学校では、国語も算数・数学も英語も理科も社会も、同じ勉強という名前で呼ばれています。
だから、どの教科もできるようにしようと思い、同じぐらいの時間をとって勉強しても、国語力だけはかけた時間に比例して実力がつくわけではありません。国語という教科は、勉強ではなく、国語的な生活のことだからです。
国語の塾に行って国語の問題を毎日何時間も解いて、しかし本をあまり読まない子と、国語の勉強はしていないがよく本を読む子がいた場合、国語の成績がいいのは、勉強をしている子ではなく本を読んでいる子の方です。
小さいころ国語の力があった子でも、学年が上がるにつれて国語力が低下することがあります。小さいころは、お母さんが読み聞かせをしてあげたので、国語的な力がついていたのですが、学年が上がり自分で本を読むようになるころ、勉強の方も忙しくなります。すると、ほとんどのお母さんは、読書よりも勉強を優先させてしまうのです。
小学校中学年までの勉強は、できてもできなくてもその後にほとんど何の影響もありません。そのころの成績の差は、学年が上がり中学生になるころにはほとんど解消してしまいます。しかし、今の時点で点数の差がつくために、ついその勉強の方に力を入れてしまうのです。
本当は、勉強は適当に切り上げて、その分、たっぷり本を読んだり遊んだりしなければならない年齢なのに、点数の競争状態に置かれると、親も子もその競争の方に目を奪われてしまうのです。
なぜ小学校中学年のころの成績の差が、学年が上がると解消してしまうかというと、例えば、小学校2年生のころに1時間かけてやっと覚えたようなことも、小学校5年生では10分で理解できるようになる、ということが勉強には多いからです。だから、低中学年で、勉強が人よりよくできるということはあまり意味がありません。そのころは、やればだれでもできるようになります。大事なのは、表面に表れる成績ではなく、表面に表れない考える力です。
この考える力が、学年が上がったときの勉強の土台になってきます。そして、考える力は、主に読書や対話によって育ち、テストの成績ではなく作文の表現力の中に表れてくるのです。
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先日、小学校低学年のころから言葉の森の勉強を始め、中学生や高校生になった生徒の点数の推移を掲載しました。
国語や作文の勉強は、勉強を始めた最初のころはすぐに成果が上がりますが、その後長い間、実力の足踏み状態が続くことがあります。その足踏み状態の間も、音読や読書を続けることによって必ず実力はついていきます。しかし、ほかの勉強と違い、その実力が表面に出てくるまでにかなり長い時間がかかるのです。
言葉の森で勉強する子の典型的なパターンに次のようなケースがあります。
まず、小学校中学年のころ、国語や作文があまり得意でないことがわかり言葉の森で勉強を始めます。そこで、すぐに実力がついてきますが、高学年になると、塾の受験勉強との両立が難しくなってきます。
塾が忙しくなると言葉の森の自習がなかなかできなくなる一方、塾でも国語の勉強があるので、いったん言葉の森はやめて塾の勉強に専念します。
そして、中学受験は何とか終わりますが、塾の勉強では国語の力は結局つかなかったことがわかり、中学生になるとまた言葉の森を再開します。
ここで、部活や定期試験に追われてやはりまた言葉の森を続けられなくなり、その後高校生になって再開する子もいますが、中学生時代に言葉の森の勉強を続けられるようになると、次第に国語と作文の実力がついてきます。
その実力のつく度合いはゆっくりなので目立たない感じがしますが、やがて中学3年生ごろになると、いつの間にか国語が得意教科になっていたとわかるのです。そして、その得意な国語や小論文を大学入試でも生かせるようになるのです。
国語や作文の実力は、長く続けることでついてくるということが、Yさんの特典推移グラフを見るとよくわかります。
Yさんは、小1から言葉の森を始めました。
(1)そのころ書いた字数は、小1で300字、小2で469字ですから、よく書けている方です。しかし、小学校低学年から言葉の森の勉強を始める子は、作文が得意な子が多く、学年全体の平均は、小1が424字、小2が628字でした。
グラフをよく見ると、小3のころは1293字も書いていますが、小4でいったん677字と学年の平均と同じぐらいの字数になります。もしかすると、このころにスランプがあったのかもしれません。
