「今日は、何の本を読んだ」と先生が聞くと、生徒が、「この本を130ページまで読みました」などと本を見せます。
通学教室では、しばらく前から、教室に来るときに読んでいる本を持ってくるようにさせています。最初は、「読んでいない」などと言って手ぶらで来た子も、毎週先生が聞くので、自然に本を持ってくるようになりました。
持ってきた本をもとに先生と話をするので、ただ持ってくるだけでなくその本を自然に読むようになります。このようにして、かなりの子が、本を読む習慣をつけいます。
今の社会では、本をよく読む子と、あまり読まない子が二極分化しているようです。
読書は、家庭でするものなので、家庭での読書の位置づけが子供の読書量を大きく左右します。本を読まない子には二通りあり、ひとつはテレビやゲームの時間が長いために落ち着いて本を読む時間がとれない子です。もうひとつは、勉強が忙しくて本を読む時間がとれない子です。
勉強が忙しくて本が読めないというのは、不思議な感じもしますが、事情を聞くとやむをえない面があるようです。それは、習い事に行く日が多いために、夕方から夜にかけての時間に余裕がないからです。そのため、家庭で学校の宿題などをやると、もうほかのことをする時間がなくなってしまいます。その結果、本を読まなくなるのです。
読書というのは、毎日の習慣によって読むことが面白くなります。だから、本を読む子は、毎日読んでいます。1週間に2日や3日だけ読むというような読み方では、読む面白さが味わえないので、読書が進みません。1日10ページでもいいから何しろ毎日読むようにするという習慣づけが大事です。
読書力と作文力には、きわめて高い相関があります。本を読んでいる子は、語彙力があるので、同じことを書く場合でもセンスのいい表現を使って書こうとします。上手に書きたいという意識があるので、書いた作文にも自然に愛着がわきます。だから、書くことが楽しい勉強になります。苦しいけれど楽しいという勉強になるのです。
また、読書力と国語力にも、きわめて高い相関があります。よく、読書をしても国語力はつかないなどという人がいますが、それは短期間の付け焼刃的な読書の場合です。
読書力と国語力の相関が高いということは、読書の好きな子の場合にはほぼ例外なくあてはまります。また、もし読書が好きで国語の成績が悪いという場合でも、そういう子は解き方のコツを少し教えただけですぐに成績が上がります。国語の成績は、その子の読書力の範囲まではすぐに伸びます。逆に、読書力の限界があると、いくら国語の勉強をしても成績はそれ以上上がらないのです。
では、読書をするにはどうしたらいいのでしょうか。読書をほとんどしない子に本を読ませる方法を3つ挙げます。
第一は、毎日必ず10ページ以上読むということです。10ページであれば、気楽に始められます。そして、本には人を引きつける力がありますから、いつか面白い本に出合うと10ページで終わらずにずっと続けて読むようになります。そのようにたくさん読んだときに、大いに褒めてあげます。この褒め言葉が大事で、さらりと、「○○ちゃんよく本を読むね」とか「本が好きなんだね」とか言ってあげるだけでいいのです。本を読んでいないときに、「本を読みなさい」と言われてもうれしくも何ともありませんが、自分が本を読んでいるときに、「本が好きなんだね」と言ってもらうと子供はうれしくなって、もっと本を読むようになります。
第二は、口で言うだけでなく必ず実行させるということです。親の言うことをきかない子供になるのは、親が口で言うだけにしているからです。例えば、「ちゃんと本を読んでおきなさいよ」「はあい」というような言い方をしていると、子供は親の言うことをきかなくなります。いったん言うことをきかない子供になると、それをあとから直すのは大変です。読書を確実に実行させるためには、子供に読むように言うだけでなく、その時間は家族全員で本を読むというように決めてもいいと思います。
第三は、はかどらない本がある場合は、ほかの本と並行して読むということです。本の中には、その子にとって興味がわかなかったり難しすぎたりするものがあります。本を読むのが苦手な子は、そういうとき、いつまでもその本にこだわり、その本が終わらないと次の本に進めないという状態になります。そういう状態で読む本は、子供にとって苦痛でしかありません。なかなか読めないときは、もっと面白そうなほかの本を先によみ、それと並行して読めない本もついでに読むというようにします。もちろん、そのまま面白い本だけを読むようにしてもかまいません。
ときどき、どんな本を読んだらよいかという質問があります。どの子も楽しく読める良書というものも確かにありますが、そういうおすすめの本を探して読もうとしていると、かえって読書量は増えません。
