facebookやgoogle+を作文の勉強に生かすという話の続きです。
ソーシャルサービスは、家庭における予習と自習、地域における発表、有志による教材作成などに生かせるという話を書いてきました。
そして、作文の勉強でできることであれば、ほかの勉強ではもっと簡単にできます。なぜなら、英語、数学、理科、社会などの勉強の多くは、知識を整理したり解法を身につけたりすることが中心になる勉強で、読解や作文の勉強ほど教えることが難しくはないからです。
ここまで来ると、教育全体を自分たちの手で作り運営するという話になってきます。
そして、これが江戸時代の寺子屋教育で行われてきたことなのです。
江戸時代は、公教育としての学校制度はありませんでした。庶民は、自分の家業を子供に継ぐために、教育を必要としました。武士階級は、やはり武士階級としての仕事を子供に継ぐために教育を必要としました。
その教育の多くは、読み、書き、算盤、そして倫理や道徳としての四書五経の習得でした。江戸時代の識字率が高かったのは、農工商に従事する庶民でさえ、家業に従事するために文字を読み手紙を書く必要があったからです。
したがって、そこで行われた教育も決して一律のものではありませんでした。一般教養として共通のものはありましたが、それぞれの仕事に特有な知識を読み書きの学習の中で学んでいったのです。
同様のことが、これからの社会でも行われるようになります。保護者は、子供たちに将来本当に役に立つことを学んでほしいと思っています。試験のための一夜漬けの知識を身につけてくれればいいと考えている親はいません。
しかし、今の教育体制の中では、子供にとって本当に必要なことは後回しになっています。子供たちに学ぶ意欲を持たせる方法は、競争を強化することではなく、学ぶ意味がわかるような教育を行っていくことです。
そういう当然のことができなかったのは、これまでの教育が行政のサービス、又は民間のサービスとして行われてきたからです。それは、明治時代から導入された学校制度が、欧米に追いつくための国家目標として取り組まれてきたためです。
もちろん、高度に専門化されたサービスが必要な教育の分野はあります。しかし、小中学校の義務教育では、教育は外部に委託するサービスとしてではなく、自治的な活動として行っていく方がずっと能率よく充実したものになるのです。
同様のことは、教育以外の分野にもあてはまります。治安、環境、防災、介護、福祉など、現在行政のサービスとして行われているもののほとんどは、江戸時代には庶民の自治活動として行われていました。巨大な江戸という都市の治安を守ったのは、警察のような行政機関ではなかったのです。(つづく)
話が、教育から社会の問題へと発展してきました。次回は、いよいよ最終回。
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facebookやgoogle+を作文の勉強に生かす話の続きです。
前回までは、予習と自習と発表について書いてきました。
今回は、教材作成に生かすという話です。
感想文を書く際のもとになる文章を読ませる場合、親なら、子供にこういう文章をよんでもらいというというものもあると思います。
教材作成の専門家に任せるよりも、子供の成長を身近に見ている親の方が正しい判断ができるということも多いはずです。
そこで、親や先生やあるいは一般の人が、自分たちで子供向けの長文を作るというのが「オープン長文」という企画です。
教材作成を専門にしている人は、その教材がどのように使われたかを直接見ることはありません。しかし、親や先生であれば、子供がそれをどう消化したかを知ることができます。特に、感想文の課題の長文であれば、どのように理解して、どのような文章を書いたかということがわかります。それを、教材の改良にすぐに生かせるのが、自分たちで教材を作ることの利点です。
著名な人の書いた文章であれば、著作権の問題もあり、教材として気軽に使うことができませんが、自分たちで作った文章であれば、互いの了解のもとにすぐに改良をしていくことができます。
これは、国語の文章に限らず、他の教科にもあてはまります。
例えば、数学の問題です。今の学校や塾の勉強は、点数の差のつきやすい問題、つまりうっかり間違えやすい問題を中心に評価が行われがちです。みんなが百パーセントできるようになることを目的とした勉強ではなく、点数で差をつけることを目的とした勉強になっている面があります。
このことが、算数や数学を苦手と感じる子を増やしています。よくできる子に知的な刺激を与えるために難問を出すのはいいのですが、教える仕事だけを専門にしていると、難問を出して差をつけることがひとつの目標のようになってしまうことがあるのです。
しかし、親は違います。自分の子供が実力をつけることが目的ですから、教材の適不適が教材作成の専門家よりもはっきりとわかります。もし、親が教材作成に参加したり、注文をつけたりすることができるようになれば、子供たちの勉強の結果をすぐに次の教材作りに生かすことができます。
