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作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信 as/1374.html
森川林 2011/11/01 15:56 


 作文の通信講座で、よく広告を出しているところがあります。朝日小学生新聞などに、月に何度も広告を載せています。顔写真に有名な評論家を使っているので、いかにもいい指導内容のように見えますが、それならなぜそのように頻繁に広告を出しているのかと思うでしょう。

 結局、宣伝でたくさんの生徒を集めても、それらの生徒がすぐやめていくので何度も広告を出しているということです。

 広告をたくさん出しているところは、一見活気があるように見えますが、実は、生徒の定着率がよくないということなのです。

 現に、言葉の森の通学教室は、この何年か宣伝らしい宣伝をしていませんが、生徒はずっと増え続けています。

 通学の教室の場合は、宣伝がなくても地元で実際に通っている人の評判を聞けますが、通信講座の場合は、評判がわからないからつい広告に頼るということがまだ多いのです。

 また、ネットの評判というのも、匿名の場合は宣伝の一環であることが多いのであまりあてになりません。



 このように宣伝に乗せられて勉強を始めてしまう子供たちはかわいそうです。

 一見カラフルで楽しそうな教材で勉強を始めてみても、低学年のうちは遊びのようなことばかりで実力はつきません。言葉の穴埋め問題のようなことをいくらやっても、それはクイズのようなもので、何の実力にもならないのです。

 そして、中高学年になって、実力をつける必要が出てきたときに、それまでが遊びのような教材だったので実力がついていず、続けられなくなってやめるというパターンが多いのだと思います。

 そういう子供たちは、実力がつかなかったばかりか、自分は作文が苦手だという意識を持ってしまいます。

 だから、作文の通信講座は、評論家の顔などにまどわされず、体験学習を実際に受けて内容をよく見きわめる必要があると思います。



 なぜ、こんなことをわざわざ書いたかというと、ここのところ続けてそういう相談があったからです。

「ほかの作文通信講座でやっていたが、結局全然できなくて」

という相談です。

 勉強は、低学年のときほど、最初の始め方が重要なのです。



 ということで、小中学生で作文の通信講座を受ける場合の比較の基準です。


1、体験学習ができるかどうか。

(何でも、実際にやってみなければわかりません)

2、先生からの電話指導など、確実に教えられる手段があるか。

(教材だけで勉強する形だと、穴埋め問題のような単純なことしかできません)

3、書いている途中書けなくなったときに、相談の電話などがすぐにできるか。

(作文は、特に途中で書けなくなるということが多いのです)

4、家庭で毎日取り組む自習のようなものがあるか。

(国語の実力をつけるには毎日の勉強が必要です)

5、中学入試、高校入試、できれば大学入試まで同じ先生で対応できるか。

(低学年の指導であっても、将来の指導に結びついている必要があります)


 教科の勉強は、教え方によってすぐに成績を上げることもできます。しかし、作文は、書き方を直すだけならだれでもできますが、実力をつけるように教えるということはなかなかできません。また、実際に作文力を上達させるには、かなり長い時間がかかります。

 ところが、世間の作文通信講座や、作文教室はそのあたりをあまり深く考えていないと思います。

 言葉の森が、小学校1年生から高校3年生まで作文指導をしていて、中にはずっと続けている子もいるというと、多くの人は驚きます。そして、高校3年生の子供たちは、東大、一橋大、早稲田大、慶応大などに合格しているのです。

【関連ページ】

作文の通信教育の教材比較 その1

作文の通信教育の教材比較 その2

作文の勉強は毎週やることで力がつく

作文教室、比較のための7つの基準

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他の教室との違い(22) 

記事 1373番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/25
豊かな日本を作るためにーー日本を再び教育立国に as/1373.html
森川林 2011/10/31 18:16 


 戦後の経済成長期は、世界中が物不足から脱出しようとしていた時期であったために、常に需要が供給を上回る傾向にありました。

 それは、なぜかというと、工業生産物そのものが発展途上にあったからです。例えば、最初はラジオであったものが、小さな白黒テレビになり、だんだん画面が大きくなり、やがてカラーテレビになるという製品自体の成長があったために、たえず新しい需要が作り出されていたのです。

 しかし、現代は、もうそうではありません。

 中国の13億の人口が、今、テレビの需要の巨大な吸引力となっていたとしても、それは1回限りの需要です。かつての日本が、ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビと成長していったような需要ではなく、最初からカラーテレビを手に入れ、あとは買い替え需要しかないという完成した需要なのです。

 そして、今日の工業国は、供給の側もまた完成しています。

 戦後の経済成長の時代には、供給の側もたえず設備を更新し、新しい製品を開発していかなければ、消費者のニーズの変化に対応することができませんでした。

 しかし、今新しく登場した工業国の供給の場合は違います。最初から完成度の高い製品を作るために、やはり最初から完成度の高い新鋭工場を新鋭設備で作ってしまうのです。だから、供給も1回限りという面を持っています。

 これからの時代を、アメリカから日本に工業生産力が移動していった歴史になぞらえて、日本から中国に工業生産力が移っていくと考える人がいます。それは、事実の本質を正しく見ていません。

 確かに、中国の13億という人口は巨大ですが、その人口が生み出す需要の大きさは、13億人の1回限りの需要であり、それに対応する供給は、最新設備の1回限りの供給なのです。

 1回目の花火のような需要が一巡すれば、次の買い替え需要まで消費も生産も一段落します。

 しかも、最新設備による最新工場は、資本さえ投入すれば、世界のどこでも人件費負担の少ないところを選んで設置することができます。ということは、需要がどれだけ巨大であっても、多数の供給者の競争によって、利益率は限りなく低くなります。

 インドでは既に、20万円の自動車、3000円のパソコンが作られています。大量の消費者に対して最新の設備を使って効率よく製造された工業製品の価格は、このようになるのです。

 だから、中国やインドでこれから始まる工業化は、日本がかつて経過してきた工業化と同じではありません。工業は、もはや利益を生み出さない産業になりつつあるのです。

 では、農業、工業の次に、日本が目指す産業は何なのでしょうか。それは、架空の金融産業ではありません。また、本質は工業である情報産業でもありません。そこで、価値とは何かという問題が出てきます。

