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創造産業の前提としての日本の国防 (日本の新しい産業 その4) as/1211.html
森川林 2011/03/25 19:20 



 さて、これまで経済活動の本質や、創造の本質について長々と書いてきましたが、これから話は一挙に具体的になります。それは、何よりも日本が今後早急に新しい創造産業を生み出さなければならないという差し迫った状況があるからです。

 今、日本にとって大事なことは二つあります。ひとつは国防、もうひとつは産業です。

 まず、国防ということについて言えば、アメリカの支配と中国の侵略から、日本の独立を守り抜くことです。アメリカと中国は、明確な支配と侵略の意図を持つ国家で、国家が軍隊と一体となって行動しています。それに対して日本には、明確な国家戦略もそれを支える強力な軍隊もありません。

 日本は、平和憲法に書かれているとおり、他国の善意に信頼して国際社会の中で生きていこうとしています。しかし、日本が考えるような善意を持つ国は、世界にはほとんどありません。日本以外の世界中のほとんどすべての国は、自国の利益のために他国を支配し侵略することに何のためらいも持っていません。日本人の持つ倫理感は、世界の標準から見ると進みすぎているのです。

 これまで日本が、他国の善意に信頼して来られたのは、日本が根本的なところで、他国、特にアメリカと中国の利害に深く対立していなかったからです。しかし、いったん利害が対立したらどうなるでしょうか。アメリカはもともと、自国の利益のために、何の合理的な根拠もなくイラクに戦争をしかけ自国の支配下に置くような国です。中国もまた、自国の利益のために、何の合理的な根拠もなくチベットとウイグルを支配し続ける国です。アメリカと中国が気にするのは、国際世論でどう言われるかという外面的な建前だけであって、決して内面的な倫理感ではありません。日本の周囲の国は、すべてこのような野蛮な国々なのです。

 そして、更に大事なことは、これから世界の経済が全体的に低迷化する中で、日本とアメリカや中国との利害の不一致が今後大きくなっていく可能性が高いということです。利害の対立が利害の一致よりも大きくなれば、アメリカと中国はどのような口実も作ってでも日本をイラクやチベットのように自国の支配下に置き、日本の独立と日本の資産を奪いに来るでしょう。

 そのときに、アメリカや中国の動きにブレーキをかけるものがあるとすれば、それは日本人ひとりひとりが持つ独立心です。かつて日本を占領したアメリカ軍が、戦争に勝利しながら日本という国を解体することができなかったのは、それまでの硫黄島、沖縄での激戦、特攻隊の攻撃などに見た日本人の独立心に恐れを抱いていたからです。

 同じことは、今でも通用します。ベトナムは、日本と同じように小さな国でありながら、アメリカの侵略をはねのけ(ベトナム戦争1960年12月-1975年4月)、その後、中国の侵略をはねのけました(1979年2月-3月)。日本人ひとりひとりが日本の独立を守る意志を持ち続けるかぎり、どのように強力な軍事力を持つ国家も日本を支配することはできません。

 これから経済環境が困難を増すにつれ、日本の周囲の国々は、アメリカや中国ばかりでなくロシアも北朝鮮も韓国も含めて、日本の富を奪うために日本を支配するためのさまざまな策略をめぐらしてくるでしょう。その策略の中には、当然暴力的なものも含まれます。野蛮な国々に、日本に対する侵略を思いとどまらせるのは、日本人ひとりひとりが強い意志を持っているということを示すことです。

 世界中の国が、日本人はどんな弱者に対しても優しいが、しかし決して力で屈服させることはできないということを共通の認識とすれば(そして、それは既にそうなっていますが)、日本を侵略しようとする国はなくなります。たとえ一時的に日本を侵略できたとしても、日本人のすべてが、小野田寛郎(おのだひろお)さんのように最後のひとりになっても日本を守るという意志を持っていれば(そして、それも既にそうなりつつありますが)、日本の侵略を維持できる国はありません。

 大事なのは、日本が明確にこの意思表示を行うことです。日本を脅かすどのように小さな不正であっても、それを黙認せず、日本を守ることをはっきりと明言することです。

 さて、日本の防衛に対して、今緊急に必要なことは、三つあります。

 第一は自衛隊を日本を守るための正式の軍隊として認め、その存在に誇りと自信を持たせることです。自衛隊という名前と立場は今のままでもかまいませんが、日本国民と自衛隊が一体感を持つことが重要なのです。

