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記事 1361番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/27
豊かさへの展望(子供たちの教育を守るために)2 as/1361.html
森川林 2011/10/03 17:14 



 世界経済の行き詰まりを打開する道は、製造業を超えた、新しい大衆的な創造文化産業を生み出すことです。それがこれからの日本の役割です。

 そのための第一歩は、日本が過去の文化を思い出すことです。その一つとして考えられるのが地域の特産品文化です。

 江戸時代には、それぞれの地域で発達した特産品がありました。それらの特産品は、地域の経済を支えるとともに、将軍家御用達のような形で高度な文化的水準に達していました。これらの特産品を現代の工業技術と情報技術のもとで復活させることです。

 創造文化産業というと、個人が創造性を発揮するもののような感じを受けますが、ピカソやロダンのような形で個人が一人でできる分野は限られています。雇用の吸収力を考えた場合、一人ひとりがばらばらに創造するようなものよりも、広い裾野を持ちチームワークで作り出すものの方が効果は大きいのです。

 例えば、刀剣を作る場合でも、一人の職人が最初から最後まで手作りで仕上げるのではありません。そこには鉄を鍛える人、刃を研ぐ人、装飾を施す人とさまざまな工程ごとの分業があります。江戸時代の浮世絵なども、絵を描く人、彫る人、刷る人などの分業がある中で一つの産業として成立していました。特産品というのは、そういう裾野を持つ産業になるのです。



 多様な創造文化産業を生み出すためには、これまでの経済や教育の仕組みを変える必要があります。

 まず、創造産業を経済の中に位置づける仕組みが必要です。また、創造的な文化を経営に乗せる工夫も必要です。更に、人間が個性と創造性を発揮できるような教育を行っていく必要があります。つまり、政治、経済、経営、教育の分野で、新しい産業に対応した改革が必要になるのです。



 この新しい創造文化産業を生み出す母体になるのは地域です。しかし、従来の意味での地域と比べて、現代はインターネットで情報を共有できる範囲が広がっているので、地域の概念はより深くより広いものになっています。

 創造文化で作り出される商品やサービスは、ローカルなものです。世界中のどこでも作れ、どこでも輸出入できるグローバルなものではなく、その地域に行かなければ作り出せない商品やサービスが中心になります。生きた人間どうしのつながりの中で生産が行われるのが、この新しい産業の特徴です。



 このような創造文化産業が地域に確立すると、失業者というものは存在しなくなります。本人に働く意欲があれば、地域の産業は必ずその本人の持ち味を生かした仕事を作り出すことができます。それは、地域という有機的な環境においては、人間もまた有機的な存在になるからです。

 逆に言えば、今までの産業社会では、人間は企業の機能の一部を担う歯車であり、誰とでも代替可能な無機的な人間として見なされていました。地域の産業によって、人間の有機的存在が再び取り戻されることになるのです。



 言葉の森では、この創造文化産業の一つの形として森林プロジェクトを考えています。(つづく)

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記事 1360番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/27
豊かさへの展望(子供たちの教育を守るために) as/1360.html
森川林 2011/09/28 18:11 



 子供たちの勉強を支える前提となるものは、家庭の豊かさです。それは、社会全体の豊かさでもあります。

 しかし、今、EU、アメリカ、日本の経済は、破綻の一歩手前にあります。

 このような状況で、子供たちの教育をどう守り、発展させるかということを考えるのが今回のテーマです。



 そのためには、なぜ先進国の経済が、現在行き詰まっているのかを理解する必要があります。

 おおまかにいえば、人類の歴史は、農業革命、工業革命という二つの産業革命によって大きく発展しました。

 工業革命からしばらくは、欧米の製造業が世界の経済を牽引していました。しかし、技術の移転により、やがて日本が製造業の主導権を握るようになりました。

 製造業の分野で日本が欧米、特に戦後の経済のトップであったアメリカを追い上げ追い詰めていったために、アメリカは製造業以外の分野に活路を見出そうとしました。それが、ひとつには金融業、もうひとつには情報産業でした。

 しかし、金融業は、金融工学の技術を駆使することによって博打化しました。また、情報産業は、新しい産業分野でしたが、短期間にフロンティアが埋め尽くされていきました。だから、日本の未来の産業は、金融にも情報にもありません。



 ところで、その後、日本の製造業の技術は、中国など新興国に移転し、それらの新興国がそれまで日本が担っていた製造業の肩代わりをするようになってきました。

 中進国が次々と製造業に参入してくるのに、先進国である日米欧が新しい産業を生み出すことができないでいるというのが、現在の世界経済の行き詰まりの大きな原因です。



 日本の将来の産業を、宇宙産業のような高度な製造業に見出そうとする人もいますが、こういう製造業は高度であるがゆえに雇用吸収力がありません。今、日本など先進国にとって必要なのは、固有吸収力のある、製造業と同じぐらいの価値を生み出す、製造業を超えた新しい産業です。

