書店で本を眺めているとき、「東大生の勉強法」という雑誌が目にとまりました。内容に期待したわけではありませんが、ふと手にとって眺めてみると、言葉の森がいつも述べているような勉強法がしっかり書かれていました(笑)。だから、言葉の森の生徒で自習をしっかりやっている子は、どの教科の成績もいいのだと納得しました。
実際、言葉の森で勉強していて東大に入ったような子は(別に東大に限らなくていいのですが)どの子も、入試の直前まで力作の文章を書いていました。そういう生徒の勉強法には共通点がありました。要は、よい教材を反復して自分のものにするという方法です。この雑誌には、ほかにも言葉の森の自習法と似た話があちこちにあったので、思わず購入してしまいました。
そして、買ったあと、「こういう正しい勉強法が広がれば、どの教科もほとんどの生徒が満点になって、もうテストをする意味がなくなるという時代が来るのだろうなあ」と思いました。今は、小中高と大多数の生徒が間違った勉強法をしているために、できる子とできない子の差が出ているのです。
みんなが、というのは小中学生の場合は親も含めてですが、正しい勉強法を身につければ、普通の子なら誰でも今の東大に入る実力を持てるようになると思います。ただし、今の入試には不要な勉強も多いので、無理して受験勉強をする必要はないというだけです。
そして、これから来ることが予想されるのは、大学入試の定員制の撤廃です。インターネットの時代に、入学定員を絞る必要など全くありません。放送大学のように、勉強したい人は、どの大学のどの講義も聴講していいのです。そして、修了証がほしい人は、レポートを提出すればいいのです。しかし、そういう時代には、修了証などは無価値になっていますから、わざわざレポートを書く人はいません。人に認めてもらうために勉強しているのではなく、自分の向上のために勉強しているのですから、修了証などはもともと要らないのです。
そして、そうなったときに何が残るかと言えば、それは、与えられた条件で何かを創造する力です。これまでの社会では、与えられた条件が知識の差となっていました。だから、知識や学歴が能力の差のように思われていたのです。しかし、知識の量に差がなくなる時代に残るのは、その人らしい個性的な創造の差です。
これまでは、いい成績を上げていい学校に入ることが目標のように考えられていました。これからは、そのようなことはだれでもできるようになるので、その先にあるものを考えなければなりません。それが、自分なりの創造性を育てることです。
そして、創造性を育てるのにいちばん必要なものは何かというと、子供時代の心からの遊びと、青年時代からの難しい読書、そしてその間に一貫して流れている家族との楽しい知的な対話です。
ところが、今の社会では、子供に早めにいい成績を取らせるために、子供時代は遊びよりも勉強を優先させ、夜遅くまでの塾通いで家族との対話もなく、そして、大学に入ったら勉強に飽きて、もう難しい本を読む意欲もなくなるという正反対の子育てをしている人があまりにも多いのです。
対策は簡単です。今の世間の風潮に流されず、親が自分の判断で子育てをしていくことです。そして、勉強とは、いい成績を取るためにするものではなく、創造性を発揮する土台を作るためにするものだという原点を確認していくことです。
まだ、こういう話に納得する人は少ないかもしれませんが、世の中は確実にこの方向に動いてい ます。成績は、よくて当然。成績の先にあるものを考える時代に入ってきているのです。
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成功させて褒めるのがベスト。
失敗させて叱るのがワースト。(^^ゞ
その中間にさまざまな段階があるが、
まず成功させるのが工夫のしどころ。
子供たちに勉強を教える場合、まずできたという成果を出すことが大事です。
成果があれば、褒め言葉も力を発揮します。
しかし、成果が上がらないのにいくら褒めても効果はありません。
まして、成果が上がらないのを叱っては最悪です。
だから、大事なのは、褒めるか叱るかという以前に、まず成功させることです。
言葉の森の小6以上の作文の課題は1200字ですが、高学年になると字数と実力は相関が高いので、苦手な子はまず字数でくじけてしまいそうになります。
そこで、ここ一番というときは、何が何でも目標の字数まで書かせるという工夫が必要になります。
子供に任せて、やはり書けないまま、評価だけ甘くしても辛くしても、その後の意欲には結びつきません。
先生の役割は、評価することではなく指導することです。
そして、無理矢理にでもできるようにさせてしまうと、それが自信になり、実力になっていくのです。
これは、親も同じです。
褒めるにしても、叱るにしても、大事なのは、子供が褒められる状況を親が作ってあげることです。
例えば、子供が穴に落ちそうなとき、黙って見ていて、子供が落ちたら、
「ほら、落ちたでしょ」
と言うのではなく(笑)、
「そこは危ないよ」
と、アドバイスをして、子供がうまくよけたら、
「わあ、上手によけたね」
と褒めるのがコツです。
ということで、今日のテーマは、成功させて褒める。
1、成功させることと褒めることについてひとこと、
又は、
2、「せ、い、こう」「ほ、め、る」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日は、昼から雨の天気予報。……と思っていたら、もう降っていました。
一雨ごとに春になっていくのでしょう。
それでは、春休みの計画を立てながら、今日もいい一日をお過ごしください。
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ある朝起きると、
草原が海になっていた。
そこで、元クジラは決心する。
「そうだ。クジラになろう」と。
生物の進化はそのようにして始まったのではないかと思います。
ダーウィンの自然淘汰と適者生存で、現在のような多様な生物種が現れるためには、宇宙の年齢よりも長い時間が必要なようです。ということは、まずあり得ないということです。
確かに、ちょっと考えてみるだけでも、単細胞生物が人間になるまでに数十億年で間に合うとは到底思えません(笑)。
今西錦司は、生物の進化は、「いっせえのせ」で始まったというようなことを書いています。
