要約は、勉強の手段であって目的ではありません。しかし、国語のテストで要約の問題が出ることがあるので、目的のように考えてしまうことがあるのです。
では、何の手段かというと、ひとつには、長い文章を短くまとめて相手に伝えやすくするということです。もうひとつは、文章を短くまとめることによって、自分の理解を整理するということです。
だから、要約は、形だけできればいいというのではありません。しかし、形ができなければ、ただ考えているだけで勉強にはなりません。だから、言葉の森の勉強は、要約の形を作るところから始めています。
ところで、文章には、大きく分けて、事実文、説明文、意見文の三つの種類があります。普通の文章にはこれらか混在していますが、事実中心の文章は事実文、説明中心の文章は説明文、意見が中心の文章は意見文と分けることができます。
事実中心の文章の場合は、要約というよりもあらすじという言い方が適当です。全体から重要な事実をつなげて短くまとめるような形になります。
説明文は、そのまま要約といってよいでしょう。重要な説明をつなげて、全体がわかるようにまとめていきます。
意見文は要約として書くこともできますが、要点を抽出するというように更に小さく絞って書くことができます。要点は、結びの部分に書かれていることが多いので、文章の最後の方を中心にまとめると要点をまとめたことになることが多いようです。
さて、言葉の森では、要約を書く際に、ひとつの文を40-50字と考えて計算します。150字の要約であれば、3文から4文を目安にまとめるということです。
まず、元の文章を読みます。読みながら、自分なりに、面白いと思ったところ、よくわかったところ、大事だと思ったところに傍線を引いていきます。傍線は、多めに引いておく方が、あとで要約をしやすくなります。
傍線を引きながらその文章を一度読み終えたら、次に、その傍線を引いた部分だけど、飛ばし読みで二度、三度と繰り返し読みます。飛ばし読みですから、すぐに読み終えることができます。
繰り返し読んでいると、文章の全体像が頭に入るので、傍線を引いた中で、特に重要だと思うところを要約の字数に合わせて、必要な文の数だけ選びます。それらの文をつなげたのが要約です。
しかし、ここで年齢の問題が出てきます。一般に、物事を構造的にとらえることができるようになるのは小学校5年生からです。従って、小学校4年生で要約の勉強をさせるのは、やや無理があります。
同様の理由で、作文を書く前に構成メモを書かせるというやり方も、小学校4年生以下では、かえって勉強を複雑にしてわかりにくくさせてしまう面があります。
だから、「うちの子は要約が苦手で」というのは、心配する必要はありません。ひとつは、能力の問題ではなく年齢の問題だからです。もうひとつは、要約の方法を知らなかっただけだからです。(つづく)
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マジで要約苦手やろうとしたらわかんなくなっちゃう
要約の仕方が分からん!
心の中(感覚)では要約できるのに言葉にできない、文章として書き出せない。
答えを見て「あぁ、やっぱりそうか。」となる。
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「ふとんがふっとんだ」が面白いのは、
そこに不自由な言葉が介在しているからだ。
もし、自由なイメージやテレパシーで同じことを完璧に伝えられたら、
面白くも何ともない。「ふーん、そう」というだけ。
だから、言葉を持たない動物たちは笑いません。
犬などは、人間にかなり近い感情を持っていますが、喜びはあっても笑うということはありません。(嬉しさを目と口と尻尾で表現することはありますが)
この言葉の持つギャップが、創造のひとつの源です。
もうひとつの源は何かというと、それは不自由な身体です。
生き物は身体があるから、自由に好きなところには行けずに、ころんだりぶつかったりといろいろ不自由な思いをします。
しかし、そこで、不自由さを克服したいという意欲と情熱が生まれます。
身体の持つ不自由さから来る情熱が、言葉の持つ不自由さと結びついて、人間らしい創造が生まれてくるのです。
ということで、不自由さにも感謝(笑)。
1、不自由についてひとこと、
又は、
2、「ふ、じ、ゆう」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日から天気は下り坂で、夕方から明日にかけては威勢のいい大荒れのようです。
でも、日曜日にはもう晴れて、お花見の準備に突入でしょう。
お天気も、自由にならないところに味があるのかもしれません。
それでは、今日も雨にも負けずいい一日をお過ごしください。
(写真は「SOZAIjietn」より)
笑う犬。
「キャハハハハ」(うそでしょ)
【参考】言葉の森のダジャレの木