 これからの日本は、真に価値あるものを作り出さなければなりません。その一つは植物の持つ自然の力を生かす農業です。もう一つは、人間の持つ創造的な力を生かす教育です。

 この、真に価値あるものを産業の中心に据えていくことが、これからの日本の政治経済の基本方針になるのです。



 では、人間が生み出す価値とは何でしょうか。例えば、子供たちをいいい子に育てることによって、その子たちが成人して穏やかな大人になり、犯罪など犯すようなことがなければ治安がよくなり、防犯のための無駄な支出が不要になります。

 警察も、裁判所も、法律も要らないとなれば、これまでそういうところで仕事をしていた人は、治安を守るという後ろ向きの仕事ではなく、もっと前向きの新しい仕事にとりかかれます。

 これが新しい価値の創造です。

 これは、架空の話ではなく、江戸時代がまさにそうでした。

 松尾芭蕉は、追はぎや強盗の心配をすることなく、日本中を旅することができました。

 江戸は当時世界で最も巨大な都市でありながら、警察は驚くほど少なく、ほとんどすべて住民の自治的なつながりの中で平和な生活が支えられていました。

 真の豊かさとは、こういうことなのです。

 また、子供たちが、能率のよい勉強の仕方によって短時間で早く学力をつけることができれば、知識を身につける勉強以外の、考える勉強、作り出す勉強に時間を割くことができます。

 そういう子供たちが成長すれば、どういう仕事をしても、その仕事の改善点を自分で発見して提案していけるようになるでしょう。

 更に、新しい科学時技術を開発するような人も出てくるでしょう。

 これが価値の創造です。

 農業が、植物の生命力を生かした創造なら、教育は人間の向上心を生かした創造なのです。



 世界の不況の根本原因は、工業に代わる新しい産業が、先進国で見つけられていないことにあります。多くの人は、過去の延長で考えているために、金融業、情報産業、医療、介護、観光、又は、海外への工業の移転、又は、国内での人件費削減のようなところに、日本の経済の打開策があるかのように論じています。

 しかし、そうではありません。時代は、もっと根本的なことを要求しているのです。それは、真の価値を生み出す分野を産業の中核に据えるということです。

 教育は、これまで、個人の受験競争のようなところで行われてきました。しかし、受験に勝つというようなことは、教育の枝葉の部分です。教育の本質は、人間の持つ創造性を開発することにあります。

 日本がこの教育分野で新しい教育を作り、それを創造的な新しい産業に育てていくことが、世界の経済の行き詰まりを打開する道でもあるのです。

 そして、日本が切り開いた経済の新しい分野に、工業化を完成させた途上国が続いて参入してきたときにも、工業のときに起きたような競争による利益率の低下は起きません。

 なぜなら、第一に、そこで生産しているものは、需給の関係によって相対的に生まれた価値ではなく、農業が生み出すものと同じような真の価値だからです。

 また第二に、人間の創造性が生み出すものは、工業製品に劣らない価格を持つことができるからです。例えば、パソコンが20万円で、自動車が200万円で、ピカソの絵が1億円、というような価格が可能です。

 人間の創造性が生み出すものは、今の資本主義的な価格の世界でも十分に工業製品の富に匹敵する力を持っているのです。

 農業は、いくらがんばっても、ダイコン1本が1万円というわけにはいきません(笑)。しかし、それは農業の生み出す価値が低いということではなく、農業が人間の生存という根本の価値に結びついているからです。

 そして、第三に、これが最も重要なことですが、教育によって人間の持つ創造性を開発するという産業は、需要者が同時に供給者になるということです。

 高いお金を払ってあるノウハウを身につけた人が、今度はそこに自分のノウハウを創造的に組み合わせて、より高く売る側に立つことができます。

 そのサイクルを社会全体で実現しているのが創造社会の姿です。

 需要と供給が分離されていずに、役割としていつでも交代できるから、工業時代にあったような過剰生産恐慌は、もう起こりません。また、過剰生産を緩和するために恒常的に行われていた有効需要政策ももはや不要になります。

 無理な生産も無理な販売もなくなり、穏やかにしかし永続的に進歩する社会が未来の産業によって作られるのです。

 今、全国各地で、農業を中心にした地域自給経済圏を作る動きが広がっています。これを農業という価値創造だけでなく、人間の教育という新しい価値創造に結びつけて取り組んでいくことが、日本の未来の社会を作る雛型になっていくと思います。

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森林プロジェクト(50) 

記事 1372番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/25
森林プロジェクトの漫画 as/1372.html
森川林 2011/10/27 19:06 


 森林プロジェクトの勉強の様子をわかりやすく漫画でかいてみました。



 従来の勉強は、先生が一方的に教える側で、生徒が受け身で授業を受ける側で、保護者は先生に任せる側でした。

 新しい勉強は、先生が全体の方向をアドバイスしながら、生徒が家庭での対話をもとに自主的に勉強の内容を深めていきます。

 そして、先生と親、親どうしのコミュニケーションを通して、子供はバランスよく成長していきます。



 最も大事な勉強の中身は、暗唱、読書、作文で、小学校1年生から日本語の力をしっかり育てていきます。

 日本語の学力さえついていれば、学年が上がってほかの勉強に取り組むときも、何でもすぐに身につきます。


先生「みんな書くこと決めてきた」

生徒「はあい」

先生「じゃあ、あっこちゃんから暗唱ね」

生徒「はい。すらすらすらすら……」

先生「ほかの人は、作文書いててね」

生徒「先生、作文書けました」

先生「いっき君、早いね。じゃあ、時間が来るまで本を読んでいてね。それが終わったら、作文を持って帰って、また来週の話決めてきてね」

子「お母さん、ただいま」

母「お帰りなさい。あとで作文見せてね」

夜帰ってきた父「お、面白いこと書いてるな。ひとことコメントを書いとこう」

子「グーグー」

朝ご飯の父「おはよう。今日の暗唱聞かせて」

子「じゃあ、言うよ。すらすらすらすら」

母「その話、おもしろいね」

日曜日の夕飯の父「じゃあ、次の週は何を書くの」

子「えーと、読んだ長文はこんなので……」

母「田舎のおじいちゃんたちにも聞けるね」

次の授業の日の生徒「先生、こんにちは」

先生「こんにちは。書くこと決めてきたかな。じゃあ、暗唱の練習して待っててね」

ときどき展示会。

先生「さあ、みんなの作文もかざったし。お菓子も用意したし」

展示会のあと、お父さんお母さんと。

親「みんな、どんな本を読んでる」

親「うちはねえ……。わいわいがやがや」


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森林プロジェクト(50) 