このようなことができるのが、やはりfacebookやgoogle+を利用したコミュニケーションの力です。例えば、
「この間の問題、どうだった」「うちには、ちょっと難しかった」「じゃあ、どこを改善しようか」「こっちはちょっと易しすぎたようだから、発展問題があるといいかなあ」「それも、作ろう」
と、このようなやりとりができるようになります。
このような形で、親が直接教材作成に意見を反映させられるようになれば、現在の中央集権型の時代後れになりがちな教育は、もっと子供たちの現実に結びついたものに変わっていくはずです。
全国の小中学校には、もうかなり以前から1クラス分の生徒が全員使えるだけのパソコンが整備されていますが、取り組みの遅れている学校がかなりあります。
また、本当は、中学校の技術家庭で、コンピュータ・プログラミングを教えることができれば、日本人のIT技術はもっと広がっているはずです。
こういうことも、子供の成長を身近に見ている親が教材作成に参加するようになれば、大きく改善されると思います。(つづく)
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facebookやgoogle+を作文の勉強に生かす話の続きです。
前回までは、予習と自習について書いてきました。
今回は、発表についてです。作文の勉強の結果を発表する際にも、facebookやgoogle+を活用することができます。
facebookやgoogle+で予習の話を交わしているうちに、同じ学年の子供の保護者の中に、互いに親しみがわいてきます。毎週、同じような課題を、同じように工夫しながら予習するので、お互いに相手の苦労もわかるようになるのです。
そこで、そういう共通の基盤を前提にして、子供たちの清書の発表会をします。
昔、江戸時代の寺子屋でも、年に何回か席書き(せきがき)という発表会のようなものがありました。通り道にゴザをしいて、普段練習している手習いの成果を発表し、それらを展示しておくのです。通行人は思い思いに子供たちの発表を見に来ます。子供にとって、普段の学習の成果をみんなの前で発表するというのは晴れがましいものです。このようにして、練習と発表のサイクルの中で、勉強の意欲を高めていったのです。
作文の場合も同じようにできますが、江戸時代の席書きが主に習字であったのに対して、作文の場合は600-1200字の文章です。清書をそのままfacebookやgoogle+にアップロードしたのでは、あまり面白くありません。
そこで、発表会は、文章だけでなく、その作文の内容に関連した音楽や画像や朗読なども入れるようにします。作文というよりも、文章を中心とした総合表現芸術というようなものです。その発表会の作品を見て、ほかの生徒や保護者が思い思いにコメントを入れることもできます。
発表会で大事なことは、子供たちの作品を比較しないということです。評価をするにしても、それぞれの個性を評価することが中心で、優劣をつけるような評価は限定的なものにとどめておく必要があります。
facebookやgoogle+を利用するので、ネットワークの上だけでも発表会を行うことができますが、本当は、発表はリアルな関係の中でした方が励みになります。
そのために、予習が学年別・課題別であったのに対して、発表はできるだけ地域別に行うようにします。予習は、全国の小学3年生の8月1週の課題などと時間的に限定したものでしたが、発表は、○○市の□□町周辺の生徒というようにしていきます。したがって、地域ごとにいろいろな年齢の子供が参加する形になります。
このように、子供の教育を要にして地域につながりができるというのが、子供たちの成長にもプラスになります。今は核家族化が進んでいるために、子供たちは、親子という限られた人間関係の中で過ごすことが多くなっています。また、学校や塾も、同学年の子を中心に組織されているので、ここでも人間関係は単調なものになりがちです。
子供は、地域の中で、近所のおじさんやおばさんに囲まれて、年下の子や年上の子との関わりの中でバランスよく成長していくものですが、現代の社会ではその機会はきわめてすくなくなっています。そこで、作文の勉強という学ぶ機会を利用して、地域の多様な人間関係の中で育つ環境を作っていくのです。
日本の教育は、現在多くの点で行き詰まっているように多くの人が感じています。
しかし、それは教育に限ったことではありません。教育も、政治も、経済も、文化も、あらゆる面で、日本が明治以降、取り入れたきた欧米の近代文明が制度疲労を起こしているのです。
日本の社会は、もう既に、近代西欧文明の長所も弱点もほとんど経験しました。あとは、これを日本が本来持っていた伝統の中で昇華していくことです。