https://www.mori7.net/ki/dajare/print.php
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言葉の森の通学教室では、小4でローマ字を習ったあと、希望者は作文をパソコンで入力するようにしています。ですから、小5以上の生徒は、ほとんどパソコンで入力しています。
初めてパソコン入力する場合、目標の字数は100字程度(パソコンの画面で2行程度)としています。しかし、1か月もたつと600字ぐらいはすぐに打てるようになります。
入力の仕方で注意するのは、10本指のホームポジションを決めてタッチタイピングで入力するということです。しかし、自己流で入力してしまう子もよくいます。
教室の練習だけではなかなか速く打てるようにはならないので、家庭で毎日練習することをすすめています。その方法は、自分の知っている歌を1曲歌いながら、その歌詞を入力することです。毎日1曲と決めて打っていれば、やりすぎることも練習を忘れることもありません。
パソコン入力の利点のひとつは、疲労度が少ないということです。もうひとつの利点は、やはり自分の書いた文章がきれいに表示されるので、作品としてまとまったという印象が強く達成感があることです。そして、最も大きな利点は、言葉の森の場合、パソコン入力した文章が森リンで自動採点されるので、その文章の評価がすぐにわかるということです。森リンの点数は、その子の文章力との相関がかなり高く、学年が上がるにつれてどの子も、森リンの点数が少しずつ上がっていきます。
パソコンで打つことに対するマイナス面として、漢字を覚えなくなるとか、手で書けなくなるとかいうことを心配する人がいますが、それは問題ありません。
漢字の力は手書きだからつくというものではありません。手書きの場合、知らない漢字は別の知っている漢字に置き換えて書くのが普通です。漢字の力は、漢字を書く練習の中で身につくものです。
また、学校生活のほとんどの時間は手書きで勉強しています。作文を入力するときだけパソコンで打っても、それで手書きの機会がなくなるわけではありません。
ただし、パソコン入力で作文を書く場合、次の点は注意しておくといいと思います。
第一は、パソコンの文章は修正が容易なので、直しながら書くことが癖のようになってしまうことがあることです。手書きの場合は消しゴムを使って書き直すのが面倒なので、自然に慎重に書くようになります。パソコンの場合も、できるだけ修正しないつもりで書いていくことが大事です。
第二は、パソコンで入力していると、間違って覚えている漢字を検証する機会がなくなるということです。大人の場合でも、小学校中高学年で習ったはずの日常的な感じを間違えて覚えていることがよくあります。たとえば、友達の「達」を「幸」の字で書いたり、完璧の「璧」を「壁」と書いたり、「迎える」という字を「柳」のように書いたり、ということは、手書きで書いていれば間違いを他の人から指摘してもらえますが、パソコンで書いていると間違えて覚えていることに気が付きません。
第三は、パソコンは図をかくのには向いていないということです。文章を入力するだけならパソコンの方が便利ですが、文章を書く前の考える過程では、考える要素が多くなるほど手書きが必要になります。将来は、パソコンで容易に図もかけるようになると思いますが、今のところ手軽さという点では、紙とペンがいちばんです。
将来、パソコンと作文の関係はどのようになるでしょうか。
手書きで図をかいて考えるという過程はずっと残りますが、パソコンの画面で図をかくという形になるでしょう。
キーボードで入力するよりも速い入力方法として音声入力が一般化すると思います。しかし、日本語は音素数が少ないため同音異義語の判別の問題が残ります。音声をひらがなだけでいったんテキスト化したあと、そのひらがなテキストを随時漢字変換するようなソフトができると思います。
しかし、そのような形で長い文章が次々と量産されると、今度は読む時間がなくなるという問題が出てきます。そこで、創造的な価値ある内容を、できるだけ短く美しく書くということが重要になってきます。短歌や俳句ほどではないとしても、短い方がいい文章と言われる時代になるかもしれません。
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鳥は最初に見たものを親だと思う。それがたとえ長靴でも。
今の大人たちの多くは、日本のことを悪く言うことが
流行だった時代に、青年時代を送った。
まずそのことの自覚から始めよう。
人間は、鳥と違ってその後の学習で、より正しい知識に軌道修正していくことができます。
だから、大事なのは、大人になっても新しいことを学び続けることです。
日本のことを悪く言う人たちを見て、ふと思うのは、自分の子供を育てるときに、
