子供たちの勉強の意欲をどう育てるかということで、これまで、我慢する力をつけることと、小さな実行から始める方法を書いてきました。今回は、仲間意識を生かすことについてです。
人間は、集団生活をする動物です。だから、仲間に所属したいという気持ちを常に持っています。
勉強の能率を上げるためだけなら、集団で勉強をしても個人で勉強してもあまり変わりはないはずですが、学校のような集団の中で勉強した方がやりやすいと感じられるのは、クラスという集団で勉強が共有されるからです。
子供たちも、高校生以上になると、勉強の能率を考えて、集団の中で勉強するよりもひとりで勉強する方を好む子が増えてきます。しかし、中学2年生のころまでは、友達との競争や協力の中で勉強した方が意欲がわくので勉強の能率も上がるのです。
意欲を高める手段として、競争や賞罰という方法がありますが、これも、その前提に所属する集団があって初めて生きてきます。仲間意識がある中での競争や賞罰であれば、小さなきっかけであっても熱中できるからです。
子供たちが主に所属する集団は、年齢によって変わってきます。一般に、小学校4年生ぐらいまでは、子供たちが最も強く所属している集団は家族で、その主な仲間は父親と母親です。子供たちは、学校のクラスにも所属していますが、この時期は、クラスの友達よりも大人である先生の方が重要な結びつきの関係になっています。
子供たちが小学校5年生以上になると、所属する集団は学校や塾やスポーツチームなどになり、その際の主な仲間は同年代の友達になります。両親や先生という大人よりも、友達との関係の方が強くなるのがこの時期です。この場合の意欲は、友達にどう見られるかということと深く関連しています。塾などで友達との競争に最も燃えるのがこの時期です。
子供たちが中学3年生以上になると、所属する集団は、身近なクラスのようなものから、もっと抽象的なものに移っていきます。それにつれて、友達との競争よりも、自分自身に勝つというような自主独立の勉強の仕方が主流になってきます。したがって、子供が高校生になると、勉強は自分の自覚でやるようになるので、親があれこれ言う必要はなくなります。
問題は、小1-小4のころの意欲づけと、小5-中2のころの意欲づけの方法です。
作文の勉強においては、ここで家族の対話が生きてきます。子供たちが作文の勉強に意欲を持つのは、自分の書く作文が家族という集団の中に位置づけられているときです。
その方法は、事前の対話と事後の対話です。
事前の対話とは、作文の課題の予習です。題名課題の作文の場合は、子供が両親に自分が何を書くつもりかを説明します。感想文課題の場合は、もとになる長文を読んでやはり両親にその長文の内容を説明します。子供が書こうとする内容を両親と共有することで、作文を書くことが家庭という集団に所属して自分の役割を果たすことにつながるのです。
事後の対話とは、返却された作文を見ての対話です。しかし、この事後の対話で大事なことは、勉強的な見直しをしたり推敲をしたりすることではありません(受験コースの場合は推敲が必要ですが)。子供の書いた作文を家族で共有することによって、子供が作文を書くことが家族という集団にとって意味あるものだという感覚を持たせることです。
小学校4年生までは、他人との競争ということを意識せずに、両親が子供の作文に関心を持つことだけで、子供の勉強は意欲的になります。
しかし、小学校5年生以上は、子供の中に友達との競争という意識が強くなってきます。そこで、両親の関わり方は、子供の作文について直接の対話をするだけでなく、同年代の友達への所属感を生かした対話にしていく必要があります。
しかし、この小5から中2の時期に競争という刺激に適応させると、高校生になってからも競争に勝つという目標で勉強をするようになります。競争や勝敗という刺激で行う勉強は、高校生以上ではかえって意欲の低下につながります。だから、小5から中2の勉強は、子供の持っている競争意識を活用しながらも、競争を超えた目的を常に意識させて進めていく必要があります。
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物体の摩擦には、動き出してからの摩擦(動摩擦)よりも、止まっているところから動き始めるときの摩擦(静止摩擦)の方が大きいという法則があります。
人間の行動も似ています。何かを始めてからの抵抗よりも、始める前の最初の抵抗の方が大きいのです。
これを勉強のきっかけに生かすことができます。止まっているところから動き始めるときに大事なことは、小さな動きでもよいとして何しろ動くということです。
例えば、読書の習慣をつけるのに、朝の10分間読書という方法があります。どんな本でもいいから何しろ10分間読む、という小さな動きが、子供たちに本を読む習慣をつけたのです。