 日本の当面の産業を、中国などのマネーをあてにした観光サービス業に求めようとする人もいますが、それらの産業は新しい価値を生み出しません。日本は、もっと創造的な分野で新しい産業を生み出していかなければなりません。

 そして、それが、高度に洗練された日本の文化的伝統を生かした大衆的で創造的な文化産業なのです。



 欧米にも、高度な文化産業はあります。例えば、クラシック音楽やバレーなどがそうです。フランス料理やワイン文化やゴルフなどのスポーツなども、文化産業です。高度に洗練された文化的伝統を持ち、個々の分野では製造業に匹敵するほどの高い価値を生み出すできる産業です。

 しかし、欧米から生まれた文化産業の多くは、宮廷文化から生まれたものでした。大衆の生活の中で消費されるものではなく、貴族階級の社交の中で消費されるものが中心だった結果、多様性という点での限界がありました。

 これに対して、日本の文化産業は、その多くが江戸時代の安定した社会を背景に生まれたもので、高度に洗練された文化でありながら、大衆的な消費に支えられるという点できわめて多様性に富んだものでした。

 この創造的文化産業を復活させることが、これからの日本の進む道です。日本のような先進国が、製造業を超えた分野で新しい産業を生み出すことが、世界の経済全体を再び活性化することになるのです。

 しかも、現在の日本は江戸時代よりもはるかに高度な製造技術と、広範な情報技術を持っているので、これから生まれる創造的文化産業は、単なる江戸時代の懐古的なレベルにとどまるものではなく、全く新しい製造業的文化産業、又は、文化産業的製造業になる可能性があります。



※このあとの話の予定は、これらの新しい創造的文化産業のひとつの出発点として、森林プロジェクトによる作文教育を位置づけていくという話です。

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記事 1359番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/27
「すべての成績は、国語力で9割決まる!」を読んで(3) as/1359.html
森川林 2011/09/26 15:52 


 西角さんの本は、国語力の大切さを書いている点と、具体的な勉強法が書いてある点でおすすめです。

 しかし、今回のホームページの記事は、本の内容から少し発展して、勉強の意欲を家庭でどのように育てるかという話になっています。



 子供たちは、家庭や地域という集団に所属することを意欲の源泉としています。特に、小学校4年生のころまでは、子供は、子供どうしの集団よりも、親や先生という身近な大人の社会の方に所属したがる傾向があります。

 では、具体的に、どのようにして、子供たちの勉強への意欲を家庭の中に生かしていくことができるでしょうか。(この場合の「勉強」とは、当面、作文を中心とした国語の勉強です)



 第一は、作文の課題の予習を通してです。

 これは、既に何度か書いているように、子供がたちが、お父さんやお母さんに、次の週の作文にどんなことを書くかを説明するものです。感想文の課題の場合は、感想文のもとになる長文を読んで、その長文の内容を(長文を見ずに)お父さんやお母さんに説明します。

 言葉の森の小学校高学年から先の感想文課題は、人間の生き方や社会のあり方を論じる、難しい説明文や意見文が多いので、その内容を説明しようとすると、自然に語彙力や思考力が鍛えられます。日常生活では普段使わないような語彙を使って、長文の内容を相手に伝えようと説明することで、書く力も読む力もついてきます。

 ここで大事なのは、子供の説明が、家族の知的な団欒のスタートになることです。子供の説明をきっかけにして、お父さんとお母さんと、兄弟がいれば兄弟が仲よく話を始めることが、子供の役割意識を確かなものにするのです。

 普通の家庭では、子供のそのような難しい説明がなければ、知的な話が弾むようなことはあまりないと思います。お父さんやお母さんが、子供にそういう話を聞かせたいと思っても、大人からの一方的な難しい話では、子供はついてきません。しかし、子供から長文の説明をする形であれば、ごく自然に家族全体のでの話につながります。



 このときに大事なことは、(1)楽しく話をすること、(2)できるだけ大勢の家族の中で話をすること、です。

 楽しく話すとは、親が似た例などを話して、子供の説明を補強するような話し方をするということです。欧米流のディベートのような話をするのではありません。話をするというと、人によっては、意見を述べるようなイメージを抱いてしまうと思いますが、話し合いは、討論の場ではありません。相手の話を発展させる場です。

 ですから、意見を言うのでなく、まして反対意見を言って子供の意見を論破するようなことをするのではなく、親自身の体験実例をもとに似た例を話して、子供の説明を補強してあげるのです。

 ところが、意見というものはその場ですぐに思いつくことができても、体験実例というものはなかなか咄嗟には思いつきません。特に、父親の場合は、抽象的な意見や説明は得意ですが、一般に、具体的な体験実例は苦手です。だから、子供が読んでいる長文に、あらかじめざっと目を通しておいた方が話の内容が充実してきます。そのために、facebookにお父さんやお母さんのための予習室というグループがあります。



