これまでいい作文を書いていた子が、急にあまり面白くない形だけの作文を書くようになることがあります。
その原因の第一は、多忙です。よくあるのが、塾の勉強を始めたので、その宿題などに時間がとられるようになったというケースです。つまり、次々と知識を吸収しなければならない時間が続くので、子供に余裕がなくなってしまうのです。言葉の森の作文は、項目指導をしていることが特徴ですが、勉強の予定が詰まっている中で作文を書くと、どうしてもその項目の形だけをほどほどに仕上げるということになりがちです。
そういう子供の場合は、字数も、決められた字数のところまでしか書こうとしません。作文というのは、書きたいことがあれば、字数の目標など考えずにいくらでも書きたくなるものですが、余裕がないので、いつでも目標字数ぎりぎりまでしか書かないようになるのです。
子犬の遊びや訓練のときの注意点は、飽きるまでやらないということです。ボールを投げて取ってくるという練習でも、子犬は喜んで何度でもやりたがりますが、そこでたっぷり満足するまでやると、次からはもうその遊びに飽きてしまい熱中して取り組むことがなくなります。
人間でも同じです。食事と同じように、遊びでも勉強でも八分目でやめて余裕を残しておくことが大事です。ところが、親は、遊びの八分目はできるのですが、勉強の八分目はなかなかできません。新しい勉強を始めて、子供がそれなりに興味を持ってやっていると、やりすぎるところまでやらせてしまうことが多いのです。そういうことを繰り返すと、子供は、すべてほどほどにやるようになります。
では、子供たちはなぜそんなに多忙なのでしょうか。それは、重要なことも重要でないことも、すべて同じようにがんばってやらせようとするからです。
数学も、英語も、ピアノも、スイミングも、サッカーも、全部やらせようとすれば、どうしても時間は足りなくなりがちです。その足りなくなった時間のしわ寄せを受けるのが読書だとなると、かえって長い目で見て学力は低下します。
また、勉強も、音楽も、スポーツも、文武両道ですべて育てたいという考えは貴重ですが、最も大事なのは勉強です。この重点を勘違いしている人が多いのです。貝原益軒の江戸時代にもやはり同じような問題はあったようで、益軒は習い事は元となるものを末となるものを見極めよというようなことを述べています。
習い事というのは、かけた時間に比例して上達します。音楽やスポーツは、成果が形としてはっきり出てくるので、つい時間をかけすぎてしまいます。その結果、勉強の時間が後回しになれば、これも本末転倒です。そうならないために、親が、全体のバランスと軽重をしっかりと把握していることが必要です。
江戸時代の勉強は、読み書きそろばんでした。この平凡な勉強が、現代でも小中学生の勉強の最も大事な骨格です。現代流にいえば、どんな本でもばりばり読めること、必要に応じてわかりやすい文章を書けること、中学3年生までの数学は一応全部できること、と言っていいでしょう。この土台があれば、あとは本人が意欲的に勉強に取り組むようになったとき、すぐに成績は上げることができるのです。
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小学校低学年から長く続けている生徒の作文力の点数の推移を見ていると、点数が上昇する子に共通しているのは、本をよく読んでいることだとわかります。
作文の勉強は、作文の中で力がつく部分と、作文の外で力がつく部分とがあります。作文の中で力がつくのは、字数やスピードや構成力です。作文の外、主に読書によって力がつくのは、題材力や表現力の部分です。特に、読書によって新しい語彙を覚えた生徒は、多様な語彙を使えるようになるので森リンの点数が自然に上がります。
しかし、作文力の進歩は、決して一本調子ではありません。本もよく読んで、自習の暗唱音読もしているのに、それがなかなか作文の中に出てこないという時期はだれでもあります。教科の勉強は、勉強したことがすぐに成果として出てきますが、作文の勉強は、読書や自習の蓄積が形として出てくるまでに時間がかかることがあるのです。だから、作文の勉強のこういう特徴を知っておくことも、大事なことなのです。
Sさんは、小2から言葉の森を始めました。