記事 1371番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/25
森林プロジェクトの目指すもの as/1371.html
森川林 2011/10/26 18:58 


 これまで、多くの子供たちの勉強の様子を見てきて痛感するのは、学力は家庭でほとんど決まるのではないかということです。

 もちろん、学校や塾で先生が教える教え方によって、成績が早く上がったりなかなか上がらなかったりということはあります。そこだけ見ると、先生の力は大きいように見えますが、しかし必ずしもそうとは言えません。

 先生は、植物の栽培で言えば、花を咲かせる段階のテクニックを知っているのです。

 私(森川林)も、子供たちの国語の成績を上げたり、作文小論文を上手に書かせたりすることはできます。しかし、それはテクニックです。誰でも同じことができるようにその方法はすべてホームページで公開していますが、実際にはやりなれていないと自信を持ってできないので、特別な技術のある人しかできないように見えるのです。

 しかし、先生が、教え方の技術によって子供たちの成績を上げることができるように見えても、そのテクニックが生きてくるのは、その子のもともとの実力までです。つまり、植物で言えば、張っている根っこの力の範囲までしかいい花を咲かせることはできないのです。



 では、その家庭の教育力とは何でしょうか。それは、できる人には簡単にできるが、できない人には全く難しく見える、家庭での習慣作りです。その習慣作りの最初の方向と方法さえ間違わなければ、どの子も実力がつき、いい子に育ちます。

 実力のある子は、必要に応じて勉強を始めると、すぐに成績が上がります。逆に、小中学校時代に、成績を上げることに目を奪われ、実力をつけることをおろそかにしていると、みんなが勉強を始める時期に、逆に成績が低下してきます。

 小中学校時代の勉強は、成績を上げることではなく実力をつけることです。

 わかりやすい例で言うと、小学生の子に、国語の勉強としてドリルのようなものをさせる人も多いと思います。問題を解く勉強を毎日する習慣がついたとしても、これでは実力をつけていることになりません。

 国語の力をつけるためには、問題を解くよりも読書と対話に時間を割いた方がいいのです。

 国語のドリルをやっている子は、学校や塾の国語のテストも要領がわかるので、最初のうち、少しは点数がいいかもしれません。しかし、学年が上がるにつれて成績が上がっていくのは、国語の問題集などせずに、読書を楽しみ、家族と対話をしていた子の方なのです。

 算数、数学でも、同じです。できる問題も、できない問題も、ただ枚数や時間を決めて解くだけという勉強の仕方をしている子は、たとえ毎日算数の問題を解く勉強をしていても力がつきません。できない問題だけをできるようにするという教材の選択の仕方が大事なのです。

 これは、勉強以外のさまざまな生活習慣についても同様です。例えば、食事中はテレビを見ない、ゲームの時間は制限する、朝起きたらあいさつをする、イスにはまっすぐに腰かける、いい言葉づかいをする、などということは、実行している家庭では全く何の特別なことでもなく、ごくあたりまえのこととして続けています。しかし、それができない家庭では、親が子供に何度言ってもできない難しい問題になっています。

 そして、こういうことが、子供の勉強力の根っこになっています。根がしっかり張っている子は、その根の力の範囲まですぐに花を咲かせることができるのです。



 そこで、言葉の森で考えたのが、森林プロジェクトです。

 言葉の森では、週1回作文の勉強を教えていますが、週1回の授業を充実したものにするのは、家庭での毎日の自習と予習です。

 子供を育てるのは、先生だけでも親だけでもなく、先生と親との協力です。そして、どちらが大事かと言えば、もちろん家庭で毎日接している親の方です。

 だから、家庭で毎日行う自習と生活習慣作りを中心にして、そこに、教え方のノウハウと教材を組み合わせて、親が先生の代わりをして子供たちを教えるという形の勉強法を考えました。

 しかし、子供というのは、友達との集団の中で勉強するのが好きです。勉強が楽しいという子はあまりいませんが、友達と勉強するのが楽しいという子は多いのです。

 そこで、親が自分の子供を教えるだけでなく、その子の友達も呼んで、近所の仲のいい子と数人で勉強するようにします。そのために、教材はかなり低価格に抑えます。

 お母さんは、自分の子供を教え、一緒に近所の子供も教え、集団の中で教えることで子供たちの勉強意欲を引き出すことができます。

 また、教えるのは近所の子供ですから、その子の親にも家庭での自習をうまく勧めることができます。こうして、自分の子供と近所の子供が、本当の実力をつけることを目指した教育を行っていくのです。

 このようにして子供たちを教えていく中で、やがて教えることに優れた能力を発揮するお母さんも出てくると思います(もちろん、お父さんでもいいです)。そういうお父さんやお母さんは、その地域で集会所や公民館などを利用して、より大勢の子供たちを教えていくこともできます。

 また、それほど大人数にならなくても、子供の勉強を通して近所の人たちと家庭のつながりができるというのは魅力のあることです。

 特に、言葉の森が教えている勉強の中心は作文ですから、近所の人たちが集まって、子供たちの作文の発表会などを行うことができます。また、言葉の森が毎日の自習として行っている暗唱を生かして、暗唱発表会などを開くこともできるでしょう。

 普通の子供の集まりであれば、例えばバーベキューなどを行ってもみんなで楽しく遊んでおしまいですが、作文の勉強という知的な共通点のある集団では、親も子も密度の濃い話ができます。