 できるだけ大勢の家族の中で話すということも大事です。子供とお母さんが二人きりで話をするとなると、どうしても、親から子への一方的な話になってしまいがちです。父親と母親が話をするとか、そこに祖父母も参加するとか、兄弟がいれば兄弟も加わるかようにするとか、できるだけ家族全員で話した方がいいのです。子供の説明がきっかけになって、家族の間で楽しい対話が始まるという感じが大事です。話が弾んでくると、子供のもとの長文の話から話題がずれて、親どうしで別の話に盛り上がるというような場合も出てきます。そういう対話の方が、子供の説明意欲に結びつきます。

 しかし、家庭での対話というものは、家庭の文化ですから、子供がある程度大きくなってからだと、対話の習慣をつくるということは難しくなります。そのためにも、子供が小学校1年生のころから、つまり、予習がまだ他愛ない話のころから、子供の説明を家庭での対話のきっかけにするという習慣を蓄積しておくといいのです。



 子供たちの勉強を家庭の中に生かす第二の方法は、作文が戻ってきてからです。作文を書いたあとというのは、ただ保管するだけになってしまいがちですが、それをもう一度生かします。その簡単な方法は、子供の書いた作文を、家族みんなの目に触れるような場所に、きれいな額などに入れて飾っておくことです。1週間飾ってあれば、その作文についての話題も、自然に出てくるでしょう。また、特に話題がなくても、子供は自分の書いたものが、そのようにみんなに期待された形で展示されるとなれば、書く内容にも力が入ります。ただし、こういう展示のような形をとれるのは小学生までで、中学生以上は、子供が書くことに自信があり、親子で作文を中心にした話題が自然に交わせるようになっていないと難しいかもしれません。



 説明のときも展示のときも、親の姿勢で大事なことは、欠点を見つけて批判するのではなく、いいところを見つけて似た例などで発展させていくことです。ここで、親の工夫と努力が問われてきます。

 社会生活でいろいろな苦労を経験している親は、決して、子供の作文だからと言って欠点をすぐに指摘するような対応の仕方をしません。欠点をその場で指摘するのは、ほとんどの場合、指摘する側の自己満足にしかなりません。欠点を言われた側は、それをすぐには直せないことが多いはずですし、それよりも、必ず、「自分が一生懸命書いた作文の内容には目を向けず、欠点だけを見つける」という受け止め方をします。作文の欠点は、作文の上で直すのではなく、作文以外の読書や対話の中で徐々に直していくものです。そういう遠回りの対応を我慢してできる親であれば、ほかの勉強も生活習慣もすべてうまくやっていけます。



 以上は、小中学生の場合ですが、高校生の場合は、これに加えて次のようなことが将来考えられると思います。(まだ実現していませんが)

 それは、高校生の作文課題に、地域の問題を意見文として入れていくことです。高校生以上になると、自分の所属する学校、家庭、地域におけるさまざまな問題とその原因や対策を自分なりに考えることができるようになります。高校生の現在の作文課題は、主に大学入試小論文に対応したものがほとんどですが、ここに地域の問題を入れていくのです。

 すると、高校生の提案をきっかけに、地域における社会問題を論じ合う文化ができてきます。高校生の場合の勉強は、本人の自覚ができていますが、そこに地域での実践的な課題が加われば、更に意欲的に作文の勉強に取り組んでいけると思います。

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「すべての成績は、国語力で9割決まる!」を読んで(2) as/1358.html
森川林 2011/09/22 18:40 



 昨日の記事からの続きですが、西角さんの本を離れて、対話と意欲の話になります。

 勉強の意欲というものを考えた場合、高校生以上は、勉強の意義を自分なりに自覚して意欲を持ち続けることができるようになります。

 しかし、勉強のいちばんの土台を形成する小中学生のころはそうではありません。この時期は、勉強の内容も基本的なものが多いので、勉強自体はそれほど面白くはありません。また、小中学生のころは、勉強の意義というものを理解してそれで意欲を持つということもできません。

 小中学生の意欲は、勉強の意欲も遊びの意欲も、すべて集団に所属したいという仲間意識から来ています。

 近代の学校教育が、子供たちの集団意識をうまく活用できたのは、学年別にクラスを作るという仕組みがあったからです。学年別の同質集団で、同じ学習課題を勉強するということが、クラスに対する子供たちの帰属意識を生み出していました。先生の役割は、その帰属意識を高めて子供たちの学習に対する意欲を高めることでした。

 しかし、学校を取り巻く社会が、文化的にも経済的にも同質である場合は、学年別クラスも同質性を保つことができましたが、やがて、社会が豊かになり、経済の格差が生まれ、社会の同質性が崩壊してくると、学校の学年別同質性に基づいた意欲づけも機能しなくなってきます。

