言葉の森の教材がある団体で、そのままその団体の副教材のようなかたちで使われていたそうです。
同じような例で、国語の勉強法が書いてあるホームページの内容が、言葉の森のページの内容とほとんど同じだったことがあります。
もちろん、両方のケースとも、それらの団体から言葉の森の方には何の連絡もありません。ただ黙ってこちらの作った内容をそのまま利用しているだけです。
しかし、この件について、私(森川林)は次のように考えています。
第一に、よいものはいくら制限をしたり隠したりしていても、自然に広がっていきます。それをとどめようとすれば、いろいろ不自然な無理をしなければなりません。そういう無理をするよりも、割り切って、よいものは多くの人が利用できればよいというふうに考えたいと思います。こちらがオリジナルに作った教材やノウハウであっても、それを利用したい人がいれば、利用してかまわないということです。その分、こちらは更にオリジナルなものを作っていけばいいだけです。
第二に、教材やノウハウがたとえ表面的に同じであっても、本当に大事なのはそれを実際に活用するところです。活用というのは、たとえば長文を読んだり、毎週作文を書いたりすることです。教材は真似できても、そのような実践の部分は真似ができません。ですから、教材の本当の価値は、その活用の部分にあると思います。
以上、他の団体が言葉の森の教材を無断でそのまま使うことは、無断という点で信義上の問題はあると思いますが、基本的には何も気にしていません。
これからも、もっといい教材を作り、よりよく活用できるようにしたいと思っています。
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言葉の森新聞に、これから毎週おもしろい話を一つ書くことにしました。
最近、元気のない人が多いようなので、笑いで元気を取り戻してもらうためです。
さて、今週の一笑。
バスケットボールの試合の打ち上げで、レストランに行き、みんなでにぎやかに食事をしていました。
I君が、おいしそうにスープを飲んでいます。
「おまえ、何飲んでんだよ」
「これ? フカヅメスープ」
そりゃ、違うだろ。
(実話)
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読みやすい文章を書く人の文の長さの平均は40−45字です。
文の長さの平均が短い人は、文章を書くときにあまり深く考えていません。ですから、小学生の文章では、文の長さの平均が自然に短くなります。もちろん、これがよくないというのではありません。生活作文などの事実中心の文章では、文の長さは自然に短くなるからです。
哲学者の書く文章などでは、文の長さの平均が60字前後になることがあります。密度の濃さを感じさせる文章ですが、読みやすいとは言えません。また、平均が長い文を書く人は、よく考えて書いているとは言えますが、その分、文章を書くスピードが低下します。
文の長さの平均以外に、長さのばらつきも読みやすさの重要な要素です。同じような長さの続く文章は単調な印象を与えます。しかし逆に、あまりに長い文と短い文が混在している文章は、読みにくさを感じさせます。
長い文と短い文が適度に混在していて、平均が40−45字の文章が、長さという点で言えば読みやすい文章ということになります。
しかし、文章を書いているときに、いちいち字数を数える人はいません。どうしたら適度な長さの読みやすい文章を書けるかというと、それは、頭の中にあるこれまでに読んだ適度な長さの文章のリズムを思い出すことによってです。そのためには、そういう文章を読む必要があります。
夏休みの読書感想文の図書を探すために、しばらく前に、いろいろな本を読みました。主に、最近出版された小学校高学年向けの物語です。どれも、子供たちが興味を持って読み進められるような優れた内容の本でしたが、一つ一つの文が短いことと、文体がわざとざっくばらんに書いてある本の多いことが気になりました。その一方で、芥川龍之介の「杜子春」などを読むと、使われている語彙は古いものの、文体のリズムはやはり洗練されています。子供向けの文章を選ぶ際には、この文体も重要な要素になってくると思いました。