 例えば、子供たちが読んでいる本を紹介し合い、貸し借りをするようなことも自然に行われるでしょう。内容のある話を交わす大人たちの間で育つ子供たちは、人間関係のコツなども自然に学んでいくでしょう。



 子供のバランスのよい成長には、複数の大人が必要です。どんなに優れた親であっても、一人の親が一人の子供を育てているのでは、必ず偏りが出てきます。(しかし、母子家庭、父子家庭の家もあると思うので、そのことについてはあとで述べます)

 例えば、厳しい父親は、子供をしっかりした子にさせる力がありますが、同時に自由なのびのびとした子に育てるのは難しい面があります。反対に、優しい母親は、子供をのびのびと育てる力がありますが、いざというときにくじけずにがんばる子を育てる面はやはり弱いのです。

 だから、子供の教育には、父親も母親も大事なのですが、更に、父と母だけでは不十分なこともあります。

 複数の家庭が子育てで共通点を持つと、ある家庭は、野山でキャンプをするワイルドな経験を伝えてくれるでしょう。ほかのある家庭は、工場見学のような物作りの楽しさを伝えてくれるでしょう。またほかのある家庭は、カラオケ大会のような自分で表現する楽しさを伝えてくれるでしょう。

 このような複数の家庭の交流の中で、バランスのとれた子供たちが成長していくのです。

 だから、母と子、父と子だけの家庭でも、対策は同じです。親が、親子の関係の中に、ほかの大人や子供と一緒にいる機会をできるだけ作っていけばいいのです。

 これは、しつけについても言えます。

 親は、自分がその親からしつけられたことまでしか子供をしつけられません。早起きの習慣のない親が、子供を早寝早起きにできないように、すべてのしつけは、親ができていなければ子供に教えることはできません。

 しかし、他の家庭の子供と一緒に遊んだり勉強したりすれば、しつけはいちばんよいものが無理のない形で共有されていくのです。

 こういう、子供たちの学習を中心とした近所の結びつきが自然にできるというのが、作文や国語の学習の特徴です。



 勉強の内容は、作文や国語にとどまらず、算数数学や、英語や、音楽や、体育にも広がっていきます。すべての習い事には、教え方のポイントになるものがあります。その勘所さえ押さえれば、楽に上達するという秘訣があるのです。

 ところが、多くの習い事の教室は、子供たちの興味を引きつけるための面白おかしい外見に力を入れてしまい、肝心のポイントは二の次になっています。それは、外見に力を入れないと売れないからです。

 ところが、親が自分の子供のために教えるのであれば、そのような外見は必要ありません。ただ本質的に大事なことをしっかり教えていくだけでいいのです。国語の学習の場合で言えば、それは読書を中心にした対話、暗唱、作文です。

 言葉の森は、国語力以外の子供たちの成長のニーズに応えるために、さまざまな教材を開発していく予定です。それは、外見よく売るための教材ではなく、本当に必要なエッセンスに絞ったものになります。

 わざわざ遠方まで、高い月謝と時間をかけて、いい先生のもとに通わなくても、自分の家でほとんどのことは、もっと簡単に身につくのです。


 さて、このときに必要とされるのが大人の創造性です。

 言葉の森の作文課題のいろいろな長文を見ているうちに、もっといい長文を自分が子供たちのために書いてあげたいという人も出てくると思います。さまざまな教材や教え方をどう改善したらよいかということは、実際に自分の子供を教えている親がいちばん敏感にわかるからです。

 そういう親の自主的な教材改善の力で、家庭学習は単なる学習塾や習い事教室の代替物ではなく、それらの外部の機関に委託するよりもはるかに優れた教材力、指導力を持つ学習機会になっていくでしょう。




 日本ばかりでなく、これからの世界は、大不況に突入すると言われています。

 必要経費をいろいろ削ったとしても、子供の教育にかけるお金は削りたくないと思っている家庭は多いでしょう。しかし、お金をかけなければいい教育ができないと思うのは錯覚です。

 昔は、貧しい家庭の中から、多くの優れた子供たちが生まれました。極貧の中で成長し、世界に通用する立派な科学者になったり政治家になったりした人もいました。

 それは、家庭と地域に教育力があったからです。子供たちは、学校に通う前に、家庭と地域でしっかりと学力の根を張っていたのです。

 今、親の年収と子供の学歴が比例するような状況が生まれているのは、教育にお金がかかるからではありません。家庭と地域の教育力がなくなったために、外部の機関に教育を委託せざるをえなくなったからです。

 だから、委託の費用を出せる家庭でなければ子供にいい教育を受けさせることができないのではないかという勘違いが生まれてきたのです。




 さて、子供たちの教育を中心としてできた結びつきは、子供たちが大きくなってしまっても更に発展していく可能性があります。それは、つながりのある大人どうしで新しい教育を作り出すことです。

 実は、教育とは、農業、工業に続く、未来の新しい産業です。世界の経済が行き詰まっているのは、工業のあとに続く産業が先進国で開発されていないからです。多くの人は、未来の産業を、金融工学産業、情報産業、環境産業、宇宙産業など、工業の延長でしか考えていないので、出口が見つからないのです。

 原点は、真の価値のあるものは何かということです。

 農業は、真に価値のある産業です。それと同じように、人間の創造性こそが最後に価値のある産業になります。つまり、教育(といっても、受験競争に勝つための教育ではなく、人間の創造性を開花させるような教育)が、未来の産業の中心になるのです。

 その動きは、既にさまざまな形で生まれていますが、それを更に加速させるのが子育てを終えた親が集まって互いに自分の得意なものを教え合う社会人の創造教育です。

 この創造教育を新産業として拡大すれば、日本は世界の低迷した経済から一歩早く抜け出せます。

 工業生産は、今は、設備投資さえすれば、どの国でもできるようになっています。日本がそれに対抗して、生産拠点を海外に移したり、国内の生産で人件費負担を減らすために派遣社員化したり外国人を雇用したり、逆に門戸を閉じて鎖国的な政策をとろうとしたりしていては、世界の経済は停滞を続けるだけでしょう。

