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褒めるだけの指導でいいんですか as/1273.html
森川林 2011/05/20 18:54 


 言葉の森の保護者の方から、よく質問や相談があります。

 その中で、ときどき出てくるのが、「先生が褒めてばかりいるのですが、これでいいんですか」というものです。

 その答えは、決まって、「それでいいのです」です。



その理由1.直す指導では、長続きしないからです。



 小学校低中学年のころは、褒める指導よりも直す指導の方がしやすい時期です。特に、低学年になればなるほど、直すことが多くなってきます。

 しかし、その場合の「直すこと」の大部分は、直さずにそのまま放っておいても学年が上がれば自然に直るものです。なぜ自然に直るかというと、学年が上がり文章を読む量が増えてくると、自分で直そうと思わなくても自然に正しい書き方が身についてくるからです。

 例えば、小学校低学年でよくある「わとは、おとをの区別」「会話の改行」などは、最初はみんなできません。できなくて当然です。日常の話し言葉でそういう区別がないからです。

 しかし、文章を読む機会が増えてくると、自然にそういう区別があることがわかるようになります。そして、大部分の子は、だれに教わらなくても年齢が上がるにつれ自然に正しい書き方になっていきます。

 正しい書き方を教える場合でも、小1のころに10回言わなければわからなかったことが、小3では1回でわかります。読む量の土台ができていれば、説明はすんなり入るのです。

 ところが、多くの真面目なお母さんや先生は、小1のころに10回説明して直そうとしてしまいます。

 その結果、どういうことが起きるかというと、まず、子供は書くことが苦手になります。お母さんは、年中子供に注意するようになります。

 この状態にがんばって耐えた子は、小学5年生ぐらいになり自我が確立してくると、もう親の言うことを聞かなくなります。小さいころに教え込みすぎた子は、必ずバランスをとるために大きくなって反発するようになるのです。

 高学年のいちばん重要な時期に親の言うことを聞かなくなるので、親は子供の勉強を塾に丸投げするようになります。

 高学年になっても、親が楽しく子供の勉強を見てあげられるようになるためには、低学年のときにできるだけのんびりと楽しく褒めながら教えていくことが大切なのです。



理由2.褒める指導で続けられるのは、指導のカリキュラムがしっかりしているからです。



 ときどき、褒める指導だけで作文を書かせるのなら簡単だから、家庭でもできるという人がいます。

 ところが、家庭で親が子供に作文を教えるようになると、すぐに勉強が行きづまります。低学年のときなら、それでも無理に続けることはできかもしれません。しかし、小学校3、4年生になっても作文の勉強を家庭で行うというのは、たぶんどの家庭でもほとんどできないと思います。

 作文の通信教育講座の中には、楽しそうな教材だから家庭でもできるとうたっているところがありますが、楽しくできるのは、国語のクイズのような易しいレベルの間までです。本格的に作文を上手に書くレベルになると、教材の楽しさだけで勉強することはできません。



 言葉の森の指導が、褒めること中心でありながら上達していくのは、指導の枠組みが上達するようにできているからです。

 他のほとんどの作文教室では、小学校の間だけとか、せいぜい中学生の間までの指導カリキュラムですが、言葉の森は高校3年生の大学入試の小論文までの長期的なカリキュラムで指導をしています。

 しかも、高3の小論文入試では、最難関校に合格できるだけの指導を行っています。これは、高校生の生徒が増えすぎても困るので宣伝はしていませんが、言葉の森の大学入試小論文指導は、現在、どの予備校よりもレベルが高くわかりやすい指導をしていると思っています。それは、受験作文小論文のページの開設を見るとわかります。ほかの予備校で、このように理路整然と書き方を説明しているところはないと思います。



 言葉の森の講師が、子供たちをのんびり褒めているだけのように見えるのは、しっかりしたカリキュラムで指導しているからなのです。



理由3.作文の上達には、時間がかかるからです。



 ところで、作文の上達には時間がかかります。

 数学や英語であれば、夏休みの集中学習で一挙に成績を上げて得意教科にするというようなこともできないわけではありません。これは、それなりに大変ですが、やり方さえ守ればだれでもできます。

 ところが、作文の勉強は、短期間の集中学習で上手にさせることはできません。

 もちろん、言葉の森の体験学習の最初のころは、目覚ましく上達するということはあります。しかし、その後の進歩は、時間のかかるものなのです。

 他の教科の勉強は、単元が進んだり、テストの点数が返ってきたりするので、勉強が進歩している感じがします。しかし、作文の場合は、毎回同じような作文を書いていて、それが題材によってはかえって下手になったように見えることもあるのです。



