ログイン ログアウト 登録
 Onlineスクール言葉の森/公式ホームページ
 
記事 1249番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
競争の教育から、独立の教育へ(予告編) as/1249.html
森川林 2011/04/29 22:15 


(港南台教室から見たケヤキの向こうに昇る朝日)

 これまで、未来の教育の四つの大きな流れとして、「受験の教育から、実力の教育へ」「学校の教育から、家庭の教育へ」「点数の教育から、文化の教育へ」と書いてきました。

 次回は、そのしめくくりの、「競争の教育から、独立の教育へ」を書く予定です。今日は、その予告編を。

====予告編ここから====

 これまでの社会は、限られたイスを奪い合う、イス取りゲームのような社会でした。

 しかし、今、日本は、この過去の社会から決別し、新しい社会に移行する一歩手前にいます。その社会の名前は、創造産業社会です。(「日本の新しい産業(その1)」

 その新しい社会では、人は、既に用意されているイスを取り合うのではなく、それぞれが新しく自分のイスを作り出します。

 教育は、これまで子供たちの勉強の意欲をかきたてる手段として競争を活用してきました。しかし、競争があたかも万能であるかのように思われてきたのは、私たちの生きている社会がイス取りゲーム社会だったからなのです。(つづく)

====予告編(ここまで)====



 今日は、連休の初日ということで、いろいろ考え事をしていました。



 そこで、ひとつ新しく気づいたことは、インターネットのロングテール性が今変わりつつあるということです。

 インターネットは、これまでロングテールと言われきました。しかし、新しく登場しつつあるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、ショートテールです。そのかわり、SNSはロングトランク(ダックスフントみたいなやつね)で、その長い胴の中で、ソーシャル(社会的な交流)が飛び交っています。

 これまでのロングテールに対応した商品の売り方は、ばらばらの個人の検索者の関心に対応していると思わせられる商品を、営業力で一回売っておしまいという形でした。

 一方、ロングトランクに対応した商品の売り方は、つながりのある個人の属性に対応した商品を提案し、いったんそれが少数の人に受け入れられると、ソーシャルなつながりの中で紹介が広がり、ロングトランクのほかの部分にも売れるようになるという形です。だから、営業力よりも商品力が大事になり、更に、その商品を使った人がコミュニティに参加できるようなSNS性が必要になるのではないかと思いました。



 もうひとつわかったことは、リレーショナル・データベース(RDB)の限界ということです。これは、もう既にいろいろなところで言われていますが、今後、社会のあらゆる場面でコンテンツの量が増えるにしたがい、情報は1台の高機能のサーバーに蓄積され、高度なリレーショナルで関連づけられて利用されるという形から、多数のクラウドの中に分散し、その大量の情報をキーとバリューの関連で処理するという形になっていくようです。(キー・バリュー・ストア(KVS))

 言葉の森も、現在、自社サーバーに蓄積した作文や課題やヒントや講評のコンテンツを、MySQLというリレーショナルなウェブデータベースでコントロールしていますが、この仕組みを今後大きく変える必要があると感じました。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
知のパラダイム(15) 

記事 1248番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
連休中の授業は、youtubeの動画で(生徒父母連絡) as/1248.html
森川林 2011/04/27 20:18 
 連休中は、「休み宿題」になるので、先生の電話説明なしに作文を書くことになります。

 課題フォルダに載っているヒントなどをもとにして書くこともできますが、言葉の森のホームページの「授業の渚」に動画を見てから書くと、更に書きやすくなります。
https://www.mori7.com/nagisa/

 今後は、授業の渚だけでなく、youtubeにも同じ動画をアップしています。スマートフォンなどで見る場合は、youtubeの方が見やすいと思います。

【サンプル】

小1 アカシアの山 5月1週 自由な題名
http://www.youtube.com/watch?v=Mh2tQVapqfg

高3 ザクロの山 劇は、つねに宗教的な(感)
http://www.youtube.com/watch?v=IUgPtZfwU7c

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
生徒父母連絡(78) 

記事 1247番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
作文の勉強における意欲 as/1247.html
森川林 2011/04/26 19:45 