その伝統の多くは、これまで遅れていた時代と見なされていた江戸時代の中にあります。単なる復古ではない、伝統と進歩の創造的な結合を作り出すことがこれからの課題です。
それは、比喩的に言えば、民主主義の実現した江戸時代、又は近代科学を取り入れた縄文時代というようなものになると思います。(つづく)
次回は、教材の作成についてです。
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facebookやgoogle+を作文の勉強の予習に生かす方法の続きです。
前回は、小学3、4年生が感想文を書くための自習として音読の説明をしました。
音読で読解力がつくというのは、何度も繰り返し音読することよって、文章の内容が自分のものとして把握されるようになるからです。
では、なぜ音読であって黙読でないかというと、黙読のような声に出さない勉強は反復することがきわめて難しくなるからです。
音読には脳を活性化する働きがあるという人もいますが、それはただ脳波の動きが大きくなっているというだけで、それだけでは音読に効果があるということはできません。
音読のいちばんの効果は、反復と継続ができるということです。だから、逆に言うと、読書のように新しい文章を次々と読むような場合、音読はあまりいい読み方とは言えません。それよりも黙読の方がずっと能率が上がります。音読は、繰り返し読むようなもののときに役立つのです。
さて、感想文のもとになる長文を子供が毎日音読し、それを授業の前にお父さんやお母さんに説明したとします。それから、家庭での対話が始まります。
親が、その長文の内容と似た話をしてあげると、子供の理解は更に深まります。そして、親の話してくれた似た話に触発されて、子供自身も似た話を思いつくようになります。
感想文を書く際に大事なことは、いかにもとの文章を自分にひきつけて読むかということですから、似た話を通して読む読み方は、感想文に最も生かせる読み方になります。
ところが、小学校3、4年生にとって感想文が難しいのは、まだ人生の経験が少ないために、文章を読んで内容は理解できたとしても、それを自分の身近な話に結びつけるだけのぴったりした似た話が子供の中にないからです。そのときに、身近にいる親が似た話を聞かせてあげると、子供の似た話の見つけ方が柔軟になります。
小さい子供は、理屈で説明してもなかなか理解できませんが、実例を示してあげるとすぐに同じような実例を思い出すことができます。
小学3、4年生では、感想文は上手に書けないのが普通です。しかし、このように書くための材料がそろえば、普通の作文と同じぐらいの字数はすぐに書けるようになります。
このお父さんやお母さんの似た話を聞かせてあげるときに使えるのが、やはりfacebookやgoogle+です。作文の準備の出来事をシェアしたように、感想文の場合は似た話をシェアできます。大人でも、真面目に考えすぎるために似た話がなかなか出てこない人がいます。そういう人も、ほかの人の似た話を聞けば、「そういうことなら、自分でもある」と思いつくのです。
さて、小学校低中学年までは、親子の対話は簡単にいつでもできましたが、子供が小学校高学年になると、だんだん対話の機会が少なくなってきます。
子供の関心は、家庭から学校へ、親から友達へと移っていきます。また、勉強も難しくなるので、親が気軽にアドバイスできないものも出てきます。
そして、特に父親は、子供との接点が、時間の面でも話の内容の面でも少なくなるので、たまに話をする余裕ができたときも、話題が出てこないことがあります。
すると、「どうだ。勉強むずかしいか」「まあまあね」「そうか」……というような展開で終わってしまうことも増えてくるのです。
本当は、こういう時期こそ、親子で知的な対話をすることが大事なのですが、親子に共通の話題がなく、勉強や成績の話だけになってくると、次第に子供も親と話すことを敬遠するようになってきます。
そのときに生きてくるのが、感想文のもとになる長文を読んでの話題です。そのためには、子供が小学校中学年のころから、親子で長文をもとにして話をする機会を作っておく必要があります。
小学校中学年までの間に、音読や長文の説明をする習慣を作っておけば、その延長で、小学校高学年になっても、中学生、高校生になっても同じような話題の共有ができます。中学生や高校生の感想文課題は、かなり難しいものですから、親としても話しがいがあるはずです。
たまに、保護者の方で、「私はそんなに教養がないので、子供と難しい話をすることができない」と最初からあきらめたことを言う人がいます(笑)。勉強は、子供だけがすればいいというのではありません。親であっても、やはり勉強して成長していくのです。そして、親には、子供には決して負けない人生の年輪があります。親が、自分の経験を通して話す意見が、子供にとっては最も心に残ります。そして、そのときにも、facebookやgoogle+を生かすことができるのです。(つづく)