 現在の学級崩壊という現象の背後には、同質性を失った社会と、そのために同質性を失った学年別クラスにおける集団意識の形成の難しさというものがあります。

 欧米流の近代教育は、この解決策を、社会の経済格差に合わせた同質性の回復という形で実現しました。欧米では、公立学校は、貧しい家庭の、学校選択の余地のない子が行くところになっています。経済的に恵まれた家庭の子供は、その恵まれた度合いに応じて私立学校に進みます。その私立学校において学年別クラスの同質性を確保し、勉強に対する意欲を持続させる仕組みづくりをしているのです。

 日本においても、事情は同じです。戦後のみんなが等しく貧しいころは、だれもが同じ地域の公立学校に通い、同じような経済的文化的水準の子供たちが、同じ一斉授業を受け、その授業の中で同質化した集団との一体感を感じて勉強をしていました。

 しかし、日本の社会が豊かになるにつれて、公立学校に通う子供たちは多様化していきます。小さいころから習い事に行き学年よりも先の勉強をしている子もいれば、家庭の中で読書の習慣がなくテレビやゲーム漬けになっている子もいれば、地域のスポーツクラブで毎日スポーツ三昧の子もいます。こういう子供たちは、小学校低学年の時点で既に一斉授業の枠に収まらなくなります。先生の指導の工夫以前に、子供たちの集団の質そのものが変化し多様化しているのです。

 私立学校志向は、このような同質性の失われた豊かな社会を背景にして生まれました。ところで、そこで新たに形成された同質性は、受験を基準にしたものです。すると、その集団に対する帰属意識を子供たちの意欲に結びつけるためには、テストのランキングが最も効果的な方法になります。そのために、大人は、勉強に対する意欲づけというと、すぐに競争を強化することを考えてしまうのです。しかし、競争は単なる一つの表面的な手段にすぎません。子供たちの勉強の意欲は、もともと競争の勝ち負けの中にあるのではなく、集団の仲間意識の中にあるのです。

 学校という集団で行われているのと同じことが、より目的の絞られた形で、学習塾でも行われています。学習塾における子供たちの意欲づけには、志望校に合格させるためのノウハウ、競争による刺激、先生の熱心な指導などを欠かすことができません。

 それらを当然だと思う人がほとんどだと思いますが、江戸時代の寺子屋教育では、ある意味で正反対の教育が行われていました。つまり、寺子屋では、志望校に合格させるというような目的自体がありませんでした。また、競争はある程度あったでしょうがそれが子供たちの大きな関心にはなってはいませんでした。更に、先生は熱心さとはほど遠い状態で、ただ子供たちを遠くから見守り、ある課題を終えた子に次の課題を指示するという役割を果たしていました。もちろん、子供たちに対する一斉の授業などはありませんから、子供たちの勉強の内容は、思い思いの自習形式でした。

 このような環境で、寺子屋の子供たちは、どのようにして勉強に対する意欲を持つことができたのでしょうか。そこに、集団への帰属意識の変化というものがあります。

 現代の子供たちは、学校や塾での学年別同質集団という機能的人工的な環境で、成績の競争を刺激としてその集団に帰属意識を持って勉強しています。江戸時代の寺子屋の子供たちは、家族や地域という共同体的な環境で、その共同体に帰属する意識を直接の動機として勉強に対する意欲を持っていたのです。

 受験や競争に勝つためという動機ではなく、家族や地域に参加するためという動機で勉強に対する意欲を持つことが、これからの対話を中心とした教育になります。

 では、それは具体的にどのような形になるのでしょうか。(つづく)

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「すべての成績は、国語力で9割決まる!」を読んで as/1357.html
森川林 2011/09/21 19:18 


 「すべての成績は、国語力で9割決まる!」(西角けい子著 ダイヤモンド社)に、優れた国語の勉強法が載っています。

 言葉の森の勉強法と共通する点が多かったので、国語の勉強法を考えている人に参考になると思いました。



 第一は、明るく肯定的な声かけを重視していることです。

 言葉の森でも、保護者の方には、「子供の作文は欠点を直そうとするのではなく、よくできたところを褒めるようにしてください」と言っています。

 作文の欠点は、読む力がついてくれば自然に直るか、ひとことのアドバイスですぐに直ります。しかし、読む力がまだついていないときに作文の欠点を直そうとすると、同じことを何度も注意するようになります。そして、真面目な注意を何度も繰り返して、親も先生も子供もくたびれてしまうのです。

 では、作文のどこを褒めるかということ、書いた作文をただ漠然と褒めるのではありません。そういう褒め方をしても、子供は褒められることに喜びを感じません。子供は、自分が努力してできたときに褒めてもらいたいのです。

 ここで役に立つのが事前指導です。言葉の森では、作文を書く前に、事前にどういう構成や表現で書くかということを指示してから書くようにしています。そこで、子供は目標を持って書くことができるので、その努力を誉めることができるのです。



