創造産業の広がり方を、流鏑馬を例にとって説明しましたが、では、ほかにはどのような新しい創造産業の文化が考えられるでしょうか。
まず、流鏑馬に関連して、先に述べた馬の飼育、弓矢の制作などがあるでしょう。このほか、小動物の飼育に関しては、鷹の飼育(鷹匠)、ウズラの飼育、ウソの飼育、金魚の飼育、コイの飼育、猿回しの訓練、イルカの訓練、伝書鳩の訓練などもあるでしょう。江戸時代には、オカメインコやトイプードルなどはいなかったでしょうから、これからそういう新しい種類の小動物についても日本人の手による品種改良や訓練が行われるようになります。カラスは賢い鳥ですが、その鳴き声と色とゴミ箱をあさるという性質から、多くの人に迷惑がられています。しかし、これから長い時間をかけてカラスの品種改良を行い、クジャクのような羽を持ち、カナリヤのような声を持ち、人間の命令に忠実なカラスが作られれば、カラスは一種のペットとして人間と共存することができます。すると、カラス訓練士などというものも、ひとつの創造産業になる可能性があります。
植物について言えば、日本では、これまで、アサガオ、サツキ、オモト、ランなどにさまざまな品種改良が加えられ、多くの品種が作られてきました。現代の日本は、江戸時代にはなかった世界中の珍しい植物が手に入ります。すると、ここで更に個性的な植物改良が行われる可能性が出てきます。例えば、よい香りのするラフレシア、ゴキブリを専門に食べるウツボカズラ、ペットボトルのかわりになるフルーツなどです。
これまでの産業構造では、このようなユニークなアイデアは、漫画の話題になるぐらいがせいぜいでした。しかし、これから生まれる創造産業の社会では、作る本人がその内容について強い興味を持ち、その分野の専門の知識や技能をもとに創造的な作品を作り出し、その仕事を同じように面白いと思う人が、その作品や作成技能に関心を持つようになれば、そこにひとつの新しい産業が生まれます。文化というものは、初期の段階では取るに足らないようなものであっても、人間がその身体性を土台に時間をかけて技能に磨きをかけていくと、突然その分野に新しい創造が生まれることがあります。例えば、植芝盛平(うえしばもりへい)が創始した合気道は、単なる武道から質的に異なる超人的な段階にまで到達しました。似た例として、野口晴哉(のぐちはるちか)の整体、肥田春充(ひだはるみち)の強健術など、日本にはさまざまな創造文化が生まれています。
現代が江戸時代に比べて有利なのは、世界中からの新しい素材や道具が利用できるようになっていることです。工芸品として、木工細工、金細工、うるし塗り、陶芸、染物、織物などがありますが、今後、セラミック、樹脂、新素材などを利用した新しい工芸品が創造される可能性があります。また、コンピュータのプラグラムとセンサーを利用して立体彫刻を短時間で作る技術なども既に実用化されつつあるので、そういう新しい技術を利用した新しい工芸分野が生まれる可能性もあります。しかし、この場合も重要なことは、技術や方法に還元した機械的な生産に向かうのではなく、あくまでも人間の身体性に依拠した個性的な熟練を高めていく方向で、創造産業と向上産業を組み合わせていくことです。
日本で伝統的に道の文化として挙げられるものに、茶道、華道、書道などがありますが、絵画、漫画、歌、踊り、落語、講談、寸劇、衣料、美容、など、今後さまざまな分野で新たに道の文化が創られる可能性があります。茶道を創始した千利休のように、ひとつの分野に情熱を持って追求する人がいれば、どのようなものもそれ自体が道の文化になることができます。
創造の分野は、どこにも無限に広がっています。新しい楽器、新しいスポーツ、新しい芸術、新しい行事、新しいお祭り、新しい趣味、新しい文学、新しい舞踊、新しいファッション、新しい名所など、その分野に興味と関心を持つ人が考えれば、いくらでも多様化、細分化、専門化した創造産業を生み出すことができるのです。(つづく)
国防の話を長く書いてしまいましたが、これは何をするについても大きな前提となるものだからです。私たちのささやかな日常生活における個人の夢の追求も、すべて国家が安定しているからできることです。国防は、あらゆることに優先して対処していかなければならないのです。
