9月4週の清書で、学年別の森リン大賞になった作品のうち、代表的なものをいくつか紹介します。
森リンは、言葉の森が開発した自動採点ソフトです。森リンの点数は、学年が上がるごとに少しずつ上がっていく傾向があります。それは、作文に使う語彙が増えるとともに、考える語彙の割合が増えてくるからです。
今回は、小6と中1の作品を表示していますが、中1の生徒の作文の方が平均して1-2ポイント高くなっています。1位の作文は、小6の生徒が84点、中1の生徒が86点です。これが高校生になると、90点近くになる作品も出てきます。
9月の森リン大賞(小6の部119人中)
短所は長所?
ぴょんぴょん
「ねえ、私の長所って何かなあ。」
私が母に聞くと、
「ええと......。手先が器用なことと、周りに気を配れることかな。」
と、母は私の長所を二つも挙げてくれた。私の長所は、今母が言った他に「想像力が豊か」なことと「前向きなこと」だと思う。短所は作業などが「雑」なことだ。私にはあまりうれしくない話だが、妹と同じ作業をしてみると、私の方がテキパキしていて作業が早い分、はっきり分かるくらい雑だ。しかし、私がこの作文を書いて分かったことは「短所は長所」ということである。私は自分が「雑」だ、という短所しか見ていなかったのだが、これは裏を返せば「仕事が早い」という長所にもなると気付いた。また、私には「あきっぽい」という短所もあるが、これは自分のしゅみに生かされていると思う。私にはマイブームがあって、二ヶ月おき位にハマったり夢中になることが変わる。これは季節にも左右される。今まで、歴史、登山、音楽、物語や詩を作ることなど色々なことにチャレンジしてきた。同じ事を長い事続けられるタイプの人もいるが、私はそうではない。初めはあきっぽい性格を直したいという事を考えてばかりであったのだが、最近は私はこの短所のおかげで色々な知識を得てとても楽しいことに気が付いた。
「長所」や「短所」は自分を深く見直してみたときにはじめてはっきりと分かってくるものである。少し例はちがうが、私は自分の「自画像」をを描くのがとても上手い。どうしてかというと自分の顔のことを良く知っているからだ。今までに描いてあった自分の姿を見て、共通しているのは「優しそうな印象」だと気が付いた。自分で言うのはちょっと照れくさいけれど本当に自分は、「優しい」ところもあるのだとそれも長所に数えられる。そして、明らかにちがっているのは年が上になるほど意志が強そうに見えることだ。本等に顔が変わってまるで別人のようだった。多分昔の私が今の私を見たら、「ええーっ。これが私なの。信じられない。」とびっくりすることだろう。私は自分でも思ったことをはっきりと伝える、しっかりした性格になってきたと思っていたので、これはほんとうにうれしかった。ついでにこれも長所に加えたい。心の中で自画像を描けば長所がどんどん見えてくる。
母の長所は、周り(人)に気を遣って動けること。短所はストレスがたまりやすいことだ。こと結果を聞いたとき、私は
「私とほとんど一しょじゃないっ。」と大声を出してしまった。実は、私にもストレスがたまりやすいという「短所」が会あったのだが忘れていた。私がストレスがたまらないのは、友達としゃべって発散しているのもある。だが、大きな理由は母とたくさんしゃべっているからだ。そのおかげで毎日ニコニコしていられる。母に、毎日ありがとうと言いたい。ところで聞いてみると、母のストレス解消法は「長いお風ろ」なのだそうだ。今まで渡しは母の長いお風ろは、
「ねぇ、早く出ようよ。ふろふろになるよ。」と急かしていたのだが、ストレス解消になっていたのか、とおどろいた。やっぱり短所は長所。もし私が母だとしても、何かリラックスはほしくなると思う。人の長所も、その人のことを思いやって考えないと見つからない、と学んだ。
人間にとって、長所、短所は自分のそれぞれ良い見方と悪い見方である。どちらか一方で人を決めるのはよくない。「玉みがかざれば光なし」ということわざもあるように、自分でも他人でも長所の「玉」をみがいていく人が必要である。自分の評価だけでなく、他の人のことも良い方の見方を使おう。私もこれから、そうしていきたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●短所は長所? | ぴょんぴょん | 84 | 1487 | 51 | 54 | 72 | 86 |
2位 | ●私は長所より短所の方が47.2%増 | みっくまっく | 80 | 1189 | 47 | 84 | 89 | 81 |
3位 | ●チャンピオン | トレジャーハンター | 80 | 831 | 41 | 78 | 84 | 87 |
4位 | ●長所と短所の関係 | moja | 80 | 1110 | 47 | 53 | 71 | 86 |
5位 | ●一番を目指して | りょうたろう | 79 | 1593 | 47 | 73 | 100 | 87 |