 日本は、工業の先にある産業、つまり人間の創造産業を切り開いていく必要があります。



 生きた組織とは、内部で富を作り出している組織です。趣味の集まり、上から形成された集まり、補助金や寄付によって運営されている集まり、などはいくら大きな組織であり、長年続いていて重要な役割を果たしている組織であったとしても生きた組織とは言えません。入力以上の出力があるのが生きた組織です。

 それは、生きた生物の定義と同じです。その点で、生きた組織の代表的なものは、ひとつには正当に利益を上げている企業です。もうひとつは国民に支持されている国家です。その生きた国家を支えるものは、国家と個人の間に存在する無数の生きた組織です。

 寺子屋のような教室は、子供たちを育てる教育を行うという点で富を生み出す生きた組織です。

 この組織を更に発展させて、大人どうしが自分の得意なものを教え合うだけでなく、その地域の長所を生かした特産品を作り、それを他の地域に販売できるようになれば、その産業を通じて地域自体が生きた組織になります。

 日本全国にその土地の風土や歴史を生かした産業が生まれ、生きた地域によって支えられた生きた国が作られていくというのが、日本の未来の姿です。そのとき、国家は、よそよそしい権威とルールを押しつけるものではなく、真に国民のための国家となるでしょう。

 日本が創造産業を作り出すことによって、初めて世界経済は再び豊かに動き出していきます。しかし、日本の役割はそれを世界に広げることではありません。

 新しい創造産業は、自然に世界に広がります。日本のすることは、まだ先の可能性が無限にある未来の創造産業をただひたすらに前進させていくことです。

 そういう創造の可能性に満ちた社会の一歩手前に、今、私たちはいるのだと思います。



▽「森林プロジェクト」のページ
https://www.mori7.net/shine/

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森林プロジェクト(50) 

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9月4週の森リン大賞(中2-高校生の部) as/1370.html
森川林 2011/10/20 19:19 



 9月4週の清書で、学年別の森リン大賞になった作品のうち、代表的なものをいくつか紹介します。

 森リンは、言葉の森が開発した自動採点ソフトです。森リンの点数は、学年が上がるごとに少しずつ上がっていきます。それは、考える力がつくと、作文に使う語彙のレベルも自然に変化してくるからです。

 今回は、中2と高校生の作品を表示していますが、高校生の生徒の作文の方が平均して1-2ポイント高くなっています。1位の作文について言えば、中1の生徒が86点、高校生の生徒が91点です。わずかの点数の差のように見えますが、この差が実は大きいのです。

 どちらの作文も、その学年の生徒としてはよく書けています(80点台後半の点数は、かなりよく書けている作文という目安になります)。また、内容もやわらかい話なので、同じように読みやすいと思います。しかし、文章から受ける印象が少し違います。その微妙な違いが森リンの点数の差として出てきています。

 中学生以上の生徒は、この森リンの点数を上げることを目標に作文の勉強をしていくといいと思います。

 なお、小論文の自動採点ソフトは、既にアメリカでは高校の卒業試験に使われるなど実用化しています。ただし、ソフトによる採点ですから、個々の作品の評価は、必ずしも人間の評価とぴったり一致するものではありません。しかし、全体を通してみると、人間の評価と大きくははずれていないということで利用しているようです。

 このアメリカの自動採点ソフトの開発費用は、100万ドルだったそうです。言葉の森の森リンの開発費用は、プログラムのプリント代の数千円です(笑)。しかし、アメリカの自動採点ソフトと森リンとでは、文章の評価に関するアルゴリズムが違います。

 アメリカの自動採点ソフトは、下手でない文章(例えば新聞の社説など)を大量に集計してその平均値を上手な文章と見なすという考え方で作られています。森リンは、上手な文章とは何かということをこれまでの上手な作文のストックから定義して、その定義をもとに評価しています。




9月の森リン大賞(中2の部70人中)

経験で判断
ピルル

自分で判断し決断し行動することは、簡単なようにみえて、じつはとてもむずかしい。大勢の意見に依存することは、自分自身で判断するより、はるかに気楽である。しかし、われわれが社会生活を送っていく以上、自分で考え、自分自身で判断しなければならないことは当然のことである。それなくして、一般的な社会生活を送ることすら困難と言っても過言ではない。

 自分で物事の判断をしたり、自分の力で行動することは大切だ。自分一人で行動ができなければ、他人が力をかしてくれる状況にないとき、その状態をのりきることができない。私が小学校の6年生くらいのとき、国語の授業でグループをつくり、リーダーを決めて、それぞれのテーマで調べ学習をさせて、発表、ディベートをするといったことをよく行った。グループのリーダーは立候補式だった。私の通っていた小学校は、児童の数が少なく、私の学年の1クラスだけだった。1クラスで6年間一緒にいるわけだから、どの子がしっかりしていて、皆をまとめるのが上手であるかということも決まってくる。そんな中で立候補式でリーダーを決めるから、リーダーになる人も立候補する前から大体きまってしまっていた。つまり、集団の中で、物事を順序良く運ぶことのできる、自分で考える人にその他の人は見事に依存してしいた。私もそんな中でリーダーというものを何度もやらされていた。グループの中には、
「♯※ちゃん、Å$について調べるから、秋の天気について調べてね。」
と私が指示を出しても
「どうやって調べればいいの?秋の天気って何を調べればいいの?」
と、しごく初歩的なことを聞いてきたり、いちいちすごく細かいところまで指示を求めてきたりすることが多くあった。まとめの文章をそれぞれの人に書いてもらうときも、何をどう書けばいいのかも分からず、結局は時間がなくなって、私の言うことをそのまま書いたりすることもあった。ひどい場合には、ふざけてばかりいて、自分の仕事を他人にすべて任せているような子もいた。このように、自分で決めたり、考えたりすることができない人は、依存できない状況になったとき、何もできなくなってしまう。そして、自分をとりまく状況が悪くなってしまうのだ。