 参考になる点の第二は、国語力はすべての学力の要になっていると考えていることです。

 言葉の森で勉強している子の中に、習い事は言葉の森だけで、ほかの勉強はしていないという子がときどきいます。勉強というと、普通、国語、算数、英語の3教科などと考えがちなので、国語の勉強だけでは足りないと思う人がいるかもしれませんがそうではありません。

 算数や英語の習い事に行けば、確かに学校よりも先のことまで勉強できます。しかし、先に進んだように思うのは、学校でみんながその勉強に入るときまでです。みんなが同じところまで勉強を進めてくれば、違いは本人のもともとの実力だけになります。そして、国語力のある子は実力のある子なので、数学も英語もやり始めるとすぐに力がついてくるのです。

 だから、小学校の間の勉強は、国語を中心にしていくといいのです。しかし、国語力とは、漢字の読み書きの力ではありません。漢字力も、国語力の一部ですが、国語でいちばん大事なのは読む力と書く力です。読む力と書く力さえしっかりつけておけば、漢字力も必要に応じていつでもつけることができます。ただし、いつでもと言っても、それなりの時間はかかります。しかし、その時間は、小さいころから毎日こつことつ積み重ねて勉強した時間よりもずっと短くて済むのが普通です。



 参考になる点の第三は、毎日家庭で短い時間の自習をしていることです。

 言葉の森では、家庭での毎日の自習として、課題長文の音読(2、3分)、暗唱長文の暗唱(10分)と、読書10ページ以上(高学年の場合は問題集読書も含む)を勧めています。

 なぜ毎日の家庭での短時間の勉強が大事かというと、国語力は生活習慣の中で身につくからです。

 数学や英語の勉強は、教室に行ってそこで勉強するだけでも力がつきます。それは、数学や英語で身につける学力というものが、知識としてある程度分離できるものだからです。

 しかし、国語で身につけるものは知識ではありません。

 国語における読む力と書く力は、身体化された力ですから、何かを読むときも、自分が読む力を使っているなどと意識することなく読んでいます。文章を書くときも、手が自然に動くような感覚で書いています。このような身体的な力は、生活の中で毎日反復することで身についてくるのです。

 塾や予備校では国語の力はつかないと言われるのは、国語力というものが身体化された力だからです。国語は、生活の中で読む力書く力をつけておくことが最も大事な教科なのです。(学習塾で、国語の成績を上げるというところがあります。国語の点数は解き方のコツを説明すると確かに上がります。しかし、その上がるのは、その子のもともと持っている国語力までです。)



 参考になる点の第四は、音読を繰り返すことを読む勉強の中心にしていることです。

 言葉の森での自習の中心も、音読の反復と読書です。読む力は、多読と精読の両方によって身につきます。自分の好きな本を楽しく読むのが多読です。精読とは、ちょっと難しい文章を繰り返し読むことです。

 多くの人は、精読というと、単語や熟語の意味などを調べながら時間をかけてじっくり読むものだと考えると思いますが、そういう読み方ではかえって読む力がつきません。精読とは、ただ繰り返し読むことです。

 灘校の国語教師だったエチ先生が「銀の匙」を中学生の授業で3年間かけで読んだという話があります。しかし、そこで子供たちの読む力を育てたのは、じっくり読んだことではなく、先生との対話を繰り返したということだったのです。

 話を聞くことは、読書をすることと同じ効果があります。また、自分が話をすることは、作文を書くことと同じ効果があります。しかし、話を聞くことも、話をすることも、自分の実力よりもちょっと背伸びしたものでなければ効果は出てきません。

 言葉の森が20年ほど前に音読の勉強を始めたころ、保護者の方から、「音読でどうして力がつくのか」という疑問の声を何度も出ました。しかし、その後、斉藤孝さんの音読をすすめる本が流行になると、学校でも音読に力を入れるようになりました。すると、今度は、「学校で音読の宿題が出るから、言葉の森の音読までできない」という人が出てきました。

 ところが、音読というのは、実は退屈な勉強です。退屈な勉強なので、子供も親も、同じ文章を繰り返し読むよりも、新しい文章を読みたがります。たぶん、学校でも、授業で習うところを数回音読するという宿題を出しているところが多いのではないかと思います。

 音読で効果が出るのは、その文章を部分的に暗唱できるぐらいまで繰り返し読むことによってです。言葉の森では最初のころ、12種類の長文を3か月読むという音読の仕方をしていましたから、真面目に毎日読む子は、1編の長文を10回近く読むことになりました。こういう音読の仕方をしていた子は、毎日のわずかな時間の勉強で国語力がつきました。しかし、こういう単純な勉強を続けられる子はあまり多くいませんでした。