6位 | ●文化的カプセル | ようタイガース | 79 | 895 | 44 | 70 | 89 | 86 |
7位 | ●私の長所、短所 | アレックス | 79 | 905 | 47 | 71 | 79 | 79 |
8位 | ●カプセルからでよう! | ききほ | 78 | 1192 | 47 | 69 | 98 | 89 |
9位 | ●例外のない規則 | れたす | 78 | 1018 | 64 | 50 | 62 | 84 |
10位 | ●文明 | がいあ | 76 | 790 | 48 | 62 | 82 | 81 |
9月の森リン大賞(中1の部93人中)
暗黙の了解
はるりん
花、月、雪は日本人の自然観賞の基本になっている。この三つにはどれもうつろいやすいという共通点がある。大体日本人は「見る」と言うことに重要な意味を与える。自分の目で見なければ、認識の根拠としてすこぶる薄弱だとする意識がある。さらに言えば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立しているのだ。「見る」と言うことは、日本の独特のコミュニケーション方法なのだ。私は、子のコミュニケーション方法は良いと思う。
そう考える第一の理由は、同じものを見た人は、だれでも同じ事を理解することができるからだ。同じものを見て、言葉を発さなくても心の中で通じ合う、ということだ。同じものを見れば、自然と心が通じ合ったような気になるのが不思議なところだ。同じものを見る以外にも、同じ事をするとこのような気分になる。私の通う中学校には合唱コンクールがある。クラス対抗なのだが、学年が上がるにつれ、とても燃えるのだ。きっと、同じ事をして団結力のようなものが感じられるのだろう。同じものを見ているというのも一体感が生まれて、お互いを理解しあえる。日本人は、あまり気持ちを言葉に出さない。その分、心を通わせて気持ちを通じさせる。心を一つに!というフレーズは日本人にしか通じないのかもしれない。
第二の理由は、コミュニケーションを取ることで、やさしい気持ちが生まれるからだ。相手の気持ちが分らない分、相手に対してやさしい気持ちで接することができる。これは、動物に対してもそうだと思う。動物は、話すことが不可能だ。人間が動物と接する時は動物の気持ちを考えなくてはならない。お互いの気持ちを尊重するということだろう。何も言わないから、自分の思っていることを相手に伝えられないので、自分の気持ちは相手の判断に任せるしかない。分かってもらえるという考えを持っているのだ。つまり、相手を信頼しきっている。この信頼によって、やさしい関係が生まれるのだ。この優しさを生む信頼関係は、心を通じ合わせることのできる日本人だからこそ作ることができるのだ。私の入っているチアリーディング部は、スタンツと言う技に信頼関係は欠かせない。コーチがいつも言っていることだ。息を合わせなければ、TOPの人はバランスを崩し、落ちてしまう。かといって、大きな声でカウントを取るわけにもいかない。心の中でカウントを取って、みんなと合わせるのだ。
確かに、言葉ではっきりと相手に伝えた方が誤解も生じにくいし、何よりもどかしくなくていいかもしれない。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われている時である」と言う名言があるように、言葉を使わない日本人独特のコミュニケーション法も様々な利点があっていいと思う。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●暗黙の了解 | はるりん | 86 | 1129 | 58 | 73 | 76 | 89 |
2位 | ●見えない殻 | ブレイド | 83 | 1058 | 58 | 72 | 71 | 86 |
3位 | ●日本人の「見る」力 | ふっくー | 83 | 1035 | 56 | 64 | 71 | 92 |
4位 | ●ぼくの長所短所 | 小林少年 | 83 | 1158 | 57 | 61 | 67 | 89 |
5位 | ●…コミュニケーション | コレルリ | 82 | 1223 | 48 | 52 | 72 | 83 |
6位 | ●自己家畜化の理由 | けん道少年 | 80 | 835 | 52 | 67 | 75 | 90 |
7位 | ●人間は飼育されている | くまのプーさん | 80 | 909 | 57 | 60 | 72 | 90 |
8位 | ●ヒトは本来,縛られていない | まかじろう | 80 | 876 | 58 | 64 | 72 | 93 |
9位 | ●社会システム | ちはや | 79 | 1323 | 46 | 109 | 110 | 86 |
10位 | ●自己家畜化も必要だ | かねめ | 78 | 942 | 48 | 68 | 75 | 89 |
