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「学習の手引」の記事を簡素化するために、「思考力を育てる暗唱」はホームページの方に掲載します。
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記憶や反復や音読や暗唱が、理解や思考と相反するという考えを持つ人がいます。例えば、丸暗記という言葉には、自分で考えない、表面的な知識だけ、というニュアンスがあります。暗唱も、この丸暗記と同じようなものだと考えている人もいます。
しかし、記憶が、思考に対して弊害になるのは、その記憶が徹底していないときです。つまり生兵法の記憶、一夜漬けの記憶のときに記憶が弊害になるのです。消化され自分のものになった記憶は、思考を深める役割があります。
例えば、九九というものを考えてみるとわかるように、ほとんどの人は、九九を消化しているので記憶による弊害というものを感じません。しかし、九九を覚えかけているときは、九九を使うことによって実感よりも劣る面が出ていたこともあったのです。
お菓子を分ける
(九九もうろ覚えのときは、体験のブレーキとなることがあります)
同様に、言葉も、覚えかけのときの言葉は、実感よりも劣る面があります。未消化の言葉によって、体験がかえって浅くなる時期があるのです。しかし、言葉が消化されたあとは、体験は言葉によって深くなります。
暗唱は、言葉による物の見方感じ方考え方を蓄積することです。
しかしもちろん、暗唱以外にも、言葉を蓄積する方法はあります。例えば、たくさんの話を聞くこと、たくさんの本を読むことです。多くの話を聞いたり多くの本を読んだりすることによって同じ文章に触れる機会を増やすことができます。つまり、同じ文章や同じ文脈に何度も触れることによって、理解するための言葉が表現するための言葉になっていくのです。
この表現語彙と理解語彙には、大きな違いがあります。例えば、英語を読む力を10とすると、ほとんどの人の英語を書く力は1程度のはずです。誰でも名作を読んで感動することができますが、同じような名作を書ける人はほとんどいません。理解語彙のレベルと表現語彙のレベルは大きく異なるのです。
消化された表現語彙を蓄積する方法として、日本人は暗唱というやり方があることを知っていました。九九、百人一首、いろはガルタ、素読などは、日本人が開発した教育の方法でした。
しかし、この百人一首などに見られるような記憶反復の伝統は、戦後急速に失われ、それまでの記憶や反復の学習に取って代わったものは理解と思考の教育でした。ところが、理解と思考の教育は、一斉指導と結びついていたために教える側の負担が大きく基礎学力の低下を生み出しました。その学力低下を補うものとして、公文式や百ます計算のような記憶反復の方法が登場したのです。しかし、新しい記憶反復の方法は歴史が浅かったために、その方法が万能であるかのような行き過ぎも生み出しました。
この記憶反復の方法と理解思考の方法を統合するのが、読書、作文、暗唱を結びつけた学習です。
暗唱の本当の目的は、記憶ではありません。勉強を進めるための目安として覚えることを目標にしていますが、覚えることそのものは決して重要なことではありません。記憶力を高めることや記憶量を増やすことは、暗唱の副産物にすぎません。
この記憶の副産物に関して、世間では、暗記や暗唱を役立つ知識や文化的な伝統に結びつけようとする傾向があります。例えば、「○○の首都は□□」というような知識を増やすような暗記や、平家物語や枕草子の一部を覚えるような暗唱です。
暗唱を表現語彙として役立てようとするのであれば、自分がこれから書く作文に結びつくような現代文の事実文、説明文、意見文を中心に暗唱していく必要があります。
暗唱の真の目的は、反復練習によって物事を把握する力をつけることです。塙保己一が般若心経約300字を毎日100回ずつ1000日間暗唱し、しかも晩年にいたるまで折に触れて暗唱を続けたということを見てもわかるように、宗教的な面を抜きにすれば、これは決して単なる記憶の練習だったのではありません。将来この暗唱の仕組みが脳科学的に解明されるようになると思いますが、当面は暗唱の目的は、記憶よりも理解や思考の方にあると考えておくことが大事です。事実、大人の人が暗唱を始めると、記憶力がよくなるということよりも、発想が豊かになるという感覚を持つことが多いと思います。
ただし、どの学習にもバランスは必要です。言語と経験の間にもバランスというものがあります。ルソーは、子供時代に本を読みすぎて自分が言語先行型の人間になったことへの反省から、自然教育の「エミール」を著しました。体験が伴わない時期に言語を吸収しすぎると、やはりバランスが崩れる場合があります。もちろん体験ばかり広がって言語が伴わない生活はあまり人間的とは言えませんが、言語が経験よりも大きくなることもやはり人間的な成長とは言えません。
言葉の森の暗唱の自習は1日10分程度ですから、このようなアンバランスを生み出す心配はありませんが、日常生活の心がけとして、言語的な学習と並行して家の手伝いや自然との触れ合いなど経験の時間を増やしていくことは大事です。
さわやかな朝