 日本における作文教室の現状を見ると、満足できるところはほとんどないと言ってもいいと思います。

 なぜ現在の作文教室のほとんどがダメなのかというと、ひとつは指導する方法が確立していないからです。もうひとつは、評価する方法がやはり確立していないからです。



 まず第一は、指導する方法ですが、作文は書く学習を重ねるだけでは上達しません。作文の力をつけるためには、その前提となる読む力をつけていく必要があります。

 言葉の森では、読む力をつけるための学習として、長文暗唱、問題集読書などを取り入れています。これは、徹底させることが難しいので、子供によっては作文の勉強が負担になるというひとつの要因にもなっています。しかし、何とか時間の都合をつけてこの自習に毎日取り組んでいる生徒は、確実に力をつけています。今のところ、作文力を確実につけるには、この自習の方法しかないのではないかと思っています。



 読む力がつかないまま書く学習に力を入れようとすると、書きやすい練習を優先させることになります。穴埋め方式の作文や、短文だけの作文や、物語の続きを書かせたり、四コマ漫画を見せて書かせたり、というのは、子供の意欲を引き出す工夫にはなっていますが、実力をつける工夫にはなっていません。

 実力をつけるには、その学年に応じた歯ごたえのある課題の作文や感想文で練習する必要があります。しかし、その練習は、読む力の進歩に応じてしかできないのです。



 第二に、評価する方法ですが、作文にはひとつの解答というものがありません。だから、個々の作文を人間が読んで、その読んだ人の判断で評価することになります。ところが、こういう評価は、子供たちにとっては、賽(さい)の河原の石積みのように、先に進むあてのない感じがするものなのです。



 ひとつの解答があり、そこにいかに近づいたかという評価であれば、いい評価であれ悪い評価であれ自分なりの達成感がありますが、人間が主観的的に判断して下す評価はそのような確実性が感じられません。そこで、ほとんどの教室では、解答のかわりにコンクールや優秀作品の選定ということを行います。

 しかし、このようなコンクールは、選ばれた子だけがうれしいもので、選ばれなかった子はその優秀作品を目標にしてがんばろうとは思わないものです。また、賞に選ばれた子であっても、なぜ選ばれたかがわからないので、次の努力や向上に結びつける手立てがありません。



 小学校低中学年のころは、表記ミスの指導も多いので、人間による評価でも客観的な採点ができますが、子供たちが小学校高学年になり、中学生、高校生になると、もう表記のミスはほとんどなくなります。

 そこで、高学年の評価の中心になってくるのが、多様な語彙でいかに論理的な文章を書いたかという、森リン(自動採点ソフト)による文章力の評価になります。言葉の森の学習が、中高生になっても充実して続けられるのは、人間の評価に加えてこの評価の方法があるからです。



 以上のように、指導と評価の両方の面における方法論の不在が、現在の作文教室のほとんどに見られます。しかし、言葉の森の指導にも、もちろん多くの弱点があります。それでも、今のところは、言葉の森でできていないことは、他の教室でもやはりできていないという段階だと思います。



 言葉の森で、今何が最も不十分かというと、それは子供たちの意欲を確実に引き出す指導です。しかし、私たちは、賞や罰の外面的なもので子供たちの勉強の意欲づけをしようとは思いません。もっと意欲というものの本質を考えた取り組みをしたいと思っています。



 勉強の意欲付けということで参考になるのは、セルフラーニングで子供たちの勉強の意欲化に成功している算数教室の「でき太くん」の取り組みです。



 次回は、でき太くんの勉強法と言葉の森の勉強法を比較しながら、言葉の森が、作文の学習における意欲というものを今後どのように育てていこうと考えているかを書こうと思います。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
言葉の森の特徴(83) 

記事 1246番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
3月の森リン大賞に学年のずれがありました(生徒父母連絡) as/1246.html
森川林 2011/04/25 13:53 
 3月の森リン大賞を、4.4週の「山のたより」で発表しましたが、掲載されている森リン大賞の学年が1学年前のものではなく2学年前のものになっていました。そのため、点数が高いのに森リン大賞ベストテンに入っていなかった人がいると思います。
 ちょうど3月から4月にかけての学年のかわりめだったので、プログラム上のミスがあったようです。「学年がかわるから1学年前にしないと」と思って、かえって間違えたのだと思います。ミスをしたのは私(森川林)です。(^^ゞ
 どうも申し訳ありませんでした。
 3月の森リン大賞は、改めて「山のたより」に掲載します。急いで見たいという方は、「森リンの丘」のページでごらんください。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
生徒父母連絡(78) 

記事 1245番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
インターネットと教育(その2) as/1245.html
森川林 2011/04/24 04:15 





