言葉の森の作文指導は、中学入試、高校入試、大学入試それぞれの作文、小論文に対応しています。
ところが、高校入試と大学入試の小論文に関しては、今在籍している生徒が優先なので、新たな募集の余裕はほとんどありません。そこで、新たに受講できない人のために作文、小論文の勉強のコツを説明します。
ときどき、作文と小論文の違いは何かという質問を受けます。それに対しては、違いを考えるよりも、要するに上手な文章を書くことを考えればいいと答えています。
なお、ここで言う作文小論文試験とは、600字から1200字程度の文章を書くことが要求されているものです(少なくとも400字以上)。50字から150字の文章は、記述試験対策として書き方のコツを説明しますが、教室の指導としては行っていません。
■1、まず過去問を調べ、時間と字数と傾向を見る
まず、志望校の過去問を調べます。
一般に、公立中高一貫校の作文入試はかなり短時間です。しかも、最近の傾向として複数の文章や資料を読ませて書く形が多くなっているので、練習をして臨まなければほとんどの生徒が時間不足になります。例えば、30分で800字書くなどというのはザラです。この時間と字数の設定で、生徒を選抜している面もあります。
書くスピードをつけるには、速く書く練習をすることに尽きます。余白にメモを書いたあと、書き始めたらもう消しゴムは決して使わず、書く手を止めて考えたり、読み返したり、もちろん書き直したりせずに一気に最後まで書いていきます。これは、慣れるしかありません。
高校入試や大学入試では、持ち時間はそれほど短くはありません。90分で1200字程度のところが多いと思います。しかし、時事的な問題にからませたテーマが出ることがあります。この場合、時事的な知識を問うような問題が直接出るわけではありません。だから、時事問題の対策の参考書を買うようなことはあまり意味がありません。
時事問題は、直接の知識としてよりも、ものの見方や考え方の問題として出されます。だから、その時事的な話題を通して、文化的、時代的な変化を問うような問題になります。
例えば、原発の問題が出るとしても、原発の歴史や仕組みや単位などが出るわけではありません。また、政治的に議論の分かれるような問題は出ません。もっと大きく「科学の進歩と人間の幸福」とか「科学技術における安全性の意義」というような形で出ますす。
したがって、知識ではなく論を考えておくことが必要になります。そのためにいちばんいい方法は、本当は新聞の解説記事を半年から1年間分読むことですが、受験生にそういう時間はありませんから、お父さんやお母さんが、論を説明してあげる形で勉強します。論という形で出ている本としては、「日本の論点」(文芸春秋社)などが参考になります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4165031003
このようにして、過去問をもとに傾向を調べたら、自分で10種類の予想問題を作ります。それは、題名だけの課題でかまいません。できるだけ幅広く、10種類の課題を作り、それを書いていきます。
実は、文章を書く練習というのは、きわめて負担の大きい勉強なので、ある程度の強制力のある環境でないと書けません。もちろん、気ままに書く文章であればそういうことはありませんが、入試用の合格できる文章を決められた時間と字数で書くというのは、ひとりで行う勉強としてはかなり大変です。
私が、昔、自分ひとりで1200字の文章を書く練習をしていたときは、ファミリーレストランに入り、そこで1時間1200字の文章を書くまでは出てこないと決めてやっていたことがあります。注文は、コーヒー1杯だけ(笑)。もちろん、空いている店の空いている時間帯にやっていたのであまり迷惑にはならなかったと思いますが。(^^ゞ
(つづく)
小学生で本をよく読む子と読まない子の違いはどこにあるかという、親が本を読むかどうかによるという調査結果があります。
http://www.edita.jp/education2/one/education28260458.html
私は、この調査を見たとき、それはそうだろうと思いましたが、今さらそういうことを言っても解決策にならないだろうと思い、このことはあまり強調しませんでした。