※次回は、作文の発表についてです。
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facebookを作文の勉強の予習に生かす方法の続きです。
小学3、4年生は、題名課題で作文を書く練習が中心になります。そして、ときどき感想文課題が入ります。このように課題があらかじめ決まっていると、予習は更に充実したものになります。
例えば、小3の8月1週の作文の課題は「おふろ」です。この課題に合わせて、facebookの「言葉の予習室小3」には次のような記事を入れました。
====引用ここから。====
小3の8.1週の課題は、「●おふろ、ぎりぎりセーフ」これは、どちらかで書くということです。
おふろの話を書く場合、家庭での予習は、おふろで遊ぶことがいいと思います。
私の家でやっていたのは、これ。
1、泡でいっぱいになる入浴剤
2、又は、菖蒲湯のように、香りのする葉っぱを入れる
3、水鉄砲
4、水中メガネ
今、どの家のうちのなかのお風呂に入っていると思いますが、たまにはみんなで近所の銭湯に行ってみるといいかもしれません。
その行き帰りに、お父さんやお母さんが、昔のお風呂の話をしてあげると、似た例も話せて一石二鳥。
ほかにも、お風呂に関していいアイデアがあったら、どなたでもご自由にお書きください。
====引用ここまで。====
お父さんやお母さんによっては、おふろという課題で、自分の子供時代の面白い体験を話せる人も多いはずです。普通、そういう話は、偶然出てくることがあっても、意識的に話す機会がなかなかありません。
ところが、作文の課題が決まっていることによって、あらかじめ子供に聞かせるいい話を準備できます。
小学3、4年生の感想文課題のときは、準備がもう少し難しくなります。題名課題のときは、その題名に合わせて書くことを考えればよかったのですが、感想文課題の場合は、まず課題となる長文(1200-1600字程度)を読んで、その内容を自分なりに把握していなければなりません。
そこで、毎日の音読の自習が大切になってきます。
音読の自習は、朝ご飯の前にやるのが理想です。ゆっくり読んでも3、4分で終わってしまう自習なので、朝食前のように例外なく確保できる時間でないと続けにくいのです。音読や暗唱のような短い時間の毎日の自習は、朝食前に、読書のような時間をかける自習は夕方に、というように使い分けていくといいと思います。
朝ご飯の前、お母さんが支度をしているときに、子供が食卓で大きい声で音読をします。小学生の勉強は、勉強部屋のようなところではなく家族の中でやる方が能率が上がります。お母さんやお父さんは、聞くともなしにその長文を聞いているので、内容が何となく頭に入ります。
そして、感想文の課題の授業がある日の前までに一度、子供が親にその長文の内容を説明するようにします。何度も音読をしている長文は、すっかり頭に入っているので、子供はその長文を見ないでも内容をくわしく説明できます。
小学校中学年の子供が、何も見ずにこのようにすらすらと文章の内容を説明するのを聞いていると、お父さんやお母さんはちょっと感動すると思います。
文章の理解とは、このように内容が丸ごと頭に入り、自由に説明できることです。決して国語の問題を解くような、どこの指示語が何を指しているかというような理解の仕方ではないのです。(つづく)
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facebookを作文の勉強の予習に生かす方法です。
作文の勉強で大事なことは、書くことではありません。書く前に、書くための材料を増やしておくことです。材料がないのに表現力だけで書こうとしても長くは書けません。逆に、材料があれば、その材料に引っ張られてだれでも書けるようになります。
では、材料とは何でしょうか。
小学校1、2年生は、自由な題名で書く練習が中心ですから、書くことを決めておくことが材料になります。それは、毎回同じような「今日のこと」や「この前のこと」という題名でもかまいません。大事なことは、先生からの電話指導があるときまでに、何を書くか決めておくということです。
ところが、実際には小学校1、2年生の子で、先生が、「今日は何を書くの」と聞いても、「えーと」とそれから考え出す子がいます。これではいい作文は書けません。この場合の予習は、親が作文の授業がある前までに、「今度の作文は何を書くの」と聞いてあげることです。そして、そこから親子の対話が始まります。
子供が書きたいと思っている題名と、実際に書きやすい題名とは異なる場合があります。例えば、子供はよく、「明日○○するので、そのことを書きたい」と言います。しかし、明日のことは作文にはうまく書けません。作文の中心は、過去の体験です。ですから、親子の話のときに、子供から明日の話が出たら、親が優しく「明日のことは、それが終わってから次の週に書いたらいいんじゃない」と修正してあげるといいのです。
