4月からの勉強で、小学校高学年以上の生徒には、ユーモア表現という項目が出てきます。小学校中学年は、作文の中にダジャレを入れる練習をしました。今度は、もっと幅広くユーモアを入れる練習です。
そして、自分の書いたその部分がユーモア表現のつもりだということがわかるように、「笑」や「項目マーク」を入れて書きます。しかし、普通の作文のときは、特にテストで作文を書くようなときは、こういう書き方はしません。ユーモア表現は、あくまでも言葉の森の4月からの練習として書いていくということです。
では、なぜユーモア表現を入れるのでしょうか。
笑いのないスピーチは、聞いていて飽きてきます。同じように笑いのない文章は読んでいると飽きてきます。だから、読み手に対するサービス又は思いやりとして、作文の中に笑いを入れて書くということです。
では、笑いの本質とは何でしょうか。
笑いとは、予想したところからずれたことを面白く感じる感覚です。
例えば、小さい子供に、「いない、いない、バア」とやると大抵の子は笑います。これが、「いない、いない、いない」だったら笑いはありません。同様に、「バア、バア、バア」でも笑いは起きにくいでしょう。「いない、いない」で、次も「いない」かと思っているところに、反対の「バア」が来るから笑いが起こるのです。
つまり、笑いは、未来に対する予想が前提になっています。動物たちには、未来というものはなくすべてが今の現実です。だから、「いない」も現実、次の「いない」も現実、次の「バア」も現実なので、動物たちは笑わないのです。動物には、喜びというものはありますが笑いはありません。
こう考えると、人間に笑いを感じてもらうには、ずれを意識的に作ることが大事だということがわかってきます。そこで、「急に下げる」という面白さが出てきます。
人間が関心を持つものは、一般に進んでいるもの、強くなっていくもの、大きくなっていくもの、上昇していくものです。その反対の、遅くなっていくもの、弱くなっていくもの、小さくなっていくもの、下降していくのものはあまり関心を持ちません。そこで、人間は、進んでいるものや上昇しているものがあると、その延長をつい予測します。その予測をくつがえすような下降が急に生じると、笑いが生じることが多いのです。
笑いにはもちろん上げる笑いもあります。しかし、その上げる笑いの面白さも、裏返せば下げる笑いに結びついています。昔、「日本沈没」という小松左京のSF小説を題材にした映画がありました。筒井康隆は、この小説をパロディ化して、「日本以外全部沈没」という短編小説を書きました。タイトルを見ただけで面白いのは、これが日本を上げる一方、日本以外を全部下げているからです。
一般に、共通の第三者を下げる笑いは考えつきやすいのですが、文章はその場かぎりの会話と違って独立したものとして残ります。だから、他人を下げるよりも、自分を下げるような笑いの方が普遍性があります。
笑いには、文化の要素もありますから、これから日本の社会が成熟するにつれて、より高度な笑いの型というようなものが形成されてくるでしょう。しかし、今はまず読み手に対するサービスのつもりで、笑いの練習をしていくといいと思います。
そして、おかしいときに笑うことは誰でもできますが、おかしくないところに笑いを作り出すのは、パワーがないとできません。逆に、パワーがなくても出てくるのは、グチ、不平、不満、などです(笑)。笑いは、表現の工夫であるとともに、生きる姿勢でもあるのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。作文の書き方(108)
人は理屈よりも感情によって動く。
しかし、感情はコントロールしにくい。
日本人は、感情も言語脳で処理する。
だから、言葉をうまく使えば感情もコントロールできる。
これが、日本文化の中に流れている言霊の仕組みです。
いいことを言うといいことが起き、悪いことを言うと悪いことが起きると、昔の人は考えていました。
それは、日本人の場合は、言葉によって心が動かされる度合いが大きかったからです。
だから、いいことが起きてほしいときは、そう思うのではなく、それを言葉に出して言うのです。
例えば、「いいことが起きた。よかった」という具合に。(まだ起きていないうちに)
子供の音読を聞いていると、その下手さにほとんどの親はいらいらしてきます。
しかし、そこで、「もっと上手に読みなさい」などと言うと、音読は上手になりません。
嘘でもいいぐらいのつもりで、「だんだん上手になってきたみたいだね」と言うと、本当に上手になっていくのです。
そこで、今日のテーマは、
1、言霊についてひとこと、
又は、
2、「こと、だ、ま」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
将来、この日本語の素晴らしさが世界中の人に見直される日が来ると思います。
すると、世界の共通語として、日本語も大きな選択肢となってくるでしょう。
日常会話は日本語で、交渉や論争のときだけ英語でという使い分けができるようになるのかもしれません。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
私の高校時代のあだ名は蛍光灯でした。
言葉より
黙って見つめる
間が大事
いつか、行間を読んでもらう文章が書けるようになりたいものです。子育てにおいても、注意しすぎないことが大事ですね。
ちゃくちゃくさん、こんにちは。
関心を持つが注意はしないというところが難しいですね。
でも、親子の場合は、すぐ軌道修正ができるので、ときどきふりかえれば大丈夫だと思います。
K先生に勧めてもらった、「若おかみは小学生①から⑰」を
去年の夏休みから毎日毎日一日も欠かさずに読んでいます。
すっかり気に入っっています。
机に一冊、こたつに一冊、車に一冊、ふとんの中から、トイレから洗面所から、若おかみが出てくるので片づける側は、ちょっと大変です(笑)
最近は、クイズみたいに、私がどこか一行読めば、何巻かがわかるようになりました。
きっとが済むまで読むのでしょうね。
私もあなたと同じことをしてます!(`・ω・´)
いい本をすすめてくれてありがとうございます。
こういうシリーズの本に出合うと、子供の読書量が急に増えるようですね。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。facebookの記事(165) 日本語脳(15)