 しかし、それは、日本がより強力な軍隊を持ったり、核兵器を持ったりすることではありません。力に対して力で対抗しようとすることは、日本が、アメリカや中国と同じレベルの国になることです。

 力の均衡という論理を前提とするかぎり、世界には永久に平和は訪れません。なぜなら、今のアメリカやロシアに見られるように、ある時期、自国の経済力に対応した軍事力を持っていた国が、やがて経済の衰退とともに、国力に不釣合いな軍隊を持つようになるという歴史の変化が必ずおきるからです。そして、その一方で、中国のように新たに経済力をつけた国がその国力に応じた軍事力を持とうとすれば、世界には、常に経済力の不均衡に見合った軍事力の不均衡が新たに生まれます。

 国家間の問題の解決に軍事力は使わないという原則を打ち立てることが、地球の平和の最も確実な保障になります。そして、その原則を率先して提案できる唯一の国は日本です。核兵器を開発する科学技術も経済力も十分に持ちながら、しかし敢えて核兵器を持たないと世界に宣言している国は、日本だけです。世界中の心ある人たちは誰もが、日本が中心となって世界に平和が訪れることを期待しているのです。


 第二は、既に日本の国内に潜伏しさまざまな工作を続けているはずの、中国、北朝鮮、アメリカ、ロシアなど他国の諜報機関に対して、日本独自の諜報機関を強化して対抗することです。軍事訓練を受けたプロの工作員から日本国民を守れるのは、日本側のプロの組織だけです。

 第三は、海外、特に中国からの大量の移民に大きな制約を課すことです。多くの善良な移民に紛れ込む形で、必ず日本の国内工作を目的とした組織が、民間人の顔をして日本に永住しようとしているからです。

 日本は、アジアの国々と政治的、経済的、文化的に深く交流していく必要があります。しかし、それは日本の玄関を開ける鍵を相手に渡すことではありません。外国人を、日本の客間に招き入れるのはいいのですが、寝室にまで入れることは拒否しなければなりません。まして、外国人が勝手に入り込んでその家の書斎や金庫を自由に使うようなことを許してはなりません。具体的には、外国人を政治やマスコミや教育の中枢に入れることについては、個々に慎重に審査し、必ず一定の歯止めをかけておく必要があります。

 日本は、世界のほかの国とは違います。世界の中でただひとつだけ、国全体が人間の共感を前提として成立している家族的国家です。日本のこの独自の文化を守るためには、移民に関してグローバル・スタンダードを適用することはできません。日本は、世界中の国に門戸を開いています。しかし、それは外国人が日本の国を自由に支配していいということではありません。日本の国は、日本人を中心に、日本を心からよい国にしていこうと思う人たちだけで運営していく必要があるのです。(つづく)

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新しい産業(23) 

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人間の持つ創造性の土台としての不完全性 (日本の新しい産業 その3) as/1210.html
森川林 2011/03/24 21:17 



 日本の未来の産業は、IT産業でも金融工学産業でもありません。もちろん、農業でも、製造業でも、サービス業でもありません。

 これらの過去の産業に共通しているものは、自然や人間がもともと持っている力を拡大し、その一方でその仕事にかかわる人間の労働を省力化することによって利益を上げるという方法でした。そのため、その産業の内部での革新が行き詰まると、企業はリストラによって利益を確保するという方向に向かいました。

 この方向の先にあるものは、ある意味でユートピアともいえる不思議な世界です。従来の産業が発展した先にある究極の社会は、ロボットがすべての生産活動を行い、人間はその成果を消費するだけという社会です。そこでは、ほしいものがすべて無料で手に入ります。だから、労働する必要のない人間は、無給でも困ることはありません。

 しかし、この世界は、南の島でバナナを食べ放題の人たちの暮らす社会と本質的には何も変わっていません。変わったのは、バナナのかわりに、もっと多様なものが手に入るようになったということだけです。