(4)小2、小3のころは学年平均と同じぐらいの字数を書いていました。字数と作文力の相関は高いので、このころは普通によく書けるという感じだったと思います。
(5)ところが、小3、小4と字数がだんだん減っています。感想文の課題などが入ってきたために書きにくくなったのでしょうが、作文はメンタルなものなので、このころは一時的なスランプがあったのだと思います。勉強をしていてスランプに陥るのは、「何のためにやっているのかわからない」「上達しているという自覚がない」というときです。こういうときは、お父さんやお母さんなどの周囲の人が、その子の作文のいいところを見て励ましてあげるといいと思います。
(6)小5の難しい課題になってから、また学年平均の字数で書けるようになり、小6から字数が急に増えます。小6以上の字数の目標は1200字ですから、小6、中1、中2、中3とほとんどその目標字数をクリアしています。作文を書く力が安定してきたことがわかります。
(7)字数だけ見ていたのでは、小6から中3にかけて、作文の内容にどんな変化があったのかわかりません。森リンの点数を見ると、小6、中1は、学年平均と同じ80点ぐらいです。しかし、中2、中3になると、この森リン点が一挙に88点、90点と上がります。森リン点が80点台後半というのは、密度の濃い文章を書いていることですから、この時期にかなり作文力がついたのだということがわかります。
ちなみに、森リン90点がどのくらいの実力かというと、大学入試で小論文の試験があった場合、事前にそのジャンルに合わせて書き方の説明を少しすれば、どの大学の入試小論文でも合格圏内に入る文章を書くことができるというレベルです。
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教室の床がへこんでいたので、3日間工事してもらった。教室がきれいになったのを機に、机の配置も普通の教室のような雰囲気にした。ここで、森林プロジェクトのモデル教室のような形の運営をして、全国の講師がいつでも見学に来られるようにする予定。
教室を直したのでついでに、事務室の机も大移動した。電源コードや電話線やらLANケーブルがスパゲティ状態というか、カップヌードル状態で、最初は途方に暮れたが、それでも夕方には無事に片付いた。(それで今この記事を書いているところ)
このあと、仕事の分担と年間計画を決めて、本格的にビジネスライクにやる予定。ということは、今までは、あまりビジネス的でなかったということか(笑)。
これからいちばん力を入れていくのが、森リンテクノロジー。ちなみに、森リンとは、言葉の森の小論文自動採点システムの愛称で、「もりりん」と呼ぶ。由来は、言葉の森に棲むという七色のキリンの伝説から。というか、勝手に伝説を作った(笑)。
森リンテクノロジーとは、子供たちの作文を小1から解析して、文章力や思考力の上達の度合いを科学的に表示する仕組みだ。
今の小学生は、子供も親も、点数化される教科の成績にすぐ目を奪われてしまうので、そのような知識だけですぐに上がる点数ではなく、もっと学力の本質である思考力を数値化して対抗するという意図がある。
今の子供たちの勉強の状況を見ると、点数化しなくてもいいようなところで点数が出るので、それに振り回されている感がある。小学校中学年までのテストの成績などは、ほとんど意味がない。むしろそれよりも、日本語の語彙の豊かさ(それがつまり思考力だが)を大事にしていく必要がある。それを追求するのが森リンテクノロジーだ。
しかし、そのためには、作文の清書のときなどに、手書きで書いた文章をパソコン入力で清書する必要がある。
昔は、ローマ字入力ができる小4か小5のころからパソコン入力の仕方(いわゆるブラインドタッチというかタッチタイピング)を教えてきたが、最近、日本語はひらがな入力、英語はローマ字入力と使い分けができることがわかったので、場合によっては、ひらがなが書けるようになったらすぐにパソコン入力を教えてもいいかもしれないと思っている。実際、ひらがな入力の方が、ローマ字入力よりも速い。
私は、ひらがな入力、シフトJIS入力、ローマ字入力と三つの入力の仕方を経験している(現在はローマ字入力)。しかし、いま冷静によく考えてみると、日本人はひらがな入力がいちばんいいのではないかと思いつつある。話は変わるが、ケータイの親指入力はできない。(^^ゞ