■インターネットの本質



 人間は、コミュニケーションのツールをさまざまに発展させてきました。コミュニケーションとは、ある人が他の人に何かを伝えることです。伝える方法は、声が主なものでしたが、やがてその音声を伝える喉が、拡声器になったり、狼煙(のろし)になったり、手旗信号になったり、電話になったり、マスメディアになったりする形で発達していきました。

 社会の歯車を作ることが教育の主要な目的であった時代は、コミュニケーションの送り手は一方的に送り手のままで、コミュニケーションの受け手はいつも受け手のままでした。能率のよい伝達のために、同じ教材を同じ年齢の生徒に同じように教えるというプランテーションのような教育が求められていたのです。

 しかし、今、時代は大きく変わろうとしています。これからの教育に必要なものは、個人の個性に合った多様なニーズであり、そのニーズに対応するための多様なシーズです。Aを欲する人にはAを提供できる人が対応し、Bを欲する人にはBを提供できる人が対応するという多様なコミュニケーションが成立する社会では、教育は、雑木林(ぞうきばやし)のような姿になります。その雑木林の教育を可能にするコミュニケーションのツールがインターネットという新しい表現手段です。

 インターネットは、これまで、情報を検索するツールや、情報を発信するツールとして使われてきました。それも確かにインターネットの重要な役割ですが、今後はそれ以上にSNS的なコミュニケーションのツールとしての役割が増大していきます。つまり、大量の情報を収集する役割や、大量の情報を発信する役割以上に、多様な情報を相互に多様にやりとりするという役割が大きくなってくるのです。



■インターネットと教育



 プランテーションの農業は、最適の作物、最適の肥料、最適の栽培サイクルを、人間が高度に管理できるという発想で運営されています。その発想は、過去の工業時代の考え方です。

 これに対して雑木林では、あるところではハチが蜜を集め、あるところでは鳥が果実をついばみ、あるところではキノコが朽ちた木を分解しています。丈の高い木と低い木が混在し、日当たりのいいところに生える植物と日陰を好む植物が棲み分けをしています。そこに見られる生き物相互のコミュニケーションは、あまりにも多様なのでだれも管理することはできません。そして、縄文時代の日本人は、このような雑木林の中で自身も多様なひとつの生物として生活を営んでいました。

 雑木林のような教育とは、全体を管理する中枢を必要とする教育ではなく、教育の多様な需要と供給が相互のやりとりの中で最適の折り合いをつけていく教育です。

 しかし、ここで問題になるのは、既に成長した社会人は多様性を自己責任で取捨選択できるとしても、成長の途上にある子供たちは、多様性の中に放置することができないということです。それは、人間が動物とは違って、もともと不完全であるが故に創造的であるという特殊な性質を持つ存在だからです。

 例えば、わかりやすい例で言えば、もし子供たちに、「人間は自分の好きなことをして成長していくのがいちばんいいのだから、学校では自由に何をしてもいい」という教育を行うとしたらどうなるでしょうか。一部の子供は、そこで自分の個性を生かした自己学習をするかもしれませんが、大多数の子供はいつまでも娯楽の中に埋没し、自己教育の土台となる基礎的な知識や技能を身につけることはできないでしょう。

 アメリカのサドベリー・バレー校は、子供たちに何も教えない学校として知られています。そこでは、子供が自ら何かを学びたいと言ったときだけ、先生がその何かを教えるという方法をとっています。しかも、何を学ぶかは子供たちの選択に任されています。だから、十代の半ばまで遊び続ける子もいます。しかし、子供たちはいつか必ず自分からあることに関心を持ち、その関心を生かすために学び始めるというのです。

 サドベリー・バレーは、勇気のある実験ですが、この方法を未来の教育の中心的な方法とすることはできません。サドベリー・バレーの教育が可能だったのは、その学校が社会から隔絶された環境にあったからです。縄文時代の環境の中で、縄文時代に必要な生活を営むのであれば、特に体系化された教育の方法論は必要ありません。

 しかし、現代の社会では、子供たちは、ゲームやテレビやスポーツや音楽などの多様な娯楽に囲まれた環境で暮らしています。しかも、現代は、社会生活を送るのに必要な知識も、学問上の知識も年々増えている時代です。このような社会に生きるためには、自由な多様性の中核となる教育の方法論が必要になるのです。