「うちの先祖は、悪い人ばかりで、人のものを盗んだり、人をいじめたりばかりしていたんだよ」
と教えて、その反省からいい子が育つかということです。
どんな物事にも、よい面と悪い面があります。
しかし、欠点を直して生きるのではなく、長所を伸ばして生きてきたのが人類の歴史です。
これまでの先入観が強いために、誰でも言いがちなのは、「欧米では……なのに、日本では」という言葉です。
日本がいちばんの先進国なのだという自覚を持たなければ、自分の手で新しい未来を切り開くことはできません。
(それは、もちろん、どの国も自分の国がいちばんだと思うことを前提にしたうえでですが)
謙虚さは美徳ですが、それはもうみんなたっぷり持っています(笑)。
行き過ぎた行動を修正するのは、謙虚さではなく、より高い理想です。
ということで、今日のテーマは、
1、日本についてひとこと、
又は、
2、「せん、しん、こく」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日は、穏やかな曇り空です
普段通らない道を通ると、道端に、もうオオイヌノフグリが咲いていました。
空にも、足もとにも、小さな春が顔を出しているようです。
それでは今日もいい一日をお過ごしください。
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今回の記事は、前回の「オープン長文」の記事と同様、森林プロジェクトの話とは直接の関係の少ないものです。しかし、先々の展望まで結びついている方が、今の活動の方向もはっきりすると思うので、森林プロジェクトの話の延長として書きました。
森林プロジェクトは、子供たちの教育を他人任せではなく自助の精神で担っていくという考えで成り立っています。この自助の精神は、これからの社会が方向転換するためのキーワードとなります。
江戸時代の日本は、当時の世界最大でありながら、しかも世界で最も清潔で安全と平和の保障された都市である江戸を形成していました。その江戸の清潔と安全と平和を支えていたのは、住民の自助の精神でした。自助の文化が社会のすみずみにまで広がることによって、コストのかからない高度な都市の繁栄を築いていたのです。
森林プロジェクトで、教育を家庭と地域の自助の精神によって運営することができれば、同じことは他のさまざまな行政サービスにも波及していきます。そして、更に、これまで企業が一手に引き受けていたサービスも、住民の自助の活動の中に移転していくでしょう。
これが未来の社会の姿です。
今、世界中には満足に教育を受けられない子供たちがたくさんいます。その子供たちが学べる学校を作ってあげることは、当面は必要でしょう。しかし、この学校制度というものは、既に先進国では限界が現れつつあります。コストと効果の関係が次第に薄くなり、コストをこれ以上かけてもそれに見合った効果が現れなくなりつつあるのです。
同様のことが、教育以外の分野にも生まれています。その行き詰まりの根本にあるのは、分業化や専門化という言葉で成り立っていた他人任せの経済の仕組みです。他人任せの経済の中では、公共サービスはコストを無視して肥大化します。その一方で、民間によるサービスは、コストを重視するが故に、そのサービスを支える雇用を、派遣化、自動化、外注化などで徹底して切り詰めています。無駄な公共サービスと、雇用を生まない民間サービスが、現在の社会の停滞を生み出しているのです。
これを克服するのが、自助の経済です。住民どうしが自分たちで作れるものを互いに作り合い、互いに売り合い、互いに買い合うことによって、経済を回していくのです。
子供たちの教育という社会の要となる部分で自助の文化による運営が成り立てば、それはこれまで公共サービスに任されてきた部分ももちろん担うことができ、更に、民間サービスに任されていた部分も、担うことができます。そして、それ以上に、これまでサービスとして成立していなかった新しい文化産業が、自助の経済の中から生まれてくるのです。
現在の世界の行き詰まりは、工業社会のフロンティアがなくなったところから来ています。製造業における需要のフロンティアがなくなったにもかかわらず、供給の力だけが続々と新興国に移転しています。その一方で、先進国で使い道のなくなったマネーが、マネーゲーム中心に使われているというのが今の社会の停滞の原因です。この行き詰まりを打開するのは、先進国における新しい創造文化産業で、この産業によって新しい雇用と消費と文化と産業が生まれてくるのです。
だから、森林プロジェクトに参加した人たちは、子供の作文や他の勉強が軌道に乗って余裕ができてきたら、自分の持っている特技や趣味に磨きをかけて、それを新しい仕事として提案することを次の目標として考えていくことができます。最初のうち、そこで回るお金の額は小さなものでしょう。しかし、このときのお金の流れは、これまでの他人任せの時代の経済と違い、一方通行ではありません。