さて、言葉の森の通学教室運営で、森リンテクノロジーと並ぶもうひとつの柱は、作文発表会だ。作文というと、受験で作文・小論文があるから勉強するという発想を多くの人は持ちがちだが、そして、そういう対応はもちろん十分にできるが、作文を受験のための勉強と考えると味気ないものになってしまう。
もっと、作文の勉強で、個性と知性と感性のあるいい文章を書くこと自体が目的になるような教室にしていきたい。イメージとしては、異なる学年の子供たちが、自分の書いた作文を暗唱して、みんなの前で身振り手振りを入れながら上手に発表するという形。スピーチという感じに似ているかもしれない。
そして、日本に作文文化というようなものを作っていきたいと思っている。
明日は、床を直した教室に、本や机を運び込む仕事がある。また、朝から力仕事だ。
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学校では、国語も算数・数学も英語も理科も社会も、同じ勉強という名前で呼ばれています。
だから、どの教科もできるようにしようと思い、同じぐらいの時間をとって勉強しても、国語力だけはかけた時間に比例して実力がつくわけではありません。国語という教科は、勉強ではなく、国語的な生活のことだからです。
国語の塾に行って国語の問題を毎日何時間も解いて、しかし本をあまり読まない子と、国語の勉強はしていないがよく本を読む子がいた場合、国語の成績がいいのは、勉強をしている子ではなく本を読んでいる子の方です。
小さいころ国語の力があった子でも、学年が上がるにつれて国語力が低下することがあります。小さいころは、お母さんが読み聞かせをしてあげたので、国語的な力がついていたのですが、学年が上がり自分で本を読むようになるころ、勉強の方も忙しくなります。すると、ほとんどのお母さんは、読書よりも勉強を優先させてしまうのです。
小学校中学年までの勉強は、できてもできなくてもその後にほとんど何の影響もありません。そのころの成績の差は、学年が上がり中学生になるころにはほとんど解消してしまいます。しかし、今の時点で点数の差がつくために、ついその勉強の方に力を入れてしまうのです。
本当は、勉強は適当に切り上げて、その分、たっぷり本を読んだり遊んだりしなければならない年齢なのに、点数の競争状態に置かれると、親も子もその競争の方に目を奪われてしまうのです。
なぜ小学校中学年のころの成績の差が、学年が上がると解消してしまうかというと、例えば、小学校2年生のころに1時間かけてやっと覚えたようなことも、小学校5年生では10分で理解できるようになる、ということが勉強には多いからです。だから、低中学年で、勉強が人よりよくできるということはあまり意味がありません。そのころは、やればだれでもできるようになります。大事なのは、表面に表れる成績ではなく、表面に表れない考える力です。
この考える力が、学年が上がったときの勉強の土台になってきます。そして、考える力は、主に読書や対話によって育ち、テストの成績ではなく作文の表現力の中に表れてくるのです。
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先日、小学校低学年のころから言葉の森の勉強を始め、中学生や高校生になった生徒の点数の推移を掲載しました。
国語や作文の勉強は、勉強を始めた最初のころはすぐに成果が上がりますが、その後長い間、実力の足踏み状態が続くことがあります。その足踏み状態の間も、音読や読書を続けることによって必ず実力はついていきます。しかし、ほかの勉強と違い、その実力が表面に出てくるまでにかなり長い時間がかかるのです。
言葉の森で勉強する子の典型的なパターンに次のようなケースがあります。
まず、小学校中学年のころ、国語や作文があまり得意でないことがわかり言葉の森で勉強を始めます。そこで、すぐに実力がついてきますが、高学年になると、塾の受験勉強との両立が難しくなってきます。
塾が忙しくなると言葉の森の自習がなかなかできなくなる一方、塾でも国語の勉強があるので、いったん言葉の森はやめて塾の勉強に専念します。
そして、中学受験は何とか終わりますが、塾の勉強では国語の力は結局つかなかったことがわかり、中学生になるとまた言葉の森を再開します。