 生産力が極度に発達し、労働がすべて機械にとってかわられるようになった社会では、人間のすることは豊かな消費だけになります。この平和な停滞した社会は、もはや自らの内部に、問題を発見し新しい何かを創造するという動機を持ちません。このような社会では、人間は、機械の恩恵を受けるサルと同じような存在になっていきます。ボタンを押して機械を利用することはできますが、その機械がどのような仕組みで動いているのかは知りません。まして、自分がその機械を作ったり改良したりすることなど思いもつきません。

 豊かな日本の社会では、既にこのような若者たちが生まれています。物心ついたときから、テレビも車もエアコンもあり、インターネットでいながらにしてほしいものが手に入る環境で育った子供たちは、消費には敏感ですが、自分で何かを生産するという動機には乏しいのです。



 人類の未来がこのような停滞したユートピアにならないようにするためにも、これからの日本が生み出すものは、新しい創造産業でなければなりません。この創造産業を生み出すだけの経済力と文化を持った国は、世界の中でも日本しかないからです。

 創造産業は、従来の産業と違い、人間の労働を減らすことによって価値を生み出すのではなく、逆に人間の特質を生かすことによって価値を生み出します。この場合の人間の特質とは、創造性です。

 従来の産業が、人間の労働の省力化をめざしたのは、そこで使われている人間の労働力が創造性を抜きにした労働力だったからです。工場で歯車のねじをしめる仕事、物を運んで送り先に届ける仕事、エレベーターで開閉のボタンを押す仕事、レジで金額を計算し代金をもらう仕事、これらの仕事に求められる人間の資質は、故障のない機械に求められているものと同じです。ブルーカラー、ホワイトカラーに限らず、現在のほとんどの人が従事している仕事は、本来人間がやるよりも機械に任せた方がよい仕事です。人間は、機械に代替できる仕事ではなく、人間だけができる創造の仕事をするために生まれてきたのです。

 では、人間が、他の生物やロボットが持たない創造性を持っているのは、なぜなのでしょうか。人間の創造性の土台は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、実は人間が本来的に持つ不完全性に根ざしています。創造とは、不完全なものがより完全なものを目指すときに現れる新しい空間のことです。

 機械が不完全であれば、それは単なる故障した機械でしかありません。機械は完全であることによって本来の役割を発揮します。だから、機械の中には創造へと向かう動きはありません。逆に、完全な人間がいたとしたら、その完全な人間の中にも創造へと向かう動きは存在しません。不完全さの中に生きる人間だけが、創造への強い意志を持っているのです。

 未来の創造産業は、この人間が持つ創造への意志によって成立する産業です。



 さて、人間の持つ不完全性は、人間の身体と言語に特徴的に表れています。

 人間の身体が不完全であるために、人間は生まれつきの素質のままでは、どのようなスポーツも上手に行うことはできません。一方、他の動物は、生まれつきの素質のままで、自然の中を自由に生活していくことができます。犬や猫が、持久力や瞬発力をつけるためにトレーニングをするということはありません。しかし、人間は、この人間の身体が不完全であるがゆえに、訓練することによってある運動に熟達し、その分野で新しい技能を作り出すことができます。

 身体の不完全性は、運動だけでなく感覚にも表れます。人間の感覚は、味覚も、触覚も、視覚も、聴覚も、不完全であるがゆえに、訓練によってより高いレベルに到達することができます。この身体の不完全性、したがって向上の可能性の中に、創造産業の芽があります。

 人間のもうひとつの不完全性は、言語の中に表れています。動物は、一方通行のうなり声やさえずりのような言語は持っていますが、コミュニケーションの道具としての言語は持っていません。集団行動をするオオカミなどは、ある種の以心伝心の力を持っているようですが、この場合のテレパシー的な言語は、人間の持つ不完全な言語とは違って完全な言語です。

 機械が持っている言語は、プログラミング言語に見られるようにやはり完璧な言語です。正しいコマンドであれば、だれが命令してもソフトは正確に動きます。しかし、つづりを1文字間違えただけでも、全く動かなくなることがあります。(私も、ただ一ヶ所の半角スペースや改行記号が抜けていたためにプログラムが動かず、原因探しに数時間かけたというようなことが何度かありました。)