日本における小学生の読書環境は充実しています。読む本は、図書館や書店に置いてある本の中から選べばいいのです。エジソンは、図書館にある本を端から順に読んでいったそうです。そこまでする必要はありませんが、読書には当たりもはずれもあるという気持ちで、貪欲に読んでいけばいいのです。
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「作文力がこれから必要らしいけど、それはどうして」「どの教室がいいの」などということにお答えする記事です。
日本の戦後の教育を特徴づけているものは、○×式試験中心の学習による学力の低下という問題です。
○×式試験は、知識を詰め込めば、だれでも何とか成績が上がるという試験で、これがこれまでの日本の教育の中心になっていました。
例えば、現在、日本の小中学校、高校で行われている試験の中には、子供たちの学力に結びつかないどころか、受験にさえ役立たないような瑣末な知識問題が出されることがあります。これは、結局、教える先生が○と×で生徒の成績の差をつけやすくするためだけに出すようなものです。
これは、学習塾でも同じで、進学塾での勉強の中には、受験には必要のないものもかなりあります。しかも、それぞれの教科の担任が自分の教科だけを考えて宿題を出したり試験を行ったりするので、子供たちの多くは時間不足に追われています。そして、子供らしい生活を犠牲にしてまで勉強することにより、塾の中での成績は上がるが、本当の実力はついていないという事態が生まれているのです。それは、勉強の中身が○×試験に対応したものになっているからです。
大学入試でも、事情は同じです。予備校などのデータをもとに高度な情報戦として行われる大学入試は、よい成績を上げるためには、膨大な知識をいかに効率よく習得するかというテクニックの競争になっています。
東大、早稲田大、慶応大など、優秀な生徒が行くと思われている大学でも、与えられた答えを見つけることは得意だが、自分で問題を発見したり創造性を発揮したりすることは苦手だという学生が増えています。一部の大学では、小論文の入試を導入していますが、受験の合否を決めるのは、やはり知識の量になっているからです。
既に、企業の中では、学歴と知識はあるが、仕事をする実力がない社員が問題になっているようです。それは、これまでの学力が知識の量で測られるものであり、それが受験体制の完成に伴ってますます強化されるようになってきたからです。知識はあるが実力がないという若者たちは、この受験体制に過剰適応した結果なのです。
今後の日本の教育では、この○×式の詰め込み勉強の見直しが急速に行われていくと思われます。
その理由の一つは、少子化の進行で入学試験の採点に余裕ができるため、知識の有無を試すような問題から思考力を見る問題に試験の内容が変わってくるからです。
これはすでに、公立中高一貫校の作文試験や、高校入試における作文試験の導入、大学入試への推薦小論文の広がりなどで見られるようになっています。
作文力がなぜ必要かというと、書く勉強することによって、読む力や考える力をつける勉強も自然に必要になってくるからです。
これまでの教育で評価されていた○×式の学力は、与えられた答えをいかに見つけるかという要領のよさを競うような学力でした。これから必要になる学力は、与えられた条件から自分で問題を発見し、それを創造的に解決するという学力です。
このような世の中の動きを反映して、小学生向けの作文教室や作文講座も増えています。しかし、こういうところで紹介されている面白そうな教材は、導入部の教材ですから、一見楽しそうに見えてもそれがそのまま作文の学習につながるわけではありません。語句や短文を埋めるようなやりやすい勉強と、自分で600字から1200字を書く作文の勉強とでは大きな違いがあるのです。
なぜこういうことが言えるかというと、昔、ある大手の通信教育の作文講座を担当する人が、言葉の森に作文の指導法を聞きに来たことがあるからです(笑)。こちらは別に秘密にすることもないので、持っている資料を全部渡して説明してあげました。つまり、指導する中身があって作文講座を作ったというわけではないのです。
言葉の森のホームページは、指導のノウハウをすべてオープンにしています。ですから、言葉の森の教え方を参考にして指導している教室も全国にはたくさんあります。しかし、本当の実力をつけるなら、やはりオリジナルな教材のある言葉の森で始めることがいちばんの近道です。
実際に、言葉の森では、これまで、中高一貫校の作文試験や、高校入試の推薦作文試験、大学入試の小論文試験などに多くの実績をあげています。小学校の1年生から始めて、中学生、高校生(大学生、社会人の生徒もいますが)までの作文指導を専門的に行っている教室は、全国でもほかにはないと思います。