(言葉は体験の内容を豊かにしますが、体験が不足していると言葉が先行してしまうこともあります)
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「学習の手引」の記事を簡素化するために、「暗唱フォンの作り方」はホームページの方に掲載します。
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教室で一斉に暗唱するときや、狭い家で兄弟一緒に暗唱するとき、大きい声は出せないが、自分の声はしっかり聴きたいということがよくあります。
暗唱の仕方の中には、聴いて覚える方法もあります。高速聴読がその方法ですが、人によっては聴くだけでは覚えにくいようです。耳栓をして周囲の雑音が入らないようにしながら、内耳で聴く方法もあります。しかし、これも人によっては覚えにくいようです。
一方、先人の例を見てみると、シュリーマン、本多静六、貝原益軒、湯川秀樹など、みんな声を出して暗唱する方法でした。人間は、いったん自分の声として出した言葉を、聴くときにも言葉として認識します。声を出すことによって二重にその言葉が自分のものになるのです。
●暗唱フォンシングル型A4の紙を1枚用意します。 | 1枚を二つに折ります。 |
二つに折った線を基準に三つに折ります。 | 裏返してまた三つに折ります。 |
片側の端を箱を作るように折り立ててホッチキスで止めます。 | 両側の端を同じように止めて長い箱を作ります。 |
箱の真ん中あたりを折って120度ぐらいの角度にしてホッチキスで止めてできあがり。 | |
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アルキメデスは言った。
てこがあれば地球でも動かしてみせると。
努力や根性の差はせいぜい二、三倍だが、
道具や方法の差は、十倍にも百倍にもなる。
子供たちの勉強もそうです。
勉強の道具と方法を知っているかどうかで、成果が大きく変わります。
例えば、受験勉強の場合、志望校の過去問を勉強の戦略の中に組み入れていたかどうかが勉強の能率に大きく影響します。
ところが、ほとんどの高校3年生は、過去問を最後の力試しのようなものとして位置づけています。
こういう勉強の方法は、だれかに教えてもらわなければ気がつきません。
同じことが、仕事にも、人生にもあてはまります。
いい仕事をするには、何よりもいい道具と方法が必要なのです。
弘法が筆を選ばなかったのは、筆にこだわらなかったということであって、悪い筆が好きだったということではありません。(あたりまえですが)
勉強というのは、知識を身につけることよりも、知識を身につける方法を身につけるものなのです。
ということで、今日のテーマは、道具と方法。
1、道具や方法についてひとこと、
又は、
2、「ど、う、ぐ」又は「ほ、う、ほ」うで五七五(変な区切り方)、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
子供たちの勉強の仕方を見ていると、方法を知らないために遠回りの努力をしているということがよくあります。
たぶん、同じことが、大人の人生や仕事や子育ての仕方にも言えるのでしょう。
方法を共有するという点で、インターネットは新しい道具となっているのかもしれません。
それでは、今日も、いい方法を見つけて、うほうほと楽しい一日をお過ごしください。(ゴリラか)
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いい子だけ褒めて、子供がみんなよくなるかというと、
よくなるのは、その褒められたいい子だけ。
みんなをひとりひとり別の理由で褒めるのが
褒め方の工夫のしどころになる。
大人はつい手を抜いて、いい子だけ褒めて済ませようとします。
そして、それではみんながなかなかいい子にならないので、無理やり競争させようとしてしまうのです。
例えば、兄弟で、上の子が本をよく読むのに、下の子があまり読まない場合、
「お姉ちゃんは本をよく読んだのにねえ」
と言っても、下の子は読むようにはなりません。
例えば、作文の文集で、上手な作品だけ掲載してみんなの前で褒めても、ほかの子はその子のように上手な作文を書こうとは思いません。
隣の子を、「○○ちゃんはとてもいい子なんだよ」と褒めても、自分のうちの子は、その子のようになろうとは思いません。
いずれも、いい子を褒めれば褒めるほど、ほかの子は意地でも反対の方向に行きたくなるのです(笑)。
褒め方は、ひとりひとり別の理由で、その子だけを褒めるのが、親や先生の工夫のしどころです。
ということで、今日のテーマは、その子ひとりだけ。
1、その子ひとりだけについてひとこと、
又は、
2、「そ、の、こ」又は「ひ、と、り」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
ひとりひとり別の理由で褒めるというのは、努力によってもできることですが、そういう天性もあるようです。
サッチャー元首相は、一時、学校の先生になりたいと思ったそうですが、よく考えて、自分には先生になる才能がないとあきらめたそうです。
確かに、サッチャーさんに勉強を教えてもらいたい子供は、あまりいないでしょう。
