ここからは、想像の話になります。
経済破綻があっても、自然災害があっても、生き残るだけならだれでも何とかできます。しかし、生き残るだけでは済まないのが、子供を持つ母親です。子供の成長のためには、一刻も早く元の安定した社会に戻す必要があるからです。
だから、地域の自治の中心になるのは、小さい子供を持つ母親です。しかし、母親は組織の運営のようなことには慣れていません。地域を単位とするような自治的な運動を運営するには荷が重いのです。
現在、既にある地域の自治会は、組織はそのまま生かせますが、日常的な活動以上のことをするには力不足のように思います。町内会のお祭りのようにある程度役割分担が決まっている仕事をするならいいのですが、前例のない新しいことをさまざまな意見を押し切って遂行することは難しいと思います。
地域の自治のリーダーとして新しい活動を切り開くことができるのは、その地域に住民として暮らしている中小企業の社長のような人です。それも、できれば創業者で、裸一貫からたたきあげて、多くの従業員を抱えるようになった人がいいでしょう。危機のときには、危機をのりこえてきた人がリーダーになる方がいいのです。しかし、そういう人ほど自分から進んで「自分がやる」とは言い出しません。リーダーになる素質のある人は、「リーダーなどだれでもできる」と思っていることが多いからです。だから、周りの人がそういう人物を見つける必要があります。
子供を持つ母親と中小企業の社長のような人物を中心に作られた地域自治の核に、行動力のある若者としてfacebookやgoogle+を活用できる高校生や大学生が参加すれば、国の政治や経済が破綻しても、地域の生活はすぐに復活するでしょう。治安も、防災も、環境も、福祉も、そして日常生活に必要な衣食住の保障も、また、教育も、文化も、地域の自治が動き出せば、公の行政サービスなど何もなくてもやっていけるのです。
そして、いったんこのような自治社会が生まれれば、その後国家の役割が再び必要になるとしても、それはもはやかつてのような利権にまみれたよそよそしい国家ではなく、真に国民の利益を考えた、静かだが頼りになる、国民と不可分の国家になっているだろうと思います。
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言葉の森では、今後、次のような教育プロジェクトを計画しています。
それは、自然災害や経済破綻が起きても大丈夫なように、ネットを活用した低価格の(場合によっては無料の)家庭学習をサポートする教育運動です。
通信教育の講座を受講している人は、感じがわかると思いますが、通信講座では毎月定期的に教材が送られてきます。このプロジェクトでは、毎月の教材のかわりに、インターネットで無料で教材をダウンロードできるようにしておきます。
そして、その教材を家庭でどう使いこなしていくかという家庭学習の方法をfacebookのグループの中で提供し共有してていきます。
自分の子供を教えることが中心ですが、教えることが上手な人は、近所の子供も教えられるようにします。すると、そこが小さな寺子屋のような場所になります。
寺子屋だから、勉強と躾の全体を見ていけるようなものにする必要があります。読解と作文については、言葉の森に既に教材とノウハウがあります。漢字の勉強、数学の勉強、英語の勉強なども、教材を準備すればすぐに指導することができるようになると思います。。
更に、子供には勉強だけでなく日常生活の躾のようなことも教えていく必要があります。それは、家庭での手伝いの中で身につけていくものになるでしょう。また、もうひとつ大事なのが季節ごとの行事です。行事と手伝いによって、子供は社会生活の知恵も身につけていくようになると思います。
今後、主にfacebookの中で、このような家庭教室、地域教室をサポートする教育プロジェクトを展開していく予定です。
facebookやgoogle+を作文の勉強に生かすという話の最終回です。
最初は作文の話から始まりましたが、それが教育全体の話になり、教育以外の生活の話にまで広がりました。そして、今回は自治の話です。いわば、日本の新しい国づくりの話と言ってもいいと思います。
なぜ、そういうところまで話を進めるかというと、今、日本を含め世界全体が政治的にも経済的にも危機の一歩手前にあるように思われるからです。
これは、たまたまやり方が悪かったからうまく行かなかったのではありません。欧米の文化から始まった近代の世界自体が行き詰まっていることの反映なのです。
