のデータなどを基にして、データとともに自分の考えをうまく書くことが出来た。言葉の森でいろんな練習をつんでいたおかげで、急に変わった試験内容と環境にも対応できたのである。
かくして、私は合格した。
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哲学の話というと、このホームページの記事としては、内容にギャップを感じるかもしれません。(^^ゞ しかし、私はいつも、ものごとは根本的に考える必要があると思っています。言葉の森が、これからどういう作文教育を行っていくかを考えるとき、人間と世界とは何かという哲学が必要になります。
今回は、その哲学的基礎を述べていきたいと思います。
内容はすべて、自分が考えて確信を持ったものだけにとどめ、あいまいなことは極力書かないようにしていきます。
しかし、これは学術的な論述ではなく、ただ自分で納得するために考えたことなので、論議を補強するための必要以上の論証は行いません。また、わかりやすい具体例も入れられればなおよいとは思いますが、そうすると話が長くなってしまうので、ほとんどは基本的な骨格だけで話を進めていきます。ただし、もし具体的な例を聞きたいという質問があれば、それはそのときに答えたいと思っています。
以下の記述の大きな流れは、ヘーゲルの論理学のスタイルと似ていると思います。私の考えの進め方は、20代に読んだヘーゲルから大きな影響を受けていると思うからです。しかし、単なるヘーゲルの援用ではなく、すべて自分の中に消化されたものとして書いているので、どこからどこまでがヘーゲル的かということはよくわかりません。今さら読み返すのも大変なので(笑)。
文章は、常体になりますが、これは自分がひとりで考えるときは常体で考えているからで、敬体になるとたぶん考えが滞りがちになるからです。
さて、ここから、始まり。
最初に無があった。無があるとは、別の言葉で言えば何もなかったということである。(だからどうした、というつっこみが入りそうだが。)
最初のものごとの定義として、何かがあったとしてもよいし、何もなかったとしてもよい。しかし、何かがあったとすればそれは空虚な全体があったか、あるいは同じことだが何もなかったかということである。
この何もなかったということと、空虚な全体があったということは、実は、量子論的に述べると同じことなのだが、それはあとで述べたい。
わかりやすくひとことで、最初に無があったということで話を進めていくと、次のようなことが言える。
無があったということは、無があり続けたということだ。無があり続けるということは、無が、無でないものに抗して無であり続けたことであるから、無があるということそのものが、無がないこと、つまり有があることを前提にしていたということである。
この有をイメージとしては、物質の最小の単位として定義される量子のようなものと考えてもよい(現代では量子よりも小さい構造が存在するという説もあるが、このことについては保留して話を進める)。
無があるがゆえに有があったということは、あくまでも論理的な話のスタートであって、それが具体的に世界の最初の状態を説明しているわけではない。また、この段階の話は、まだ現実の物事の説明に適用するほどの具体性を持っていないから、適当に読み進めていってもかまわない。しかし、この考え方の道筋は、あとからより重要な具体性に結びついていく。
何らかの有があるということは、その有を量子のような極小の球体のようなものをイメージすればわかるように、必ずその有の大きさを持つ。量子のような最小のものであっても、その最小なりに最小の直径を持つということは、直径の向こう側のA点とこちら側のB点という2つの点を持つということである。
こうして、1つの有から2つの有が生まれる。すると、そこに1つの有と2つの有との関係という3つめの有が生まれることになり、その3つめの有と最初の有との関係から、4つめ、5つめ、6つめの有が生まれるということである。このようにして、1つの有は、そのまま多数の有となる。
さて、最初の無があるということは、空虚な全体があるということであり、それがそのまま最小の有があるということであった、ということを量子論的に説明すると、次のようなことになる。
量子の世界では、ド・ブロイ波の公式があてはまると言われている。それは、波長λ=h/mvという式で表される(hはプランク定数。mは質量。vは速度)。
空虚な全体があるということは、空虚な全体があり続けたということであるが、それは空虚な全体の大きさを波長とする波があったと見なしてもよいのではないか。すると、その波長に対応する極小の質量と速度を持った粒子がそこに誕生する。巨大で空虚な全体は、巨大で空虚な波として考えれば、極小の有と同義だったということである。
このように考えると、無と有と全体と個は、ただそれだけの論理によって、つまりほかの媒介を一切必要とせずに、説明することができる。
ここまでが話の前提である(笑)。長かった。
ここから、話がやや具体的に。
1つの有は、そのまま多数の有を生み出す。
すると、やがて多数の有の間に、関係が生まれる。例えば、有Aと有Bの間に関係Cが生まれるとする。