この方法は、家庭でも使えます。どんな本でもいいから10ページ読むという目標であれば、だれでもすぐにできます。この毎日10ページの読書を続けていると、読むことが苦にならなくなります。そして、やがて面白い本にめぐりあうと、それが10分で終わらなくなりいつの間にかじっくり本を読む力がついてくるのです。
多くの親は、最初から難しい本をたくさん読ませようとして、静止摩擦係数を大きくしています。最初は、どんな本でもいいから毎日10ページ読むだけ、という小さな目標にしておくことです。
もちろん、その目標を決めたら、親もそれを守ることが大切です。「どんな本でもいいから毎日10ページ」と言っておきながら、子供の読んだ本を見て、「もう少しちゃんとした本を読んだら」とか、短時間で10ページ読み終わると、「もっとたくさん読んだら」などと言っては、約束を守ったことにはなりません。また、毎日と言っておきながら、読まない日があっても見過ごすという例外を作るのもよくありません。どうしても読めそうもない日があったら、5ページでも1ページでもいいから読むというのが、毎日ということの意味です。
読書というものは、毎日読んでいれば、必ずその面白さに目覚めるものですから、例外の日を1日も作らないということが大事です。
作文の場合のスタートも、小さな動きでいいから実際に動く(書き出す)ということが大切です。子供がなかなか作文の勉強を始められないときは、最初から長い字数の作文を書くことを求めるのでなく、「とりあえず100字まで書けばいいということにしよう」などと、短い目標の字数を決めるのです。
それでも書き出せない場合は、お父さんやお母さんが、「じゃあ、言ったとおりに書いてごらん」と言って、子供が書く内容を口で言ってあげて、そのまま書かせるのです。それでは、子供が自分で書いたことにならないと思うかもしれませんが、親に言われたとおりに数行書いた子は、ほとんどそのまま、その続きを自分で書いていきます。最初の静止摩擦のところだけ動かすのを手伝えば、そのあとは自分で書いていけるのです。
暗唱の自習のスタートも、小さな動きで実際に動く(音読する)ところから始めれば誰でもできるようになります。
暗唱は、その文章を覚えようとするから負担になるのです。文章を覚えようとすると、その目標ははるか遠くにあるように見えます。
しかし、30回音読するというような目標にすると、目標自体がぐっと身近になります。言葉の森では、30回紙を折る形で数えているので、回数が更に実感できます。そして、15回から20回音読を繰り返したところで、いつの間にか自分がほとんど暗唱できていることに気づきます。
最初の小さな動きさえ開始すれば、そのあと続けるのは簡単にできるのです。
ときどき作文の提出がたまってしまう子がいます。何か用事があったために、先週の作文を書いていないうちに、今週の作文の課題の日になってしまったという場合です。
こういうとき、ほとんどの子は、がんばって両方やろうとします。すると、静止摩擦係数がぐっと大きくなるのです。
これまでの例で言うと、1日に続けてふたつの作文を書ける子はほとんどいません。たいていは、ひとつ書き終えた時点でくたびれてしまうからです。
そうすると、いつか時間のあるときに、ふたつ書こうと思うようになり、更に負担が増していきます。
だから、授業のある日に書けなかった作文は、もう書かないと決めて、そのかわり、最新の課題にしっかり取り組むというようにするといいのです。
動き出すコツは、小さな動きでいいからまず実際に動いてみるということです。
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人間は、やる気になったときに大きく成長します。だから、勉強でも仕事でも、やる気、又は意欲というのがいちばん大事です。
そこで、今回は、意欲を育てるためにどうしたらよいかということを考えてみます。
子供が勉強というものに自覚を持ち、勉強自体の面白さに目覚めるのは一般に高校生以降です。
それまでの義務教育の小中学校の勉強は、基礎的な学力をつける準備のための勉強ですから、勉強自体に知的な喜びを感じる面はあまりありません。だから、小中学生は勉強に熱中しないのが普通です。
小中学生が熱中するのは遊びです。しかし、この遊びを通して実は意欲を育てているのです。大人になってから仕事に熱中できる人は、その熱中力を、子供時代の遊びによって身につけています。遊びの内容そのものは、虫捕りだったり鬼ごっこだったりと単純なものですが、そこで何かに熱中したという経験が大事なのです。