しかし、これから必要になる作文力とは、単に目の前の作文試験のためだけに必要なのではありません。将来、自分でものを考えて創造的に表現する力をつけるために、作文を書く勉強を低学年のうちから進めていく必要があるのです。
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なるほど。面白いページですね。
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幼長の子のお母さんから相談がありました。「絵はたくさんかくのに、それを作文で表すことができない」ということでした。
しかし、そういうときは、「絵がとてもよくかけたねえ」と褒めてあげるだけです。そのあと、だから、それを作文にどう書かせるかということまで求めなくていいのです。
小学校1年生の子の作文は、最初はみんな2、3行です。絵をかくのに1時間ぐらいかけて、作文は2行ぐらいで終わりとなると、作文の勉強という感じがしないと思います。しかし、そういう子供たちがみんな学年が上がれば自然に長く上手に書けるようになっていきます。
勉強には、成績として出てくる結果の部分と、その結果を出すために費やした努力という原因の部分があります。
小学校低学年の普通の勉強、つまり、計算の練習や漢字の書き取りの場合は、結果と原因が結びついています。計算の練習をするから計算ができるようになり、漢字の書き取りをするから漢字が書けるようになるという関係です。
しかし、こういう結果と原因が結びついている勉強は、レベルの低い間の勉強です。勉強の内容が高度になると、問題を解くから力がつくということはなくなってきます。問題を解くのは結果であって、解く以前の勉強が重要になってきます。
作文の勉強も、勉強の結果と原因が大きく離れています。ここを多くの人が誤解しています。作文を書くから作文が上達するという面は、文章を書きなれるということでは確かにありますが、作文のほとんどは、書く以前の読む力をつける中で育っていきます。
しかし、読む勉強をしているだけでは、書く力はわかりません。そこで作文を書きますが、それはその子の実力の結果ですから、その結果を直そうとするのではなく、結果はたっぷり褒めてあげるだけにして、原因の勉強である読む力をつけるようにしていくのです。
作文の勉強がなぜ難しいかというと、作文は、穴埋め式の勉強のような作業的な勉強ではなく、自主的に何かを考えるという勉強だからです。作文は、自分で考えて書くという勉強ですから、うまく書けないときというのはどうしても出てきます。そこで、勉強のさせ方の工夫が必要になるのです。
その工夫には、いろいろな方法があるので、もし家で作文を書いていて、うまく書かせられないときは、遠慮なく教室に電話をして聞いてください。
工夫の方法の共通点をひとことで言えば、子供が楽しく明るく負担なくできるようにするということです。作文の勉強でそのような工夫の仕方がわかれが、作文以外のほかの勉強は簡単です。作文の勉強は、お母さんにとっては勉強のさせ方の勉強というふうに考えていくといいのです。
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今年、中学入試を作文試験で受けた子から不合格の連絡がありました。よく書ける子でしたし、教科の成績もよかったはずで、勉強もよくがんばっていましたから、本人も納得できない気持ちがあったと思います。
しかし、試験とはそういうものです。実力があっても、運が悪くて不合格になることもあります。大事なのはそれからです。
不合格になったとき、勉強をやっていて自信があった子ほどくやしい思いをします。そのくやしさがばねになって、これからの勉強に生きてきます。すると、早い子では1年もたたないうちに、第一志望に不合格になっていてかえってよかったと思えるようになってきます。そして、ほとんどの子は、3年後、又は6年後の次の入試のときにはすっかり、その最初の不合格を克服して、逆に、「あそこで不合格になっていたから、それをばねにして自分が成長したんだ」と思うようになってくるのです。
そして、そのように自分が成長するだけでなく、不合格になったことの痛みを知っているので、自分よりも弱い人に対しても優しい気持ちを持てるようになります。
また、いつか、自分が大人になり、人の上に立つようになったり親になったりしたときに、部下や子供の失敗をより大きな視野で見てあげられるようになるのです。
ですから、合格不合格の結果は、ただ第一ラウンドが終わったということに過ぎません。不合格になった人が、いつまでもその不合格をひきずって、「あそこで合格していれば、もっといい人生だったかもしれない」などと思っていては、第二ラウンドでも不合格です。