この関係Cが反復して生成されるとき、その反復をひとつの波として考えると、やはりλ=h/mvの関係と同じように、関係Cの波長を持つ粒子C’が存在すると考えることができる。
つまり、関係の反復は実体になるということである。ここから、現代の科学ではまだ説明しにくいさまざまな現象を説明することができる。
例えば、ある事Cが起こるとする。事Cとは、物Aと物Bとの関係である。すると、その事Cを波とする物Cも同時に生まれている。物Aと物Bは、その事Cが終わればなにごともなかったように、もとの物Aと物Bに戻っていると思うかもしれないが、実は物Cは物として残っている。そして、物Cは公式の上では事Cに換算することができる。だから、事Cが何度も反復されればそれだけ、物Cも強固になり、事Cはより反復されやすくなると考えられる。
この、反復が実体となるということが、世界の進化の最も根本的な動因である。
さて、有と有との関係が実体化したものを存在物と呼ぶことができると思う。ここでやっと抽象的な有から、具体的な物が登場する。
この存在物もまた、他の存在物との間に関係を持つ。その関係が反復され実体化され、世界にはさまざまに複雑な物が生まれるようになる。これが最初は無であった世界が多様性を持つようになった理由である。
やがて、存在物と存在物の関係の中に、成長する関係が生まれる。それは、例えば、鉱物の結晶のようなものである。また、存在物の関係の中に、自らの形を再生産する関係が生まれる。それは、例えばフラクタル図形のようなものである。この成長と再生産の関係が組み合わさって実体化したものを生命と呼ぶことができる。生命の定義は、成長と再生産だからである。生命の誕生の理論的説明は、このように考えることができる。
生命は、最初は単なる成長と再生産であるから、まだ抽象的なものである。しかし、やがてその生命が、他の存在物や他の生命と一定の関係で結びつくことによって成長と再生産を行うようになるとき、つまり生命が環境との相互関係の中で成長と再生産を行うようになるとき、その生命は具体的な生物の種となる。
だから、例えば、スズメは、成長するとしても無制限に大きくなるわけではなくせいぜい手のひらに乗るぐらいのサイズの成長にとどまり、また、再生産すると言っても世界中がスズメで埋め尽くされるような再生産ではなくせいぜい年に何回か数個の卵を生むぐらいの再生産にとどまるのである。これは、スズメが単なる抽象的な生命ではなく、環境との相互関係を実体化した具体的な生物種だからである。(何をあたりまえのことを言っているんだと言われそうだが)
さて、生物種を簡単に生物と言い換えて話を進めると、生物の中には、自分の身体の内部に成長と再生産の方法を持つだけではなく、身体の外部に方法を持つものがいる。例えば、貝を石で割るラッコ、木の枝を集めて巣を作る鳥、イモを洗って食べるサルなどである。
このように自分の身体の外部に道具と方法を持つという関係は、生物の身体の中には存在しない。それは、生物の身体からは独立した関係であるが、生物の成長と再生産に分かちがたく結びついている。生物の持つこの生きるための方法という関係が意識の始まりである。
人間は、生存を外部の方法にきわめて多く依存している生物である。人間は、服を着たり、家を作ったり、火を起こしたり、道具を持ったりしなければ、人間として生きていくことが難しい。このように多くの方法に依存した生物は、人間以外にはいない。
しかし同時に、人間は、これらの方法を、声や動作や図形や記号によって表すことができる柔軟な発声器官と手足を持っている。この、豊富な方法を必要とする脆弱な身体と、それらを表現する柔軟な表現力とを持つ身体のゆえに、人間は言語を持つことができた。
だから、道具との関係という方法の実体化したものが意識であり、その意識が言語という形で更に強固に実体化したのである。
やがて、言語は、言語と言語の関係を持つようになる。この関係が理解であり、意識は理解によって更に実体として独立したものになっていく。(しかし、この意識の始まりから言語への話は、更に詳しく考える余地がある。)
ところで、最初に述べたように、物には物としての性質と波としての性質があり、それは相互に換算できるものであった。この物と波との関係を、生命や意識にもあてはめることができるのではないか。つまり、生命も、物と波の両方の性質を持ち、意識もまた、物と波の両方の性質を持つということである。(ちょうど、最近、イギリスのノーベル賞化学者が、DNAが弱い電磁界の中でテレポートするという研究結果を発表した。これも、生命が物と波の両方の性質を持つからだと言えるかもしれないが、まだ確実な事実ではない。)
ここから、意識の活用の仕方についての大きな示唆が得られる。
人間の生活は、単に物理的な環境や身体的な条件だけでなく、意識の持ち方によって大きく左右される。例えば、同じように雨が降っている暗い日にも、明るい気持ちを持ち続けることのできる人がいる。
もちろん、物理的な条件は人間の生活を左右する最も大きな要素だから、意識の価値を過大評価するべきではないが、現代の社会ではまだこの意識の活用の仕方についての研究が十分には進んでいない。