では、勉強は熱中できないからしなくてもいいかというと、もちろんそういうことはありません。準備のための学習は退屈で当然ですが、その退屈さに耐える力をつけることが重要なのです。
子供が大きくなり、将来、興味のあることを熱中してやるようになっても、その物事の中に退屈な作業は必ずあります。子供のころに育てておく必要があるのは、熱中する力であるとともに、退屈さに耐えて継続する力です。
ところが、現代の社会では、子供たちに勉強を退屈させないようにいろいろな工夫がされすぎています。例えば、賞罰で刺激を与えたり、競争をさせたり、目先の変化で面白さを演出したりと、勉強に興味を持たせるさまざまな工夫がなされているので、子供はかえって退屈さに耐える力がつけられないのです。
熱中する力も、退屈さに耐える力も、家庭でつけるのが基本です。
熱中する力をつけるためには、子供の興味や関心のあることをよく観察し、子供が何かに熱中したときにそれを妨げないように見守ってあげることです。そのためには、子供の生活時間にある程度の余裕があることが大切です。
退屈さに耐える力をつけるためには、毎日同じことを続ける習慣を子供のころからつけておくことです。子供が自分の意志で毎日同じことを続けることによって、子供の自律心が育ちます。その自律心を育てるのに役立つのが、毎日決まった時間に行う読書、音読、暗唱などの自習と、毎日の決まったお手伝いです。
雨の日も、風の日も、くたびれている日も、遊びたい日も、とりあえず決まったことを先に済ませるということを子供のころから習慣づけておくと、それが子供の自律心の土台となるのです。
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作文の勉強で大切なのは、事前指導です。つまり、作文を書く前に、どういう書き方をしたらいいのかを先生が生徒に説明したうえで書かせるということです。
世間で行われている作文指導の多くは、事前指導がなく、書かせたものを赤ペンで添削するという事後評価を中心としたものです。ところが、赤ペンでいくら訂正されても、次の作文でその添削を生かしたものが書けるかというとそういうことはありません。
それは、作文というものが国語力の結果だからです。作文力は、国語力の集大成で、読解力、表現力、漢字力など国語に必要な力がほとんど盛り込まれています。だから、作文を上達させようとすれば、作文を直す前に、そのもとになる国語力を上達させる必要があるのです。
事前指導とは、例えば、次のようなことです。「今日は、長文の内容を要約して、自分の似た話と、家族に聞いた話を書いて、表現としてたとえかことわざを入れて、結びに『わかったこと』を書いて、常体で統一して800字まで書こうね」(小5の指導の例)。
一見、複雑そうに見えますが、このように書く方向を指示するから、生徒は自分の努力する方向がわかり、そこでがんばることによって力がついてくるのです。また、こういう事前指導があるから、その指導に沿って事後評価もたっぷり褒めることができるのです。
もしこういう事前指導がなく、ただ自由に書いていいとなると、子供はどこをどうがんばればいいのかわかりません。そして、苦労して何とか書き上げたあとに、自分の書いた文章の欠点を指摘されて、「もっとこういうふうに書けばよかったのに」などと言われても、かえってやる気をなくしてしまうかもしれません。
子供の書いた作文は、いいところを認めて褒めてあげることが大切ですが、事前の指導がなく、ただ書いたものを褒めるだけでは、作文は上達しません。事前の指導をして、それができるようにさせて、できたら褒めるという指導をするから実力がつくのです。
事前指導を更にさかのぼったものが、家庭での予習です。
学年が上がるにつれて、課題が難しくなってくると、その場で課題を読んだだけでは十分に書けなくなります。家庭で、あらかじめ予習をしてくることが大切になってきます。
しかし、予習と言っても簡単なものです。感想文の場合は、もとになる長文を何度か読んでくるということです。
長文の理解力は、読んだ回数に比例します。1週間毎日音読すれば、難しい文章でも、丸ごと頭の中に入ってきます。長文は1000字から1600字程度のものなので、毎日の音読は2、3分でできます。
その長文が頭に入ったところで、お父さんやお母さんに、その長文の内容を説明します。この場合、もちろん長文は見ずに、自分の頭の中に入っている範囲で説明するのです。
長文の内容を他人に説明すると、理解力は更に深まります。また、難しい内容を説明することによって、語彙力も自然に鍛えられます。
お父さんやお母さんは、その説明を聞いているだけでいいのですが、子供の説明に対して、似た話などを話してあげることができれば、更に勉強は充実します。(似た話のヒントは、facebookの予習室グループで紹介しています)