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覚えることは、理解することと正反対のように思われています。
確かに、丸暗記しただけのものは、テストが終わればすぐに忘れてしまいます。その反対に、理解して身につけたものは、あとあとまで残ります。
しかし、理解にも、浅い理解と深い理解があります。ある文章を読んでそこに書いてあることを理解したつもりになっても、あとで読み返すと、もっと深く読み取れるこということがあります。理解することを目標にすると、かえって浅い理解で終わってしまうこともあるのです。
では、深い理解をするためには、どうしたらいいのでしょうか。
ひとつの方法は、国語の授業で先生が深く説明をするような方法です。しかし、この方法の弱点は、(1)先生の名人芸が必要、(2)時間がかかる、(3)少人数にしか教えられない、というところにあります。そして、生徒自身が、先生に教えてもらうという受け身の形になりやすいということもあります。
もうひとつの方法は、繰り返し読んで丸ごとその文章を自分のものにするという方法です。何度も繰り返し読んでいると、理解できないことも含めてその文章が自分のものになってきます。すると、何かのきっかけにその内容がより深く理解できるというようになってくるのです。
この方法の長所は、だれでもいつでもできるということにあります。難しい本であっても、教えてくれる先生がいなくても、何度も読んで自分のものにしてしまうという方法だからです。
具体的には、同じ本を繰り返し読む、同じ長文を繰り返し音読する、又は暗唱するという方法です。
中でも、文章を丸ごと暗唱するという方法は、密度の濃い繰り返しの勉強法です。簡単な文章でも難しい文章でも、何度も読んで暗唱できるようになると、必ず最初に読んだ読み方よりも深く読み取れるようになってきます。
その証拠に、一度だけ読んで理解した文章を子供に説明させてみると、細かい部分は意外と正確なのに大きな幹の部分がどこかわからないような説明の仕方をすることがよくあります。
その逆に、何度も読んだ文章を説明させると、自分の言葉で自由に説明でき、質問にも自分の言葉で自由に答えることができます。ちょうど通いなれた道を気楽にお喋りしながら歩いていくような感じで説明することができるのです。
国語の勉強法がよくわからないという人がいます。読解問題の解き方のコツのようなことは、授業で説明することができますが、それ以前の読む力をつけるための読み方をどのようにしたらいいかわからない人が多いのです。
その方法は、繰り返し読むことです。
繰り返し読むというだけでは単純すぎて張り合いがないという人は、暗唱の練習から初めてみるといいと思います。暗唱は、繰り返しの回数を決めて音読していけばだれでも簡単にできます。難しい文章を丸ごと暗唱できるようになると、文章に対する理解力がついてくるとともに、文章の表現力もついてくるのです。
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子供は、読書を1冊ずつするものだと思っているので、ある本が終わってから次の本を読むという読み方をします。すると、途中で自分のあまり興味のわかない本にぶつかったとき、そこで読書が進まなくなってしまうことも出てきます。
本は読みかけでもいいのだと割り切ると、読書の能率が上がります。また、分厚かったり難しい内容だったりしてなかなか読めない本でも、途中まで読めばいいのだと考えると気軽に手に取ることができるようになります。その結果、読書量が増え、読みにくかった本も自然に読めるようになるのです。
日曜日などで時間があるときに、それまで読みかけだった本を十数冊積んでおき、次々に読むようにすると読書がはかどります。次々に読むといっても、2、30ページ読んだら、次の本に移るという読み方をして、それを何周も繰り返すのです。
興味のある本でも1冊をずっと通して読んでいるとくたびれるものですが、十数冊の本を少しずつ次々と読んでいくと、なぜかほとんど疲労を感じません。
そういう読み方をするときに役に立つのが付箋読書という方法です。この付箋読書のコツがわかると、ふだんの読書の能率も格段に上がります。それは、いつでも気軽に読みだすことができ、いつでも気軽に中断でき、またいつでも気軽に再開することができるようになるからです。
【言葉の森式 付箋読書の方法】
▽1、読み始めのページの右上に付箋を貼る。
▽2、読み終えたページに、最初の付箋から下に少しずらして次の付箋を貼る。
▽3、次にまた読み始め、読み終えたページに、前の付箋から下に少しずらして次の付箋を貼る。(つまり階段状に付箋を貼っていく)
▽4、途中をとばして、別のページを先に読みたいときは、その読み始めのページの右上に付箋を貼る。
▽5、横書きの本の場合は、本の左上に縦に付箋を貼る。