同じように、「テレビを見た」「映画を見た」「ゲームをした」という自分の行動が少ない話も、いい作文にはなりません。作文の材料で大事なことは、その子がどういう行動をしたかということですから、これも、親子の対話の中で優しく軌道修正してあげるといいのです。
そして、更に大事なのは、面白い作文を書くために、親が子供にいろいろなイベントを用意してあげることです。例えば、ひとりでお使いに行かせる、一緒に公園にセミの幼虫を見つけに行く、料理を作る、大掃除をする、旅行に行くなどのイベントです。お金や時間をかけて大げさにやる必要はありません。身近なところに子供が興味を持ついろいろな機会があります。
facebookでは、主にそういうイベントをシェアします。
言葉の森のfacebookに「言葉の森予習室小1」などという学年別のグループがあります。そこで、「我が家では、この前こんなことをしてみた」というような情報を交換します。実は、この、他の家の例というのが、かなり参考になります。
家庭における父親と母親の間でも、二人の興味や関心はかなり違います。父親は、母親の考え付かないような方法で子供を喜ばすことができ、母親もまた父親の考え付かないような方法で子供に接することができます。こういう違いがあるから、子供はバランスよく成長します。この違いは、二人よりも三人、四人と増えた方がもっといいのです。これが、facebookのグループで、イベントをシェアする意義です。
小学校3、4年生は、題名課題で作文を書く練習が中心になります。そして、ときどき感想文課題が入ります。このように課題があらかじめ決まっていると、予習は更に充実したものになります。(つづく)
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言葉の森のfacebook教育が、いよいよ本格的にスタートします。
7月下旬と8月上旬に、保護者にfacebookのお知らせを送ります。もちろん、保護者の中ですぐにfacebookに参加できる人はまだ多くないと思います。また、当然facebookに参加しなくても従来のやり方で十分にやっていけます。しかし、facebookを利用すると、勉強がもっと飛躍的に楽しくできるようになるのです。
以下、そのやり方の概略を説明します。
ポイントは、5つあります。
第1は、facebookを利用した予習の仕組みです。
第2は、facebookを利用した発表の仕組みです。
第3は、facebookを利用した教材の仕組みです。
そして、教育よりも話は広くなりますが、。
第4は、facebookを利用した生活の仕組みです。
第5は、facebookを利用した自治の仕組みです。
この話に入る前に、教育の中でも、なぜ作文教室で作文を教えるのかということを説明します。
作文力は、国語力の集大成です。読解力、漢字力、思考力、表現力という国語的な力のほとんどが作文の中に統合されています。
そして、国語力というのは、数学、英語、理科、社会などあらゆる教科の土台です。国語力はないが数学は得意という生徒は、大学に入ってから伸びないと言われています。また、国語力はないが英語は得意という生徒も、学年が上がるとだんだんいなくなってきます。国語力というのは、単に文学的な心情を味わうというような狭い学力ではなく、ものを考える土台となる本質的な学力なのです。
以上の二つのことをまとめると、作文力は、あらゆる教科の土台の集大成だいうことになります。(土台の集大成ということがイメージとしてわかりにくいですが(^^ゞ)
言葉の森の生徒の中には、習い事は言葉の森だけという子がよくいます。そういう子は、読書も作文も得意です。学校や家庭だけでは、文章を書く機会が少ないということと、作文は自分ひとりでは自分の書いた文章を評価できないということで勉強しているのです。
勉強とは、本来ひとりでできるものです。教科書や参考書や問題集があれば、解答や解法を見て自分でいくらでも勉強を進めることができます。しかし、作文に関しては独学というものはしにくいのです。
ところが、自慢になりますが(笑)、そういう学力の土台の集大成となるような作文の指導をしているのは言葉の森しかないと思います。
最近、公立中高一貫校の作文入試や、高校や大学の推薦小論文入試が増えたために、作文の書き方を教える教室も増えてきましたが、言葉の森のように読む力と書く力を組み合わせて小1から高3まで指導をしているところはほとんどないと思います。
ところで、話は少しはずれますが、習い事ということに関連して、今の社会の風潮に対する問題点もいくつか指摘しておきたいと思います。