事前の予習は、課題が易しい低学年の場合も重要です。
低学年の予習は、何を書くか決めておくということです。そして、毎日10分程度、長文の暗唱という自習をします。暗唱という勉強法は、ある程度の長さの長文を回数を決めて音読するだけですから、誰でも簡単にできます。
毎日の暗唱で文章のリズムを身につけ、事前に何を書くか決めておくことで、低学年の作文の勉強は充実したものになります。
もちろん、このような予習や自習ができなくても、毎週1回作文を書くことによって、書く力はついていきます。しかし、予習と自習を組み合わせれば、更にいい作文が書けるようになるのです。
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文章の構成の仕方を大きく分けると、頭括型と尾括型に分類できます。
頭括型というのは、最初に意見を書き、次に実例を書くような書き方です。
尾括型というのは、その反対で、最初に具体的な実例を書き、最後に意見を書くというような書き方です。
作文を書く側からすれば、尾括型の方が書きやすく思えます。それは、人間は、最初に具体的な物事を考え、そこから次第に抽象的な意見に移る形で考えるからです。尾括型の作文は、考える順序と書く順序が一致しているので書きやすいのです。
また、文章の出来栄えという点から見ると、尾括型の方が、途中で文章の盛り上がり、飛躍、落ちなどの工夫ができるので、文学的な文章を書きやすいという面があります。
しかし、入試の小論文は、わかりやすく理路整然と書くことが大事なので、尾括型よりも頭括型で書いた方がいいのです。特に、テーマが難しくなればそれだけ、頭括型で書く必要が出てきます。
頭括型の書き方には、大きく三つのパターンがあります。
第一は、文章全体を、意見→実例という形で書いていくことです。
高校生の書く小論文では、課題が難しくなるので、第一段落の結びのところではっきりとした意見を書いておかないと、そのあとの展開がスムーズにできなくなります。それは、最初に意見をはっきりさせておかないと、書いている本人が、自分が何を書いているかわからなくなることが多いからです。このケースは、実はかなりよくあります。
第二は、展開部分を、抽象→具体という形で書いていくことです。
例えば、意見のあと、理由と実例を書く場合、理由→実例という流れで書いていくことです。同じように、方法→実例、原因→実例、対策→実例の場合も、最初に抽象的な説明を書き、そのあと裏付けとなる具体例を書くようにします。
例を挙げると、こういう形です。
▲私はこう思う。→この間、こんなことがあった。→だから、こういう理由なのである。
◎私はこう思う。→その理由はこうである。→例えばこの間、こんなことがあった。
実は、中学生のころは、この書き方がなかなかできません。それは、具体的な実例を書く語彙力はあるのですが、抽象的な理由や方法を簡潔に書く語彙力がまだ不十分であることが多いからです。
第三は、構成の仕方自体を頭括型で書いていくことです。
例えば、最初に、「○○は三つある」などと、文章全体の構成を提示し、そのあと、「第一に……」とひとまとまりの内容を書き、「第二に……」で次のひとまとまり、「第三に……」で最後のひとまとまり、と書くような書き方です。
入試の小論文では、普通、こういう形で書くほど余裕のある人はいません。ほとんどの人は、大まかに全体の見通しを考え、書きながら少しずつ見通しを修正して書いていきます。
「○○は三つある」という形で先に全体の構成を提示して書けるのは、構成力に自信のある人に限られると思います。
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わかりやすかった
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今回は、作文力のつけ方についてです。
先日、(言葉の森の生徒でない)保護者の方から、次のような相談を受けました。
「中高一貫校向けの塾に行っているが、作文がなかなか書けない。しかし、どう書いていいかわからない」
子供が作文を書いたあとに添削することは、大人なら誰でもある程度できます。
しかし、子供がどう書いたらいいかわからないで困っているときに、事前にアドバイスできる先生はあまりいません。
また、子供が作文を書いた場合、先生の添削を受けますが、その添削は実はあまり効果がありません。一般に、作文は添削によって上達すると思われがちですが、添削は、下手なところを直す効果があるだけで、上手に書かせる効果はありません。
作文指導というものは、書かせて添削するという形だけならば、誰でもできますが、上手に書かせる指導まではなかなかできないのです。
