あれもない、これもないと、ないものを数えるのではなく、
あれもあるし、これもあると、あるものの多さに感謝しよう。
ないものを見つけに行こうとするよりも、今あるものを生かして使おう。
今あるものがありあまるほど豊かになれば、やがてないものと交換する人がやってくる。
足りないものを手に入れようとすると、他人の思惑とぶつかり合い、それは争いや戦いに発展します。
不足から始まった勝利は、勝ったあとも新たな不足を生み出します。
漫画に出てくるギャング団は、奪ったものの分け前をめぐって仲間割れを起こします。
分け前を互いに譲り合う仲間たちだったら、もともとギャング団にはならなかったからです。
近代の西洋の歴史は、このギャング団の歴史でした。
それは今も続いています。
日本は、この奪い合う歴史に終止符を打って、新しい譲り合いの世界を作っていく役割があるのです。
そこで、今日のテーマは、
1、「ある」と「ない」についてひとこと、
又は、
2、「ある、と、ない」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
ないものに目を向けるのではなく、あるものに目を向けるというのは、人間に対しても当てはまります。
子供も大人も、みんなそれぞれに欠点を持っています。
その欠点を直そうとするよりも、長所を生かす方に目を向けることです。
すると、欠点は自然に他の人がカバーしてくれるようになるのです。
今日も、すっかり晴れて、空の端から端までの青空です。
仕事をするのがもったいないぐらい(笑)。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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4月からの勉強で、小学校高学年以上の生徒には、ユーモア表現という項目が出てきます。小学校中学年は、作文の中にダジャレを入れる練習をしました。今度は、もっと幅広くユーモアを入れる練習です。
そして、自分の書いたその部分がユーモア表現のつもりだということがわかるように、「笑」や「項目マーク」を入れて書きます。しかし、普通の作文のときは、特にテストで作文を書くようなときは、こういう書き方はしません。ユーモア表現は、あくまでも言葉の森の4月からの練習として書いていくということです。
では、なぜユーモア表現を入れるのでしょうか。
笑いのないスピーチは、聞いていて飽きてきます。同じように笑いのない文章は読んでいると飽きてきます。だから、読み手に対するサービス又は思いやりとして、作文の中に笑いを入れて書くということです。
では、笑いの本質とは何でしょうか。
笑いとは、予想したところからずれたことを面白く感じる感覚です。
例えば、小さい子供に、「いない、いない、バア」とやると大抵の子は笑います。これが、「いない、いない、いない」だったら笑いはありません。同様に、「バア、バア、バア」でも笑いは起きにくいでしょう。「いない、いない」で、次も「いない」かと思っているところに、反対の「バア」が来るから笑いが起こるのです。
つまり、笑いは、未来に対する予想が前提になっています。動物たちには、未来というものはなくすべてが今の現実です。だから、「いない」も現実、次の「いない」も現実、次の「バア」も現実なので、動物たちは笑わないのです。動物には、喜びというものはありますが笑いはありません。
こう考えると、人間に笑いを感じてもらうには、ずれを意識的に作ることが大事だということがわかってきます。そこで、「急に下げる」という面白さが出てきます。
人間が関心を持つものは、一般に進んでいるもの、強くなっていくもの、大きくなっていくもの、上昇していくものです。その反対の、遅くなっていくもの、弱くなっていくもの、小さくなっていくもの、下降していくのものはあまり関心を持ちません。そこで、人間は、進んでいるものや上昇しているものがあると、その延長をつい予測します。その予測をくつがえすような下降が急に生じると、笑いが生じることが多いのです。
笑いにはもちろん上げる笑いもあります。しかし、その上げる笑いの面白さも、裏返せば下げる笑いに結びついています。昔、「日本沈没」という小松左京のSF小説を題材にした映画がありました。筒井康隆は、この小説をパロディ化して、「日本以外全部沈没」という短編小説を書きました。タイトルを見ただけで面白いのは、これが日本を上げる一方、日本以外を全部下げているからです。
一般に、共通の第三者を下げる笑いは考えつきやすいのですが、文章はその場かぎりの会話と違って独立したものとして残ります。だから、他人を下げるよりも、自分を下げるような笑いの方が普遍性があります。
笑いには、文化の要素もありますから、これから日本の社会が成熟するにつれて、より高度な笑いの型というようなものが形成されてくるでしょう。しかし、今はまず読み手に対するサービスのつもりで、笑いの練習をしていくといいと思います。
そして、おかしいときに笑うことは誰でもできますが、おかしくないところに笑いを作り出すのは、パワーがないとできません。逆に、パワーがなくても出てくるのは、グチ、不平、不満、などです(笑)。笑いは、表現の工夫であるとともに、生きる姿勢でもあるのです。