 その方法に欠かせない要素は、第一に知的であることです。感覚や運動という要素は大切ですが、それらは知性の土台があってこそ人間的な感覚や運動の能力になるからです。

 第二に創造的であることです。単に理解することや単に多数の知識を持つことは、与えられた役割を果たすための教育であって、それは自分が主体になる教育のひとつ前の段階の教育だからです。

 第三に成長対応的なものであることです。成長対応とは、例えば幼児は幼児なりに、小学生は小学生なりに、中学生高校生大学生も、それぞれの年齢に応じて学び進歩できるものであることです。

 これら三つの要素を兼ね備えているものが作文教育です。

 だから、未来の教育は、作文の学習を中核として、作文の勉強を進めるために、読書も、他の教科の学習も、感覚も、運動も、多様な経験も必要になるという総合的なものとして行われていきます。そして、作文のような個性的なものを教えるためには、工業時代の一律の教育ではなく、顔の見える個人による対話の教育が必要になります。その多様な対話をコミュニケーションの面から支えるツールが、インターネットのSNS的な性格を発展させたものになるという関係にあるのです。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
教育論文化論(255) 

記事 1244番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
読解問題の題名と長文の題名で対応していないものがありました(生徒向け連絡) as/1244.html
森川林 2011/04/22 18:52 
 4.4週は、清書と読解問題ですが、「山のたより」の読解問題に書かれている「『○○○○』の長文を読んで……」の「○○○○」の部分が、読解マラソン集の長文の題名対応していないものがありました。
 内容は同じですから、そのまま問題をやっておいてください。
(今学期は、長文を縦書き化にしたのに伴い、これまでの長文を部分的に削ったため、このような題名の変更が生じてしまったようです)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
生徒父母連絡(78) 

記事 1243番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
インターネットと教育(その1) as/1243.html
森川林 2011/04/22 18:32 



 インターネットと教育について考える際に大事なことは、今のインターネットと教育を考えることではありません。インターネットと教育が今後どういう方向に進むのかという未来の視点から考える必要があります。そして、ドングリの本質が将来大きく成長するシイやナラの樹木であるように、インターネットと教育の今ある本質の中に、その未来の姿が既に現れています。

■教育の本質

 教育とは、人間的なものです。

 犬や猫などの動物は、教育を必要としません。それは自然に任せているだけで完全な成長を達成します。確かに、親犬は子犬に生きていくのに必要なルールを教えるかもしれません。しかし、その親の持っている知恵自体がもともと自然に成長してきたものです。

 一方、機械は、動物とは別の意味で教育を必要としません。それは、最初から誕生とともに完成されていて、時間の変化とともに減価償却していくだけのものだからです。

 ただ人間だけが教育を必要とするのは、なぜでしょうか。それは、人間がもともと不完全性な存在だからです。自然のままに任せていてはその不完全を克服することができないので、人間は自身の生存のために創造を行います。

 例えば、人間は動物と違い、暖かい毛皮も硬いうろこも持っていないので、寒さや怪我から身を守るために衣服を作り出さなければなりませんでした。しかも、衣服を作るためのノウハウは、学ぶことによってしか獲得できませんでした。この本質的な不完全性こそが、人間の持つ優れた特質だったのです。

 ところが、これまでの社会では、不完全を克服するための完全の理想は、個人の側にではなく社会の側にありました。ちょうどマスゲームの美しい演技が目標となる完全の姿で、個人はその美しい完全な演技を作るための歯車としての完全を目指すことが求められていました。

 優れた歯車になることが個人の目標とすべき完全さだという考えからは、優れていない歯車は社会に不要だという考えが生まれてきます。これが、今日の「地球には人間が多すぎる(優れた人だけが少数いればいい)」という考え方につながっています。

 しかし、真実はそうではありません。優れていない歯車という不完全さもまた、人間にとっては創造の土台となっているのです。

 あるピアニストは事故で片手を失ったあと、その片手でしか弾けないという不完全さを、片手で弾ける曲の創造という方向に向けました。手が1本しかないことがハンディだと思われるのは、ほとんどの人が手を2本持っているからです。もし、手が4本の人が多くいれば、今度は2本しかないことがハンディになります。しかし、だれもがそう思わないのは、手が4本ある人の作曲した曲がないからです。

 片手で弾ける曲は、両手で弾ける曲の2分の1の価値しか持たないのではありません。それは、墨1色の水墨画が多くの色を塗り重ねた油絵の何分の1かの価値しか持たないではないのと同様です。片手で弾ける曲があれば、両手の人は、そこから、一方の手でピアノを弾き、もう一方の手でドラムを叩くというような新しいジャンルの演奏を創造することができるかもしれません。人間においては、不完全はすべて創造のきっかけに転化させることのできるものなのです。