これは、教育についても同様で、やる気のある短時間は、やる気のない長時間よりはるかに優れているというのは、多くの人が知っている。しかし、どうしたらこのやる気を活用できるかということについては、未解明の部分がほとんどである。
しかし、今回、物から意識への発展が一応基礎づけられたと思うので、今後はこの土台の上に意識の研究を進めていきたいと思っている。(おしまい)
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吉田松陰の「留魂録」は、松陰が処刑される前日に、門下生に向けて書いた約5000字ほどの手紙のような書です。半紙を四つ折りにして十九面に細書きしてコヨリでとじて冊子にしてあります。
この書の初めに、松陰の和歌が書かれています。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置(とどめおか)まし大和魂」。
この書は、内容ももちろん心を打ちますが、私はそれ以上に、これを十数年も守り続けた囚人沼崎吉五郎(ぬまざききちごろう)の生き方に感銘を受けました。
松陰と同じ獄舎にいた牢名主の沼崎は、処刑の前日、松陰に次のように頼まれます。「自分は、(この書を)別に一本郷里に送るが、無事に届くかどうか危ぶまれる。そこで、(あなたが)出獄したらこの書を長州人に渡してもらいたい」と。
松陰の「留魂録」は、門下生らによって郷里の萩に送られ、ひそかに回覧されますが、やがて所在が不明になってしまいます。
もう一本の書を預けられた沼崎は、その後三宅島に流されます。十数年後、幕府が倒れ、沼崎は流人の身から解放され本土に戻ることができましたが、既に老人になっていました。
神奈川県の権令(ごんれい)という役職にいた野村靖という松陰の門下生のところに、沼崎が突然訪れたのは、松陰の処刑から十七年もたったころでした。
沼崎は、野村に、「貴殿が長州人と聞いたので」と、変色した「留魂録」を渡すと、そのまま静かに去っていきました。
私は、ここに、目先の損得や欧米流の合理主義とは異なる、人間どうしの義を重んじる生き方の強さを感じました。
日本は、今、不況に沈み、格差は拡大しています。子供たちの教育も、果たして確実に行われているのかどうか不安が残ります。
しかし、日本が今後復活するための最も確実な土台は、経済力よりも、学力よりも、何よりも国民一人ひとりが、相手の信頼に応えるという、この義の精神を失わないことだと思いました。
では、なぜ、「経済力よりも」なのかというと、経済力は今後の工夫次第で必ず発展させることができるからです。それも、中国依存や移民拡大というような方向ではなく、日本独自の工夫で内需の拡大ができるようになるはずです。
また、なぜ、「学力よりも」なのかというと、学力は、よりよい社会を作るための必要条件ではないからです。もちろん、将来の日本は学力の大国にしていかなければなりません。それは未来の子供たちの教育にかかっています。しかし、今の若者たちの学力に不安があるとしても、学力の不足は信頼感さえあれば補うことができます。
「葉隠」の中で、山本常朝は、人間に必要なものとして「勇・知・仁」の三つを挙げ、「知」とは、「人に相談することだ」と述べています。社会の中に信頼感さえあれば、学力の不足は克服できるのです。
日本の社会の治安のよさは、先進国の中では群を抜いています。タクシーの中に置き忘れた財布が、無事に持ち主のところに戻るだろうとほとんどの人が思っている国は日本だけです。
私たち大人の役割は、この信頼感を確実に守り、その土台の上に、新しい経済力と学力の花開く国を作っていくことだと思います。
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「遥かなり三宅島」吉田松陰「留魂録」外伝(永富明郎著)
吉田松陰先生の真筆「留魂録」を世に伝えた人は、松陰先生が投獄された折の牢名主沼崎吉五郎であった。
「留魂録」を託されてから17年後、門人野村靖に「留魂録」を手渡し松陰先生との約束を果たした。
沼崎吉五郎は、至誠の人であり、松陰先生にとって恩人でもある。
この沼崎吉五郎に対する長州人の「惻隠の情」の欠落を嘆き、小説として取り上げたものであり、松陰先生没後153年、著者永富明郎氏が長州人として沼崎吉五郎の厚志に報いた書でもある。
mino阿弥さん、貴重な情報をありがとうございます。
こういう形で、歴史に残らずに自分の義務を貫いた人が維新の時代には数多くいたのでしょうね。
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2月3日(木)、東京でセミナーがあったので、片道1時間、手持ちぶさたにならないように本を2冊持っていきました。
行きは、吉田松陰の「留魂録(りゅうこんろく)」を、帰りは、「下流社会」(松田展著)を読んできました。
電車の中では付箋読書はしにくいので(するときもありますが)、シャーペンで線を引きながら読んでいます。あとで、この線を引いた箇所だけ読み返せば、2回読んだのと同じです。読んだ本の定着度が、かなり違ってきます。