 反対に、年齢や状況によってはやるべきことを与えられるほうがよい場合もある。私の通っていた幼稚園では、朝は運動をして、次は歌を歌い、そして計算や迷路のプリントをやって・・・というふうに、やるべきことが与えられていた。私の両親が地元の幼稚園ではなくその幼稚園を選んだ理由は、地元の幼稚園ではやるべきことが園児に与えられていなかったからだ。だから、地元の幼稚園の園児は手持ちぶさたで、ぼんやりとしていたらしい。幼稚園に通うような、小さな子供は、経験や知識をたくさん吸収することができる。また、小さい子供は経験が積まれていないため、家と環境の違う幼稚園で何をしたらいいのか分からないという子もいるだろう。そんな時期には、質の良い経験、例えばいろいろな折り紙の折り方や、歌、植物や動物の名前、工作の仕方や行事をさせてあげたり、教えたりすることが大事だ。それにより、小学生くらいになって、主体的に行動しなければならない時になって、
「あのときこうやったから、そのやり方でこうしてみよう!」
というふうに、積まれた経験をもとに行動することができる。またいろいろなことを教えることで、興味を持ったことは自分から教えてもらおうとしたり、調べたりするようになる。時期や状況によっては、やるべきことを与えられたり、教えられることも必要なのだ。しかしそれをあまり長く続けてもいけない。

 自分で考え行動することと、他人から指示を受け行動すること、どちらも大切だ。しかし、もっと大切なのは、「始めることは大切だが、やり遂げることの方が、もっと大切である。」とあるように、目的や必要な事をなしとげるための力を養い、努力を続けることだ。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1経験で判断ピルル86162357657492
2絶対・相対ことのは85127158949687
3開国をせまられた幕府きんぐ84122256909786
4新しい文化なるか84105456778590
5いろんな文化魔王ハデス84105761868184
6自分で判断し行動するBOY84109064656792
7自分自身の決断あまぐり84120057636393
8自立と他人の尊重織田信之助8399663757193
9ニセモノの自分では意味がないきぬこ82110753768783
10絶対と相対fuga8295656717890



9月の森リン大賞(高1高2高3社の部132人中)

家畜化と創造性
えてよ

 家畜は人に飼育されている。人は人が作った社会制度に飼われている。家畜は人から食物を供給されている。牧場などで飼われているので生活空間や場も与えられている。人間も似ているところがある。いつも同じ時間に起きて会社と自宅を往復して一日を終える。社会制度の枠組みにがっちりとはめ込まれている。そのように枠組みにはめ込まれ方がひどくなってきていて、自己家畜化が進んでいる。本物の家畜は一見放牧されていれば自由に見える。しかし見る目を少し引いて見るとそれは人工的な牧場という枠の中だけの自由で本当の自由ではない。人間は自由のように見えるが以外と忙しいく自由なことは本当に少ない。人は家畜化するのではなく、もっと自由にいきるべきだ。

 自由に生きたい。しかしこの社会では難しい。一人だけで動くことは統率を破り、他の人に迷惑を与えかねない事態にもなりうる。学校は代表例と言える場所である。朝決まった時間に学校に行き、時間になればお昼ご飯を食べ、家に帰る。一日の動きが皆一様に同じで部活や塾なんかはその決まったスケジュールのオプションでしかない。要するにみんなが同じことをしていて他の事は無視できるほどの差異しかないということだ。放課後を部活で運動をするか、絵を描いているか、塾で勉強をするかでは大差ない。さらに基本的に挙げたこれらはさらに家畜化をしている時間が単純に増えているだけである。しかしこんな生活はもういやだと言って投げ出し、自由を叫びながら生活をしてもそれは成り立たない社会であるが自由な生き方を忘れないように生きていくことは大切な考えだ。

 国民総番号制度という考え方がある。これは国民一人一人に個体番号を与えて国など行政が行うサービスを確実にするための考え方だ。この発想の良いところは行政サービス全般を国民ならば誰でも漏れなくしっかり受けられるところである。外国に行って何かあってもすぐに身元も判明しやすい。しかし、個体別にそれぞれの番号を付けるのはすでに家畜ではすでに行われている事である。この考え方は人が人を支配、管理することを最終目的にしている。人を家畜と同じように管理する制度の最終形態はどんなものだろうか。それは番号ではなくバーコードという話もある。体になんらかの方法でバーコードを印刷する。そのコードを基に個体を識別する。人々の自由は束縛される一方である。

 確かに家畜化されることにもいいことはある。日々生活を規則正しく生きるので一日の時間を効率よく使えるからだ。学校が毎日あるからこそ朝早く起きれることもあると思う。学校が長期間の休みになるとどうしても学校がある普段通りの生活は出来なくなってしまう。また社会的に秩序を保つためにも皆が同じような動き方をしなくてはならない。ヒトはペットなどと同じように動物として生まれてくる。しかし人は動物ではなく物事を考え想像し創造する人になるのだ。新しい発想や考え方、独創的な発案は自由な生き方から来るものだ。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1家畜化と創造性えてよ91123164848889
2費やす価値のある人生を!のんちゃん88250867819889
3高齢社会との付き合い方だるまー881447578989100
4高齢化社会の中でトウモロコシ88153657698092
5環境問題いすも87147059869287
6相手の基準ちな87103761798192
7隣の芝生は青いキリコ86121158758589
8「何ごとぞ花見る人の長刀」T・M86129256908489
9近所付き合いちえのわ86206584708186
10お互いの理解かはふ84116958708486


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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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9月4週の森リン大賞(小6-中1の部) as/1369.html
森川林 2011/10/19 15:40 



 9月4週の清書で、学年別の森リン大賞になった作品のうち、代表的なものをいくつか紹介します。

 森リンは、言葉の森が開発した自動採点ソフトです。森リンの点数は、学年が上がるごとに少しずつ上がっていく傾向があります。それは、作文に使う語彙が増えるとともに、考える語彙の割合が増えてくるからです。

 今回は、小6と中1の作品を表示していますが、中1の生徒の作文の方が平均して1-2ポイント高くなっています。1位の作文は、小6の生徒が84点、中1の生徒が86点です。これが高校生になると、90点近くになる作品も出てきます。



9月の森リン大賞(小6の部119人中)