(2)しかし、その後、Yさんは学年が上がるにつれて実力を伸ばしていき、小6で1097字、中1で1531字の作文を書いています。このころになると、課題が難しくなるので、長く書ける子が減ってきます。そのため、学年の平均は小6で571字、中1で598字です。
(3)字数だけではわからない実力の伸びが、森リンの点数ではよくわかります。Yさんの小6までの作文は、森リン点が79点でしたが、中1になると一挙に87点になっています。森リンの字数の算入上限は小6以上で1200字としているので、これは字数が増えたからではなく、内容が高度になったから点数が高くなったということです。中1の作文で森リン点が87点というのは、言葉の森の同学年の生徒の中でベスト10に入る実力です。
こういうグラフの推移をみると、実力の伸びに波はあるが、長く続けていれば必ず実力がついてくるということがわかります。(つづく)
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体験学習ご希望のメールをいただきましたが、枚方市の電話番号が違っているようで連絡がつきません。
メールにも何度か返信しましたが、やはり連絡がつきません。
お心当たりの方は、言葉の森までご連絡くださるようお願い申し上げます。
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今年度、入試で作文・小論文の試験を受ける生徒を対象にした受験コースの受付を行います。これは、普段の課題の勉強の代わりに、志望校の過去問をもとにした練習をしていくものです。
作文・小論文の字数は400字以上が目安です。150字程度の記述式の試験対策は、受験コースの対象にはしていません。記述式の試験の勉強の仕方は、次のページを参考にしてください。
「国語の記述問題にどう取り組むか」
https://www.mori7.com/as/1225.html
「国語の読解力、記述力のつけ方」
https://www.mori7.com/as/1364.html
「国語の勉強法」
https://www.mori7.com/bennkyou.html
これまで、受験コースの期間は、小中高とも受験の5か月前からとしていましたが、中高生の場合は、書き方の要領がわかれば受験対策はできるので、中学生は3か月間、高校生は2か月間とします。料金は、いずれも、通常の受講料に2100円を加算した額になります。
期間は例えば小学生で、2月10日に試験がある場合、月単位で9月~1月の5か月間となります。早めに取り組んでもいいので、8月~12月という形もとれます。また、回数を少なくして12月の1か月間だけということもできます。
受験コースの基本は、普段の作文課題の勉強と同じで、制限字数と制限時間があることだけが大きな違いですから、普段の勉強で時間と字数を決めて書くようにすればそれがそのまま受験対策になります。
言葉の森の受験作文小論文指導は、他の塾や予備校の受験指導とは比較にならないほどわかりやすくレベルが高いという声をよく聞きます。指導の仕方がオリジナルで、ほかではやっていないものばかりだからだと思います。しかし、
受験コースは、これまで言葉の森で勉強していた生徒に対するサービスとして行っているものです。ですから、今年度の受験コースの受付は、現在在籍している生徒だけが対象です。
受験コースは、受験前の何か月間という形の募集ですが、どういう準備をしたらいいのか早めに知りたいという方はお問い合わせください。
なお、facebookに、受験のための作文小論文について随時質問できるグループを作っています。
「受験作文小論文の岸」(facebookグループ)
http://www.facebook.com/groups/118561001561769/
facebookに参加できない国の方もいるので、このグループ内で投稿された主な記事は、言葉の森の掲示板にも転載する予定です。
「受験作文小論文の丘(仮称)」(言葉の森掲示板)
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言葉の森では、小3から感想文の課題があります。本当は、小3ではまだ感想文を書く必要はないのですが、書き方の形を練習しておかないと学校などで宿題として感想文の課題が出たときに困るから練習することにしています。