 人間の言語は、この動物の言語とも機械の言語とも異なっています。その特徴は、不完全な言語であるということです。しかし、人間の言語のこの不完全性こそが、創造の土台となっています。

 簡単な例を挙げると、人間が、トウモロコシを間違えてトウモコロシと読んだとき、機械はそれをエラーと見なすでしょう。動物は(人間の言うことが通じる犬のような場合)それを正しいトウモロコシに還元して理解するでしょう。しかし、人間だけは、この間違いを笑いとして受け止めることができます。ダジャレの本質は、言語の不完全性が、人間の受け取り方によって笑いに転化することにあります。

 正しいもの、完全なものは原則としてひとつしかありません。しかし、間違ったもの、不完全なものは原則として多数存在します。この不完全性の多様さこそが、創造の多様性の土台となっています。

 言語の持つ不完全性は、ダジャレのような単純なところだけでなく、もっと大きく学問体系の創造のようなところにも表れます。ある学問分野で、これまでA→Bだと考えられていたものが実はA→B→Cであると理解が進んだとき、隣接する学問分野に、類推できる理論A’→B’があると、そこから未知のC’を創造ないし発見しようという動きが出てきます。

 例えば、自然科学におけるダーウィンの進化論は、社会科学におけるダーウィニズムを生み出し、そのダーウィニズムに基づいて優勝劣敗の制度の合理化という政治経済政策を生み出しました。しかし、逆に、その優勝劣敗の制度の矛盾が明らかになってくると、今度は、もとの自然科学の分野にまでさかのぼってダーウィニズムの弱点や限界が明らかになっていくのです。このように考えると、学問の発展は、完全な真理の発見の過程ではなく、無限に続く真理の創造の過程だということができます。この無限の創造性の土台となっているものが、人間の持つ言語の不完全性なのです。(つづく)



※話がだんだん長くなっていきますが、これから次第に具体的な話に進み、やがて作文の話に戻るので、もうしばらくおつきあいください。(^^ゞ

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新しい産業(23) 

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日本の未来は創造産業にある (日本の新しい産業 その2) as/1209.html
森川林 2011/03/23 20:58 



 製造業にもサービス業にも未来はないと言っても、当面、日本の経済は、製造業とサービス業でやっていくしかありません。

 製造業は、総体的には低賃金の新興国に追い上げられているとはいっても、まだ多くの分野で日本独自の技術が優位を保っています。また、サービス業は、日本人の細やかな感性に支えられて、多くの分野で他国のサービス業よりも優位に立っています。

 しかし、未来の大きな流れを見ると、製造業とサービス業で日本経済が発展することはもはやありません。また、観光や介護や医療や福祉にも、日本の産業の未来はありません。

 日本の未来の産業は、これまでとは異なる分野で新しく生み出す必要があります。その新しい産業を、創造産業と呼ぶことができると思います。



 江戸時代は、日本が国内だけで自給していた時代です。当時の主要な産業は農業でした。そして、その農業の生産力に支えられて、大量の武士階級が養われていました。当時の武士は、社会に新たな価値を創造することのない、悪く言えば一種の寄生階級でした。

 しかし、江戸時代の日本は、当時の世界の中で最も豊かで平和で知的水準の高い社会を作り出していました。それは、第一次作業である農業と、社会の寄生階級である武士との中間の社会に、密度の濃い多様な文化が産業として成立していたからです。この多様な文化が、江戸時代における創造産業でした。



 ここで話は原理的なことになりますが、社会の豊かさがどこから生まれるかと言えば、それは豊かな供給からではありません。

 熱帯地方では、一年中食べられる果物が実っている地域があります。しかし、そこに住んでいる人は、必ずしも豊かではありません。むしろ、食物の豊富な熱帯地方は、貧しい社会と重なっている場合がほとんどです。江戸時代の豊かさの条件のひとつに、農業生産力の発達があったことは確かですが、その農業が豊かさを生み出す主な要因だったのではありません。

 では、豊かさは需要によって生じるのかといえば、それも正確ではありません。一年中食べられるバナナが実っていて、そのバナナを食べて暮らしている人がいるというだけでは、そこにはただ静的な循環があるだけです。そのような循環は、自然界のすべての生き物についてあてはまる生活サイクルであって、人間社会の豊かさを説明することにはなりません。