では、作文力はどのようにつけたらよいのでしょうか。
まず前提になるのは、作文力の土台となる国語力、読解力がついていることです。例えば、本をよく読んでいる子は、わずかの指導でも急速に上達します。
だから、試験までもう時間がないという場合は、とりあえず今の読む力の範囲でいちばん上手に書けるように勉強していくということになります。
作文の勉強の基本は、構成を意識して書くことです。テーマを出されたら、どういう方向で書いていくか大体の見当をつけ、それから書き出します。
言葉の森のfacebookページに、いくつかの書き方のパターンが載せてあります。
http://www.facebook.com/kotobanomori?sk=app_149005838493066
例えば、最初に意見を書き、次に理由を書き、その実例を書き、次に方法を書き、その実例を書き、最後に、反対意見にも言及し、意見をまとめる、というような書き方です。
構成の仕方は、どのようなものでもいいのですが、作文を書きだす前に、大まかな方向を決めておくという姿勢が大事です。
構成を考えて書くことができるようになったら、次は書きなれることです。今の作文入試は、点数の差をつけるためだと思いますが、短時間で、長い文章を読ませ、速く書かせるような仕組みになっています。時間内にある程度の字数まで書けなければ、内容がいくらよくても合格作文は書けません。
本当は、こういう試験の仕方は邪道で、長い時間をかけて長い文章を書かせた方が実力がわかるのですが、早く採点しなければならないという試験の性格上、時間制限があるのはやむをえないことなのだと思います。
しかし、速く長く書く力をつけるまでの余裕がない場合もあります。
その場合は、次のような勉強します。
まず、親子で相談して、出題されそうな課題を10本作ります。これは、題名課題で構いません。「志望理由」「私の家族」「私の夢」「○○学校時代の思い出」「がんばったこと」「思いやり」「協力の大切さ」などというテーマです。
そして、それぞれのテーマについて、構成を考え、実例を工夫し、表現も工夫し、漢字もしっかり書けるようにして、最高傑作を書いておくのです。その最高傑作を何度も読んでいるうちに、似たテーマであれば、同じような内容の作文がすばやく書けるようになります。
学校によってはこういう形の勉強では対応できないように、ひとまとまりの作文ではなく、設問を何問かに区切って作文課題を出すところもあります。
しかし、その場合でも、ひとまとまりの作文を10本書く力があれば、設問に合わせて中身を埋めていくことはずっと簡単にできるようになります。
最高傑作を書く上で、大事なポイントになるのは、その子自身の体験実例を書くということです。また、その実例の中身も、個性、挑戦、感動、共感があるようなものを中心に書くようにします。
子供は、どういうものが個性、挑戦、感動、共感のある実例か自分ではわかりません。親や先生が、第三者の立場でアドバイスしてあげるといいと思います。
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言葉の森の体験学習を希望される保護者の方から、「国語だけが苦手なんです」というような質問をよくいただきます。
国語力を向上させるコツはあるのですが、多くの人が勘違いした勉強の仕方をしています。なぜ勘違いするかというと、今、学校や塾で評価される国語力というものが、問題を解くような形で行われていることと関係があります。
国語のテストを受けて、その点数が低かった場合、ほとんどの人は、その点数に目を向けて、点数をよくするためにはどうしたらよいかということを考えます。その結果、国語の問題を解くような形の勉強をしてしまうのです。
数学や英語や他の教科の勉強であれば、問題を解くような形の勉強がそのまま次のテスト対策にもなりますが、国語の場合はそうではありません。国語の問題を解いて、それができたからといって、次の国語の問題ができるとは限らないからです。
つまり、国語の実力というのは、もともと問題を解くテストのような形で測られるものではないということです。
では、国語の実力は、どういう形で測られるかというと、いちばん確実なのは、話を交わすことによってです。こちらの言っていることを的確に理解して、自分なりの考えを述べられる子は、国語力のある子です。それは、口数が多いということとは別で、話すことは少なくても、しっかりと受け答えのできる子は国語力のある子なのです。
しかし、学校ではそういう形のテストはできません。そこで、やむをえず問題を解く形のテストをしているということなのです。他の教科は、問題を解くことがそのまま勉強の中身ですから、問題を解く形の勉強でいいのですが、国語は、問題を解く勉強をしても、実力はつかないのです。