▽6、横書きの場合も、階段状に付箋を貼っていく。
▽7、本をたたんだときも、外からどこまで読んだかがわかるので、続きを読む気になりやすい。
▽8、日曜日などで時間のあるときは、たまっている本を10冊ぐらい次々に2、30ページずつ読むことができる。(こういう読み方をすると長時間読んでもくたびれない)
おすすめの付箋
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子供に勉強をさせる原則は簡単です。無理のない分量を決めて、決めたとおりにやらせて、やったことを認めてあげるだけです。
ところが、この反対のことをしているお父さんやお母さんも意外と多いのです。
【無理のない分量を決める】
まず、学校や塾の宿題だからといって、子供にとって無理な分量をやらせる親が多いことです。親は自分の目で見て判断して、子供が楽に消化できる分量を決めなければなりません。そして、子供にとって負担に思われる場合は、その宿題は親がかわりにやってあげればいいのです。
特に小学校低中学年の勉強の基本は、読書と対話です。読書と対話の時間を確保することが最優先で、宿題は残りの時間でできる範囲でやっていくものだと考えるべきです。ところが、ときどき、宿題が忙しくて本を読む時間がないなどという子がいます。宿題を真面目にする子よりも、読書を毎日する子の方が、学力は必ず伸びていきます。
【決めたとおりにやらせる】
次に多いのが、決めたとおりにやらせないことです。例えば、親が子供に、「○○をしなさい」と言ったとします。子供がそれを何らかの理由でやらなかったときに、そのままうやむやにしてしまう親がとても多いのです。言われたとおりにやらないことを黙認する、ということは、親の言ったことはやらなくてもいいと子供に教育していることと同じです。小学校低学年のうちにそういう習慣はほぼ完成しますから、小学校低学年の子で、親の言ったとおりにできない子は、その後もずっとできません。
決めたことをどうしても守れない理由があったときは、親がひとこと、「今日は、こういう理由があったからやらなくてもいいことにしようね」と言うだけでいいのです。言葉としてそういうことを伝えておけば、うやむやにしたことにはなりません。何も言わずにうやむやにすると、子供が言うことを聞かなくなるのです。
また、分量や時間を決めておきながら、子供が予想以上に早く終わったときに、追加するのも、決めたとおりにやらせていないことになります。こういう追加をすると、子供はその後、だらだらとした勉強をする習慣を身につけます。予想以上に早く終わったときは、「早くできてよかったね。じゃあ、たっぷり遊ぼう」と、手放しで褒めてあげるだけでいいのです。
【やったことを認めてあげる】
最後は、やったことを認めてあげるということです。
作文の勉強は、特に子供の国語力の欠点がたくさん出てきます。作文は国語力の集大成なので、漢字を使う、ていねいに書く、句読点や段落を正しくつける、語彙を豊富にする、いい表現を使うなど、国語のあらゆる能力が一つの作品の中に集中して表れます。
そして、欠点や弱点のない子はいませんから、子供の書いた作文を大人が見ると、何かしら注文したくなることが出てきます。そこで、忍耐力のない大人は、自分が感じた欠点をすぐに指摘してしまうのです。
子供の身になればわかることですが、1時間かけて一生懸命書いた作文を親や先生に見せたとたんに、「ここがだめだね」と言われたら、どういう気がするでしょうか。「今度は注意されないようにがんばろう」と思う子はひとりもいません。
勉強を始める前の注意はいくらしてもいいのです。しかし、勉強の終わったあとは終えたことを認めてあげるだけにとどめておくことです。注意したいことは、その場で言わずに、次回の勉強の前に言うようにすることです。
このように考えると、子育てがうまくできるかどうかは、子供の問題ではなく親の問題であることがわかります。
だから、大事なことは、親がまずすべては自分の責任だと思うことです。学校や塾や社会や子供のせいだと思うのではなく、すべて親である自分のせいだと思うことによって、明るく考えることができるようになり、その結果いい知恵がわいてくるのです。
明るく考えるというのは、実はかなり大事です。相談してくる人には、暗い人が多いのですが、暗く生真面目に考えると、本来出てくる知恵がわいてきません。また、子供にも同じような暗い雰囲気で接すると、子供はそれだけでやる気を失います。
どんなことがあっても、「10年もたてば、こんなことも笑い話になるだろうけど」と考えれば、明るく考え直すことができます。明るく考えることによって、ものごとも明るく変わっていくのです。