しかし、国防だけでは不十分です。これまでの多くの論者の日本論を見ると、日本を守らなければならないという点では共通していますが、守ったあとに何を育てるのかという内容が不在でした。日本を守れば、日本はそれから自然によくなるだろうと考えているかのような日本論がほとんどだったのです。
ここからいちばん重要なことになりますが、日本にとって大事なことのもうひとつは、新しい産業を育てることです。その新しい産業が、創造産業です。
創造とは、人間の持つ身体と言語の不完全性によって成り立つものです。不完全なものがより完全なものをめざそうとする過程で新しい創造が生まれます。ですから、創造産業の中心になるものは、さまざまな身体文化、言語文化の創造です。
しかし、この身体性を、技術や方法という機械的なものに向けてしまえば、それはこれまでの産業がそうであったように、人間の労働力をできるだけ省略して利益を上げるという方向に進みます。そのような産業では、人間は単なる消費者になり、生産者つまり創造者であり続けることはできません。身体性は、あくまでも個人の身体に依拠して発展させていく必要があります。それでこそ、創造産業は、新たな無数の雇用を創出することができるのです。
ここから具体的な話に入ります。身体ということでまず考えられるのがスポーツです。今、世界には、サッカーやバスケットボールや野球などさまざまなスポーツがあります。オリンピックには、毎回新しい種目が追加されます。このスポーツを、新しい産業として個人が自分の身体性を生かしながら創造していくことが考えられます。
例えば、鎌倉で毎年おこなわれている流鏑馬(やぶさめ)。流鏑馬に参加する人の中には、馬に乗って走りながら矢を射るということが人並み以上に得意だという人がいるはずです。その人が中心になり、流鏑馬の技を極限まで発展させて、流鏑馬を全国的なスポーツ種目に育て上げるのです。すると、まず流鏑馬教習所のような学校が各地にできます。そして、その流鏑馬の広がりに対応して馬の飼育と弓矢の改良が新たに始まります。また、流鏑馬を行うための流鏑馬場が、ちょうどゴルフ場が作られるように新たに作られ、そこに見物に来る人たちに向けた新しい商品や新しい店が作られます。家庭で流鏑馬の練習をしたいという人向けに、ゲームのソフトとハードも開発されるかもしれません。こういう一連の流れが、身体の持つ創造性で、これが創造産業の中身です。
ひとつの創造産業は、新たな創造産業の機会を次々と生み出します。流鏑馬の例で言えば、馬の飼育に長けた人は、馬の飼育を極限まで追求し、さまざまに優れた馬を生み出すでしょう。白文鳥は、日本人が開発した文鳥で、英語ではジャパニーズ・ライス・バードと呼ばれています。江戸時代には、この文鳥のようにさまざまな鳥が改良され、鳴き方のきれいな鳥(ウグイスやウズラなど)、姿形の美しい鳥(尾の長いニワトリなど)、力の強い鳥(シャモなど)などが次々と作られました。同様に、馬の飼育がひとつの技として継承されていけば、色のきれいな馬、姿形のよい馬、声のよい馬、速い馬、優しい馬、ペットになるような小馬など、さまざまな種類の馬が開発されていくでしょう。すると、この馬の飼育自体がひとつの産業になっていくのです。
このように考えると、創造産業の種は際限なく思いつきます。それらがすべて、個々人の興味、関心、趣味、特技に根ざして作られていくのですから、1億人いれば1億通りの創造産業が可能で、そのいずれもが働くことが楽しくてたまらない天職ともいえるものになります。
そして、創造産業のレベルが次第に上がるにつれて、創造産業はそこに従事しようとする人に長期間の身体的訓練を要求するようになります。再び流鏑馬の例で言えば、小学校から流鏑馬教室に通う子供たちも育っていくということです。もちろん子供の可能性は無限ですから、流鏑馬意外にさまざまな習い事をするでしょう。それらの習い事の中から次第に自分に向いているものが長く続くようになり、それが自身の将来の創造産業を作り出すことにつながっていくのです。