では、どういう形で実力がつくかというと、それは、読書と対話によってです。しかし、易しい読書と易しい対話では、その易しさのレベルまでしか力はつきません。難しい読書と難しい対話になるにつれて、その難しさに応じて国語力がついてくるのです。
人間の頭は、難しいものでも、繰り返し接することによって自然にその内容を消化する力を持っています。この繰り返しというのが勉強の基本です。しかし、それは繰り返しやって何かを覚えるという勉強ではありません。
子供に読書をさせるとき、お母さん方の中には、ちゃんと読めているかどうか問題を出したがる人がいます。そういうふうに、何かを覚えているかどうかというのは、国語力ではなく、もっと表面的な単なる記憶力です。
国語力というのは、難しい文章を繰り返し読むことによって、その内容を丸ごと理解する力です。理解したものごとは、必ずしもその内容を正確に反復できるわけではありません。逆に、自分なりの言葉で解釈しながら説明するので、書いてある内容のとおりではないことの方が多いのです。
国語力をつけるいちばんいい方法は、家庭で毎日、難しい文章を読み、できればそれをもとにお父さんやお母さんと難しい対話をすることです。国語力は、家庭生活の中でついていきます。
言葉の森の勉強法は、この家庭学習を生かす形で行う作文の勉強です。だから、作文力をつける中で国語力もついてくるのです。(つづく)
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言葉の森は、森林プロジェクトを通して、子供たちによりよい教育をしていきたいと思っています。
そして、この森林プロジェクトを通して、参加者のみなさんにより面白い経験をしていただきたいと思っています。
更に、この森林プロジェクトを通して、地域に貢献し、よりよい日本を作っていきたいと思っています。(日本をよくすることはもちろん世界をよくすることにつながっていますが)
そのために、この森林プロジェクトは、お金の流れがあります。
このお金にかかわることについて抵抗があるかもしれませんので、そこだけ最初に説明します。
森林プロジェクトの企画は、コストがゼロになることを目指していますから、例えば、参加者や教わる生徒の中に費用負担ができない人がいれば、無料でサービスを提供する予定です。
しかし、最初から原則的に無料という形にすると、手を抜いてしまう人が増えるのです。
例えば、自分の子供を教える場合でも、近所の子供を教える場合でも、もし教材が無料だったり、受講料が無料だったりすると、いつ始めてもいつやめても変わらないので、結局長続きしなくなります。
だから、原則的に有料にします。
しかし、その有料化で利益が出れば、それは社会にまた還元する必要があります。お金は、社会の中で流れることに意義があるからです。
では、森林プロジェクトの利益はどういう形で社会に還元するのかということですが、私は、グラミン銀行のような形を考えています。
今、仕事をしたいのに仕事がないという人が増えています。しかし、地域には、地域独自のさまざまなニーズがあります。また、地域には、さまざまなシーズを持っている人がいます。
これは、挙げればきりがないほどたくさん考えつきますが、例えば、ひとつだけ例を挙げると、
○家の中で退屈しているお年寄りがいる(ニーズ)
○手品や面白いコントを提供できる若者がいる(シーズ)
この両者が結びつけば、そこに新しいサービスが生まれます。
未来の社会は、このように、地域の中で需要と供給が生まれ、そのお金の流れが土台となって、より大きな社会のお金の流れにつながるという形の経済になっていくと思います。
最初の出発点は小さなものであっても、地域の中でお金が流れる仕組みができれば、若者に仕事がないという問題は徐々に解消されます。そして、地域の中で流れるお金の量を増やせば、そこで豊かな社会が生まれるのです。
これが、江戸時代まで日本にあった豊かな社会の仕組みです。
だから、豊かな社会を作るために、お金を回す必要があり、そのために、コストは無料であっても、価格は有料という形にする必要があるということなのです。
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この記事の中で紹介しているグラミン銀行とは、ムハマド・ユヌスが故郷のバングラデシュで、貧しい人々の自立のために始めた無担保少額融資を行う銀行です。
「貧困のない世界を創る」
http://www.amazon.co.jp/dp/415208944X
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