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ペンネームやパスワードを変更する際に、メールアドレスが消えてしまうというバグがありました。
下記の130人ほどの生徒が該当しています。この数週間メールが届かない状態だったと思います。
メールアドレスは、6月5日に復旧しました。
このほかに、山のたよりなどのメールが届かなくなったという生徒のみなさんがいらっしゃいましたらご連絡ください。
いここ、いずみ、うとさ、えみと、おうう、おうる、おえぬ、おおた、おきこ、おきま、おけか、おけた、おけろ、おさう、おしけ、おすし、おすて、おすね、おせう、おたち、おつう、おてち、おとあ、おとき、おとさ、おとそ、おなえ、おなわ、おにき、おにゆ、おぬな、おぬは、おねて、おねほ、おねま、おのい、おのき、おのね、おのへ、おのむ、おはく、おはな、おはり、おひけ、おひし、おひせ、おひら、おへあ、おへと、おへは、おへめ、おほほ、おほよ、おまう、おます、おまた、おまは、おまへ、おまほ、おみし、おみち、おみな、おみぬ、おみゆ、おむし、おむみ、おめね、おめみ、おもく、おもせ、おもち、おやい、おやて、おやぬ、おゆい、おゆに、およと、おらえ、おらお、おらか、おらに、おらの、おらは、おりい、おりお、おりめ、おりる、おるせ、おるみ、おれは、おれゆ、おれよ、おれわ、おろけ、おろの、おわね、おわの、かあい、かあぬ、かあり、かうせ、かえや、かおわ、かかい、かかこ、かかや、かかゆ、かきそ、かさり、かたち、かめさ、かやあ、かやな、きみえ、くみこ、けんじ、けんと、ころん、こんひ、さひめ、すずね、たいち、つきみ、のぞみ、のなな、はるり、みさき、みずき、みみほ、みやた、むさし、ゆかり、よしひ
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連絡下さいとの事 中学一年 おれゆです。
おれゆさんは、もうメールが復活しているので、大丈夫です。
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言語でものを考えることができるのは、人間の特徴です。人間以外の生物も、ものを考えることがありますが、それは言語を通してではなくもっと感覚的な方法で行われています。
言語で考えることができるというのが、人間の創造力の源泉です。
したがって、創造的に生きるためには、幅広い豊かな言語とものごとを深くとらえることのできる言語を持っている必要があります。想像力を三角形の面積のようなものと考えると、言語の幅の広さが底辺で、とらえかたの深さが三角形の高さです。
この幅の広さを身につけるものが多読で、とらえ方の深さを身につけるものが精読です。精読とは、一つのものをゆっくり読むことではなく、同じものを何度もくりかえし読むことです。ですから、精読というよりも復読と言った方がいいかもしれません。
しかし、現代の社会では、多読に比べて精読(復読)の重要さはあまり知られていないようです。言葉の森では、長文音読という形で、この精読を子供たちの勉強の中に取り入れていきたいと思っています。
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言葉の森の講師のあお先生が、ハワイで作文教室を開いています。
ハワイの生徒たちは、日本語も英語も両方勉強しなければならないので、大変だそうです。でも、みんながんばって楽しく作文を書いています。
ハワイに出かける人は、寄ってみてもいいかもしれませんね。
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ハワイでも言葉の森のお教室があると知り、嬉しく思いました。8月に家族で行く予定がございますので、訪ねてみたいと思います。その際、現地にて作文を書かせたいと思いますのが、1度だけの指導はして頂けるでしょうか?