ひとつは、運動や音楽の習い事は、やりすぎないようにするということです。こういう身体的なことは、かけた時間に比例して上達する面があります。また、勝敗やコンクールという競争状態に置かれる結果、必要以上にやりすぎる面が出てきます。教育の根本は、確実な学力をつけることです。運動や音楽的なことは、幹ではなく枝葉なのだと自覚して取り組んでいくことが必要です。運動や音楽によって集中力がつき学力にもプラスになったという人もいる一方、運動や音楽によって勉強する時間が足りなくなったという人もいます。家庭での位置づけをしっかりさせておくことが大事です。
もうひとつは、幼児期からの英語教育には、弊害がある可能性がかなり高いということです。幼児から小学3年生ぐらいまでは、日本語という母語を確実に身につける時期です。この時期に他の言語が入ってくると、やり方によっては、母語である日本語に悪影響を及ぼします。他の言語を学ぶのは、日本語脳を確実に形成したあとで、しかし、まだ他の言語を習得する柔軟性の高い小学4年生から6年生が最適のようです。このあたりの研究は進んでいるはずなのですが、英語教育の利害関係者が多いせいかあまり明らかになっていません。
最後のひとつは、小学校低中学年までは勉強をさせすぎないということです。早めにやって人より先に進んだとしても、それがあとまで続くことはまずありません。本当の勉強は、小学校5年生以降の思考力がついてから始まります。また、子供が勉強というものに自覚して取り組めるようになるのは中学3年生以降です。早めに勉強させすぎることのマイナス面は、勉強というものに飽きてしまうことです。小学校低中学年までは、勉強はほどほどにできるぐらいでちょうどいいのです。その分、遊びと読書と対話の時間を増やして子供らしい楽しい小学校生活を送っていくことが大切です。
次回は、facebookを利用した予習の話です。(つづく)
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前回は、実際の作文の書き方を説明しました。
志望校の過去の傾向に合わせた予想問題をとりあえず10本書いておきます。
そのあとは、推敲です。最初に書いたのは、時間制限を意識しながら書いたので、必ずしも満足のいく出来ではありません。
そこで、小学生の場合は、両親も参加して、実例や表現の見直しを行います。実例というのは、小学生の場合は主に体験実例です。高校生の場合は主に社会実例になります。
体験実例で値打ちのあるものは、その子の個性、挑戦、共感、感動が感じられる実例です。平凡なだれでも書くような実例よりも、やはり自分の個性が出ている実例の方がいいのです。しかも、その実例は、明るいものの方が文章に力が出てきます。文章を読むのは人間ですから、明るく前向きなものの方がどうしても好意的に見られるからです。
ところが、実例の価値というのは、本人には意外とわかりません。これは、大人でも同じです。自分ではいいと思っていても、あまり他人には受けない実例と、自分ではそれほどではないと思っていても、他人には高く評価される実例があるのです。
そこで、お父さんやお母さんが、子供の作文の実例にアドバイスをしてあげます。「この意見の理由としては、こういう体験実例があったんじゃないかなあ」などと言えば、そのヒントで子供はすぐに書き直すことができます。
そのようにして、10本の予想問題を自分が納得できる形になるまで仕上げます。
これでかなり実力がつきます。試験の本番でどんなテーマが出ても、それまでに書いた文章の蓄積があれば安心して取り組めます。
さて、実際の作文で意外と目立つのが誤字です。学校の漢字のテストがよくできている子でも、作文には誤字が出てきます。それは、なぜかというと、ずっと下の学年のときに習った漢字を勘違いして覚えていることが多いからです。
勘違いしているのですから、実際に書いてみないと、自分がどういう漢字を間違えて覚えているかわかりません。
大人の場合でも、手書きで文章を書く場合、ほとんどの人の書くものに誤字があります。今は、パソコンの自動変換で出てくるのであまり問題はありませんが、作文試験の場合は手書きで書くので、誤字対策は重要です。
これは、普段の練習で作文を書くつど、それを身近な人にチェックしてもらうことで少しずつ直していくしかありません。
試験のときに、あまり自信のない漢字を書く必要が出てきたときは、別の表現にして自分のよく知っている漢字で書くようにします。ひらがなで書いてごまかすのはよくありません。
普段の練習で作文を書くときに、いちいち途中で辞書などで調べてしまうと、文章の流れが止まってしまいます。あいまいな漢字を書く場合は、とりあえずカタカナなどで小さく書いて四角で囲んでおき、作文を全部書き終えたあとにまとめて辞書で調べるようにします。
以上、駆け足で、作文試験の対策を3回にわたって書いてきましたが、ここに書いてあるとおりに勉強するだけで、文章力は飛躍的に上達します。
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