この行き詰まりを打開することのできる文化を持っている国は日本です。日本は、欧米とは全く異なる文化圏で、江戸時代の300年間、豊かで平和で高度に発展した社会を作ってきました。江戸時代の日本の社会は、欧米よりもさまざまな面で優れた特徴を持っていました。
ただし、欧米の文化から離れていたために生じた弱点もありました。一つは、民主主義が不徹底だったこと、もう一つは、近代科学が未成熟だったことです。しかし、社会の底流では民主的な運営が行われていましたし、生活の中には科学的なものの考え方が広がっていましたから、いったん欧米の文化に遭遇すると、急速にそれらの政治制度や科学技術を自分たちの文化に移植することができたのです。
明治以降の日本の歴史は、欧米に追いつくための歴史でした。しかし、政治的にも経済的にも、欧米に追いついたころ、日本が直面したのは、欧米文化の限界でした。
今日、限界はさまざまなところで現れています。当面の第一の問題は、世界のほとんどの国で経済が行き詰まりを見せていることです。アメリカの経済には、もう自立して回復する力はないようです。今は、裏付けのないドルを印刷してお金を回していますが、借金を増やして時間かせぎをしているだけのように見えます。ヨーロッパも、ギリシアのあとに予想されるイタリアやスペインの破綻を救う余力はもはやないようです。日本もまた、毎年、展望もなく税収をはるかに上回る支出を続けています。
どこかの国が、「もうこれまでの借金は返せない」と言い出せば、そこから世界中のすべてのお金の動きが停止する可能性があります。
しかし、そこで破綻するのは、際限のない軍事費など無駄な支出を重ねてきた国家であって、個人としての国民ではありません。ほとんどの個人は、収入の範囲で支出をするという健全な生活を営んでいたのです。
だから、国の経済が破綻しても、個人が地域の中で協力する仕組みさえ作ることができれば、かえって国家が余計なことをしない分、ずっと暮らしやすい社会ができます。
そして、その社会は、暮らしやすいだけでなく、これまでなかったほど文化が豊かに花開く社会になるのです。
なぜでしょうか。これまでのグローバルな分業化された個人がばらばらに消費者であるような社会では、消費者のニーズは観念的に考えられた架空のものでした。自治的に運営される社会では、ニーズは、個人個人の真の要望に根差したものになるからです。
例えば、食品会社は、現在、最も安く仕入れることができる生産地から大量の原料を集め、輸送費をかけて運び、保存料で長持ちするようにし、着色料で見た目をよくし、広告宣伝費をかけて消費者に売り、売れ残ったものは廃棄します。(そうでないところももちろんありますが)
このとき、消費者のニーズは、安くて見た目がよくて長持ちするものをセンスのいいコマーシャルにつられて買うところにあると思われています。この架空のニーズに基づいて生じる、輸送費、着色料や保存料の費用、広告宣伝費、廃棄にかかる費用などすべてがGDPを押し上げています。
しかし、ここで豊かになったものは、お金に換算された売上や利益だけであって、見方を変えれば多くの人は逆に貧しくなっているのです。着色料や保存料の会社で働く人は、本当はそんなことのために働きたくはないはずです。広告宣伝会社で働く人も同様です。みんな、本当は相手が喜ぶことをして働きたいのに、分業化された社会の中では、往々にしてその反対のことをしなければお金が回ってこない仕組みになっているのです。
ところが、自治的な社会で、相手の本当のニーズがわかる中で仕事をするようになれば、だれもが相手が喜ぶようなことを自分の仕事の中心にするはずです。しかし、衣食住の直接的なニーズは、今の人類の生産力からすればすぐに埋められますから、多くの人は文化的に相手を喜ばす仕事に向かうでしょう。こうして、江戸時代がそうであったように、さまざまな文化が花開く豊かな社会になるのです。
世界の経済が破綻することは、これまでの無駄の多い社会の無駄の部分に乗っていた人にとっては大きな脅威になります。しかし、地道に働いていた人にとっては、地域で助け合う仕組みができれば、国の経済破綻は何の脅威でもありません。むしろ、新しい社会に移行するちょうどいいきっかけになるぐらいです。
しかし、そのためには、地域の自治の受け皿ができている必要があります。だから、日本の社会にとって今いちばん大事なことは、江戸時代のような地域自治の文化を作り出すことなのです。