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人は理屈よりも感情によって動く。
しかし、感情はコントロールしにくい。
日本人は、感情も言語脳で処理する。
だから、言葉をうまく使えば感情もコントロールできる。
これが、日本文化の中に流れている言霊の仕組みです。
いいことを言うといいことが起き、悪いことを言うと悪いことが起きると、昔の人は考えていました。
それは、日本人の場合は、言葉によって心が動かされる度合いが大きかったからです。
だから、いいことが起きてほしいときは、そう思うのではなく、それを言葉に出して言うのです。
例えば、「いいことが起きた。よかった」という具合に。(まだ起きていないうちに)
子供の音読を聞いていると、その下手さにほとんどの親はいらいらしてきます。
しかし、そこで、「もっと上手に読みなさい」などと言うと、音読は上手になりません。
嘘でもいいぐらいのつもりで、「だんだん上手になってきたみたいだね」と言うと、本当に上手になっていくのです。
そこで、今日のテーマは、
1、言霊についてひとこと、
又は、
2、「こと、だ、ま」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
将来、この日本語の素晴らしさが世界中の人に見直される日が来ると思います。
すると、世界の共通語として、日本語も大きな選択肢となってくるでしょう。
日常会話は日本語で、交渉や論争のときだけ英語でという使い分けができるようになるのかもしれません。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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私の高校時代のあだ名は蛍光灯でした。
言葉より
黙って見つめる
間が大事
いつか、行間を読んでもらう文章が書けるようになりたいものです。子育てにおいても、注意しすぎないことが大事ですね。
ちゃくちゃくさん、こんにちは。
関心を持つが注意はしないというところが難しいですね。
でも、親子の場合は、すぐ軌道修正ができるので、ときどきふりかえれば大丈夫だと思います。
K先生に勧めてもらった、「若おかみは小学生①から⑰」を
去年の夏休みから毎日毎日一日も欠かさずに読んでいます。
すっかり気に入っっています。
机に一冊、こたつに一冊、車に一冊、ふとんの中から、トイレから洗面所から、若おかみが出てくるので片づける側は、ちょっと大変です(笑)
最近は、クイズみたいに、私がどこか一行読めば、何巻かがわかるようになりました。
きっとが済むまで読むのでしょうね。
私もあなたと同じことをしてます!(`・ω・´)
いい本をすすめてくれてありがとうございます。
こういうシリーズの本に出合うと、子供の読書量が急に増えるようですね。
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一生休まずに泳ぎ続けるマグロに、
広い海が必要なように、
休まずに進歩し続ける人類には、
常に新しいフロンティアが必要だ。
ただし、そのフロンティアは、利権として消化されることを目的とした夢のない公共事業ではありません。
世界の砂漠の開発、極地の開発、日本の周囲に広がる海洋の開発、宇宙の開発、そして人間の心身の開発など、人類に新しい創造をもたらす分野です。
若者に希望がないとしたら、それはただフロンティアがないような気がしているからです。
狭い一本道でひとつの方向に向かって進むことが強制されているように思えるから、元気が出ないのです。
もう進歩はやめてのんびりしようという人もいますが、のんびり暮らすこと自体が新しいフロンティアの可能性です。
現代は、新しいフロンティアをみんなで探す時代なのです。
ということで、
1、新しいフロンティアについてひとこと、
又は、
2、「み、かい、たく」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
最高時速160キロで泳ぐマグロは、酸素の消費量が大きい筋肉を持つために、えら呼吸だけでは間に合わず一生休まずに泳ぎ続けるそうです。
人間も似ています。
犬や猫は、日がな一日同じように暮らしていても、それでどうということはありませんが、人間は常に進歩していないと、退歩してしまうのです。
ただし、その進歩はこれまでのようなものでありません。もっと人間的な進歩を、新しいフロンティアとしてこれから見つけていくのだと思います。
そして、世界のフロンティアを切り開く技術と資金の裏づけを持つ第一の国は日本です。
日本が国内の狭い足の引っ張り合いで互いに消耗しているのではなく、大きなビジョンを真っ先に提案する必要があるのです。
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要約は、勉強の手段であって目的ではありません。しかし、国語のテストで要約の問題が出ることがあるので、目的のように考えてしまうことがあるのです。
では、何の手段かというと、ひとつには、長い文章を短くまとめて相手に伝えやすくするということです。もうひとつは、文章を短くまとめることによって、自分の理解を整理するということです。
