facebookやgoogle+を作文の勉強に生かす話の続きです。
前回までは、予習と自習について書いてきました。
今回は、発表についてです。作文の勉強の結果を発表する際にも、facebookやgoogle+を活用することができます。
facebookやgoogle+で予習の話を交わしているうちに、同じ学年の子供の保護者の中に、互いに親しみがわいてきます。毎週、同じような課題を、同じように工夫しながら予習するので、お互いに相手の苦労もわかるようになるのです。
そこで、そういう共通の基盤を前提にして、子供たちの清書の発表会をします。
昔、江戸時代の寺子屋でも、年に何回か席書き(せきがき)という発表会のようなものがありました。通り道にゴザをしいて、普段練習している手習いの成果を発表し、それらを展示しておくのです。通行人は思い思いに子供たちの発表を見に来ます。子供にとって、普段の学習の成果をみんなの前で発表するというのは晴れがましいものです。このようにして、練習と発表のサイクルの中で、勉強の意欲を高めていったのです。
作文の場合も同じようにできますが、江戸時代の席書きが主に習字であったのに対して、作文の場合は600-1200字の文章です。清書をそのままfacebookやgoogle+にアップロードしたのでは、あまり面白くありません。
そこで、発表会は、文章だけでなく、その作文の内容に関連した音楽や画像や朗読なども入れるようにします。作文というよりも、文章を中心とした総合表現芸術というようなものです。その発表会の作品を見て、ほかの生徒や保護者が思い思いにコメントを入れることもできます。
発表会で大事なことは、子供たちの作品を比較しないということです。評価をするにしても、それぞれの個性を評価することが中心で、優劣をつけるような評価は限定的なものにとどめておく必要があります。
facebookやgoogle+を利用するので、ネットワークの上だけでも発表会を行うことができますが、本当は、発表はリアルな関係の中でした方が励みになります。
そのために、予習が学年別・課題別であったのに対して、発表はできるだけ地域別に行うようにします。予習は、全国の小学3年生の8月1週の課題などと時間的に限定したものでしたが、発表は、○○市の□□町周辺の生徒というようにしていきます。したがって、地域ごとにいろいろな年齢の子供が参加する形になります。
このように、子供の教育を要にして地域につながりができるというのが、子供たちの成長にもプラスになります。今は核家族化が進んでいるために、子供たちは、親子という限られた人間関係の中で過ごすことが多くなっています。また、学校や塾も、同学年の子を中心に組織されているので、ここでも人間関係は単調なものになりがちです。
子供は、地域の中で、近所のおじさんやおばさんに囲まれて、年下の子や年上の子との関わりの中でバランスよく成長していくものですが、現代の社会ではその機会はきわめてすくなくなっています。そこで、作文の勉強という学ぶ機会を利用して、地域の多様な人間関係の中で育つ環境を作っていくのです。
日本の教育は、現在多くの点で行き詰まっているように多くの人が感じています。
しかし、それは教育に限ったことではありません。教育も、政治も、経済も、文化も、あらゆる面で、日本が明治以降、取り入れたきた欧米の近代文明が制度疲労を起こしているのです。
日本の社会は、もう既に、近代西欧文明の長所も弱点もほとんど経験しました。あとは、これを日本が本来持っていた伝統の中で昇華していくことです。
その伝統の多くは、これまで遅れていた時代と見なされていた江戸時代の中にあります。単なる復古ではない、伝統と進歩の創造的な結合を作り出すことがこれからの課題です。
それは、比喩的に言えば、民主主義の実現した江戸時代、又は近代科学を取り入れた縄文時代というようなものになると思います。(つづく)
次回は、教材の作成についてです。
facebookやgoogle+を作文の勉強の予習に生かす方法の続きです。
前回は、小学3、4年生が感想文を書くための自習として音読の説明をしました。
音読で読解力がつくというのは、何度も繰り返し音読することよって、文章の内容が自分のものとして把握されるようになるからです。