これまでの国際分業というグローバリズムの世界では、マネーはより少ないコスト、より多い利益を求めて一方向に流れるだけでした。これからは、人間どうしのつながりのある中で、売った人がすぐに買い手になり、買った人がすぐに売り手になるという形で、お金が天下を回る仕組みが生まれます。
この中で優れた力をつけた商品の中には、日本のアニメ文化のように、海外に輸出する力を持つものも生まれてくるでしょう。そのときに、日本がその新しい文化を輸出するだけでなく、新しい日本文化を支えている原理である自助の文化を輸出することで、世界中が真に豊かで人間的な社会の建設に向かって進みだすのです。(終わり)
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意思は、未来時制の内容である。が、日本語の文法には、時制がない。
「世の中は、、、」の内容は、実況放送・現状報告の内容、つまり現実の内容ばかりである。
意思を表せば当事者となる。表さなければ傍観者。
日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) はあっても、意思はない。子供のようなものか。
かくして我が国は、世界にあって、世界に属さず。
理想は考え (非現実) の内容である。
考えのない生活には、夢も希望もない。
日本人には、世界観がない。
だから、この世 (現実) のマスター・プラン (非現実) を描ききることはできない。
理想らしきものを語る者には、「そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなってはいない」と言っている。
つまり、理想 (非現実) と空想 (現実) の間に区別がないのである。いや、脳裏には空想しか存在しえないのであろう。
だから、未来社会の建設には力がかからない。
ただの気分転換のみを求めて、ナウな感じでいる。
日本人の考えの拙さは、ここにある。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
nogaさんコメントありがとう。
できれば、話をもっと具体的に。
払える人が払う税金による経済の安心は拙いモノである。いかに皆が苦しむときに予算が組めるか、それには担税責任と云う括りを持つ、収入や経費に課税する税制が必要であろう。いかに≪民主効率主義経済≫や≪愛情主義経済≫を創っていくのか??初期は他人任せにしない経済としてやって行くのが良いだろう。その個人的発想が空を切る。だが一度(ひとたび)経済が空を切り、発展を始めたとするならば、多量なる取引を求める時に予算の段取り図るべく、冥加・運上よりも安い経費課税を求めてバーチャル世界に飛び込むことは、悪い事では無いだろう。
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植物たちは、太陽と水と空気から花を咲かせ実を実らせる。
生き物にはもともと創造の力があるから、
他から奪い、他を支配する必要はない。
そして、本当は人間も。
人類の生産力は、昔と比べて比較にならないほど豊かになっているのに、なぜ不足を感じる人がいるかというと、不足が演出されているからです。
例えば、生産調整。
豊作や大漁や生産過剰は、そのままみんなで分かち合えばそのとおりの豊かさになるのに、今の社会では不足を作り出さないと、豊作貧乏になります。
農業に限らず、製造業にも、サービス業にも、役所仕事にも、この不足が演出されているために、一人の人間が生産する富は増えたのに、その人が受け取る分は逆に減っているのです。
その原因のひとつは、私たちが物を買わなければ生活できないと思っていることにあります。
そのために、買うことが大きな喜びになり、消費するために生活があるような感覚を持つようになっているからです。
人間の喜びは、消費よりもむしろ生産にあります。
何かを作って、その創造で社会に貢献することが本当の喜びとなるはずですが、現在の社会では生産は、生産者という企業が主に担うものになっています。
だから、人間が生産に参加することは、単なる労働として参加することであり、創造の喜びとはほど遠いものになっているのです。
しかし、たぶん、こういう仕組みはこれから百八十度変わっていくと思います。
その変化は、小さな改革の積み重ねというよりも、左回りだった渦がいつの間にか右回りになるような変わり方です。
その一つの現れが、必要なものは自分たちで作って分かち合おうという意識の変化です。
それが、貧しいからそうするのではなく、作るのが楽しいからそうするのだというところに、左回りから右回りへの大きな変化あるのです。
ということで、今日のテーマは、
1、左回り右回り、
又は、