 人間社会の豊かさは、人間の持つ想像力に由来しています。人間は、想像力によって、今既に存在している供給を超えた未知の需要に対して憧れや欲望を持ちます。この欲望が、静的な循環から抜け出る努力や工夫という創造的な不均衡を生み出します。この不均衡の分だけ社会は豊かになり、それがまた新たな不均衡と新たな豊かさを生み出すのです。



 例えば、毎日バナナを3本食べて満足に暮らしていた山奥の人が、ある日、海辺の人に出会い、カキという貝のおいしさを知ったとします。海辺の人は、年中カキがとれるので、やはり毎日カキを3個食べていれば満足に暮らしています。

 山の人は、これまでのバナナ3本の生活に飽き足らず、せめてカキをもう1個食べたいという欲望を持ちます。その欲望は、カキに対する憧れという想像力によって生み出されたものですから、山の人は、カキ1個のためなら、バナナ2本と交換してもいいと思います。

 一方、海の人も、いったん知ったバナナの味に対して憧れを持ちます。海の人は、バナナ1本のためなら、カキ2個と交換しても惜しくないと考えます。

 こうして山の人は2本のバナナを持って海辺へ向かい1個のカキを手に入れて満足して山に帰ります。一方、海の人は2個のカキを持って山に入り1本のバナナを手に入れてやはり満足して海に帰ります。この結果、海と山とで、それぞれカキ1個分とバナナ1本分が豊かになっていったのです。

 この豊かさは、交換や流通や分業によって生み出されたものではありません。交換や流通や分業は、豊かさが実現する形式であって、豊かさの内容ではありません。豊かさの内容は、人間が最初に抱いた欲望であって、その欲望が、需要を上回る供給を生み出すとともに供給を上回る需要を生み出すことによって、社会を現状よりも豊かに発展させる動因になっているのです。



 日本の経済の低迷は、実は先進国に共通する低迷であって、もっと言えば人類全体の低迷です。確かに地球全体で見れば、新興国や途上国に見られるように、その国の国民の欲望が新たな需要と供給を作り出す国が次々と生まれています。もっと豊かな生活をしたいから、もっと長時間働き、もっと生産や流通の方法に工夫を加え、もっと多くの需要と供給を生み出したいと願う広範な大衆がいる国では、経済は発展しているように見えます。しかし、その発展は、新しいものの発展ではなく、古いものの周回遅れの発展であって、その遅れが次々と低賃金の国に伝播していき、最後には地球全体で静かに消滅するという歴史の流れの中の、最後の仇花としての発展です。

 その最後の仇花が咲き終わったあとに、人類のゼロ成長の恒常的な安定の時代が来るとしたら、その安定の時代はあまりにも魅力のない時代ではないでしょうか。今の日本は、世界の中でいち早くそのゼロ成長の社会に突入しようとしています。日本が今の経済力のまま、社会に格差がなくなり、みんながそれぞれ自分の分に応じた生活をするという世の中になったとしても、それが果たして私たちの理想の社会だと言えるのでしょうか。

 日本は、今の新興国が目指している経済発展とは全く異なる分野で、これまでの発展の何十倍にもなる新しい発展を目指さなければらないのです。しかし、その発展を担う産業は、もちろんIT産業でも金融工学でもありません。(つづく)



※話がだんだん長くなってしまいました。作文教室とは関係ない話と思う人もいるかもしれませんが、実は最終的には作文の学習と深く結びついています。もうしばらくご辛抱ください。

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日本の新しい産業(その1) as/1208.html
森川林 2011/03/22 15:09 



 震災後、被災者の安全や住居が確保されたあと、まず考えなければならないのは、被災者の今後の仕事だと思います。

 今回の震災で仕事を失った人の中には、農業や漁業の人もいるでしょうし、勤め人や公務員だった人もいるでしょうし、その街で自分で会社や店を経営していた人もいるでしょう。多様な職業の人に仕事を確保するのに通り一遍の方法ではできません。当面は、周辺の地域が協力して、個々の状況に合った雇用先を生み出していくほかはありません。