短所は長所?
ぴょんぴょん

「ねえ、私の長所って何かなあ。」
私が母に聞くと、
「ええと......。手先が器用なことと、周りに気を配れることかな。」
と、母は私の長所を二つも挙げてくれた。私の長所は、今母が言った他に「想像力が豊か」なことと「前向きなこと」だと思う。短所は作業などが「雑」なことだ。私にはあまりうれしくない話だが、妹と同じ作業をしてみると、私の方がテキパキしていて作業が早い分、はっきり分かるくらい雑だ。しかし、私がこの作文を書いて分かったことは「短所は長所」ということである。私は自分が「雑」だ、という短所しか見ていなかったのだが、これは裏を返せば「仕事が早い」という長所にもなると気付いた。また、私には「あきっぽい」という短所もあるが、これは自分のしゅみに生かされていると思う。私にはマイブームがあって、二ヶ月おき位にハマったり夢中になることが変わる。これは季節にも左右される。今まで、歴史、登山、音楽、物語や詩を作ることなど色々なことにチャレンジしてきた。同じ事を長い事続けられるタイプの人もいるが、私はそうではない。初めはあきっぽい性格を直したいという事を考えてばかりであったのだが、最近は私はこの短所のおかげで色々な知識を得てとても楽しいことに気が付いた。

 「長所」や「短所」は自分を深く見直してみたときにはじめてはっきりと分かってくるものである。少し例はちがうが、私は自分の「自画像」をを描くのがとても上手い。どうしてかというと自分の顔のことを良く知っているからだ。今までに描いてあった自分の姿を見て、共通しているのは「優しそうな印象」だと気が付いた。自分で言うのはちょっと照れくさいけれど本当に自分は、「優しい」ところもあるのだとそれも長所に数えられる。そして、明らかにちがっているのは年が上になるほど意志が強そうに見えることだ。本等に顔が変わってまるで別人のようだった。多分昔の私が今の私を見たら、「ええーっ。これが私なの。信じられない。」とびっくりすることだろう。私は自分でも思ったことをはっきりと伝える、しっかりした性格になってきたと思っていたので、これはほんとうにうれしかった。ついでにこれも長所に加えたい。心の中で自画像を描けば長所がどんどん見えてくる。

 母の長所は、周り(人)に気を遣って動けること。短所はストレスがたまりやすいことだ。こと結果を聞いたとき、私は
「私とほとんど一しょじゃないっ。」と大声を出してしまった。実は、私にもストレスがたまりやすいという「短所」が会あったのだが忘れていた。私がストレスがたまらないのは、友達としゃべって発散しているのもある。だが、大きな理由は母とたくさんしゃべっているからだ。そのおかげで毎日ニコニコしていられる。母に、毎日ありがとうと言いたい。ところで聞いてみると、母のストレス解消法は「長いお風ろ」なのだそうだ。今まで渡しは母の長いお風ろは、
「ねぇ、早く出ようよ。ふろふろになるよ。」と急かしていたのだが、ストレス解消になっていたのか、とおどろいた。やっぱり短所は長所。もし私が母だとしても、何かリラックスはほしくなると思う。人の長所も、その人のことを思いやって考えないと見つからない、と学んだ。

 人間にとって、長所、短所は自分のそれぞれ良い見方と悪い見方である。どちらか一方で人を決めるのはよくない。「玉みがかざれば光なし」ということわざもあるように、自分でも他人でも長所の「玉」をみがいていく人が必要である。自分の評価だけでなく、他の人のことも良い方の見方を使おう。私もこれから、そうしていきたい。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1短所は長所?ぴょんぴょん84148751547286
2私は長所より短所の方が47.2%増みっくまっく80118947848981
3チャンピオントレジャーハンター8083141788487
4長所と短所の関係moja80111047537186
5一番を目指してりょうたろう791593477310087
6文化的カプセルようタイガース7989544708986
7私の長所、短所アレックス7990547717979
8カプセルからでよう!ききほ78119247699889
9例外のない規則れたす78101864506284
10文明がいあ7679048628281



9月の森リン大賞(中1の部93人中)

暗黙の了解
はるりん

 花、月、雪は日本人の自然観賞の基本になっている。この三つにはどれもうつろいやすいという共通点がある。大体日本人は「見る」と言うことに重要な意味を与える。自分の目で見なければ、認識の根拠としてすこぶる薄弱だとする意識がある。さらに言えば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立しているのだ。「見る」と言うことは、日本の独特のコミュニケーション方法なのだ。私は、子のコミュニケーション方法は良いと思う。

 そう考える第一の理由は、同じものを見た人は、だれでも同じ事を理解することができるからだ。同じものを見て、言葉を発さなくても心の中で通じ合う、ということだ。同じものを見れば、自然と心が通じ合ったような気になるのが不思議なところだ。同じものを見る以外にも、同じ事をするとこのような気分になる。私の通う中学校には合唱コンクールがある。クラス対抗なのだが、学年が上がるにつれ、とても燃えるのだ。きっと、同じ事をして団結力のようなものが感じられるのだろう。同じものを見ているというのも一体感が生まれて、お互いを理解しあえる。日本人は、あまり気持ちを言葉に出さない。その分、心を通わせて気持ちを通じさせる。心を一つに!というフレーズは日本人にしか通じないのかもしれない。

 第二の理由は、コミュニケーションを取ることで、やさしい気持ちが生まれるからだ。相手の気持ちが分らない分、相手に対してやさしい気持ちで接することができる。これは、動物に対してもそうだと思う。動物は、話すことが不可能だ。人間が動物と接する時は動物の気持ちを考えなくてはならない。お互いの気持ちを尊重するということだろう。何も言わないから、自分の思っていることを相手に伝えられないので、自分の気持ちは相手の判断に任せるしかない。分かってもらえるという考えを持っているのだ。つまり、相手を信頼しきっている。この信頼によって、やさしい関係が生まれるのだ。この優しさを生む信頼関係は、心を通じ合わせることのできる日本人だからこそ作ることができるのだ。私の入っているチアリーディング部は、スタンツと言う技に信頼関係は欠かせない。コーチがいつも言っていることだ。息を合わせなければ、TOPの人はバランスを崩し、落ちてしまう。かといって、大きな声でカウントを取るわけにもいかない。心の中でカウントを取って、みんなと合わせるのだ。