たとえ、第二ラウンドではまだすぐに立ち直れなくても、第三ラウンド、第四ラウンドで、「あそこで不合格になっていたから、かえっていい人生になった」と素直に思える日が必ず来ます。
本当の合格不合格は、何年もたってからわかってきます。そして、あとからわかった合格が、本物の合格なのです。
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素晴らしいアドバイスに感動しています。
失敗のあった人の方が味があるのです(笑)。
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小学校1年生の国語の勉強は、まだ初歩的なものでだれでも楽しくできると思っています。ところが、このだれでもできる国語の勉強で、小学校1年生に既に大きな差がついています。それは作文を書いてみるとわかります。
小学校の低学年では作文をじょうずに書く必要はまだないのですが、作文を書くと、その子の国語力がその作文に表れてきます。
低学年のころは、漢字も読解もやさしいので、国語力の差は出てきません。だれでも同じようにできるので、だれでも国語の力があると思ってしまいます。しかし、実は表面に出ない大きな実力の差があるのです。
なぜかというと、子供たちの家庭での日本語環境の差があるからです。毎日本を読んでいる子と、毎日テレビしか見ない子とでは、日本語の語彙力に大きな差があります。ところが、低学年の国語の勉強はやさしいので、どの子も同じようにできてしまいます。
しかし、やがて学年が3年、4年と上がり、読む文章の質が変わってきます。すると、もともと国語の得意だった子は、国語の勉強が楽しくなりますが、あまり国語の実力がなかった子は、次第に国語が苦手になってきます。
学年が5年生以上になると、国語力の差は決定的になってきます。しかし、このころに国語の勉強を始めようと思っても手後れです。というのは、国語の勉強は成果が出るまでに時間がかかるので、いったん苦手意識を持った子は、その苦手意識を得意意識にまで変えるのはかなり難しくなるからです。
これが、算数数学や英語など、ほかの勉強と違うところです。算数数学や英語の勉強も、力をつけるために時間がかかるのは似ていますが、やり方さえよければ、中学生になってからでも2、3ヶ月の集中学習で苦手を得意にすることもできます。しかし、国語の勉強は、そういうわけにはいきません。
ときどき、短期間で国語の成績を上げるという宣伝をする塾がありますが、実は少しだけ国語の成績を上げることは簡単です。読解のテストのコツを教えると、だれでもすぐに成績が上がります。しかし、その上昇は、本人の実力のあるところまでです。実力そのものを引き上げるというのは、決して短期間にはできないのです。
国語の読解力については、それでも実力を徐々に上げていく方法があります。時間はかかりますが、毎日難しい文章を繰り返し読む練習をすることで、読解の実力は少しずつついていきます。しかし、作文力を上げるのはもっと大変です。作文の苦手な子が作文が得意になるのは、読解力をつけるよりも更に難しいのです。
最近、通信指導の教室や学習塾などで、低中学年から作文を教えるところが増えてきました。教材はビジュアルで一見楽しく勉強できそうです。しかし、悪口を言うわけではありませんが(笑)、果たしてこれで国語力や作文力がつくのかというと疑問です。
確かに、作文を提出すれば、赤ペンの添削がついてくるでしょう。しかし、赤ペンでただ褒めるだけの添削では上手にはなりません。また、赤ペンでただ間違いを直すだけの添削でも次第にやる気がなくします。また、このようにただ書かせて赤ペンで直すだけの指導では、子供が作文を提出するという意欲を持てなくなります。
すると、結局、楽しそうな感じがして始めてはみたものの、やはり続かなかったということになり、しばらくやっていた期間は何のプラスにもならなかったということになります。
国語、作文の勉強は、方針を決めて取り組む必要があります。言葉の森の作文の勉強は、小学校1年生から高校3年生まで一貫した教材で行っています。そして、実際に、小学校低学年から大学受験まで言葉の森で勉強を続けられてよかったという子がかなりいます。国語、作文のようにあとまで響くものほど、最初にしっかりした方針で勉強をしていく必要があるのです。
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作文がなかなか長く書けない子がいます。字数は実力に比例している面がありますから、長く書けない子は大体作文が苦手です。
ただし、低学年のころ長く書きすぎる子の中には、正しい表記で書いていないという子もいます。また、高学年で長く書けない子の中には、物事をよく考えていて、文章のセンスがいいために長く書けないという子もいます。