さて、東京でのセミナーの内容は、「Web戦略をどう進めるか」というような内容のものでした(本当のタイトルは、少し違いますが)。2005年ごろのWeb状況と今の状況は、大きく変わっているという話を聞いてきました。例えば、今、習い事を探すのに「ケイコとマナブ」を見るような人はいず、すべてインターネットになっているというようなことでした。
言葉の森のWeb開始は、1996年ですから、インターネットの本当の黎明期です。当時は、Yahoo!の学習塾というカテゴリーに、数えるほどのサイトしかありませんでした。言葉の森のサイト開設は、たぶん学習塾のようなところではいちばん早かったぐらいだと思います。
Webを動的なページにするために、PHPとMySQLで全ページを作り直したのも、言葉の森が最も早く、コンピュータの専門の業界の人から、「今度うちの会社もウェブデータベースを入れようと思うのですが、言葉の森は、なぜMySQLにしたのですか」という質問があったほどです。(当時、MySQLは少数派でしたから)
その後、プログラミングを独学で勉強し、調子に乗って作文の自動採点ソフトを作り、やがてソフトの特許も取得しました。また、言葉の森のホームページをブログ仕様にしたのも、まだブログが普及していなかったころです。
しかし、そのように先進的に取り組んでいたインターネットにも、だんだん飽きてきて(笑)、今いちばん関心を持っているのは、人間の知的能力の開発についてです。そのため、インターネットの開発の方は、あまり手をかけなくなりました。その結果、現在の言葉の森のサイトは、ごちゃごちゃしてかなり見にくく、動作も不十分なものが多くなっています。いずれ時間をとって、もっとすっきりしたものにする予定です。(^^ゞ
東京のセミナーで聞いたことは、「これからは、SEOではなくSGOだ」ということでした。(SEO=サーチ・エンジン・オプティマイゼーション。SGO=ソーシャル・グラフ・オプティマイゼーション。グラフとは、人間どうしの関係の図のようなもの)
これは、私もかなり前から思っていたことで、これからは宣伝のよしあしよりも、やはり本物が生き残るというという社会になっていくのだと思いました。
しかし、ソーシャル・グラフというと、人間どうしのコミュニケーションの得意な人が活躍しそうな気がしますが、そういう状態は初期のうちだけです。
人間が他の人間になぜ関心を持つかというと、その相手がおもしろいことを言うからです。おもしろいことというのは、独創性や創造性のあることです。その独創性や創造性が基本にあって、そのあとそれを補強するものとして、コミュニケーションのリテラシーがあるということです。
作文も同じです。表現力というのは確かに大事ですが、それはあくまでも表現する当の内容の価値を伝える手段であって、表現力そのものが価値あるものなのではありません。
というようなことをふと考えました。(つづく。次回は「留魂録」と「下流社会」について)
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第三の違いと第五の違いの間で、第四の話が抜けていました。
第四は、小学校1年生から、高校3年生までの長期間の展望を持って作文指導をしていることです。
言葉の森は、もともと大学生の文章指導の教室からスタートしました。それを、高校生や中学生や小学生の作文指導にも広げていったのです。ですから、最初のころの小学生の指導は、かなりレベルの高いものでした。小学校4年生のぐらいの子に、今の6年生が勉強するのと同じようなことを教えていました。しかし、当時の子供たちはなぜか、どの子も文句を言わずに勉強していました。
今、学校や他の国語教室などで教えている作文は、その学年で上手に書くことを目的にしたものが多いと思います。小学生が、小学生のときに上手な作文を書くことももちろん大切ですが、もっと大切なのは、中学、高校に進んだときに必要な力をつけていくことです。
わかりやすい例で言うと、生活作文における情景や心情の描写力は、小学生のときには高い評価を受けますが、中学生や高校生になったときに書く意見文や論説文の文章ではあまり書く機会が出てきません。意見文や論説文で重要になるのは、社会実例を幅広く入れる力や、自分の意見に対する反対意見を考える力などです。
一般に、女の子は、会話やたとえや心の動きなどを上手に書くことができます。男の子は、そういうことにはあまり関心がなく、それよりも、数字や名前など堅い説明を書くことに関心を示します。これは、文章力の差ではなく、興味や関心の差なのですが、小学校の間は、女の子的な作文の方がずっと高く評価されます。
しかし、言葉の森では、中学生や高校になったときの展望があるので、数字や名前や説明中心の味気ない男の子の作文にも、将来優れた意見文を書く素質があることを見抜きます。学校の先生やお父さんやお母さんが、決して上手だと思わないような作文の中に、実は将来伸びる可能性があるのを見ることができるのです。(おわり)
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