連絡先とご住所を教えて頂ければ幸いです。
ハワイの教室の住所とお電話番号はのちほどメールでご連絡します。
ただ、曜日も合わないと思いますので、作文指導は難しいと思います。
ただし、ご訪問いただくのは大歓迎ですので、お時間がありましたらぜひお寄りください。
ハワイに滞在しているときの作文指導については、日本の言葉の森にお電話くだされば(日本時間で平日9:00-19:50土曜9:00-1150)、日本の先生が折り返しお電話する形でご指導します。
夏休み中の作文指導については、今週発行する言葉の森新聞をごらんください。
http://www.mori7.net/mori/20070602.html#11137
以上、よろしくお願い申し上げます。
※あお先生から、すぐに返信があったのですが、私(森川林)がメールを見落としていてお返事が遅れました。申し訳ありませんでした。
※もう一つ。個人名の部分は、消しておきました。
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小学校の低中学年は、読書も作文もいちばん楽しく取り組める時期です。楽しく読める本が豊富にあり、書きたくなる話題にも事欠きません。
ところが、残念なことに、この時期に、「忙しくなったから」とか「提出ができないから」という理由で退会してしまう人がときどきいるのです。 退会にはそれぞれの事情があるので、中にはやむをえないこともあると思います。また、作文の勉強は、中学生、高校生へと続く長い勉強ですので、また時間が取れるようになれば再開することもできます。
しかし、低中学年のうちは、工夫をすれば時間の都合は何とかなることが多いので、いったん始めた勉強はできるだけ続けていくようにした方がいいのです。
なぜかというと、例えば「忙しいから」という理由でいったんやめた子は、また再開をしたときにも同じようにすぐにやめるパターンになりやすいからです。そのようにして、始めたりやめたりという形で勉強をしていくと、難しい課題になったときにがんばって取り組むということができなくなります。つまり、「忙しいからという理由でやめることができる程度の大して重要でない勉強なのだ」と子供自身が思ってしまうわけです。こういう考え方をするようになった子に、それ以降がんばらせることはなかなかできません。
これがもし、忙しいからどうしようかということで、母と父と子が三人で話し合って、何とか続けようということになったとすると、子供の取り組む姿勢が変わってきます。つまり、そんな話し合いをするぐらい重要なことなのだから、一生懸命に取り組まないといけないという気持ちが子供の心にわいてくるのです。
勉強のコツも、生活のコツも、同じです。いったん決めたことは、原則として続けるということが大事です。もし、どうしても時間的な都合でやめざるをえない状態になったときでも、親子でじっくり話し合って、どういう理由でやめるのか、いつ再開するのかということを話し合っておく必要があります。このように話し合いをしてやめた子は、再開してもすぐにまた同じように熱心に取り組むことができます。
言葉の森が、低学年からの受講をすすめるのは、その方が長く続けられるからです。低学年から作文の勉強をしていた子は、毎週1回書くことが生活習慣のようになります。そういう生活を続けていくと、高学年や中学生になって忙しくなったときでも、本人が何とかがんばって続けたいと思うようになるのです。
ただし、長く続けるのには、コツがあります。それは、細く長く続けるということです。
退会する理由のいちばん主なものは、課題がたまって負担になったからというものです。もし、これが作文以外のほかの通信教育の勉強であれば、たまった課題はちょっとがんばればすぐに消化することができます。しかし、作文はそうではありません。これは、自分で作文を書いた経験のある人だけがわかることですが、作文は、1日に2編以上続けて書くことが非常に難しいのです。作文を書くことは、精神的なエネルギーを必要とするので、普通の勉強のように二日分まとめてというわけにはなかなかいきません。
ですから、もし、授業のある日がたまたま忙しくて作文が書けなかったという場合は、次のようにしてください。
(1)時間を15分とか30分とかに区切って、書けるところまで書いて出す。途中であっても翌日以降には持ち越さず、そのまま提出する。
(2)その日は、もう休んだものとあきらめて提出しない。そのかわり翌週から新たな気持ちで取り組む。
もちろん
(3)無理のない計画をたてて、別の日に書くようにする、ということでもかまいません。
しかし、作文の課題がたまっているという心理的負担感を持ったまま1週間を過ごすのは精神衛生上よくないので、できるだけ(1)か(2)で取組み、翌日以降には持ち越さないことを原則にしてください。
私事になりますが、私(森川林)の子供2人も、小学1年生から高校3年生まで言葉の森で勉強をしていましたが、すべてこの細く長く方式でやっていました。熱心に取り組んで課題をためて行き詰まりやめてしまうよりも、適度に休みながら続けていく方が、長い目で見て必ずプラスになります。
こういうことは、子供が自分の力で判断できることではありませんから、親が早めに判断してあげるようにしてください。
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「一途(いちず)に頂上を目ざして直登(ちょくと・ちょくとう)していった」が正しい読み方です。
「一途(いっと)」という読み方をするのは、「発展の一途(いっと)」というような場合です。
長文のふりがなについては、ふりがな自動作成のページで自動的につけたものを、複数の人間が複数回チェックしていますが、どうしてもこういう漏れが出てしまいます。
申し訳ありませんが、小5のみなさんは、正しいふりがなに訂正して読むようにしてください。<(_ _)>
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