だから、要約は、形だけできればいいというのではありません。しかし、形ができなければ、ただ考えているだけで勉強にはなりません。だから、言葉の森の勉強は、要約の形を作るところから始めています。
ところで、文章には、大きく分けて、事実文、説明文、意見文の三つの種類があります。普通の文章にはこれらか混在していますが、事実中心の文章は事実文、説明中心の文章は説明文、意見が中心の文章は意見文と分けることができます。
事実中心の文章の場合は、要約というよりもあらすじという言い方が適当です。全体から重要な事実をつなげて短くまとめるような形になります。
説明文は、そのまま要約といってよいでしょう。重要な説明をつなげて、全体がわかるようにまとめていきます。
意見文は要約として書くこともできますが、要点を抽出するというように更に小さく絞って書くことができます。要点は、結びの部分に書かれていることが多いので、文章の最後の方を中心にまとめると要点をまとめたことになることが多いようです。
さて、言葉の森では、要約を書く際に、ひとつの文を40-50字と考えて計算します。150字の要約であれば、3文から4文を目安にまとめるということです。
まず、元の文章を読みます。読みながら、自分なりに、面白いと思ったところ、よくわかったところ、大事だと思ったところに傍線を引いていきます。傍線は、多めに引いておく方が、あとで要約をしやすくなります。
傍線を引きながらその文章を一度読み終えたら、次に、その傍線を引いた部分だけど、飛ばし読みで二度、三度と繰り返し読みます。飛ばし読みですから、すぐに読み終えることができます。
繰り返し読んでいると、文章の全体像が頭に入るので、傍線を引いた中で、特に重要だと思うところを要約の字数に合わせて、必要な文の数だけ選びます。それらの文をつなげたのが要約です。
しかし、ここで年齢の問題が出てきます。一般に、物事を構造的にとらえることができるようになるのは小学校5年生からです。従って、小学校4年生で要約の勉強をさせるのは、やや無理があります。
同様の理由で、作文を書く前に構成メモを書かせるというやり方も、小学校4年生以下では、かえって勉強を複雑にしてわかりにくくさせてしまう面があります。
だから、「うちの子は要約が苦手で」というのは、心配する必要はありません。ひとつは、能力の問題ではなく年齢の問題だからです。もうひとつは、要約の方法を知らなかっただけだからです。(つづく)
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マジで要約苦手やろうとしたらわかんなくなっちゃう
要約の仕方が分からん!
心の中(感覚)では要約できるのに言葉にできない、文章として書き出せない。
答えを見て「あぁ、やっぱりそうか。」となる。
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「ふとんがふっとんだ」が面白いのは、
そこに不自由な言葉が介在しているからだ。
もし、自由なイメージやテレパシーで同じことを完璧に伝えられたら、
面白くも何ともない。「ふーん、そう」というだけ。
だから、言葉を持たない動物たちは笑いません。
犬などは、人間にかなり近い感情を持っていますが、喜びはあっても笑うということはありません。(嬉しさを目と口と尻尾で表現することはありますが)
この言葉の持つギャップが、創造のひとつの源です。
もうひとつの源は何かというと、それは不自由な身体です。
生き物は身体があるから、自由に好きなところには行けずに、ころんだりぶつかったりといろいろ不自由な思いをします。
しかし、そこで、不自由さを克服したいという意欲と情熱が生まれます。
身体の持つ不自由さから来る情熱が、言葉の持つ不自由さと結びついて、人間らしい創造が生まれてくるのです。
ということで、不自由さにも感謝(笑)。
1、不自由についてひとこと、
又は、
2、「ふ、じ、ゆう」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日から天気は下り坂で、夕方から明日にかけては威勢のいい大荒れのようです。
でも、日曜日にはもう晴れて、お花見の準備に突入でしょう。
お天気も、自由にならないところに味があるのかもしれません。
それでは、今日も雨にも負けずいい一日をお過ごしください。
(写真は「SOZAIjietn」より)
笑う犬。
「キャハハハハ」(うそでしょ)
【参考】言葉の森のダジャレの木
https://www.mori7.net/ki/dajare/print.php
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言葉の森の通学教室では、小4でローマ字を習ったあと、希望者は作文をパソコンで入力するようにしています。ですから、小5以上の生徒は、ほとんどパソコンで入力しています。
初めてパソコン入力する場合、目標の字数は100字程度(パソコンの画面で2行程度)としています。しかし、1か月もたつと600字ぐらいはすぐに打てるようになります。
入力の仕方で注意するのは、10本指のホームポジションを決めてタッチタイピングで入力するということです。しかし、自己流で入力してしまう子もよくいます。