ダーウィンの一応理屈の通った進化論と比べると、あまりにも日本的な進化論です。
しかし、たぶん本当のところはそれに近いのでしょう。
日本の近代化も、一種の進化でした。これまでの体制では、西欧列強に囲まれた世界の中で生きていけないから、一挙に近代化を推し進めたのです。
こういう進化に近いことは、個人の人生の中でもときどきあるようです。
そのときに大事なことは、決心です。
理詰めの周到な準備が必要なこともありますが、いざというときには大胆に決心する気持ちを胸に秘めておくことが大事なのだと思います。
そこで、今日のテーマは、決心。
1、決心についてひとこと、
又は、
2、「け、つ、しん」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日、横浜は久しぶりの大雪。
わーい。ヽ(`▽´)/
チェーンを買いに行かないと。それから雪かき用のスコップも。
やはり普段からの周到な準備も必要でした。(^^ゞ
(写真は「SOZAIjten」より)
横浜は、こんなに降っていません。それに、こんな山ないし。
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真面目な子で、言われたことを素直にやっているのに成績がふるわないという子がいます。勉強の時間はしっかり確保しているのに、それが成績に表れてこないのです。
そういう子の勉強法は、特に算数・数学において、できている問題を何度も同じように解いているというやり方になっていることが多いようです。
数学は計算という作業があるので、計算をしているときは一見勉強をしているように見えます。しかし、それは単なる作業の時間であって、勉強の時間ではありません。
できるレベルの問題を何題解いても実力はつきません。できない問題を解法を見て理解し、何回か繰り返したあとにできるようになるから実力がついてくるのです。
ところが、言われてみると当然のこのことが、子供本人はもちろん、親や先生も気づいていないことが多いのです。
子供の立場で考えてみると、できなかった問題があった場合、だれに聞いていいかわからないということがいちばん大きいと思います。学校や塾の先生には、自分が個人的にできない問題をわざわざ聞きに行くというのは気が引けます。しかし、解法をいくら見てもわからないときはだれにもあります。
そういうとき、やはり頼りになるのは父や母です。親はもう勉強の現役ではないので、中学生ぐらいの子供に数学の問題を聞かれても、すぐに答えることはできません。しかし、子供と一緒に解法を見て、どこがわからないのかを理解することはできます。
親が考えてもわからない場合は、職場で数学の得意そうな人に聞いてみるといいのです。子供のころ数学が苦手だった親でも、年齢による理解力は、中学生時代よりもずっと高くなっています。そして、漠然と問題全体がわからないというのではなく、その解法のある部分から次の部分へ移るところがわからないということですから、聞かれた方もそれほど負担にはなりません。
このようにして、子供がわからなかった問題を、親が一緒に見てあげるうちに、だんだんと親の方が子供よりも数学の勘が磨かれてきます。これは年の功です。
子供の成績がふるわないときは、まず親がその問題を一緒に見て考えてあげることです。これは、数学だけではなく、英語でも国語でも同様です。一緒に解いてみることで、たとえそのときはうまく解けなくても、問題の焦点がはっきりしてくるのです。
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子供たちに差をつけて競わせるという方法ではなく、
中学生の終わりまでは、
全員が全教科満点を取れるようにすることを
教育の目標と考えよう。
そのためには、学校は、勉強を教える場ではなく、勉強の方法を教える場になる必要があります。
そして、勉強の中身は、子供たちが日常生活を過ごす家庭の中で、その子の成長に最も深い関心を持つ父や母の存在が感じられるところで行われる必要があります。
そのために大事なことは、父や母が、やはり従来の教え込む教育を求めないことと、勉強の本質的な方法を知っていることです。
昔の寺子屋のような教室が、又は、現在の学校が、地域の教育の要となり、家庭に根差した教育を行っていくことが、全員全教科満点につながる道です。
子供たちは、厳しい競争の環境の中でも、生き生きと過ごし、競争を楽しんでいます。
しかし、競争で意欲を煽るというのは、やはり人間の動物的な感覚に依拠する方法で、未来の教育の方向とは言えません。
詩人の工藤直子さんは、学生時代、学校の先生から、「自分よりちょっと上の人を目標にして勉強すればやる気が出る」と言われましたが、自分にはそういう方法は向いていないと思ったそうです。
子供たちの中には、もともと競争にあまり燃えない子もいます。
その子たちが燃えるのは、競争とは違うもっと内面的な納得です。
そういう納得をすべての子供たちに持たせるようにすることが、これからの教育の課題となると思います。
ということで、今日のテーマは、全員満点。
1、全員満点についてひとこと、
又は、
2、「ぜん、まん、てん」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
全員満点というのは、ゆとりの教育でレベルを下げて全員の満点を目指すことではありません。
全員が一定の水準を達成するということです。
かつての日本の教育は、粒ぞろいの教育でした。下位の生徒の成績が高いというのが、PISAに見られる日本の生徒の学力の特徴でした。
しかし、その後、日本の子供たちの成績は、上位はより高くなったものの、下位は途上国並みに低くなるというアメリカ型の分布になってきました。
この状態を克服するためには、競争を主要な原理としない教育を新たに作り出す必要があると思います。
寒くなったり暖かくなったりしながら、少しずつ春が近づいてきます。
今日は風の強い一日になりそうですが、そんな風も気持ちよく感じられるような気候です。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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