ですから、小3で感想文の課題を上手に書ける子はほとんどいません。ただし、上手には書けなくても長く書ける子はいます。それは、もとの文章に対する理解が深く、似た例をよく考えてくる子です。
もとの文章を理解し似た例を考えるのに最も大切なのは、もとの文書を繰り返し読んでおくことです。文章というものは、不思議なことに、1回読んだだけでは見落としていたことが、2回目、3回目と読むにつれて目に入るようになってくるのです。
そのようにして理解した内容を、自分の言葉で表現するのが対話です。感想文の場合は、子供がお父さんやお母さんに、その長文の内容を説明し、お父さんやお母さんがその子供の説明を聞いて、似た話をしてあげるというのが対話の基本の形になります。
しかし、子供によっては、これまでの勉強の延長から、お父さんやお母さんに、似た例という答えを聞くという姿勢になってしまう子も多いようです。また、お父さんやお母さんも、子供に似た例を教えてあげることが役割のように考えてしまうことがあると思います。
対話の中心は、子供が、それまで毎日音読していた長文の内容を説明することです。それも、長文を見ながらではなく、自分の頭の中に入っている範囲で自分の理解したことを説明していきます。だから、最初のうちは、説明はあまり上手でないはずですが、ここで、大事なことは、聞いているお父さんやお母さんが、「もっと上手に説明して」などと言わないことです。
音読でも、暗唱でも、説明でも、注意をすれば、更に下手になります。その前に、お父さんやお母さんの前で長文を読んだり説明したりすることを嫌がるようになります。最初はどんなに要領を得ない説明であっても、それを聞いてあげる中で次第に説明の仕方が上手になってきます。
子供の説明をたっぷり聞いてあげると、説明のために使う語彙がだんだん増えてきます。それがその子の将来の作文の語彙力になってきます。したがって、説明をすること自体が勉強のひとつなのだと考えておくことが大切です。
そして、その説明を聞いたあと、お父さんやお母さんがその話に関連した似た話をしてあげます。しかし、それは長文の内容にぴったり合った似た話である必要はありません。むしろ、長文の内容にあった話などなかなか思いつかないのが普通です。そこで、長文の内容を拡大解釈して、言わば話がずれてもかまわないという気持ちで話してあげることが必要になります。
また、その話の内容は、できるだけお父さんやお母さんの自分の体験に基づいたものにしていくことです。なぜかというと、子供は抽象的な話であっても、それが身近な人の体験と結びついているとより深く理解できるようになるからです。
子供時代、いろいろないたずらをして大人になったお父さんやお母さんは、似た話を見つけるのが比較的得意だと思います。しかし、そうでないお父さんやお母さんも多いと思います。
似た話が見つからないときは、親が話をしてあげるという姿勢をとらずに、子供の説明を聞いてあげるとか、子供に教えてもらうとかいう姿勢で話をしていくと対話を進めやすくなります。
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最近の国語の入試では、記述式の問題が増えています。大学入試センター試験など、短期間で大量の採点を必要とする国語問題ではまだ選択式が中心ですが、選択式の問題は解き方のコツがわかるとかなり高得点がとれるので、子供たちの本当の国語力を表しているとは言えません。
東大をはじめ国立大学の入試問題は、国語に限らず英語などでも記述式の問題が主流です。ですから、中学や高校の入試も、難関校ほど記述式の問題が多くなります。記述式の問題の方が、その子の本当の国語力がわかるからです。
その記述式の問題よりも更に国語力がはっきりとわかるのが作文です。ところが、この作文の課題は、易しいものから難しいものまでかなり広がりがあります。易しい作文課題は、生活作文の一種のようなもので、「私の友達」や「この一年間で思い出に残った出来事」などという内容のものです。実は、こういう易しい作文課題では、子供たちの実力の差はあまり出てきません。実力の差というよりも、取り上げた題材の差の方が大きく出てくるので、本当の実力はなかなかわかりません。
そのため、今の入試で行われる作文の課題は、身近な課題はほとんどなく、意見文的な課題や感想文の課題が主流になっています。