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国語の読解力をつけるための基礎は、小学校中学年までの読書量です。しかし、ただ物語的な読書だけの量が多くても、それがそのまま国語力に結びつくわけではありません。入試に出てくる問題文は、子供が通常読むような本のレベルよりも高いので、そういう難しい文章に慣れておく必要があります。
入試問題の文章に慣れるためにいちばんいいのは、やはり昨年の入試問題です。天声人語のような新聞のコラムの文章は易しすぎます。塾のテキストや市販の問題集などの問題文でもいいのですが、入試問題にはその時代の特徴が反映されます。古い問題集では、たとえその文章自体の質がよくても時代的に合わない面も出てきます。例えば、二酸化炭素と地球温暖化は、科学的な裏づけに疑問が持たれるようになってきました。一昔前なら必ずどこかで出た文章ですが、これからはもう出ないと思います。
小学校中学年までに本をよく読んでいた子は、入試問題集のような難しい文章を読み始めると、すぐに、そういう文章を読む力も身につけます。本をよく読んでいる子は、難しい文章も読み慣れるのが早いのです。読書が大切だというのは、読書がそのまますぐに国語の学力に結びつくからではありません。読書力がある子は、難しい文章を読む力もつけやすいからです。
小6になって国語の成績が伸び悩む子によくあるのが、問題を解くスピードが遅いというケースです。テストの問題で、前半はよくできているのに後半は×が多いというのは、読むのに時間がかかっているからです。こういう子は、できなかった問題を家でもう一度やってみると正解になるということがあります。読むスピードは、国語力の重要な要素です。これも、入試問題集のような文章を読み慣れることでついてきます。
読解問題を解くとき、ほとんどの子は、感覚で答えを選んでいます。言葉の森の教室で読解問題を解く子の、問題用紙と解答用紙をときどき見ると、最初はほとんどの子が傍線などを引かずに、きれいなまま読んでいます。
こういう読み方では、答えが合っていても間違っていても、あとから反省に生かすことができません。その問題のどこをどう考えたのかということがわかるように、線を引いたり印をつけたりしておくことが大事です。
問題文をきれいに読み、傍線を引かないというのは、小中学生ばかりでなく、高校生でもかなりあります。問題文を読むときに傍線を引くようにさせ、国語を感覚ではなく理詰めで解かせるようにすると、どの子も成績が急上昇します。
国語の記述力をつけるための基礎も、小学校中学年までの読書量です。ただ、これも通常の読書のレベルでは、入試問題に対応した語彙がないので、入試問題集のような文章を読む練習をしていく必要があります。これも、新聞のコラムや塾や市販の問題集よりも、実際の昨年の入試問題集の方がいいことは言うまでもありません。
国語というのは、他の教科と違い、学年に関係がないので、中学入試問題集の問題文であっても、小6になってすぐに読むことができます。同様に、高校入試の問題集は中1になってすぐに読むことができ、大学入試の問題集は、高1になってすぐに読むことができます。しかし、中学入試の問題集を小5で読むのはかなり苦しいようです。
入試問題集を読むことによって、記述に必要な語彙が身についてきます。しかし、理解するための語彙と表現するための語彙は違います。読めるからと言ってその語彙がすぐに使えるわけではありません。そこで、問題集の文章の内容を、身近なお父さんやお母さんに説明する練習をします。記述で実際に書く練習は時間がかかりますが、口頭で説明する練習は短い時間でかなりの量をこなせます。
記述力で大事なことは、迷わずに一挙に必要な字数まで書く力をつけることです。書いている途中で考えたり、消しゴムで消して書き直したりすると時間が大幅にかかり、ほかの問題を解く時間に影響します。そのためには、志望校の入試の記述問題で出る字数に合わせて、実際に書く練習をすることです。
例えば、150字の記述問題があったら、大体3文か4文でまとめると見当をつけ、頭の中で文章を考え、書き出したら迷わずに指定の字数ぴったりまで書くようにします。実力のある子は、2、3文字の差で字数ぎりぎりにまとめることができます。
記述問題でよくあるまとめ方は、ただ「Aがよいと思う」という書き方ではなく、「BではなくAがよいと思う」「確かにBもよいがAがよいと思う」などと、説明や感想の輪郭がわかるように対比をはっきりさせて書くことです。
しかし、国語の力でいちばん大事なのは、こういうテストに対応した読解力や記述力ではありません。国語の成績をよくすることは、ある意味で表面的な学力です。
将来も役立つ国語力とは、さまざまな問題を自分なりに考えそれを表現する力です。考える力と書く力があるというのは、評価として測定しにくいものですが、それが大人になってからも役立つ本当の学力なのです。
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あなた、教育者としては勉強が足りないのではないですか?