 しかし、現在の日本は、経済全体が低迷して、大規模な雇用を生む活力に欠けています。当面、震災からの復興の需要があるでしょうが、少なくともこの復興の事業は、日本の企業中心に行う必要があります。また、米国に借金として貸し付けた形になっている米国債も、米国の事情もあるにせよ部分的にはただちに日本に返済することを要求していくべきだと思います。こういうことが正々堂々とできてこそ、日本の政治がリーダーシップを発揮したことになります。



 ところで、長期的に考えると、今後、日本経済は新しい産業を生み出さないかぎり今の衰退を抜け出せません。

 その新しい産業は、製造業ではありません。製造業は、今の新興国の追い上げに見られるように、低賃金の労働力が確保できるかどうかが優位性の差になっています。しかし、労働力に依存しない高度化した製造業は、逆に雇用吸収力がありません。多くの雇用を生み出すような製造業は、日本ではもはや成り立たないのです。

 しかし、新しい産業は、サービス業の中にもありません。サービス業は、人間がサービスの主体になることが多いので、雇用を生み出す力はありますが、今のコンビニや飲食業のアルバイト店員の賃金に見られるように、傾向的に低賃金化していきます。サービス業は、マニュアルによってサービスの差がなくなれば、やはり低価格の競争にならざるを得ないのです。また、もっと大きな問題は、マニュアル化されたサービス業は、その仕事に携わる人に技術の蓄積を生み出さないということです。サービス業は、何十年勤めてもベテランにはならないのです。



 このように考えると、日本は、新しい産業を生み出す方向でしか発展する道はありません。

 現在は、多くの人が先の展望が見えない中で、とりあえず将来の安定した収入を確保するために学力を身につけておくという選択をしています。しかし、日本経済全体が衰退していく中では、学力や学歴も決して将来の保証にはなりません。

 新しい産業を作り出し、日本を再び経済的に発展させることができるのは、当面はやはり政治の力によるしかないのです。(つづく)

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森川林 2011/03/20 20:58 


 今回、インターネットのさまざまなサイトで、貴重な情報を得ることができました。その中の二つのサイトを紹介します。(既にご存知の方も多いと思いますが)

●副島隆彦の学問道場(広報ページの1202番に現場の記事が載っています)
●武田邦彦さんのページ(科学的な裏づけのあるデータが載っています)

 また、地域で言葉を交わした何人かの方から、自分たちにできることは祈ることだから心を込めて祈っているという話を聞きました。世界中の心ある人たちが同じように、日本のために祈っていてくれたようです。この人間の想念の力も、現地で給水作業に従事していた人たちと同じように、大きな力を発揮したと思います。

 今回の地震原発の事故を通して私があらためて知ったのは、日本には、みんなを守るために自分の生命を投げ出す覚悟を持った人たちが多数いたということでした。最初は少し驚きましたが、すぐに、やはりそうだったのだと納得しました。

 これからも困難な状況は続くかもしれませんが、私たちひとりひとりがこの勇気と愛を持ち続けるかぎり、日本は決して滅びないと確信しました。

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国民の英知を結集した情報交換を(日本の復活に向けて(その2)) as/1206.html
森川林 2011/03/19 19:52 


 今回の事故で、最も頼りになったのは、在野で専門的な知識を持ち、国家的な志を持っている人たちの提供する情報でした。

 これを、今後の日本の情報環境の再構築に大きく生かすことができます。

 第一は、だれでも自由に投稿できる専門分野別の掲示板を設置することです。
 第二は、その掲示板の管理者が議論を整理し、わかりやすく専門外の人に伝えることです。
 第三は、その管理者は、参加者の民主的な投票によって選出されることです。

 このようにすれば、在野の優れた知識を集め、天下り的な情報コントロールのない、自由で知性的な議論が提供できると思います。

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連休中の雨に備えて、福島原発周辺の下水管の閉鎖を as/1205.html
森川林 2011/03/19 12:40 
 3月20日、21日は、前線の通過に伴い、全国的に雨が予想されます。
 福島原発の周辺も雨になるはずですから、この雨水を原発の冷却として利用することができます。
 雨水を有効に生かすために、原発周辺の下水管を閉鎖し、水はけの悪い状態を意図的に作っておく必要があります。
 既に似たようなことは考えられていると思いますが、もしまだなら、現場で具体策を検討していただきたいと思います。