このように、創造産業は、その創造のレベルを支えるために、新たな向上産業というようなものを生み出します。創造と向上の中で、人間が幸福に生きることができ、それが同時に社会への貢献に結びつきます。こう考えると、ここにまさしく人間の生きる目的である、幸福、向上、創造、貢献が、ひとつの産業活動として成り立っているのを見ることができます。
創造産業は、日本独自の輸出産業にもなります。ひとつは、創造産業に従事する人を育てるための道場のようなところに、海外から研修を希望する人が留学してくることです。日本という国全体が、ひとつの巨大なカルチャーセンターのようなものになり、世界中の向上心のある人がそこに学びに来るのです。もうひとつは、創造産業の道場を海外に作り上げることです。それは、日本発の創造文化を世界に広げる機会になるでしょう。
そして、この創造産業の生み出す経済的価値は、これまでの農業や工業やサービス業が生み出すものとは比較にならないほど大きなものになります。例えば、工業製品の中で価格の高いものの代表ともいえる自動車は、せいぜい数十万円から数百万円です。ところが、ピカソの絵やロダンの彫刻は、ひとつの作品で数千万円から数億円にもなります。創造産業が発展するにつれて、日本の中に、ピカソとゴッホとマチスと運慶と快慶と正宗と千利休と芥川龍之介と島崎藤村と……無数に挙げられる独自の才能を持つ天才が数百万人の単位で生まれると考えると、この創造産業が持つ価値の大きさがわかると思います。
しかし、ここで問題になるのは、創造産業の出発点となる呼び水がどこにあるのかということです。流鏑馬が将来大きなスポーツ種目となるとしても、今、突然流鏑馬教室を始めて、人が集まるかといえばそのようなことはありません。ここで、日本が持つ巨額の使い道のない資産が生きてくるのです。日本は、国だけでなく企業でも個人でも、大きな資産を抱えています。しかし、これまではその資産の使い道がなかったために、資産はただ貯蓄されているか、アメリカの国債を買わされるか、又は、将来の展望のない場当たり的な公共投資に使われていたのです。
この資産を、新しい創造産業の創出に振り向けることができます。その方法は、国がバックアップして、創造産業の山頂にあたる部分にまず資金を投入することです。それは例えば、全国文化祭典のようなものになります。毎年、日本の中で独自の創造性を発揮した個人に、その人が一生困らないぐらいの賞金を提供するのです。最初は、その創造性はそれほど高いレベルのものでなくてもかまいません。できるだけ多くの人が自分の独自の個性を文化として生かす分野を見つけていくことが大事だからです。
そして、いったんひとつの山の山頂に資金が注がれると、その資金は山頂から山腹に向かって多くの草や木々の芽を育てます。そして、それらの草木の生長によって、山頂からの資金は更に有効に活用されるようになります。木々の生長はやがて山腹から山麓へと広がり、やがてその山は、新たな資金の投入がなくても独自に存在する緑の山となるのです。例えば、再び流鏑馬の例で言うと、流鏑馬コンクールで巨額の資金を手にした流鏑馬道の創始者は、その資金を使って流鏑馬道場を作ります。その流鏑馬道場から育っていった人が、全国各地に流鏑馬スポーツを広げていき、いつの間にか、流鏑馬はひとつの確固とした産業になって利益を生み出すようになるということです。
江戸時代の多様な創造産業も、これと同じように作られました。安定した社会の中で、富裕な武士階級が、殿様の御用達(ごようたし)のような形で、民間の優れた技術に資金を投入し、それが文化産業を花開かせる出発点となりました。しかし、やがて、国内の豊かな富は、発展する町人階級の側に移っていき、それに伴い相対的に貧困化した武士階級が、奢侈を抑制するという名目で文化産業の発達を押しとどめる側に回るようになりました。もし江戸時代に、経済の発展に対応した民主主義が成立していれば、日本の江戸時代は、当時でも世界一の知的文化的水準を持っていましたが、更にそれ以上の飛躍的発展を遂げたと考えられます。そして、日本は、今その世界最高の文化を、新たに21世紀の社会で作ろうとしているのです。(つづく)