 確かに、言葉ではっきりと相手に伝えた方が誤解も生じにくいし、何よりもどかしくなくていいかもしれない。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われている時である」と言う名言があるように、言葉を使わない日本人独特のコミュニケーション法も様々な利点があっていいと思う。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1暗黙の了解はるりん86112958737689
2見えない殻ブレイド83105858727186
3日本人の「見る」力ふっくー83103556647192
4ぼくの長所短所小林少年83115857616789
5…コミュニケーションコレルリ82122348527283
6自己家畜化の理由けん道少年8083552677590
7人間は飼育されているくまのプーさん8090957607290
8ヒトは本来,縛られていないまかじろう8087658647293
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暗唱と理解 as/1368.html
森川林 2011/10/17 19:19 



 覚えることは、理解することと正反対のように思われています。

 確かに、丸暗記しただけのものは、テストが終わればすぐに忘れてしまいます。その反対に、理解して身につけたものは、あとあとまで残ります。

 しかし、理解にも、浅い理解と深い理解があります。ある文章を読んでそこに書いてあることを理解したつもりになっても、あとで読み返すと、もっと深く読み取れるこということがあります。理解することを目標にすると、かえって浅い理解で終わってしまうこともあるのです。



 では、深い理解をするためには、どうしたらいいのでしょうか。

 ひとつの方法は、国語の授業で先生が深く説明をするような方法です。しかし、この方法の弱点は、(1)先生の名人芸が必要、(2)時間がかかる、(3)少人数にしか教えられない、というところにあります。そして、生徒自身が、先生に教えてもらうという受け身の形になりやすいということもあります。

 もうひとつの方法は、繰り返し読んで丸ごとその文章を自分のものにするという方法です。何度も繰り返し読んでいると、理解できないことも含めてその文章が自分のものになってきます。すると、何かのきっかけにその内容がより深く理解できるというようになってくるのです。

 この方法の長所は、だれでもいつでもできるということにあります。難しい本であっても、教えてくれる先生がいなくても、何度も読んで自分のものにしてしまうという方法だからです。



 具体的には、同じ本を繰り返し読む、同じ長文を繰り返し音読する、又は暗唱するという方法です。

 中でも、文章を丸ごと暗唱するという方法は、密度の濃い繰り返しの勉強法です。簡単な文章でも難しい文章でも、何度も読んで暗唱できるようになると、必ず最初に読んだ読み方よりも深く読み取れるようになってきます。

 その証拠に、一度だけ読んで理解した文章を子供に説明させてみると、細かい部分は意外と正確なのに大きな幹の部分がどこかわからないような説明の仕方をすることがよくあります。

 その逆に、何度も読んだ文章を説明させると、自分の言葉で自由に説明でき、質問にも自分の言葉で自由に答えることができます。ちょうど通いなれた道を気楽にお喋りしながら歩いていくような感じで説明することができるのです。



 国語の勉強法がよくわからないという人がいます。読解問題の解き方のコツのようなことは、授業で説明することができますが、それ以前の読む力をつけるための読み方をどのようにしたらいいかわからない人が多いのです。

 その方法は、繰り返し読むことです。

 繰り返し読むというだけでは単純すぎて張り合いがないという人は、暗唱の練習から初めてみるといいと思います。暗唱は、繰り返しの回数を決めて音読していけばだれでも簡単にできます。難しい文章を丸ごと暗唱できるようになると、文章に対する理解力がついてくるとともに、文章の表現力もついてくるのです。

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暗唱(121) 

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付箋読書の仕方(何冊もの本を並行して読む) as/1367.html
森川林 2011/10/13 17:45 


 子供は、読書を1冊ずつするものだと思っているので、ある本が終わってから次の本を読むという読み方をします。すると、途中で自分のあまり興味のわかない本にぶつかったとき、そこで読書が進まなくなってしまうことも出てきます。

 本は読みかけでもいいのだと割り切ると、読書の能率が上がります。また、分厚かったり難しい内容だったりしてなかなか読めない本でも、途中まで読めばいいのだと考えると気軽に手に取ることができるようになります。その結果、読書量が増え、読みにくかった本も自然に読めるようになるのです。

 日曜日などで時間があるときに、それまで読みかけだった本を十数冊積んでおき、次々に読むようにすると読書がはかどります。次々に読むといっても、2、30ページ読んだら、次の本に移るという読み方をして、それを何周も繰り返すのです。

 興味のある本でも1冊をずっと通して読んでいるとくたびれるものですが、十数冊の本を少しずつ次々と読んでいくと、なぜかほとんど疲労を感じません。

 そういう読み方をするときに役に立つのが付箋読書という方法です。この付箋読書のコツがわかると、ふだんの読書の能率も格段に上がります。それは、いつでも気軽に読みだすことができ、いつでも気軽に中断でき、またいつでも気軽に再開することができるようになるからです。

【言葉の森式 付箋読書の方法】

▽1、読み始めのページの右上に付箋を貼る。


▽2、読み終えたページに、最初の付箋から下に少しずらして次の付箋を貼る。



▽3、次にまた読み始め、読み終えたページに、前の付箋から下に少しずらして次の付箋を貼る。(つまり階段状に付箋を貼っていく)



▽4、途中をとばして、別のページを先に読みたいときは、その読み始めのページの右上に付箋を貼る。



▽5、横書きの本の場合は、本の左上に縦に付箋を貼る。



▽6、横書きの場合も、階段状に付箋を貼っていく。



▽7、本をたたんだときも、外からどこまで読んだかがわかるので、続きを読む気になりやすい。



▽8、日曜日などで時間のあるときは、たまっている本を10冊ぐらい次々に2、30ページずつ読むことができる。(こういう読み方をすると長時間読んでもくたびれない)













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●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
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●小学1年生の作文

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●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
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●入試の作文・小論文対策
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●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

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●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
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