 このときに、親がどう対応していくかということが大事です。

 ひとつには、作文の勉強の進歩は時間のかかるもので、気長に読む勉強を続けながら褒めていると、忘れたころに上達していたことがわかるものだと考えることです。

 この場合に、重要なのは、褒めることとともに、読む勉強を続けることです。それは、昔は長文の音読ということでやっていましたが、今は、長文の暗唱、又は、問題集読書、又は、普通の読書です。

 家庭で行う自習の仕方は、今度わかりやすく整理したものをお送りする予定ですが、当面は、最低限、毎日の読書さえしっかりできていれば、それが読む勉強になると考えておいてください。

 「忘れたころに、上達していたとわかる」というのは、自動採点ソフト森リンの点数グラフの推移からも言えます。どの生徒も、年間を通して数ポイント進歩しているだけです。決して、1ヶ月や2ヶ月で目に見える進歩があるという勉強ではないのです。

 高校2、3年生で大学入試のために新たに作文の勉強を始めるような生徒は、勉強に対する意識がかなり高いはずですが、そういう生徒でも、自分なりに上達が実感できるのは1年ぐらいたってからです。勉強に対する意識がそこまで高くない小中学生の生徒については、上達にはもっと時間がかかるというのが普通なのです。



 上達していないように見える時期は、作文の勉強をしているのでなく、その子のその時代の思い出となる作文の記録を残しているのだというぐらいにのんびりと考えておくことです。毎回同じような作文を書いていたとしても、それを進歩がないと考えるのではなく、記念の作文がたくさんたまっていくというふうに考えれば、親も子も負担がなくなります。

 そうして、ふと気がついたときに、「いつの間にか、ずいぶん上手になっていたね」ということになるのです。



理由4.子供の意欲を活性化させる大きな要素は、家庭の対話だからです。



 勉強は、意欲的に取り組んでいるかそうでないかによって、同じ時間をかけても上達の度合いがかなり違ってきます。

 子供たちがいちばん意欲をもって勉強できるのは、受験に作文試験があるときです。実際に、受験前の子供たちは、かなり難しい課題でもがんばって取り組んでくるので、この期間はみんな作文力が向上します。

 しかし、受験という差し迫った目標がないときは、作文の勉強というものは、きわめて意欲化しにくい勉強なのです。その理由のひとつは、はっきりした点数がつかないからです。

 この意味で、小学校高学年以上の生徒は、できるだけパソコンで作文を書き、毎週森リンの点数を勉強の目標にしていくといいと思います。

 言葉の森の通学教室では、小学校5年生以上の生徒はほぼ全員パソコンで作文を書いています。子供たちの適応力は高いので、家庭で毎日10分でもブラインドタッチ(タッチタイピング)の練習をすれば、数週間で、手で書くよりも速く楽にパソコンで書けるようになります。(ブラインドタッチは、ソフトなどで練習する必要はなく、自分の好きな歌を歌いながらその歌詞を打つ練習をしていくという形でやるのがいいと思います)



 ところで、森リンの点数で意欲を持たせるというのと、もうひとつ異なるアプローチが、対話によって意欲を持たせるという方法です。もちろん、作文の力が上達してくると、いい作品を書き上げること自体が、苦しいながらも楽しいというレベルにまでなります。しかし、そこまで行くのは、よほど上手になったあとです。ほとんどの子は、書くことが苦しいという気持ちがほとんどで、それでもがんばって勉強していると思います。

 ここで大事なのが対話です。

 他の教科の勉強では、特に予習などをしていなくても、教材を見て先生の説明を聞けばそこから勉強をスタートさせることができます。しかし、作文の勉強はそうではありません。

 もちろん、予習をしていなくても作文の勉強を始めることはできます。しかし、予習をしている生徒と比べると、勉強に取り組む意欲の差は歴然としています。

 私もしばらく前までは、教える側の工夫で意欲を持たせることができると考えていました。しかし、どんなに面白く意欲化できるように教えても、作文を書きだした途端にすぐに意欲がしぼんでしまう子がいます。一方、どんなときでも、書きだしから書き終わりまでがんばる子がいます。