 人間の持つ不完全性をもとにして完全に向かうための創造が教育の本質であるとすれば、未来の教育とは、その完全の理想を、社会の側から個人の側に取り戻すことだと言えるでしょう。社会の側が用意した完全の枠に合わせる教育ではなく、個人個人の不完全を生かす創造の教育が未来の教育の姿です。

 このような創造の教育に必要なものは、画一性や強制性ではなく、多様性や自主性です。その多様性と自主性の教育において欠かすことのできないものが対話です。(つづく)

※次は、「インターネットの本質」です。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
教育論文化論(255) 

記事 1242番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/12/29
インターネットの未来と言葉の森 as/1242.html
森川林 2011/04/21 18:06 


 インターネットの本質は、コミュニケーションです。その特徴は、手軽で、広範囲で、整理しやすく、リアルタイムなのに、相手の邪魔になりにくい、というところにあります。

 だから、インターネットは、特別なものではなく、電話や葉書やファクスの発達したものとして考えられます。今はまだ古い世代はそのリテラシーがありませんが、やがて全世代が、電話やメールのような日常的なプラットフォームとしてインターネットを利用するようになるでしょう。



 従来の教育は、ひとつの解答に向かって全員が狭い道を競争し、速さと正解数を競う知識の勉強でした。こういう形の知識の勉強は、これからも残りますが、未来の教育の中心になるものは、単なる知識の勉強ではなく、その知識を土台とした創造の勉強になります。



 従来の教育でインセンティブ(意欲刺激)になっていたものは、強制、競争、賞罰でした。今でもほとんどの先生、親、子供が、そういうものが勉強の本質的な要素であるかのように考えています。しかし、それは歴史的なものにすぎません。

 未来の教育でインセンティブになるものは、発表、交流、賞賛です。この賞賛のやりとりのひとつとして、「いいね」ボタンのようなものがあるとも考えられます。インターネットは、オープンソース思想などのように未来の社会の先取りをしている面があります。



 知識の教育は、解答がひとつでしたから、大勢の生徒に対して、教材もひとつで(細分化してはいても)、先生もひとりで(少人数学級であっても)、一斉指導という能率のよい勉強ができました。知識の教育は、マスプロ的なやり方の方がうまくいっていたのです。

 しかし、創造の教育は、創造する内容がひとりひとり違うので、その個人と対話できる特定の先生、特定の親、特定の人間が必要になります。



 知識の教育においては、勉強の予習は試験範囲を覚えることで、復習は答えあわせをすることでしたから、任意の先生による一斉指導が可能でした。

 創造の教育においては、予習は対話で、復習も講評という形の対話ですから、特定の先生と保護者による手作りの教育しか対応できません。



 知識の教育で生徒に点数をつけて成績順に並べるだけならば、どの先生でも多数の生徒を教えられます。今、行われている作文指導のほとんどは、このような知識教育時代の方法に依存しています。その典型的な例が、作文コンクールや感想文コンクールです。

 しかし、コンクールのように上手な作文を表彰して、その作文をひとつの模範解答と見なす指導法によって作文の力がつく子はまずいません。創造の教育では、もっと個別化した対話の指導が必要になるのです。



 創造の教育で子供の作文を読んでコメントを付け加えることができのは、その子供に関心のある親がいちばんで、次が担任の先生で、次がその子供をよく知っている友達です。つまり、創造の教育では、特定の個人との対話が勉強の重要な要素になってきます。



 言葉の森の作文指導でこれから最も力を入れていく分野は、対話の教育です。その対話とは、生徒と先生の対話、生徒と親の対話、生徒どうしの交流の対話です。」

 そこで、今後その対話の教育のために、対話のツールとしてのSNS(mixi、twitter、facebook、ブログ)を本格的に活用していく予定です。



 言葉の森は、ホームページの開設が19966年だったことにも見られるように、もともとインターネットの利用が早く、メーリングリスト、掲示板、チャット、生徒や先生の個人別のページなど、SNSの方向で通信教育の教室作りをしていました。