ここで、部活や定期試験に追われてやはりまた言葉の森を続けられなくなり、その後高校生になって再開する子もいますが、中学生時代に言葉の森の勉強を続けられるようになると、次第に国語と作文の実力がついてきます。
その実力のつく度合いはゆっくりなので目立たない感じがしますが、やがて中学3年生ごろになると、いつの間にか国語が得意教科になっていたとわかるのです。そして、その得意な国語や小論文を大学入試でも生かせるようになるのです。
国語や作文の実力は、長く続けることでついてくるということが、Yさんの特典推移グラフを見るとよくわかります。
Yさんは、小1から言葉の森を始めました。
(1)そのころ書いた字数は、小1で300字、小2で469字ですから、よく書けている方です。しかし、小学校低学年から言葉の森の勉強を始める子は、作文が得意な子が多く、学年全体の平均は、小1が424字、小2が628字でした。
グラフをよく見ると、小3のころは1293字も書いていますが、小4でいったん677字と学年の平均と同じぐらいの字数になります。もしかすると、このころにスランプがあったのかもしれません。
(2)しかし、その後、Yさんは学年が上がるにつれて実力を伸ばしていき、小6で1097字、中1で1531字の作文を書いています。このころになると、課題が難しくなるので、長く書ける子が減ってきます。そのため、学年の平均は小6で571字、中1で598字です。
(3)字数だけではわからない実力の伸びが、森リンの点数ではよくわかります。Yさんの小6までの作文は、森リン点が79点でしたが、中1になると一挙に87点になっています。森リンの字数の算入上限は小6以上で1200字としているので、これは字数が増えたからではなく、内容が高度になったから点数が高くなったということです。中1の作文で森リン点が87点というのは、言葉の森の同学年の生徒の中でベスト10に入る実力です。
こういうグラフの推移をみると、実力の伸びに波はあるが、長く続けていれば必ず実力がついてくるということがわかります。(つづく)
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体験学習ご希望のメールをいただきましたが、枚方市の電話番号が違っているようで連絡がつきません。
メールにも何度か返信しましたが、やはり連絡がつきません。
お心当たりの方は、言葉の森までご連絡くださるようお願い申し上げます。
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今年度、入試で作文・小論文の試験を受ける生徒を対象にした受験コースの受付を行います。これは、普段の課題の勉強の代わりに、志望校の過去問をもとにした練習をしていくものです。
作文・小論文の字数は400字以上が目安です。150字程度の記述式の試験対策は、受験コースの対象にはしていません。記述式の試験の勉強の仕方は、次のページを参考にしてください。
「国語の記述問題にどう取り組むか」
https://www.mori7.com/as/1225.html
「国語の読解力、記述力のつけ方」
https://www.mori7.com/as/1364.html
「国語の勉強法」
https://www.mori7.com/bennkyou.html
これまで、受験コースの期間は、小中高とも受験の5か月前からとしていましたが、中高生の場合は、書き方の要領がわかれば受験対策はできるので、中学生は3か月間、高校生は2か月間とします。料金は、いずれも、通常の受講料に2100円を加算した額になります。
期間は例えば小学生で、2月10日に試験がある場合、月単位で9月~1月の5か月間となります。早めに取り組んでもいいので、8月~12月という形もとれます。また、回数を少なくして12月の1か月間だけということもできます。
受験コースの基本は、普段の作文課題の勉強と同じで、制限字数と制限時間があることだけが大きな違いですから、普段の勉強で時間と字数を決めて書くようにすればそれがそのまま受験対策になります。
言葉の森の受験作文小論文指導は、他の塾や予備校の受験指導とは比較にならないほどわかりやすくレベルが高いという声をよく聞きます。指導の仕方がオリジナルで、ほかではやっていないものばかりだからだと思います。しかし、