 その差は、作文を書くまでの家庭での事前の対話と、作文が返却されたあとの家庭での対話だったのです。

 いつでも意欲的に取り組む子は、家庭でお父さんやお母さんと、次の週の課題について話をしています。子供が、自分から進んで、両親に似た話を取材するというケースが多いと思いますが、その取材に対して、お父さんやお母さんが対話を楽しむ形で熱心に答えているのです。

 この対話によって、子供の思考力が活性化します。また、親が子供に知的な話をじっくりできる機会が生まれます。他の教科の勉強は、子供が教材を見て自力で進めていくのが理想ですが、作文の勉強はその反対で、親子が課題についてたっぷり対話をする中で進めていくのが理想なのです。

 このように、作文の課題について事前に両親と対話している子は、作文を書いているときに、作文用紙の上でやはり両親と対話をしながら書いているのだと思います。そして、そのようにして書いた作文が返却されたとき、両親がその作文の返却を楽しみに待っているとしたら、意欲的にならない方がおかしいのです。



 この作文の勉強における対話の意義ということを、言葉の森では今後、どの家庭でも実行しやすい形で提案していく予定です。

 簡単に言うと、毎日の家庭での対話のメニューを作ることです。 

 また、家庭での親子の対話だけでは、慣れないうちは話題が息づまることもあるので、その対話をfacebookの活用でバックアップすることを考えています。


まとめ.褒める指導と対話を結びつける。


 作文の勉強は、真面目に直す指導として行うこともできます。

 しかし、その結果は、長続きせず、作文が苦手になり、親が年中怒るようになり、高学年になって親子の対話ができなくなるということにつながります。

 作文の勉強は、特に低学年のうちは、そのように生真面目に取り組んではいけないのです。



 一方、作文の勉強を褒めるだけで行うことは、その褒める指導の背後に明確な方法論がなければ、やはり、長続きさせることはできません。

 褒める指導は、直されて苦手になるよりもずっといいのですが、やはり褒めるだけでは限界があるのです。



 いちばんいいのは、褒める指導を基本にしながら、

(1)明確なカリキュラムに基づいて指導する(言葉の森の方法です)。

(2)親が進歩を気長に見てあげる。

(3)その一方で、読む勉強としての自習を続け、

(4)高学年からはパソコン入力で点数も目標にする。

(5)そして、家庭での事前の対話と事後の対話で意欲を持たせる。

という方法を組み合わせることです。



 この中で、これから最も力を入れていく分野は、家庭での対話です。

 言葉の森の指導も、家庭での対話を支えることを今後の重点にしていきたいと思っています。

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受験作文小論文コースの作文の書き方 as/1272.html
森川林 2011/05/16 16:52 



 言葉の森では、作文小論文試験の5か月前から受験コースの作文課題を選択できるようにしています。中学受験、高校受験、大学受験とも同じです。ただし、受験コースは、定員があるので、現在在籍している生徒が優先です。

 受験コースは、志望校の過去問に合わせた問題で練習する形の作文指導で、指導の内容も、普段よりも少し難しくなります。例えば、通常の課題では、時間制限や字数制限などあまり厳しくは言いませんが、受験コースでは時間と字数は評価の重点になります。

 しかし、普段の作文の課題が普通にできていれば、受験コースの課題も同じようにできます。難度自体には、普段の課題も受験コースの課題も大きな差はありません。



 言葉の森の作文の課題は、通常の課題も受験コースの課題も、かなり難しいので、ヒントなしに書くことはなかなかできません。

 しかし、ヒントを見て書ける生徒は実力がある生徒ですから、ヒントのとおりに書ければ合格する力があると考えていいのです。ヒント以上の自分のオリジナルな内容を盛り込むことまでは要求しません。



 時間制限は、最初のうちは守ることができません。学校によっては、大人でも書けないようなスピードを要求するところもあります。それは、そのスピードと字数によって点数の差をつけることが目的ですから、まともに書けなくても心配することはありません。

 最初は、目標の字数まで埋めることを優先し、時間についてはどのぐらいかかったか記録だけしておきます。試験の1、2か月前になったら、時間制限の範囲で書くようにします。

 速く書くコツは、(1)途中で考えない、(2)途中で読み返さない、(3)途中で書き直さない、です。普段の練習でも、できるだけ消しゴムは使わずに、先へ先へと文章を進めるように書いていきます。

 そのためには、書きだす前に簡単に構成メモを書いておく必要があります。最初に構成メモを数行書いておき、作文を書き始めてから途中でどう書き進めていいかわからなくなったときに、構成メモを見直して書き続けるという形で書いていきます。