これに全部書いてあるでしょう
http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/pages/236/all.pdf
海外の報道でも共和党のペリーが「進化論はウソ、温暖化もウソ」とデタラメを吹聴しているので、民主支持者からはもちろん、共和党でも極右以外は「ペリーじゃオバマに勝てない。ロムニーしかない」(ロムニーは温暖化を認めている)ことが常識でしょう。
「もう出ない」なんてとんでもないです。教育者なら、ちゃんと調べて、間違ったところはきちんと訂正するべき(間違いは誰にもありあす。潔く訂正さえできれば立派な方です。)
というか、あなたCOPのこと知らないのですか?
ウソなら、各国から首脳が集まって議論するわけないでしょうに。
あと、「気候研究ユニットメール流出事件」を調べてみてもいいでしょう。
さて、貴殿は潔く間違いを認められる方でしょうか?
二酸化炭素と温暖化の問題は、大きくは石油利権のキャンペーンに、みんなが乗せられていたのです。
はっきり言えるのは環境破壊が進行しているという事実までであって、それを地球温暖化と結びつける議論を今さらしている人は、これからは笑われると思います。
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言葉の森が考えている森林プロジェクトのもう一つの目的は、地域での女性の手による小起業です。
現代の新しい寺子屋的な教育の主な担い手は、小中学生の子供を持つ母親です(もちろん父親も含みますが)。なぜかというと、子供たちの成長と教育に関して、いちばん真剣にならざるを得ないのがその年代の母親だからです。
そして、この子供たちの教育は、地域の同年代の母親が連携して子供たちをよりよく育てるというイメージで行われていくでしょう。なぜ連携が必要かというと、小中学生の子供たち自身が友達と連携して生きる時代にいるからです。家庭での教育といっても、親と子供だけが向き合って勉強をしている形では魅力の乏しいものになってしまいます。同年代の子供たちの数人の小さな集団の中でこそ、子供たち意欲は増してくるからです。
教育という仕事で、なぜ母親が中心になるかというと、教える仕事の多くは、女性の方が向いているからです。そして、母親たちが、子供たちの教育について上手に教えるコツをつかみ、教室を運営する仕組みをつかむようになると、次はその経験を土台にして、新しい仕事を創造することができるようになります。
女性は、一般に男性よりもクチコミ的な交流の能力が優れていますから、自分の個性を生かして新しい仕事を始める場合、スタートは男性よりも軌道に乗せやすいことが多いのです。それらの新しい仕事の分野は、主に教育的、文化的なものになるでしょう。そこから、新しい創造文化産業が発展していきます。
アップルやマイクロソフトが誕生したときも、最初は、コンピュータいじりの好きな若者が自分の興味の赴くままに、半分遊びのようなノリで仕事をしていました。未来を作るのは、それが斬新なものであればあるほど、事前の計画的なビジョンではなく、興味と関心と熱中という動機です。儲かりそうだから始めるというものよりも、面白そうだから始めるというものの方が、大きな将来性を秘めているのです。
日本でこれから生まれる新しい創造文化産業は、主に女性と若者の手によって、最初は小さな個性の発揮のようなところから始まると考えられます。
現代の社会の特徴は、多くの人が、単なる消費者から、自分も生産する側に回りたいと考えていることです。物を買うよりも自分も作って売りたい、いい音楽を聴くよりも自分の声で歌いたい、本を読むよりも自分も本を書きたい、誰かに教わるよりも自分も誰かを教えたい、そういう気持ちを多くの人が持つようになっています。
森林プロジェクトの作る寺子屋は、子供たちの教育の場であるとともに、教える母親たちが自分たちの手で教育的文化的な仕事を始める基盤にもなります。
ヨーロッパ生まれの文化産業は、クラシック音楽やバレーなどの芸術に見られるように、主に宮廷文化として発達しました。貴族の文化的ニーズとして生まれたものが、大衆的に広まっていきました。だから、これらの産業の前提になるのは、一部の優れたプロと大多数の受け手としての消費者でした。