 国語力をつけるために、天声人語の要約をするという勉強法がありますが、この勉強法よりも長文の音読の方が効果があります。その理由は、(1)新聞のコラムの文章は入試問題のレベルの文章に比べて易しすぎる、(2)書く勉強は、読むだけの勉強に比べて時間がかかる、ということがあるからです。国語の実力は読んだ回数に比例します。例えば、800字のコラムの音読は2分でできます。しかし要約をすれば15分から30分はかかります。だから、同じ時間をかけるのなら、要約を1回するよりも、その文章を10回読んだ方が読む力がつくのです。

 音読の効果が実感できるのは、子供にその長文を説明させるときです。音読を繰り返してきた子は、長文の内容が丸ごと頭に入っているので、その長文を見ないでも、自分の言葉で自由に内容を説明できます。しかし、音読を繰り返していない子は、その場でいくらじっくり読んでも、たどたどしい説明しかできません。だから、読解力をつけるには、まず音読を繰り返すことなのです。

 ところが、単調な勉強はどの子も嫌がります。特に、音読の反復は、問題を解くような形の残る勉強に比べて、あてのない勉強のような感じがします。本当は、問題を解いても国語力はつかないのですが、形が残ると勉強しているような気がするので続けやすいのです。

 そこで、言葉の森は、その後、音読を更に発展させた暗唱の自習をするようにしました。これは、毎日10分の練習で、長文を丸ごと暗唱するという練習です。記憶力のよしあしに関係なく、手順を踏めば誰でも簡単にできる勉強です。



 以上のように、西角式の国語の勉強法と言葉の森の勉強法は似ている点がかなりありましたが、違っている点ももちろんいくつかありました。

 違いの主なものを挙げると、第一に、西角式では、書いて暗記する勉強をしているのに対して、言葉の森では、まだ書いて覚える勉強はしていないところです。

 言葉の森で、今考えているのは、暗唱した長文をそのまま丸ごと暗写する勉強にまで発展させることです。暗写の勉強をする場合、学年で習う漢字もひととおり書けるようになれば能率がいいので、今、学年別の漢字を全部盛り込んだリズム感のある長文を考えています。この暗写の勉強も取り入れると、暗唱の勉強が更に充実したものになると思います。



 第二の違いは、西角式では、教材と教室と先生が重要な役割を果たしているように見えることです。

 言葉の森の勉強の理想は、誰でもいつでもどこでもできるシンプルな勉強です。もちろん、言葉の森の講師は、子供たちから人気のある親身で熱心な先生ですから、先生は重要な役割を果たしています。また、言葉の森の教材は、すべてオリジナルなものですから教材も重要な役割を果たしています。

 しかし、勉強が、先生の持ち味や教材の独自性に頼っていては、日本中の子供たちの実力をつけるのには間に合いません。言葉の森では、今、森林プロジェクトという名称で、日本全国の子供たちの学力をつける運動を計画しています。そのためには、家庭での対話と自習を中心にして、誰が教えても実力のつく方法を開発しているところです。



 第三は、これは違いということではないかもしれませんが、言葉の森では、教室での勉強の前後に、家庭での対話を位置づけていることです。作文を書く前に、家庭で親子が対話をし、作文を書いたあとにも、家庭で親子が対話をする形で、子供たちの意欲を伸ばしていきたいと考えています。

 子供たちのほとんどは、学校や塾で勉強しています。それは、小中学生の時期は、友達という集団に帰属することが意欲の源泉になっているからです。高校生以上になると、勉強の目的がはっきりしてくるので、学校や塾や予備校に通わなくても、自分ひとりで勉強できますし、ほとんどの場合自分ひとりで勉強した方が能率がいいのですが、小中学生はそうではありません。学校の友達と一緒にいるという感覚がないと、勉強も遊びも運動も意欲的に取り組めないのです。(つづく)

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意欲を育てる仲間意識 as/1356.html
森川林 2011/09/20 18:36 


 子供たちの勉強の意欲をどう育てるかということで、これまで、我慢する力をつけることと、小さな実行から始める方法を書いてきました。今回は、仲間意識を生かすことについてです。

 人間は、集団生活をする動物です。だから、仲間に所属したいという気持ちを常に持っています。

 勉強の能率を上げるためだけなら、集団で勉強をしても個人で勉強してもあまり変わりはないはずですが、学校のような集団の中で勉強した方がやりやすいと感じられるのは、クラスという集団で勉強が共有されるからです。



 子供たちも、高校生以上になると、勉強の能率を考えて、集団の中で勉強するよりもひとりで勉強する方を好む子が増えてきます。しかし、中学2年生のころまでは、友達との競争や協力の中で勉強した方が意欲がわくので勉強の能率も上がるのです。

 意欲を高める手段として、競争や賞罰という方法がありますが、これも、その前提に所属する集団があって初めて生きてきます。仲間意識がある中での競争や賞罰であれば、小さなきっかけであっても熱中できるからです。