 文章は、最初と最後の大きな枠組みが合っていれば、途中の過程の筋道は、読み手にはあまり印象に残らないものです。細かいところでつじつまを合わせようとするよりも、大きな流れができていればよいと考えて書いていきます。



 作文を採点する試験官は、何編も同じような文章を見て頭が疲労しています。そのときに、構成のわかりやすい文章を見ると、ほっと安心します。構成のわかりやすい文章とは、結論が最初にある文章、構成を予測させる言葉のある文章、段落ごとの長さが同じぐらいで見た目のバランスがとれた文章です。

 例えば、「私は、……と思う。その理由は……」などと書いてあるのは、結論が先にあるので読みやすい文章です。逆に、「……は……である。だから……と思う。」となっているのは結論があとにあるので、読みにくい文章ということになります。

 構成を予測させる言葉とは、「……その方法は、三つある。第一に……」というような、「方法」「理由」「原因」「○つある」「第一に」「第二に」などの言葉です。自分が何を書こうとしているかを、早めに理解してもらうように書いていくのが、読みやすい文章を書くコツです。



 受験コースの練習の仕上げの時期になると、表現をもうひとひねり工夫する練習をしますが、ここであまり難しく考えると自信をなくしてしまいます。時間内に、必要な字数まで書ければ、とりあえず合格圏内には入っていると思っていればいいのです。

 言葉の森で作文の勉強をすると、構成のしっかりした文章を書くことができます。これは、受験に限らず将来どのような文章を書くときにも役に立ちます。

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facebook(フェイスブック)と日本語のコンテンツ―もうすぐ来る日本語の時代 as/1271.html
森川林 2011/05/14 21:50 


 2007年2月の調査で、世界中のブログで使われている言語のうち日本語が37パーセントで、英語の36パーセントよりも多いという結果が出ていました。

 その後、ブログの言語別人口で同じような調査が行われていないのは、日本語の割合が更に増えているだけなので、調査に興味がなくなったためだと思われます。



 twitter(ツイッター)でも同じような調査が行われ、2010年2月の時点で、日本語が14パーセント、英語が50パーセントという結果が出ていました。しかし、2010年1月の時点で、世界のツイッターユーザーに占める日本人の割合は1パーセントわずかに上回る程度でしたから、おおまかに言うと、日本語は、英語など他の言語に比べて14倍も情報発信力があるということだと思います。



 facebook(フェイスブック)では、まだ日本人の割合が少ないし、同様の調査がないようなので、どうなるかはわかりませんが、私はたぶん、ブログやツイッター以上に日本語の占める割合が大きくなるのではないかと思っています。その理由は、ブログの利用は、自分で何かの情報を発信したいという人に限られていただけですし、ツイッターの利用は、ある程度時間の余裕のある人に限られていたと思いますが、facebook(フェイスブック)は多くの人にとって日常生活に必要なプラットフォーム(土台)になっていくと思われるからです。



 なぜ日本語にこういう情報発信適性のようなものがあるかというと、ひとつには、日本語が英語など他の言語と比べると、1文字あたりに盛り込める情報量が多いからです。ツイッターの利用者の中に、日本語と英語で同じ内容を別々にツイートしている人がいます。日本語は日本人の知人向け、英語は英語圏の知人向けと使い分けているようです。その日本語と英語の140字以内の文章を見ると(ツイッターの文字制限は140字)、ざっと見て、英語では日本語の半分の内容しか盛り込めていません。つまり、日本語を使えば140字の内容が書けることを、英語を使うと日本語の70字ぐらいの内容のものしか書けないということです。

 もし、日本語のツイッターが70字という文字数制限になったとしたら、利用の度合いはもっと減るでしょう。70文字だと、何かを論じるというよりも、文字どおり「つぶやく」とか「さえずる」とかいう程度のことしかできなくなるからです。

 しかし、70字という文字数制限であったとしても、日本には31文字の和歌の文化がありますから、日本人は意外にもその文字数に適応してしまうかもしれません。文字の持つ情報量の面だけでなく、どうやら文化の面からも日本語は情報発信適性があるようなのです。



 facebook(フェイスブック)で、先日、会員数が多いと言われるコカコーラの会員になってみました。すると、コカコーラのfacebook(フェイスブック)ページから、ときどき宣伝用の投稿が入ってきます。そして、その投稿のコメントが世界中から瞬く間に1000件ぐらい入ります。