2、「ひだり、まわ、り」又は「みぎ、まわ、り」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日は、風もまだ冷たくて、横浜では、朝方一瞬だけ雪が降っていました。
でも、晴れてみると、もうすっかり春の明るさです。
3月20日も静かに過ぎて、これからどんどん日が長くなっていくのでしょう。
今日は出足がちょっと遅れてしまいましたが、今日もみなさんいい一日をお過ごしください。
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勉強とは、既にある答えを人より早く探す
クイズ番組のようなものではなく、
まだない答えを見つけるために、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら
遠回りしている間に足腰を鍛えるためのものだ。
答えが早くわかるのがいちばんよかったら、その方法は答えを見ることです。
たとえ誰にも気づかれない最強のカンニング方法があったとしても、そして、そのカンニングで一生うまく生きていったとしても、そういう人生が楽しいと思う人はいないでしょう。
ふりかえってみると、人類の歴史もそういう試行錯誤の歴史でした。
将来、恒久平和の豊かな理想社会が来るとしても、その答えを誰かから教えてもらうのではなく自分で見つけるためにいろいろな遠回りをしてきたのだと思います。
ということで、今日は、
1、遠回りについてひとこと、
又は、
2、「し、こ、う」又は「さ、く、ご」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
人間も、生まれるときは、魚類の時代や爬虫類の時代をいったん繰り返して人間になります。(個体発生が系統発生を繰り返す説)
最初から、できあがった人間をコピーするように生まれてくるわけではありません。
未来の教育もたぶんそうなるのでしょう。
人類の歴史には、今から見れば不要な遠回りがたくさんありました。
しかし、その遠回りをひととおり繰り返すことが人間の成長には欠かせないのだと思います。
今日は春分の日。
季節が変わる節目の日です。
今日も楽しい一日をお過ごしください。
(写真は「SOZAIjiten」より)
「今日は、シュンブンの日なんだって。いつも読んでるのに」(そりゃ、シンブン)
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勉強の目的は、
人生の目的とフラクタルになっていて、
幸福、向上、創造、貢献がいちばんの要になる。
その手段として、志望校や合格や受験やテストや宿題がある。
ただ、目的をそのつど考えるのでは能率が悪いから、手段を当面の目的として取り組んでいるのです。
しかし、子供はそういうことはわかりませんから、親がときどき目的に目を向ける必要があります。
学校や塾の宿題の中には、手段が目的よりも大きくなっているものがたまにあります。
宿題だからやらなければならないというのではなく、その宿題を目的に結びつける工夫が大切です。
そして、結びつけるのが難しいときは、子供の宿題をお母さんが代わりにやってあげてもいいのです。
小学校1、2年生で日記や作文や感想文を書く宿題が出ることがあります。
小学校低学年のころは、本当は書く宿題よりも読む宿題を中心にした方がいいのですが、読む宿題だと形として残らないので書く宿題を出すのでしょう。
しかし、書く力は個人差があるので、子供にとってはその宿題が負担になることがあります。
そこで、親の工夫が必要になります。
日記の宿題の場合は、漠然と書かせるのではなく、会話を入れる、たとえを入れる、擬声語か擬態語を入れる、と目標を決めてあげるといいのです。
作文の場合、子供がなかなか書き出せないときは、お母さんが口頭で文を言ってあげて、それを子供に書かせればいいのです。
そして、感想文の場合は、お母さんが代わりに書いてあげればいいのです。
つまり、勉強は、無理なく楽しくやるのがいちばんの目的です。
苦痛に耐えて叱られながらやるのでは、手段が目的を超えてしまうことになります。
そこで、今日のテーマは、
1、勉強の目的と手段と宿題についてひとこと、
又は、
2、「しゅ、く、だい」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日は、久しぶりの快晴。
草花も、動物も、昆虫も、みんなむずむず動きだしているようです。もちろん、人間も(笑)。
明日、3月20日は春分の日。これから、昼の光の時間の方がどんどん長くなります。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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