例えば、保護者から、「うちの子は、本を読まないんですが、どうしたらいいでしょうか」という相談がよくあります。
そのときに、「それは、お母さんが本を読まないからです」と言っても、何の解決にもなりません。
また、親が本を読まないでも、子供がしっかり本を読む例はたくさんあります。例えば、古い話になりますが、野口英世と野口英世の母の関係はまさしくそうだったでしょう。
今の親の親にあたる世代は、戦争中に青少年時代を過ごし、戦後の経済成長を猛烈に仕事をしてきた世代ですから、当然本を読む余裕などはありませんでした。現に、私の家でも父や母は教養のある人でしたが、家で本を読んでいる姿を見たことはほとんどありません。生活が忙しくてそんな余裕はなかったのです。しかし、子供である私は本好きになりました。
だから、子供の読書嫌いを、親が本を読まない結果と考えるのは、物事の一面を表してはいますが、それが決定的な要因ではないし、工夫次第でいくらでも子供を本好きにする方法はあると思っていたのです。
そこで、言葉の森が保護者に提案する読書の方法は、「毎日10ページ以上読む」ということにしました。これなら、どんな子でもできます。また、低学年で文字をスムーズに読めない子の場合は、親が10ページ以上読んであげればいいのです。
なぜページ数であって時間ではないかというと、もし10分間というような時間で区切るようにすると、読んでいる途中に時計を気にして読書に集中できないからです。また、ほかの勉強でも同じですが、時間を区切ってやる形の勉強は集中力が低下します。一生懸命にやっても、遊びながらやっても同じ時間までやらなければならないということになれば、だれでも遊びながらやる方を選ぶからです。
10ページというのは、大人が普通に黙読する時間としては10分ほどです。これぐらいの分量なら毎日読むことは苦痛でもなんでもありません。
そして、本というものは人間を引きつける要素がありますから、10ページ以上と決めて読んでいると、必ず途中で止まらなくなってもっとたくさん読むようになります。読書が苦手なうちは、10ページぴったりでやめていても、読む力がついてくれば、自然に読む楽しさに目覚めてきます。
ところが、ここで大事なのが毎日ということです。2日に1回とか、週に3,4回ということではなく、毎日欠かさずに読むことが条件です。なぜかというと、読書というものは毎日の習慣になると自然に読めるのですが、1日でも読む日がないと、そこで習慣が止まってしまうことが多いからです。
読書には、このような性質があるので、子供の読書冊数についても、よく読まない子と全然読まない子に二極分化します。読む子と読まない子がなだらかな曲線になるのではなく、読む子は毎日読むし、読まない子は全然読まないという分布になるのです。
毎日10ページ以上という読書の仕方を続ければ、だれでも本を読むようになります。学校で取り組まれている「朝の10分間読書運動」も、同じ考えです。何を読むかとか、どう読むかとかいう難しいことを一切抜きにして、自分の好きな本を10分間読むというだけで、小学生の子供たちの学力も読書力も向上したのです。
しかし、私は、その後、家庭での毎日10ページの読書というのが簡単に見えて、意外に難しいのではないかということに気づき始めました。その理由は、親自身に毎日本を読む習慣がないので、子供がたまに本を読まない日があってもそれを見過ごしてしまうからなのです。
すると、最初の調査結果にあったように、親が本を読まないから、子供も本を読まないという結果になるということがわかってきました。
だから、子供を本好きにするためには、子供だけに毎日10ページ以上の読書をさせようとするのではなく、家族ぐるみで、父親も、母親も、大きい子も、小さい子も、まだ本を読める年齢になっていない子も含めて、すべての人がその時間はいったんテレビなどを消して本を読むというようにしなければなりません。
このときに、親がどのような本を読めばいいのかというと、それは子供の読書と同じです。自分の好きな本でいいのです。ただし、漫画や図鑑や雑誌は、この場合の本とは見なさないと決めておきます。
子育ての一環として、家族で本を読む時間を確保すれば、そこから親子の対話も増え、読書のある生活が家庭の文化として定着していくでしょう。