そういう例外はあるものの、作文の字数と作文の実力の間には、かなり高い相関があります。
長く書けない子に対して、言葉の森の作文テストの週などに(3ヶ月に1回ある)、目標の字数まで何が何でも書くようにがんばらせると、そのあと急に長く書くことが楽になるということがよくあります。
この、「何が何でも長く書くようにがんばらせる」という方法は実は簡単で、近くで先生や親がつきっきりになって手助けをしてあげればいいのです。
長く書けない子は、説明風に書いてまとめてしまうことが多いので、そのときの会話などをできるだけ思い出すようにさせます。また、話が終わって一段落してしまいそうなときは、途中で昔の似た話を思い出して話題を転換します。話題の転換には、本人の話だけでなく、お父さんやお母さんの似た話も入れられます。ほかに、「どうしてかというと」「もし……だったら」「これから私は……」などという言葉をつなぎにして書かせることもできます。
このように無理やりの方法であっても、いったん長く書かせると、次回からはその長さまでは書けるという自信がつきます。しかし、この方法の欠点は、親や先生がつきっきりで応援しないとできないということです。また、いったん長く書くと決めて親や先生が手助けをしたにもかかわらず目標の字数まで書けないで終わりにしてしまうと、かえって子供は自信をなくします。無理に長く書かせる方法は、応援する大人にもそれなりの覚悟が必要になるので、それほど気楽にはできないのです。
ここで考えたのは、書き写し法です。
言葉の森の暗唱長文は、小1から高3までどの学年も1000字程度で、1ヶ月の練習で1000字をまるまる暗唱することができます。この暗唱長文を利用して、自分の作文の字数不足の分を、書き写しするという方法です。
例えば、小学校3年生の目標字数が600字なのに、300字までしか書けなかったというときは、残りの300字を暗唱長文の書き写しにします。暗唱長文は、既に頭の中に入っているので、いちいち文章を見ないでも書くことができます。特に、小学校低学年の子は、目と手と頭がまだ連動していないので、文章を目で見ながら書き写すということがなかなかできません。暗唱した長文であれば、楽に書き写しができます。
言葉の森の学年ごとの作文の字数の目標は、小学校の学年の100倍から200倍の字数です。小1なら100-200字、小2なら200-400字、そして、小6以上は中も高も、600-1200字です。毎回の作文で、常に目標の字数までは書くということが徹底できれば、作文の力は確実についていきます。
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小学校から中学に上がると、勉強の仕方がかなり違ってきます。小学校までも、テストはありましたがそれほど大きな意味は持っていませんでした。中学生になると、テストと成績が大きな意味を持ってきます。そして、その成績をよくするのは本人の責任だと見なされます。
だから、中学生になって、これまでと同じようにただ漠然と授業を受けているだけだったり、与えられた通信教材をこなしているだけだったりすると、やがて、勉強をしているはずなのに成績が上がらないという結果が出てきます。
多くの生徒や保護者は、成績が上がらないと、塾に通えば何とかなるのではないかと考えますが、塾の授業も、学校の授業と本質的には変わりません。勉強というのは、自分の責任で、自分なりに工夫した方法でなければ力がつかないのです。
そこで、これから中学生になるみなさんにおすすめするのは、3月の春休みまでに、中学生の勉強法に関する本をまとめて読み、勉強の方針を立てておくことです。生徒本人が読む前に、お父さんやお母さんも読んでおくといいと思います。中学生の勉強法に関する予備知識が両親にないと、学校や塾のペースに流されてしまうからです。子供の勉強にいちばん責任を負っているのは家庭だということを自覚しておく必要があります。
中学生の勉強法に関する本は、書店には2、3冊しかないと思うので、インターネットの書店を利用するといいと思います。どんな分野でも、新しく何かを始めるときには、10冊をひとつの基準にして読みます。10冊読むと、その分野の全体像が確実につかめるようになります。
勉強法の作戦を立てなかったために成績が伸び悩み、塾や家庭教師に頼るようになることを考えれば、最初の10冊の本代などは安い投資です。きれいに読めば、古本として引き取ってもらうこともできます。
私が昔読んで参考になった「中学生の自宅学習法」という本は、今ではもう絶版ですが、もともと1,500円ぐらいだったものが、中古として2,500円で売られています。高校生向けの国語の参考書として定評のあった「国語1・2」という本は、当時1,000円ぐらいだったと思いますが、今では中古で15,000円です。; ̄ロ ̄)!!