 私もコカコーラの投稿記事にコメントを書いてきましたが、日本語で書いてある投稿はほかになく、すべて英語など欧米の言語によるコメントでした。しかし、それらのコメントの内容は大部分が、叫び声のような感じを受けたのです。日本人が普通コメントという言葉で連想するような味のある内容はあまりありませんでした。しかし、それも、文字の持つ情報力が日本語の2分の1だと考えると、納得できるような気がします。



 インターネットというインフラは、アメリカが中心になって世界中に広がりました。アメリカは、このほかにも、民主主義の政治体制と市場主義という経済体制を世界中に広げることを自分の使命としていたようです。私は、このアメリカの役割を、織田信長の天下布武と同じような性格を持つものだと思いました。天下に共通のレールを敷く、そのために、抵抗する既存の旧勢力は有無を言わさず排除していく、そういう役割だと思ったのです。



 では、アメリカが世界中に共通のインフラというレールを敷き終えたあと、そのレールの上を走るものは何なのでしょうか。そのレールの上を走る中身こそ、文化というコンテンツで、その文化を運ぶ列車にあたるものが言語です。

 こう考えると、日本語の持つ情報発信力は、同時に文化発信力でもあると言えるのです。



 言葉の森のfacebook(フェイスブック)ページの中で、今、毎日、作文の勉強会を開いています。(これは、だれでも自由に参加できます。facebook(フェイスブック)で「教育の丘コミュ」というグループを検索して参加ボタンを押してください)

 作文の勉強会と言っても、ちょっとした言葉遊びのようなもので、比喩の練習とか、名言の練習とかいうものを、半分以上お笑いネタでやりとりしていくものです。

 私は、この言葉遊びをしながら、わずか数語か十数語で読み手をうならせるような味のあることが書ける文化というものは、日本以外にはほとんどないのではないかと思いました。



 facebook(フェイスブック)の利用者に日本人が増えてくると、こういう文化のコンテンツがますます広がっていきます。facebook(フェイスブック)における日本語の占める割合は、ブログやツイッター以上のものになるでしょう。

 世界中に流れる情報のかなりの部分(たぶん英語と匹敵するぐらいの部分)が日本語になり、しかも、その日本語の情報の中身が単なる伝達や連絡のようなものだけではなく、文化的な創造を伴ったものだということになると、どうなるでしょうか。

 まず、世界中のエリートから、「これからは、子供に日本語を学ばせておかないと、世界の新しい文化に乗りおくれることになる」という意識が生まれてくると思います。ビジネスにおける打ち合わせは、世界共通の英語で行うとしても、文化的な創造を伴うものは、日本語を学んでいないと遅れをとるということが次第に世界中の知識人の共通認識となっていくのです。



 しかし、それは同時に日本語の危機になる可能性もあるのです。

 先にも書いたように、アメリカの文化は、標準化の文化です。アメリカ文化が生んだ自動車、コンピュータ、インターネットなどは、いずれも入れ物や通路というインフラでした。また、コカコーラ、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなども、その本質は売られている商品の中身というよりも、売り方のシステムでした。つまり、アメリカの文化は、大量生産化、ブランド化、フランチャイズ化、マニュアル化というビジネスモデルや方法の文化だったのです。

 この標準化が、言語に関しても行われるようになると、日本語は情報発信性のある言語だから世界中の人がもっと使いやすいように標準化しようという動きが出てくる可能性があります。例えば、日本語50音表のうち、タチツテトの部分は、タティトゥテトとツァチツツェツォに分けた方が合理性があるとか、ワ行は新たにワウィウゥウェヲという言葉にしようとかいう案です。

 この標準化の圧力に対して、言語の持つ文化性を保つ力はどこにあるかというと、文化性を主張する中にあるのではありません。標準化の主張と文化性の主張が対立して議論した場合、その議論そのものがすでに標準化の発想の枠内にあるからです。



 文化性は、言語の持つ芸術性の中にあります。日本には、万葉集や古今和歌集などに見られるような大衆的な言語芸術の伝統があります。

 しかし、現代日本語には、まだそのような大衆性のある芸術は生まれていません。

 日本語が世界言語となる時代に大事なことは、日本人が現代日本語による新しい大衆性のある芸術を作り出していくことなのです。

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touko 20170310 77 
日本語(日本人)情報発信力は、すごいですね!

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