教室の練習だけではなかなか速く打てるようにはならないので、家庭で毎日練習することをすすめています。その方法は、自分の知っている歌を1曲歌いながら、その歌詞を入力することです。毎日1曲と決めて打っていれば、やりすぎることも練習を忘れることもありません。
パソコン入力の利点のひとつは、疲労度が少ないということです。もうひとつの利点は、やはり自分の書いた文章がきれいに表示されるので、作品としてまとまったという印象が強く達成感があることです。そして、最も大きな利点は、言葉の森の場合、パソコン入力した文章が森リンで自動採点されるので、その文章の評価がすぐにわかるということです。森リンの点数は、その子の文章力との相関がかなり高く、学年が上がるにつれてどの子も、森リンの点数が少しずつ上がっていきます。
パソコンで打つことに対するマイナス面として、漢字を覚えなくなるとか、手で書けなくなるとかいうことを心配する人がいますが、それは問題ありません。
漢字の力は手書きだからつくというものではありません。手書きの場合、知らない漢字は別の知っている漢字に置き換えて書くのが普通です。漢字の力は、漢字を書く練習の中で身につくものです。
また、学校生活のほとんどの時間は手書きで勉強しています。作文を入力するときだけパソコンで打っても、それで手書きの機会がなくなるわけではありません。
ただし、パソコン入力で作文を書く場合、次の点は注意しておくといいと思います。
第一は、パソコンの文章は修正が容易なので、直しながら書くことが癖のようになってしまうことがあることです。手書きの場合は消しゴムを使って書き直すのが面倒なので、自然に慎重に書くようになります。パソコンの場合も、できるだけ修正しないつもりで書いていくことが大事です。
第二は、パソコンで入力していると、間違って覚えている漢字を検証する機会がなくなるということです。大人の場合でも、小学校中高学年で習ったはずの日常的な感じを間違えて覚えていることがよくあります。たとえば、友達の「達」を「幸」の字で書いたり、完璧の「璧」を「壁」と書いたり、「迎える」という字を「柳」のように書いたり、ということは、手書きで書いていれば間違いを他の人から指摘してもらえますが、パソコンで書いていると間違えて覚えていることに気が付きません。
第三は、パソコンは図をかくのには向いていないということです。文章を入力するだけならパソコンの方が便利ですが、文章を書く前の考える過程では、考える要素が多くなるほど手書きが必要になります。将来は、パソコンで容易に図もかけるようになると思いますが、今のところ手軽さという点では、紙とペンがいちばんです。
将来、パソコンと作文の関係はどのようになるでしょうか。
手書きで図をかいて考えるという過程はずっと残りますが、パソコンの画面で図をかくという形になるでしょう。
キーボードで入力するよりも速い入力方法として音声入力が一般化すると思います。しかし、日本語は音素数が少ないため同音異義語の判別の問題が残ります。音声をひらがなだけでいったんテキスト化したあと、そのひらがなテキストを随時漢字変換するようなソフトができると思います。
しかし、そのような形で長い文章が次々と量産されると、今度は読む時間がなくなるという問題が出てきます。そこで、創造的な価値ある内容を、できるだけ短く美しく書くということが重要になってきます。短歌や俳句ほどではないとしても、短い方がいい文章と言われる時代になるかもしれません。
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鳥は最初に見たものを親だと思う。それがたとえ長靴でも。
今の大人たちの多くは、日本のことを悪く言うことが
流行だった時代に、青年時代を送った。
まずそのことの自覚から始めよう。
人間は、鳥と違ってその後の学習で、より正しい知識に軌道修正していくことができます。
だから、大事なのは、大人になっても新しいことを学び続けることです。
日本のことを悪く言う人たちを見て、ふと思うのは、自分の子供を育てるときに、
「うちの先祖は、悪い人ばかりで、人のものを盗んだり、人をいじめたりばかりしていたんだよ」
と教えて、その反省からいい子が育つかということです。
どんな物事にも、よい面と悪い面があります。
しかし、欠点を直して生きるのではなく、長所を伸ばして生きてきたのが人類の歴史です。
これまでの先入観が強いために、誰でも言いがちなのは、「欧米では……なのに、日本では」という言葉です。
日本がいちばんの先進国なのだという自覚を持たなければ、自分の手で新しい未来を切り開くことはできません。
(それは、もちろん、どの国も自分の国がいちばんだと思うことを前提にしたうえでですが)
謙虚さは美徳ですが、それはもうみんなたっぷり持っています(笑)。
行き過ぎた行動を修正するのは、謙虚さではなく、より高い理想です。
ということで、今日のテーマは、
1、日本についてひとこと、
又は、
2、「せん、しん、こく」で五七五、
又は、
3、何でも自由にどうぞ。
今日は、穏やかな曇り空です
普段通らない道を通ると、道端に、もうオオイヌノフグリが咲いていました。
空にも、足もとにも、小さな春が顔を出しているようです。
それでは今日もいい一日をお過ごしください。
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