受験コースは、これまで言葉の森で勉強していた生徒に対するサービスとして行っているものです。ですから、今年度の受験コースの受付は、現在在籍している生徒だけが対象です。
受験コースは、受験前の何か月間という形の募集ですが、どういう準備をしたらいいのか早めに知りたいという方はお問い合わせください。
なお、facebookに、受験のための作文小論文について随時質問できるグループを作っています。
「受験作文小論文の岸」(facebookグループ)
http://www.facebook.com/groups/118561001561769/
facebookに参加できない国の方もいるので、このグループ内で投稿された主な記事は、言葉の森の掲示板にも転載する予定です。
「受験作文小論文の丘(仮称)」(言葉の森掲示板)
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言葉の森では、小3から感想文の課題があります。本当は、小3ではまだ感想文を書く必要はないのですが、書き方の形を練習しておかないと学校などで宿題として感想文の課題が出たときに困るから練習することにしています。
ですから、小3で感想文の課題を上手に書ける子はほとんどいません。ただし、上手には書けなくても長く書ける子はいます。それは、もとの文章に対する理解が深く、似た例をよく考えてくる子です。
もとの文章を理解し似た例を考えるのに最も大切なのは、もとの文書を繰り返し読んでおくことです。文章というものは、不思議なことに、1回読んだだけでは見落としていたことが、2回目、3回目と読むにつれて目に入るようになってくるのです。
そのようにして理解した内容を、自分の言葉で表現するのが対話です。感想文の場合は、子供がお父さんやお母さんに、その長文の内容を説明し、お父さんやお母さんがその子供の説明を聞いて、似た話をしてあげるというのが対話の基本の形になります。
しかし、子供によっては、これまでの勉強の延長から、お父さんやお母さんに、似た例という答えを聞くという姿勢になってしまう子も多いようです。また、お父さんやお母さんも、子供に似た例を教えてあげることが役割のように考えてしまうことがあると思います。
対話の中心は、子供が、それまで毎日音読していた長文の内容を説明することです。それも、長文を見ながらではなく、自分の頭の中に入っている範囲で自分の理解したことを説明していきます。だから、最初のうちは、説明はあまり上手でないはずですが、ここで、大事なことは、聞いているお父さんやお母さんが、「もっと上手に説明して」などと言わないことです。
音読でも、暗唱でも、説明でも、注意をすれば、更に下手になります。その前に、お父さんやお母さんの前で長文を読んだり説明したりすることを嫌がるようになります。最初はどんなに要領を得ない説明であっても、それを聞いてあげる中で次第に説明の仕方が上手になってきます。
子供の説明をたっぷり聞いてあげると、説明のために使う語彙がだんだん増えてきます。それがその子の将来の作文の語彙力になってきます。したがって、説明をすること自体が勉強のひとつなのだと考えておくことが大切です。
そして、その説明を聞いたあと、お父さんやお母さんがその話に関連した似た話をしてあげます。しかし、それは長文の内容にぴったり合った似た話である必要はありません。むしろ、長文の内容にあった話などなかなか思いつかないのが普通です。そこで、長文の内容を拡大解釈して、言わば話がずれてもかまわないという気持ちで話してあげることが必要になります。
また、その話の内容は、できるだけお父さんやお母さんの自分の体験に基づいたものにしていくことです。なぜかというと、子供は抽象的な話であっても、それが身近な人の体験と結びついているとより深く理解できるようになるからです。
子供時代、いろいろないたずらをして大人になったお父さんやお母さんは、似た話を見つけるのが比較的得意だと思います。しかし、そうでないお父さんやお母さんも多いと思います。
似た話が見つからないときは、親が話をしてあげるという姿勢をとらずに、子供の説明を聞いてあげるとか、子供に教えてもらうとかいう姿勢で話をしていくと対話を進めやすくなります。
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