これに対して、日本の江戸時代の文化産業の多くは、最初から大衆のニーズをもとにして発達しました。だから、誰でも作り手として参加できる広がりを持っていました。
これからの産業は、多くの人が消費するものかどうかということよりも、多くの人が作り手としても参加できるものかどうかということが重要になります。
産業というと、すぐにどれだけのニーズがあるかということを考えるのは、かつての製造業の三種の神器時代の意識の名残りです。現代の日本のように豊かな社会では、どれだけニーズがあるかということよりも、どれだけ参加したい人がいるかということが重要になってきます。すると、そこで生まれる新しい産業は、きわめて多様性に富み、大衆自身が作り手となり、主に人間の成長や向上に役立つ教育的な要素を持つ、創造的な文化産業になるのです。
日本は、そういう創造的な文化産業の時代を、既に江戸時代に一度経験しています。その経験を、現代の科学技術と情報インフラと民主主義と国際的な広がりの土台の上に再び開花させることが、これからの日本を豊かにする展望になります。そして、それがこれからの子供たちの教育を守り発展させることにつながっていくのです。
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言葉の森が考えている森林プロジェクトの目的の一つは、新しい教育を提案することです。
新しい教育とは、簡単に言えば、
(1)受験のための教育から実力のための教育へ、
(2)外部に委託する教育から家庭と地域による教育へ、
(3)点数を目標とした教育から文化を目標とした教育へ、
(4)競争を動機とした教育から独立を動機とした教育へ、
という大きな流れの中に位置づけられる教育です。
これを作文と国語の教育を中心に実現していくことが森林プロジェクトの目標です。
今の子供たちの学力は、全体的に見て昔よりも低下していますが、それよりも大きな問題は、学力の二極分化が起こっていることです。(学力の低下は、はっきりしたデータが少ないという問題がありますが、なだらかな低下が起こっていることはほぼ間違いありません)
これからの創造文化産業は、どの分野であっても理解力や思考力の裏づけが必要になります。芸術、音楽、スポーツなどの分野でも、これからは知的な裏づけが必要になってくるのです。
だから、子供たちの学力を育てることは、教育の最も大きな目的になります。
学力低下の原因はさまざまですが、大きく三つのことが考えられると思います。
第一は、学習が子供たちの内的な意欲を引き出していないことです。そのために、現在の学習の多くは、強制、競争、賞罰などを意欲の動因としています。これからの学習は、子供たちどうしの協力、家庭における対話、地域での承認と期待などに支えられたものになる必要があります。
第二は、学習の中身が、本来の目的からはずれていることです。今の学習は、子供たちの将来の生活に必要な学力をつけるよりも、受験で差がつく分野の学力をつけることを中心にして行われています。例えば、高校生の早い段階で、大学入試に対応するために理系と文系のコースが分けられてしまうことがあります。人間には、文系の教養も理系の教養も両方必要です。それが、ただ受験に対応するためという理由によって偏ったものにさせられています。
第三は、教育の方法が時代後れになっていることです。今の一斉授業の教育は、同じぐらいの年齢や知的レベルの子供に同じ手順で同じことを教えるという昔の工業時代の教育観を基礎としています。しかし、現代は、子供たちの生活環境も学力も目標も多様化しています。このような中で、一斉授業を続けようとすれば、少人数学級や習熟度別クラスの方向に進まざるを得ません。しかし、それはただコストがかかるだけで、コストのわりに効果の少ないものです。また、コストがかかることによって、所得による教育格差を更に拡大します。
これらの現代教育の限界を克服する方法として考えられるのが、子供たちの自学自習を基本にして、家庭と地域で支えていく新しい形の寺子屋的な教育です。(つづく)
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