 子供たちが主に所属する集団は、年齢によって変わってきます。一般に、小学校4年生ぐらいまでは、子供たちが最も強く所属している集団は家族で、その主な仲間は父親と母親です。子供たちは、学校のクラスにも所属していますが、この時期は、クラスの友達よりも大人である先生の方が重要な結びつきの関係になっています。

 子供たちが小学校5年生以上になると、所属する集団は学校や塾やスポーツチームなどになり、その際の主な仲間は同年代の友達になります。両親や先生という大人よりも、友達との関係の方が強くなるのがこの時期です。この場合の意欲は、友達にどう見られるかということと深く関連しています。塾などで友達との競争に最も燃えるのがこの時期です。

 子供たちが中学3年生以上になると、所属する集団は、身近なクラスのようなものから、もっと抽象的なものに移っていきます。それにつれて、友達との競争よりも、自分自身に勝つというような自主独立の勉強の仕方が主流になってきます。したがって、子供が高校生になると、勉強は自分の自覚でやるようになるので、親があれこれ言う必要はなくなります。



 問題は、小1-小4のころの意欲づけと、小5-中2のころの意欲づけの方法です。

 作文の勉強においては、ここで家族の対話が生きてきます。子供たちが作文の勉強に意欲を持つのは、自分の書く作文が家族という集団の中に位置づけられているときです。

 その方法は、事前の対話と事後の対話です。

 事前の対話とは、作文の課題の予習です。題名課題の作文の場合は、子供が両親に自分が何を書くつもりかを説明します。感想文課題の場合は、もとになる長文を読んでやはり両親にその長文の内容を説明します。子供が書こうとする内容を両親と共有することで、作文を書くことが家庭という集団に所属して自分の役割を果たすことにつながるのです。

 事後の対話とは、返却された作文を見ての対話です。しかし、この事後の対話で大事なことは、勉強的な見直しをしたり推敲をしたりすることではありません(受験コースの場合は推敲が必要ですが)。子供の書いた作文を家族で共有することによって、子供が作文を書くことが家族という集団にとって意味あるものだという感覚を持たせることです。



 小学校4年生までは、他人との競争ということを意識せずに、両親が子供の作文に関心を持つことだけで、子供の勉強は意欲的になります。

 しかし、小学校5年生以上は、子供の中に友達との競争という意識が強くなってきます。そこで、両親の関わり方は、子供の作文について直接の対話をするだけでなく、同年代の友達への所属感を生かした対話にしていく必要があります。

 しかし、この小5から中2の時期に競争という刺激に適応させると、高校生になってからも競争に勝つという目標で勉強をするようになります。競争や勝敗という刺激で行う勉強は、高校生以上ではかえって意欲の低下につながります。だから、小5から中2の勉強は、子供の持っている競争意識を活用しながらも、競争を超えた目的を常に意識させて進めていく必要があります。

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勉強の仕方(119) 

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意欲のきっかけとしての小さな実行 as/1355.html
森川林 2011/09/16 17:12 


 物体の摩擦には、動き出してからの摩擦(動摩擦)よりも、止まっているところから動き始めるときの摩擦(静止摩擦)の方が大きいという法則があります。

 人間の行動も似ています。何かを始めてからの抵抗よりも、始める前の最初の抵抗の方が大きいのです。

 これを勉強のきっかけに生かすことができます。止まっているところから動き始めるときに大事なことは、小さな動きでもよいとして何しろ動くということです。



 例えば、読書の習慣をつけるのに、朝の10分間読書という方法があります。どんな本でもいいから何しろ10分間読む、という小さな動きが、子供たちに本を読む習慣をつけたのです。

 この方法は、家庭でも使えます。どんな本でもいいから10ページ読むという目標であれば、だれでもすぐにできます。この毎日10ページの読書を続けていると、読むことが苦にならなくなります。そして、やがて面白い本にめぐりあうと、それが10分で終わらなくなりいつの間にかじっくり本を読む力がついてくるのです。

 多くの親は、最初から難しい本をたくさん読ませようとして、静止摩擦係数を大きくしています。最初は、どんな本でもいいから毎日10ページ読むだけ、という小さな目標にしておくことです。

 もちろん、その目標を決めたら、親もそれを守ることが大切です。「どんな本でもいいから毎日10ページ」と言っておきながら、子供の読んだ本を見て、「もう少しちゃんとした本を読んだら」とか、短時間で10ページ読み終わると、「もっとたくさん読んだら」などと言っては、約束を守ったことにはなりません。また、毎日と言っておきながら、読まない日があっても見過ごすという例外を作るのもよくありません。どうしても読めそうもない日があったら、5ページでも1ページでもいいから読むというのが、毎日ということの意味です。