そして、この勉強法の本を読んだあと、家庭でどういう勉強をしていくかを決めます。学校の授業を聞いて、学校で出された宿題だけやっていくというのでは力はつきません。学校の宿題とは別に、自分なりに家庭での勉強の計画を立てておくことです。
おおまかに言うと、国語については、読書と問題集読書で難しい文章を読む時間を毎日必ず確保することです。英語については、教科書を何度も音読し丸ごと暗唱できるようにしておくことです。数学については、少し難しい市販の問題集を1冊用意し(学校でそういう問題集が出ればそれでもかまいませんが、学校の問題集は易しすぎることが多いので)その問題集を百パーセントできるようになるまで繰り返し解くことです。
いずれも、冊子となっているものの方がよいのは、その1冊を繰り返し使うことができるからです。学校や塾や通信の教材で、1枚のプリントで渡されたり薄い冊子で渡されたりするものは、保管しにくいので、結局一度解いておしまいという形になりやすく有効な活用ができません。
中学の国語の試験では、文法の問題がかなり出ます。文法の勉強は、練習量が伴わないことが多いので、国語のよくできる子でも成績が悪くなることがあります。試験の前に、文法の問題集を繰り返し解いておく必要があります。しかし、国語の文法の問題は、高校入試にも大学入試にも出ないので、成績が悪くても気にすることはありません。
中学生になってから勉強のよくできる子は、例外なく家庭での学習をきちんと行っています。くれぐれも、漠然と学校の授業を聞いて宿題をこなすだけという勉強スタイルにならないように、春休み中に勉強の基本方針を立てておきましょう。
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高校入試の作文試験に合格したO君が体験記を書いてくれたので紹介します。
これから作文試験を受ける人は、次の点を参考にしてください。まず第一は、過去問をもとにして自分で書いた作文を繰り返し読んでおくことです。第二は、受ける学校に関連した本を読んでおくことです。(大学入試なら受験する学部に関連した本、高校入試や中学入試なら学問や人生に関する本)
これから少子化が進むと、受験の形態も次第に、時間をかけてじっくり評価する小論文や面接が中心になってきます。普段から本を読んだり文章を書いたりする習慣を持つことが大切です。
合格体験記 中3 渓翡翠 (名前はペンネームです)
第一志望の高校に合格した。
しかも、難しい前期選抜でだ。
他人に自慢できるような内申点があったわけでもないのに、なぜだろうか? やっぱり、作文がよかったのだろうか!?
私が受けた試験の内容は、午前中に作文試験、午後に面接試験だった。
この、高校に行って最初に始まった作文試験。普通の人なら、かなり緊張してしまって、なかなかいい文章を書くのは難しいと思う。しかし私は、事前に作文試験の過去問題をゲットし、練習していて、言葉の森の先生に添削して貰ってかなり自信をつけ、しかもその作文を持っていって、それを読みながらシミュレーションしていたので、まったくといって良いほど緊張しなかった。試験官の、「はじめ」という声を聞いて、「アー始まっちゃったな、よしがんばろうっと」という具合である。
しかし。一生が決まるといっても過言ではない高校入試は、甘くはなかった。作文用紙を見て私は愕然とした。
なぜか。驚いた点は簡単に言って2つあった。
1つめ。時数制限があり、800字しか書けなかった。800字くらいだと、逆に喜ぶ人もいるかもしれない。「やった!! 僕作文苦手だけど、800字くらいなら何とかなるかも!!」というふうにである。しかし、私は違った。普段から言葉の森で1200次以上の作文を書き、その時数に慣れっこになってしまっていた私は、かなり困った。過去問で練習した時も、「まぁ、時数制限なんてないだろうから、書けるだけ書きまくってやる」と考えて、1200字くらいの文しか書いていなかった。そのせいで、考えや書きたいことを短くまとめるのが大変だった。実際、書きたいことが、かなり書けなかった。それでも、言葉の森で使う要約の技術なんかを駆使して、何とか800字に収めることが出来た。
2つめ。作文のテーマが、過去のものと大きく違っていた。私の受けた学校は商船の学校で、作文試験のテーマも「船員として広がる私の夢」だとか、「君にとっての船」といった、「自分の夢や考え」を強調しやすいものだったのだ。だが、私が受けた作文試験のテーマは「船・自動車・鉄道・飛行機・世界・環境、これらの言葉を使ってあなたの意見を書きなさい」。正直、どんなことを書けばいいか分からなかった。自分の考え、というよりもいろんなデータを重視する試験内容だからだ。でも、よいことがあった。言葉の森の先生に、「出来るだけたくさん、船の話や本を読め」といわれて、そのとおりにしていたので、読んだ本のデータなどを基にして、データとともに自分の考えをうまく書くことが出来た。言葉の森でいろんな練習をつんでいたおかげで、急に変わった試験内容と環境にも対応できたのである。
かくして、私は合格した。
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