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日本の復活に向けて(その1) as/1204.html
森川林 2011/03/19 09:05 


 個人的なことを言えば、3月11日からこの1週間は、私はかなり絶望的な気持ちでした。日を追うごとに、事故が質的にも量的にも悪化していたからです。

 しかし、昨日、東日本を放棄して新しくやり直せばいいと思ってから気持ちが切り替わりました。ちなみに、東日本は、私の住んでいるこの横浜も入ります。

 事故は、まだ何の収束の見通しもありません。これから更に大きな事故に発展する可能性もあります。

 しかし、いずれにしても最悪の地点を出発点にして、これから新しい日本を作っていけばいいのです。日本人全体の勇気と知性と愛をもってすれば、不可能なことは何もないと思います。



 さて、情勢は流動的なので、そのつど客観的に判断していく必要があります。

 まず、福島県周辺の地域の住民は、もっと広範囲に避難する必要があります。放射能をふくんだちりが、公式な説明やテレビの報道以上に拡散している可能性があるからです。

 関東地方の東京や神奈川などには、まだ大きな影響は出ていません。しかし、北風の日や雨の日には外出しないというのが原則です。

 このあと、北東の風が吹けば、関東地方は放射能汚染地域になりますが、その可能性は低いと思われます。しかし、いずれにしても天候次第の綱渡り状態が続きます。

 20日、21日の連休に、日本列島は前線におおわれ、東北地方も含めて全国的な雨になります。私は、この天候が原発の冷却と事故の収束に結びつくと期待しています。



 いずれにしても事故が収束に向かったあとの今後の対策を考えておく必要があります。

 第一は、被災地(の範囲がどこまでになるかは未定ですが)の人々を、全国民の協力で助けていくことです。この点については、日本人の国民性を考えるかぎり全く問題はないと思います。日本の復興のためには、今、日本が持っている使われていない膨大な資産を大規模に投入する必要があります。

 第二は、放射能の無害化についての研究を進めることです。このためには、現在の科学ではまだ発見されていない新しい理論と方法が必要になります。放射能無害化の本質は、元素転換です。動植物の体内では、常に、ある元素からほかの元素への転換が行われています。そのために、植物は水と光と空気だけで、葉を茂らせ花を咲かせ実を実らせることができます。ゾウやキリンは、その植物を食べるだけで、あの巨体を成長させています。この原理を人間がコントロールできるようになれば、放射能物質を無害な元素に転換することはできると思います。

 第三は、全く新しいエネルギー源の開発を進めることです。かつて日本が戦争に巻き込まれたのも、大きく見ればエネルギーが国内で自給できなかったためです。日本は、今後、石油、原子力にとってかわる安全で自給可能なエネルギー源を開発していく必要があります。そして、それは今の段階でも既に見通しがあります。新しい画期的なエネルギーの開発が進まなかったのは、石油や原子力への依存が大きすぎたためです。国民の総意が新エネルギーの開発に向かうならば、これはかなり早い時期に実現に向かうと思います。

 第四は、政治の一元化です。今回の事故とその後の対応を見ても、関係者各人の必死の努力があったことは認めますが、統一的なリーダーシップがやはり不足していたように思えます。リーダーが大局的な立場から方針を出し、組織全体がその方針で動くというのではなく、リーダーが大衆と同じレベルで情勢へのその場の対応に追われているという感じがしたのです。また、国民(というかマスコミ)が、リーダーに、大局的で理性的な方針よりも、感覚的な真剣さととりあえずの行動を求めていたことにも大きな問題があると思います。マスコミの目のつけどころの低さが、日本人全体の知性の低下を生み出しているのです。日本の政治は、軍国主義の復活を予防するという名目で何重にもわたって手かせ足かせをはめられてきました。しかし、今、政治に求められているのは、統一した行動力です。そして、強力な政治と民主主義の両立は、少しの工夫をすれば十分に可能なことなのです

 以上、この、災害からの復旧、放射能の無害化、新エネルギーの開発、政治の一元化を、国民の総意として進めていく必要があると思います。

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主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
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