 今後は、独自のホームページ作りを進めるとともに、既存のSNSをホームページに組み込む形で、生徒や保護者との対話の学習を充実させていきたいと思います。



 しかし、対話の本質はコミュニケーションそのものであり、インターネットはあくまでもそのための手段です。ですから、当面、敷居の低い電話でのコミュニケーションを充実させ、次に携帯メールなどのコミュニケーションを充実させ、その延長でSNSのコミュニケーションに発展させていきたいと考えています。



 リアルとバーチャルという言葉で考えると、これまで、通学の教室はリアルな教室で、通信の教室はバーチャルな教室のように思われてきました。しかし、リアルとは、相手の意思がわかる関わり方であって、場所と身体を通しての関わり方に限るわけではありません。

 その証拠に、通信の教室では、電話によるコミュニケーションだけで、一度も会ったことのない生徒と先生が深いコミュニケーションを築いています。

 今、facebookやtwitterなどの新しいSNSの登場によって、インターネットのリアル性が更に増してきました。近い将来、通信教室と通学教室の区別はあまり意味のないものになり、リアル化されたインターネットによって、より充実した対話の教育が可能になると考えられます。



 言葉の森は、今回facebookで会社のファンページを作りました。今後、twitterとfacebookを言葉の森のホームページに連動する形で対話のある教室を運営していきたいと思っています。



twitter

http://twitter.com/#!/kotomori

(正式アドレスは上記のとおりです。4/27追加情報

http://twitter.com/#!/kotobanomori_j



facebook

http://www.facebook.com/kotobanomori

(正式アドレスは上記のとおりです。4/22追加情報

http://tinyurl.com/3qn6cjh

(facebookの上記のURLは一時的なもので、正式のアドレスは後日お知らせします)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
言葉の森サイト(41) 
コメント1~10件
これからの学力 森川林
 書き忘れたけど、ひとりの先生が全教科、全学年を教えるという 12/9
記事 5233番
読解問題の解き Wind
面白かった 10/11
記事 4027番
長文の暗唱のた たろー
この世で一番参考になる 9/30
記事 616番
「桃太郎」を例 匿名
役に立った 8/15
記事 1314番
日本人の対話と 森川林
ヨーロッパの対話は、正反合という弁証法の考え方を前提にしてい 8/6
記事 1226番
日本人の対話と よろしく
日本人は上に都合がよい対話と言う名のいいくるめ、現状維持、そ 8/5
記事 1226番
夢のない子供た 森川林
「宇宙戦艦ヤマトの真実」(豊田有恒)を読んだ。これは面白い。 7/17
記事 5099番
日本人の対話と 森川林
 ディベートは、役に立つと思います。  ただ、相手への共感 7/13
記事 1226番
日本人の対話と RIO
ディベートは方法論なので、それを学ぶ価値はあります。確かに、 7/11
記事 1226番
英語力よりも日 森川林
AIテクノロジーの時代には、英語も、中国語も、つまり外国語の 6/28
記事 5112番
……次のコメント

掲示板の記事1~10件
Re: 中2の 森川林
 これは、読解問題の解き方の基本だから、よく覚えておいてね。 12/22
国語読解掲示板
2024年12 森川林
●新年度の教材 https://www.mori7 12/22
森の掲示板
中2の読解検定 毛利
問題2番のAが×なのが納得いきません。解説お願いします。 12/19
国語読解掲示板
2025年1月 森川林
2025年1月の教材のPDFがプリントできます。 http 12/17
森林プロジェクト掲示版
創造発表クラス 森川林
創造発表クラスとプログラミングクラスの今後  創造発表 12/12
森川林日記
Re: 読解検 森川林
> 問一 B 2.3行目の「むっつりと」という文章が問題文に 12/12
国語読解掲示板
読解検定小六  あかそよ
答えに納得できないので教えてください。 問一 B 2. 12/9
国語読解掲示板
Re: 標準新 あかそよ
ありがとうございます。 考えてみたけど、やっぱり難しいです 12/5
算数数学掲示板
WinSCPの 森川林
ダウンロードとインストールは、特に問題なく、次々と進めて 12/4
プログラミング掲示板
Re: 標準新 森川林
 これは、確かに難しいけど、何度も解いていると、だんだん感覚 12/2
算数数学掲示板

RSS
RSSフィード

QRコード


小・中・高生の作文
小・中・高生の作文

主な記事リンク
主な記事リンク

通学できる作文教室
森林プロジェクトの
作文教室


リンク集
できた君の算数クラブ
代表プロフィール
Zoomサインイン






小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習