「今度の担任、サッチャー先生だって」
「わあ、やだー」
となりそう(笑)。
サッチャーさんには、別の天性があったのです。
それでは、今日もひとりひとりのいいところを見ながら、楽しい日曜日をお過ごしください。
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スポーツの勝ち負けは、
力比べで決まるが、
本当の勝ち負けは、
志で決まる。
子供の教育を考えてみると、今の社会では、成績の良し悪しで学歴が決まり、学歴の良し悪しで将来が決まるような感覚を多くの人が持っています。
しかし、本当はそうではありません。
昔、一太郎が日本のワープロソフトの定番でした。
しかし、ワープロの市場が広がると、マイクロソフトのワードが、エクセルやアクセスとの連携を売りにシェアを伸ばしてきました。
どんなにいい製品でも、総合力の力比べになれば負けることもあります。
しかし、一太郎はその後も勝負を投げずに、こつこつといい仕事を続けてきました。
そして、今、内容的にはもう一太郎は、いつワープロソフトの定番に復活してもいいほどになっています。
ワープロソフトの内容自体は、これから大きく変化していくでしょう。
パソコンソフトの時代からネットサービスの時代になれば、全く違う形のものになるかもしれません。
しかし、志のあるものは、どんな変化にも対応していくと思います。
教育も同じです。
子供の未来を決めるのは、その子の志です。
志さえあれば、人間は、自ら変化を作り出していくこともできるのです。
ということで、今日のテーマは志。
1、志についてひとこと、
又は、
2、「こ、こ、ろ」ざしで五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
売れる市場で、売りの競争をしているときは、どれが本物かわかりません。
しかし、売れなくなったとき、力の差ではなく志の差が出てくるのです。
それでは、今日も、志を内に秘めて、いい一日をお過ごしください。
一方的にならないように。(^^ゞ
ワードにも、もちろん志はあるでしょう。
しかし、一太郎の志とはちょっと分野が違うのです。
(この比較をすると、アメリカと日本の比較文化論になりそうです)
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和魂洋才、
洋才を入れ過ぎて、
洋魂気味になってきたので、
そろそろ和才もしっかり出そう。
例えば、三権分立、二院制、民主主義、多数決、人権など、人類が圧政を克服して勝ち取ってきた成果も、実はまだ未完成なものです。
マスコミによって情報が操作される中で実現している民主主義が、民主主義の本来の役割を果たしているとは言えません。
人権は人間の天賦の権利ですが、何が人権かということが多数決で決められたら、その社会は自由な社会とは言えません。
西欧の教科書のとおりにやっているのだからいいのだというのでは、学者の世界の話になってしまいます。
日本の国は、日本の実態にあった新しい仕組みを作っていく必要があります。
そして、教科書丸写しではない新しい仕組みを自分たちの手で作ることができれば、その仕組みは必要に応じて、いつでも自分たちで改良していけるのです。
そのために、とりあえず、「欧米では……だから、日本でも……」というのはやめて、「欧米では……だけど、日本では……」という言い方で、日本の特殊性を世界の普遍性に高める姿勢を持ち続けていきましょう。
ということで、今日のテーマは、和魂洋才、そして、和才。
1、和魂洋才についてひとこと、
又は、
2、「わ、さ、い」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
将来、宇宙人が地球に来るとしたら、その宇宙人は、地球人がまだ知らない優れた科学技術を持っているはずです。(まあ、先の話ですが(笑))
そのときに大事なことは、和魂宇才の精神です。
和魂を守って、宇宙人の科学技術を吸収していけばいいのです。
しかし、難しいのは、和魂には教典がないことです。
和魂は、日本の自然風土と日々の生活と行事と日本語の中で、後ろ姿によって伝わっていくのです。(高倉健みたいです)
それでは、今日も後ろ姿のいい一日をお過ごしください。(あ、もちろん前姿もね)
(写真は「SOZAIjiten」より)
サイの後ろ姿。
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小さい子供は何でもできる。
だから、やらせることはできるだけ絞って、
自由と笑いと余裕のある生活を
作っていくことが大事。
幼稚園や小学校1年生のころの子供は吸収力があるので、教えたことは何でもすぐに身につけます。
しかし、だからといって、次から次へと勉強させるのは考えもの。
なぜかというと、小さいころに、親が将来役立つと思って詰め込むと、勉強に飽きる気持ちが出てくるからです。
そういう子供たちは、低学年のころまでは成績がよくても、学年が上がるにつれて、意欲的に勉強しだした子供たちに追いつかれて、やがて先取りした勉強の差などはどこにも見えなくなってしまいます。
小さいころの勉強は無駄ではありませんが、それがあとまで続く割合は驚くほど少ないのです。