言葉の森の作文の課題も、小学校5年生から感想文が中心になります。この感想文を書くために毎週難しい長文を読み自分なりに似た例を考える練習をしていると、書く力だけでなく読み取る力もついてきます。
作文の実力というものは、実はなかなか上達しないものです。よく穴埋め問題を解かせるようなプリントを使って、それが作文の学習の基礎になっているという指導をしているところがあります。しかし、穴埋め問題を解くことと、作文の実力がつくことの間にはほとんど何の関係もありません。
作文の実力は、作文を実際に書く中でしか身につかないからです。
そして、この、子供たちに作文を書かせるということ自体が難しいのです。小学校低中学年のときにいくら穴埋め問題をやっても、小学校高学年になって作文を書く実力はついていません。だから、作文の勉強をするには、小学校低中学年から正しい方向で勉強をしていく必要があります。その正しい方向とは何かといえば、読む力をつけることと、実際に作文を書く練習をすることです。
言葉の森の子供たちの作文力の推移を見ると、小学校低学年のころに作文が苦手か普通だった子が、小学校高学年からだんだん得意になり、中学生になると自信を持って優れた作文を書くようになっています。しかし、その実力の伸びはきわめてゆるやかなので、途中には、作文力が停滞しているように見える時期が必ずあります。しかし、その停滞しているように見える時期も、気長に読む勉強としての長文音読などを続けることによって、学年が上がるにつれて作文の実力が再びついてくるのです。
実は、こういう長期的な見通しがあって作文指導をしている作文教室はほとんどないと思います。作文の実力はなかなかつかないので、その教え方がいいかどうかは何年かたってみないとわかりません。そして、穴埋め問題でやりやすい勉強をしていたのでは、何年かたったときに結局何も実力がついていなかったということになります。作文の実力をつけるにはかなり時間がかかりますが、実力をつけるための方法は確実にあるのです。
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穴埋めイコール暗記で考えていますよね?穴埋めも読解力要ります。
問題の形式ではなく、問題のレベルですが、穴埋めはレベルが低いことが多いです。
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これまでの創造性の説明は、読む創造性についてでした。つまり、ある知識に習熟することが創造の土台になるという意味での創造性でした。しかし、創造にはこのほかに書く創造性があります。
人が何かの意見を考えるとき、その考え方にはある構成が伴います。例えば、意見を考えたあとその理由を考えるとか、原因を考えたあとその対策を考えるとかいう構成です。
そして、人間は、ある物事を自分なりに考えていくうちに、自分の考え方の構成に習熟していきます。読む創造の土台が題材の習熟であるのに対して、これは構成の習熟です。
スピノザは、その著作の中でしばしば、「すべての規定は否定である」ということを述べています。これが彼の思考の方法のひとつの骨格になっていることがわかります。毛沢東は、「あらゆる矛盾は内部矛盾である」と考えました。それは時には、外部的要因の影響を過小評価することにもつながりましたが、物事の未知の本質を探るとき、その考え方の方法論が有効になったことも多かったのだと思います。
同じように、物事を考える機会の多い人は、だれでも自分の考え方の構成に習熟するようになります。ある構成に基づいて考えるとき、その構成にあてはまらないものが見つかればそれが発見になります。そして、その空白を埋めることが創造になるのです。
作文の勉強でも、複数の理由、複数の意見と総合化の主題、歴史的原因と社会的原因、予測問題の主題など、構成の仕方に課題をあてはめようとすると、自分の考えがまだ空白のままになっている部分に気がつきます。その空白を埋めようとするとき、新しい考えが生まれます。
「書くことは人間を正確にする」というベーコンの言葉をしばしば引用しますが、書き続けることによってその正確さが何度もなぞられ、それがやがて考え方の溝のようになります。その溝として刻まれた構成にによってさまざまな物事に対する自分なりの見方、つまり創造が生まれます。これが書く創造性です。(つづく)
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