 読書というものは、毎日読んでいれば、必ずその面白さに目覚めるものですから、例外の日を1日も作らないということが大事です。



 作文の場合のスタートも、小さな動きでいいから実際に動く(書き出す)ということが大切です。子供がなかなか作文の勉強を始められないときは、最初から長い字数の作文を書くことを求めるのでなく、「とりあえず100字まで書けばいいということにしよう」などと、短い目標の字数を決めるのです。

 それでも書き出せない場合は、お父さんやお母さんが、「じゃあ、言ったとおりに書いてごらん」と言って、子供が書く内容を口で言ってあげて、そのまま書かせるのです。それでは、子供が自分で書いたことにならないと思うかもしれませんが、親に言われたとおりに数行書いた子は、ほとんどそのまま、その続きを自分で書いていきます。最初の静止摩擦のところだけ動かすのを手伝えば、そのあとは自分で書いていけるのです。



 暗唱の自習のスタートも、小さな動きで実際に動く(音読する)ところから始めれば誰でもできるようになります。

 暗唱は、その文章を覚えようとするから負担になるのです。文章を覚えようとすると、その目標ははるか遠くにあるように見えます。

 しかし、30回音読するというような目標にすると、目標自体がぐっと身近になります。言葉の森では、30回紙を折る形で数えているので、回数が更に実感できます。そして、15回から20回音読を繰り返したところで、いつの間にか自分がほとんど暗唱できていることに気づきます。

 最初の小さな動きさえ開始すれば、そのあと続けるのは簡単にできるのです。



 ときどき作文の提出がたまってしまう子がいます。何か用事があったために、先週の作文を書いていないうちに、今週の作文の課題の日になってしまったという場合です。

 こういうとき、ほとんどの子は、がんばって両方やろうとします。すると、静止摩擦係数がぐっと大きくなるのです。

 これまでの例で言うと、1日に続けてふたつの作文を書ける子はほとんどいません。たいていは、ひとつ書き終えた時点でくたびれてしまうからです。

 そうすると、いつか時間のあるときに、ふたつ書こうと思うようになり、更に負担が増していきます。

 だから、授業のある日に書けなかった作文は、もう書かないと決めて、そのかわり、最新の課題にしっかり取り組むというようにするといいのです。



 動き出すコツは、小さな動きでいいからまず実際に動いてみるということです。

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意欲を育てる(熱中する力と退屈さに耐える力) as/1354.html
森川林 2011/09/15 17:50 


 人間は、やる気になったときに大きく成長します。だから、勉強でも仕事でも、やる気、又は意欲というのがいちばん大事です。

 そこで、今回は、意欲を育てるためにどうしたらよいかということを考えてみます。



 子供が勉強というものに自覚を持ち、勉強自体の面白さに目覚めるのは一般に高校生以降です。

 それまでの義務教育の小中学校の勉強は、基礎的な学力をつける準備のための勉強ですから、勉強自体に知的な喜びを感じる面はあまりありません。だから、小中学生は勉強に熱中しないのが普通です。

 小中学生が熱中するのは遊びです。しかし、この遊びを通して実は意欲を育てているのです。大人になってから仕事に熱中できる人は、その熱中力を、子供時代の遊びによって身につけています。遊びの内容そのものは、虫捕りだったり鬼ごっこだったりと単純なものですが、そこで何かに熱中したという経験が大事なのです。



 では、勉強は熱中できないからしなくてもいいかというと、もちろんそういうことはありません。準備のための学習は退屈で当然ですが、その退屈さに耐える力をつけることが重要なのです。

 子供が大きくなり、将来、興味のあることを熱中してやるようになっても、その物事の中に退屈な作業は必ずあります。子供のころに育てておく必要があるのは、熱中する力であるとともに、退屈さに耐えて継続する力です。

 ところが、現代の社会では、子供たちに勉強を退屈させないようにいろいろな工夫がされすぎています。例えば、賞罰で刺激を与えたり、競争をさせたり、目先の変化で面白さを演出したりと、勉強に興味を持たせるさまざまな工夫がなされているので、子供はかえって退屈さに耐える力がつけられないのです。



 熱中する力も、退屈さに耐える力も、家庭でつけるのが基本です。

 熱中する力をつけるためには、子供の興味や関心のあることをよく観察し、子供が何かに熱中したときにそれを妨げないように見守ってあげることです。そのためには、子供の生活時間にある程度の余裕があることが大切です。

 退屈さに耐える力をつけるためには、毎日同じことを続ける習慣を子供のころからつけておくことです。子供が自分の意志で毎日同じことを続けることによって、子供の自律心が育ちます。その自律心を育てるのに役立つのが、毎日決まった時間に行う読書、音読、暗唱などの自習と、毎日の決まったお手伝いです。

 雨の日も、風の日も、くたびれている日も、遊びたい日も、とりあえず決まったことを先に済ませるということを子供のころから習慣づけておくと、それが子供の自律心の土台となるのです。

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