前回は、実際の作文の書き方を説明しました。
志望校の過去の傾向に合わせた予想問題をとりあえず10本書いておきます。
そのあとは、推敲です。最初に書いたのは、時間制限を意識しながら書いたので、必ずしも満足のいく出来ではありません。
そこで、小学生の場合は、両親も参加して、実例や表現の見直しを行います。実例というのは、小学生の場合は主に体験実例です。高校生の場合は主に社会実例になります。
体験実例で値打ちのあるものは、その子の個性、挑戦、共感、感動が感じられる実例です。平凡なだれでも書くような実例よりも、やはり自分の個性が出ている実例の方がいいのです。しかも、その実例は、明るいものの方が文章に力が出てきます。文章を読むのは人間ですから、明るく前向きなものの方がどうしても好意的に見られるからです。
ところが、実例の価値というのは、本人には意外とわかりません。これは、大人でも同じです。自分ではいいと思っていても、あまり他人には受けない実例と、自分ではそれほどではないと思っていても、他人には高く評価される実例があるのです。
そこで、お父さんやお母さんが、子供の作文の実例にアドバイスをしてあげます。「この意見の理由としては、こういう体験実例があったんじゃないかなあ」などと言えば、そのヒントで子供はすぐに書き直すことができます。
そのようにして、10本の予想問題を自分が納得できる形になるまで仕上げます。
これでかなり実力がつきます。試験の本番でどんなテーマが出ても、それまでに書いた文章の蓄積があれば安心して取り組めます。
さて、実際の作文で意外と目立つのが誤字です。学校の漢字のテストがよくできている子でも、作文には誤字が出てきます。それは、なぜかというと、ずっと下の学年のときに習った漢字を勘違いして覚えていることが多いからです。
勘違いしているのですから、実際に書いてみないと、自分がどういう漢字を間違えて覚えているかわかりません。
大人の場合でも、手書きで文章を書く場合、ほとんどの人の書くものに誤字があります。今は、パソコンの自動変換で出てくるのであまり問題はありませんが、作文試験の場合は手書きで書くので、誤字対策は重要です。
これは、普段の練習で作文を書くつど、それを身近な人にチェックしてもらうことで少しずつ直していくしかありません。
試験のときに、あまり自信のない漢字を書く必要が出てきたときは、別の表現にして自分のよく知っている漢字で書くようにします。ひらがなで書いてごまかすのはよくありません。
普段の練習で作文を書くときに、いちいち途中で辞書などで調べてしまうと、文章の流れが止まってしまいます。あいまいな漢字を書く場合は、とりあえずカタカナなどで小さく書いて四角で囲んでおき、作文を全部書き終えたあとにまとめて辞書で調べるようにします。
以上、駆け足で、作文試験の対策を3回にわたって書いてきましたが、ここに書いてあるとおりに勉強するだけで、文章力は飛躍的に上達します。
動物行動学者であるローレンツの著書「ソロモンの指環」には、ローレンツがさまざまな動物たちと過ごした生活が愛情深く描かれています。
私は、昔どこかで次のような文を読んだ記憶があります。「動物と一緒に暮らしたことのない人には、世界の美しさの半分は隠されている」。ローレンツの本かと思って探してみましたが、そういう言葉は見つからなかったので、ほかの本だったのかもしれません。
動物と一緒に暮らす幸福感というのは、たぶんペット好きな人はすぐに同意するでしょう。朝、目をさますと、近くで犬が静かに寝息を立てているという場面など、しみじみといいなあと思うはずです。しかし、もちろんそうでない人からは、いろいろ異論がありそうですが(笑)。
ところで、この動物と一緒にいて幸福に感じる感覚というのは、人間にもともとあるものではなく、小さいころの環境によって学び取るもののようです。
犬を飼った経験のある人はご存知だと思いますが、ごく小さい子犬のころ、ワクチン接種による免疫がやっと完成しかけるころまでに、ほかの犬と接する生活を経験しないと、その犬は成長してからも正しい犬関係(人間関係のようなもの)を結べません。だから、今ペットとして飼われている多くの犬は、犬どうしで遊ぶことが苦手です。
これと同じことが、人間にもあてはまるのではないかと思います。子供が小学校に上がるよりも少し前の時期までに、動物に接する生活があると、動物と一緒にいる際の幸福な感覚が育つようなのです。
教育の目的のひとつは、人間が幸福な生活を送ることにあります。この場合の幸福感を、音楽や絵画や読書などの芸術感覚として考える人も多いと思いますが、もっと原初的な幸福感は、自然や動植物と一緒にいるときに感じる感覚です。空を見たり、山道を歩いたり、草の匂いをかいだり、動物をなでたりするだけで幸福感を感じることができるとすれば、その人は、そうでない人よりも、世界からより多くのものを得ていると言えるでしょう。
言葉の森の通学教室で、ペットの犬や小鳥を飼っていますが、それを見て、すごく喜ぶ子もいれば、あまり関心を示さない子もいます。そして、まれに犬や小鳥をこわがる子もいます。こういう感覚の違いは、成長しても変化がないでしょうから、子供が人生からより多くの幸福を味わえる機会を増やすためにも、小さいころに動物と接する時間を増やすといいと思うのです。
今の日本では、住宅事情によって犬や猫を飼うのは難しいかもしれませんが、文鳥やインコなどの小鳥であれば飼える家庭は多いと思います。小鳥は、ヒナのころからえさをやれば手に乗るようになります。あちこちフンをするので大変ですが、こういう生き物が家の中にいるだけで、家の中の雰囲気がなごみます。
話は少し脱線しますが、小鳥を飼うときにカゴの中に入れて飼うのはやや不自然です。そこで、私は、小鳥を野生状態で飼えたらいいと思い、手乗りになった文鳥やオカメインコたちを時々表に出していました。しかし、小さいころにカゴの環境で育った鳥は、やはり遠近感がつかめないようで、近くにいるときはすぐに戻ってくるのですが、風に乗って高くまで飛んでしまうと戻る場所がわからなくなってしまうようでした。
しかし、鷹匠などは、うまくそういう訓練をしているので、工夫次第ではできないことはないと思います。手乗りの小鳥を野生状態で飼うというのが、今の私の研究課題です。(そんなバカなことするなと、いつもみんなから言われていますが(笑))