そして、逆に勉強的なことをさせられすぎた子は、中学生や高校生になってから、勉強に対する意欲を持ちにくくなります。
これからの社会で大事なのは、意欲と創造性です。
この二つは、自由に自分の好きなことをたっぷりやる余裕のある生活から出てきます。
小さいころの勉強は、本当に大切な日本語の読み書き対話だけを重点にして、あとはできるだけ自由な生活を保障してあげるといいのです。
ということで、今日のテーマは、自由と笑いと余裕。
1、自由と笑いと余裕のある生活についてひとこと、
又は、
2、「じ、ゆ、う」「よ、ゆ、う」「わ、ら、い」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
先日、幼稚園年長の子のお母さんから作文の書かせ方について、質問がありました。
「親が手助けしないとなかなか書けないが、こんなやり方でいいのかと迷う」
という話です。
そのときのアドバイスです。
1、小1又は幼長から始める意義は、このころから毎週書く習慣をつけていった子は、書くことが生活の一部になるので、高学年になっても楽に続けられる。
2、しかし、実際に小1の夏までは、小学校でも作文の指導自体をしないので、まともに書けないのが普通。会話を入れるとか、改行するとかいうことは、何度言ってもわからないのが当然。
3、だから、作文の上で直したり上手にしたりすのではなく、読書、読み聞かせ、対話で読む力聞く力をつける中で自然に上達させることが大事。
4、暗唱は、小1のものが入っていて、字が読めなくても、親が言ったとおりに復唱させればできるので、当面親は、作文に力を入れるのでなく、暗唱に力を入れて(しかし勉強的にならないように)、作文は不十分でも短くても、書いたら何しろ褒めるということでやっていく。
5、そのうち、作文の書き方がわかってきて、たまに上手に書くことが出てくるので、そのときに本格的に褒めてあげる。
6、実際の作文は、絵をかく時間がほとんどで、作文は1、2行ということもある。
そのときは、ひとことだけ、「じゃあ、思ったことも書いたらいいから、『わたしは……とおもいました。」って書いてみようか」とひとつだけ簡単なアドバイスをして、それができたら、「わあ、すごい。じゃあ、これで送ろうね」という感じで済ませておく。
思ったことのほかに、
「じゃあ、『まるで……』と書いてみようか」
「じゃあ、人の言ったことを『……』と書いてみようか」
「じゃあ、『そのあと……』と書いてみようか」
「じゃあ、『どうしてかというと……』と書いてみようか」
「じゃあ、『もし……だったら……』と書いてみようか」
「じゃあ、『これから、わたしは……』と書いてみようか」
というようなことを、どれがひとつだけ。
決して、やらせすぎないことが大事。
7、作文の勉強のあと、子供がにっこり笑っているというのが、いい勉強になっているかどうかの基準。
小さいころの勉強は、ただやらせればいいというふうにはならないのが難しいところです。
習い事は6歳からというように、小1のころは、勉強を開始する適齢期です。
この時期に全く勉強的なことをしないというのはよくありませんが、そのさせ方は、勉強の習慣をつけるという緩やかなもので、楽しく済ませることが最も重要です。
この時期に楽しく勉強をしているからこそ、中学3年生以降になって、自ら進んで苦しい勉強にも取り組むことができるようになるのです。
今日は、勉強の話になってしまいましたが、仕事もちょっと似ています。
自由度が高いほど、意欲と創造性がわいてきます。
それでは、今日も、自由と笑いと余裕のあるいい一日をお過ごしください。
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台頭しつつある工業の国々、中国、アジアは、
経済的発展と技術革新の時代に入る。
日本は、学問と芸術と文化の時代になるが、
それが大衆的に行われるところがこれまでの欧米と違う。
だから、日本の目指す社会は、格差のない社会で、さまざまな分野の天才が次々に生まれるようなイメージです。
今、目の前にいるくりくりした目の子供たちが、未来の日本の創造文化の担い手になるのです。
大人の役割は、そういう子供たちの創造の芽をつぶさないことです。
そのために、大人も、生活の中で創造を楽しむ必要があります。
それは、他人と比較して優位に立つことではなく、自分で作ることを楽しむことです。
ということで、今日のテーマは、天才(笑)。
1、未来の天才についてひとこと、
又は、
2、「てん、さ、い」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
やっと、お正月らしい景気のいい話になってきました。
日本が、最後に頼りにするものは、これまで貯めたゆうちょのマネーではありません。(それもいいけど)
それよりも、1億2千万人いる、この人間の、特に子供たちの才能をしっかり開花させることです。
点数や競争で促成栽培的に開花させるのではなく、自ら学ぶことを楽しむような教育の文化を作っていきましょう。
それでは、今日も創造的ないい一日をお過ごしください。
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