では、なぜ音読であって黙読でないかというと、黙読のような声に出さない勉強は反復することがきわめて難しくなるからです。
音読には脳を活性化する働きがあるという人もいますが、それはただ脳波の動きが大きくなっているというだけで、それだけでは音読に効果があるということはできません。
音読のいちばんの効果は、反復と継続ができるということです。だから、逆に言うと、読書のように新しい文章を次々と読むような場合、音読はあまりいい読み方とは言えません。それよりも黙読の方がずっと能率が上がります。音読は、繰り返し読むようなもののときに役立つのです。
さて、感想文のもとになる長文を子供が毎日音読し、それを授業の前にお父さんやお母さんに説明したとします。それから、家庭での対話が始まります。
親が、その長文の内容と似た話をしてあげると、子供の理解は更に深まります。そして、親の話してくれた似た話に触発されて、子供自身も似た話を思いつくようになります。
感想文を書く際に大事なことは、いかにもとの文章を自分にひきつけて読むかということですから、似た話を通して読む読み方は、感想文に最も生かせる読み方になります。
ところが、小学校3、4年生にとって感想文が難しいのは、まだ人生の経験が少ないために、文章を読んで内容は理解できたとしても、それを自分の身近な話に結びつけるだけのぴったりした似た話が子供の中にないからです。そのときに、身近にいる親が似た話を聞かせてあげると、子供の似た話の見つけ方が柔軟になります。
小さい子供は、理屈で説明してもなかなか理解できませんが、実例を示してあげるとすぐに同じような実例を思い出すことができます。
小学3、4年生では、感想文は上手に書けないのが普通です。しかし、このように書くための材料がそろえば、普通の作文と同じぐらいの字数はすぐに書けるようになります。
このお父さんやお母さんの似た話を聞かせてあげるときに使えるのが、やはりfacebookやgoogle+です。作文の準備の出来事をシェアしたように、感想文の場合は似た話をシェアできます。大人でも、真面目に考えすぎるために似た話がなかなか出てこない人がいます。そういう人も、ほかの人の似た話を聞けば、「そういうことなら、自分でもある」と思いつくのです。
さて、小学校低中学年までは、親子の対話は簡単にいつでもできましたが、子供が小学校高学年になると、だんだん対話の機会が少なくなってきます。
子供の関心は、家庭から学校へ、親から友達へと移っていきます。また、勉強も難しくなるので、親が気軽にアドバイスできないものも出てきます。
そして、特に父親は、子供との接点が、時間の面でも話の内容の面でも少なくなるので、たまに話をする余裕ができたときも、話題が出てこないことがあります。
すると、「どうだ。勉強むずかしいか」「まあまあね」「そうか」……というような展開で終わってしまうことも増えてくるのです。
本当は、こういう時期こそ、親子で知的な対話をすることが大事なのですが、親子に共通の話題がなく、勉強や成績の話だけになってくると、次第に子供も親と話すことを敬遠するようになってきます。
そのときに生きてくるのが、感想文のもとになる長文を読んでの話題です。そのためには、子供が小学校中学年のころから、親子で長文をもとにして話をする機会を作っておく必要があります。
小学校中学年までの間に、音読や長文の説明をする習慣を作っておけば、その延長で、小学校高学年になっても、中学生、高校生になっても同じような話題の共有ができます。中学生や高校生の感想文課題は、かなり難しいものですから、親としても話しがいがあるはずです。
たまに、保護者の方で、「私はそんなに教養がないので、子供と難しい話をすることができない」と最初からあきらめたことを言う人がいます(笑)。勉強は、子供だけがすればいいというのではありません。親であっても、やはり勉強して成長していくのです。そして、親には、子供には決して負けない人生の年輪があります。親が、自分の経験を通して話す意見が、子供にとっては最も心に残ります。そして、そのときにも、facebookやgoogle+を生かすことができるのです。(つづく)
※次回は、作文の発表についてです。